2、事件覚醒―足食いポストは紙を吐く
「ねぇ……しよ?」
消灯した部屋に漏れ射し込む光が頼りなく映し出すだけの暗い世界の中、彼女の輪郭が微かに確認できた。今は見えないその唇が確かに紡いだ言葉を思考が理解する前に、ベッドへと押し倒される。私より低くか細い体躯の彼女だが、一度マウントポジションを取られてしまうと抵抗は難しい。
いつもそうだ。
気づいた時にはすでにこんな状態で、「今度こそ私が攻めに」と思いはするものの、成功した試しがない。
シャワーを浴びたばかりの彼女からは柑橘系シャンプーの香りが強くする。まだ火照った体温が水気を含んだシャツ越しに伝わってくる。彼女が下着を身に付けていない事も、そして胸の起伏もが、心臓の心地よい鼓動と共に感じ取れる。
しばらく塞がれていた唇が解放されて、代わりに今まで私の手を押さえつけていた手が肌を這い始めた。着たばかりの服が通り過ぎる指にするすると剥がされていく。
見えなくても彼女の口角がわずかに上がったのが気配で分かった。それほど嗜虐心をくすぐる表情を私はしているのだろうか? 私には鏡がなければ確認もできない事だけれど、あぁ、そもそもこの部屋は真っ暗なんだっけ……。
意識が蕩けて滲んでいくような浮揚感が身体を包む。
すでに抵抗する気を根こそぎ吸い取られている私はされるがままに身を委ねるしかなく、やがて太腿まで下がっていった指はショーツに手をかけ――
「はーい、ストーップ」
そこまで気持ちよく朗読したところで私の課題発表は遮られた。夜の情事から戻ってきた意識は、代わりに自筆した汚い文字を視界に映し出している。走り書きもいいところのレポート用紙から顔を上げて、声の主へ視線を投げると、教壇に立つこの講義の講師は呆れ顔を寄こしてきていた。
それだけではない。大学の講義室という、傾斜のつけられ雛壇のようになっている教室において、わざわざ前列に居座っていた私に向けられる、後方生徒の視線が背中越しでも感じられる。
……ここは私立稲倉大学、通称『文芸館』と呼ばれる第十一号館校舎の小ホール教室。言うまでもなく今は授業の真っ最中だ。
そんな中での私の勇気ある行動に生徒達は拍手するでもなく、ただ茫然と私を信じられないモノを見る目で見ていた。
まあ、当然だよね。流石の私でもそんな仕打ちをされるような事をしたって自覚はある。
白藤さん、と先月結婚したばかりの新婚講師たる彼女は私の名前を呼んだ。
「一応確認しときますけど、わたしの出した課題の内容って覚えてます?」
「ファンタジー小作文を書け、ですね」
『ファンタジー論』。それがこの講義の名称だ。名前ほど甘い講義というわけではなく、各宗教での天国・地獄比較やら夢の国の演出やらについて考察する事が主な講義内容である。が、物語の自作など名前から連想できる期待通りの内容もちゃんと含まれていて、今回は幸運にもちょうどソレに当たる。
今まで講義で学んだ事を踏まえてファンシーな作文を書いてきてください。そう言われたのが先週で、言われた通り課題をこなした結果がさっきの文という実に残念な生徒、それが私、白藤桃というわけで。そんな私を当てたのが彼女の運のつきと言える。……当てられるように最前列に座ったのは私だけどな!
「そうですよ! 誰が官能百合小説書けなんていいましたか誰がっ⁉」
若奥様が吠える。その動作が一々可愛いから困る。これだからこの人をからかうのは止められないのだ。
「ヤダな先生、アレは冒頭で読者を惹きつけるテクニックです。あの後ちゃんとファンシーでファンタスティックな物語が展開する予定だったのに」
もちろん嘘だ。手元のレポートにはショーツを下ろした後も延々と夜の情事について書かれている。
何せ昨日の晩になって課題に手をつけてなかった事に気づき、何も思いつかずにその日の戯れを走り書きした日記に近い代物なのだ。ファンタジーどころかフィクションですらない。
「うわぁ、なんて残念な発想なんですか……。というか、公衆の面前でよくそれを発表できましたよね。先生びっくりです」
「同性愛者である事を包み隠さないというのが私のポリシーなので」
悪びれず胸を張って言う私に彼女は教壇に顔を埋めた。
「公然わいせつを正当化しないでください。……あなたの頭の中がファンタジーなのは分かりました。見た事ないカビが生えてますよね?」
それは私の倫理感が腐海に沈んでると言っているのだろうか。
「先生だって両性愛者じゃないですか」
「そうですけど! 何さらっと人の性指向バラしてるんですか⁉ 私結婚してるんですよ⁉」
「知ってますよ。新婚旅行の手配したの誰だと思ってるんですか」
「ああ、そうでしたね! その節はありがとうございました! 最高に楽しい海外旅行でした!」
まさしく『くわっ!』という表現がぴったりな動作でまくし立てるように叫ぶ彼女。怒りながら感謝の弁を口にする様は見ていて面白かった。
「いえいえ、どういたしまして。満足いただけて何よりです」
「……って、そうじゃなくて! 常識を持って行動してくださいって話だったでしょう⁉ もうっ、いい加減にしないと単位あげませんよ?」
「え? 要りませんよ?」
「…………ぇうぇ?」
私の切り返しがよっぽど予想外だったらしく、彼女は意味不明な声を上げた。
大学講師の切り札とも言える台詞を平然とかわされて目をまん丸にして口をパクパクさせている彼女に、私は彼女の知らない事実を教えてあげる事にする。
「だって私理工学部ですもん。文系講義の単位なんて卒業になんら影響ありません」
そう、関係ない。大学では自分で授業を決めれるなどというのは幻想だ。幾ら自由とは言っても理工学部生が文系科目を取ったところで卒業必要単位の合計には加算されない。
「なっ、じゃあ何であなたはこの授業取ってるんですかぁ!」
「先生をからかうのが楽し過ぎるから?」
「ちょっ、誰かこの心中露出狂を何とかしてくださいー!」
手をバタバタさせる彼女、それを微笑ましく眺める学生。そんないつもの光景といつも通り無駄に過ぎた時間を告げるチャイムの音――……と、ここまではよかった。
今日も今日とて先週同様、若く可愛らしく学内で人気のある彼女をからかい心の癒しを得、かつニコニコと笑顔を振りまく彼女のいじけ顔を見に来た学生からいつも通り高額の報酬を得、万事うまく行っていたはずだったのだけど、流石に怒ったらしい彼女に講義終了後呼び出された私は面倒なお使いを頼まれてしまったのだ。
自分の講義を取っている生徒の名前と顔を全て覚えている希少生物ほどに珍しい彼女は、当然ながら欠席しがちの生徒の事もしっかり把握している。私と高校時代の知り合いだとつい漏らしてしまった女生徒が一人その中に居て、来ていなかった分のプリントと重要部位を記したメモを嬉しそうに渡してきて彼女は言った。
「ほら、来週期末テストじゃないですか。ないと困ると思って!」
……その溢れんばかりの優しさがむしろ染みる。
確かに思い出してみればもうすぐ夏期休暇に入るという季節だ。そんな学生の重要事項が頭から抜け落ちている辺り、私も立派なサボり組の一員なのだけど、そんな私の立場から言っても、ほとんど講義に出ないような人間におせっかいにもプリントなどばら撒いてくれるなんて、本当に彼女はどうかしている。けれど、そんな彼女に様々な点で世話になっているのは自分も変わらないわけで、断るという選択肢は存在せず……実はあまり知りもしない、高校で同じクラスだった程度の知人へのお使いが決定したのだった。
「ホント、勘弁してほしいよね」
冷房の効いた教室から所変わって炎天下、辛うじてケータイに登録されていた住所録とあやふやな土地勘を頼りに、入り組んだ住宅街を歩きながら、そうケータイ越しに同意を求めたら、
「いやぁ、自業自得だよ」
最愛の人から返ってきたのはそんなつれない一言だった。むぅ、ちょっと悲しい。
涙の代わりに額から流れ落ちる汗を手の甲で拭く。見上げるまでもなく、夏の凄まじさはアスファルトから陽炎として立ち上っている。挙句、歪んで見える道路を眺めていたら、ただでさえあまり馴染みのないこの場所が迷路に見えてきた。
夏よ死ね。太陽よ堕ちろ。
……登録されていた住所からして、前に来た事のあるこの辺りだとは思うのだけれど、如何せんそんな具合だから、サボり娘の住居を見つけるのにはまだしばらくかかりそうだ。
「まあ、そういうわけだから、帰るの少し遅くなるのよ」
「ん、分かった。あ、桃ちゃんの誕生日もうすぐだよね」
「そう……ね。先月蜜の誕生祝いやったから、そうかもしんない」
「いやいや桃ちゃん、自分の誕生日ぐらい覚えておこうよぅ」
「私にとって一番大切な日は蜜の誕生日で、最高の記念日は蜜と出会った日よ。それだけは譲れないわ」
「ぇへへ……ありがと。でも桃ちゃんの誕生祝いはやるよ? ケーキケーキ」
「いいけどさ、ケーキなら何時も食べてるじゃない。そんな好きだったっけ?」
「違うの。おっきくて丸いのがいいの、入刀入刀、きょーどうさぎょー」
「……共同作業? あぁ結婚式の?」
「そう。桐枝ちゃん達がやってたやつ」
手の平に滲んだ汗で滑らないようケータイを持ち替えながら、私は若奥様の結婚式を思い出した。珍しく人の多く居る場所に蜜が出た機会で、彼女はその様子を興味深げに見ていた記憶がある。なるほど、それに感化されたのか。
「やりたいの?」
「うん。嬉しい……じゃない、楽しい? いいな? ひゃっほい? 違う、あれ……えと、あれだよ。きゃーいいなって感じの……」
要領を得ない彼女の言葉。けれど、それはいつもの事だ。
根気強く彼女が自分で答えを見つけ出せるかを見極めてから、それでも無理だと判断して私は助け舟を出した。
「羨ましい、でしょ?」
「そうそれ、羨ましい! たぶんそれ!」
「それが〝憧れる〟って感情、覚えときなよ」
そんな会話の後、もう二言三言言葉を交わしてから通話を切った。周りを見回せば、後ろに見知った道が控え、前には見知らぬ世界が広がっている。とりあえず、おおよそここら辺だろうという所にまでは辿り着いた。問題はここからどう行けばいいのかだけれど、流石にこれ以上この周辺の地理に詳しくない。頼りは電柱に書かれた番地のプレートだけだ。
太陽が私を溶かしきるのが先か、太陽が沈む前に彼女の家を見つけるのが先か。私の勝ちがまるでない勝負を始めてから数十分、私は何とか目的のアパートを探し当てた。
さっさと蜜の居る憩いの場に帰ってシャワーを浴びたい。アイスを食べたい。クーラーをガンガンかけた部屋で昼寝がしたい――そんな気持ちを抑え、膝に両手を着きタボタとアスファルトに落ちて行く汗の滴を眺めていた視線を上げる。
その先にあるのは当然問題のアパート、しかし、しっかし……、
「うへぇ……」
アパートの外装を見て思わずそんな声が漏れてしまった私を誰が責められよう。
目の前にあるのは長年雨風に晒されましたと主張する、錆びたドアが横に5つ縦には2列並んだ、つまるところ二階建て建築だ。
なのだが、それが、あまりにも酷い。
少なくとも女学生が住むアパートっていうイメージからはかけ離れている。どちらかと言えば容疑者の潜伏先だった。建物と言うより、箱形の部屋をくっ付けてアパートの体裁を取っているといった方がしっくりくる。
本当にここなのかと思わずケータイを確かめるも、確かにここらしい。
部屋番号は『201』、剥き出しの螺旋階段を上った最奥の角部屋だ。
錆びて赤茶色くなっている鉄製の階段は一段上る度に軋む。だからと言って同じく錆びた手すりに手をつけたいとも思えず揺れるのを我慢しながら上りきると、廊下もやはり酷い有様だった。一応清潔には保たれているのだろうけれど、時の流れには勝てずに廊下のフェンスの錆がコンクリートの床にまで赤い跡を残しているし、床自体も入った罅を補修したらしき後が所々見て取れる。
補修するぐらいなら建て替えたらいいのに。そんな身勝手な感想を抱きつつ、さっさと用事を済ませてここを出ようと決断して、早足気味に目的のドアの前に立った。鉄製のドアはやはり錆だらけで、元は青かっただろう事が微かに残るペンキで分かる程度だ。
ツンと鼻を突く鉄の臭いに顔をしかめてしまう。これは衛生上良いとも言えない気がする。ドアの蝶番が使い物にならないくらい錆び、ネジさえもが抜けそうなのを見て、しかめっ面はさらに強くなった。
女学生としてせめてセキュリティーの整った部屋を探した方がいいと忠告すべきだろうか?
さほど親しくもないとはいえ、ここまで酷いアパートだと心配になってくる。まあ、顔を合わせたらそれぐらい言ってみよう。
向こうにそれと用件が分かるように鞄から問題のプリントを取り出してからインターホンを鳴らした。
一回目、返事がない。
二回目……三回目もなし。
出かけているらしい。授業をサボってるんだし、外出していてもおかしくはない。
仕方ないが警告は諦めるしかないようだ。女の子を危ない状況のままで放っておくのは主義に反するのだけれど、プリントだけ置いて帰ろう。
錆びて口蓋を開ける際にもぎぃぎぃ頼りない音を立てるドアポストに、随分と分厚いプリントの束を押し込む。
「ん?」
ところが、どうやらすでに結構な量が中に入っているらしく、全て入る前につっかえてしまった。そのまま無理やり押し込もうと試みても、収容の余地はないのかそれ以上進みそうにない。
プリントの方を折りたたもう。
溜め息一つ、とりあえずサボり具合がそのまま厚さに比例している紙束を一度引き抜いて、
「………………」
押し込んだプリントの先が赤く染まっているのが目に映った。
粘り気のある、赤黒い染み。
それを視認して、深呼吸。空気を吸い込む。
濃い、鉄の臭いに肺が満たされた。
……なるほど、そういう事か。
ノブに手をかける。当然(、、)、鍵などかかっているはずがなく、すんなりとドアは開いた。
「押川さん」
一応(、、)の礼儀として一声かけてから一気にドアを開け放つ。その勢いでポストから漏れた血が扇状に外の床にまで飛び散り、運悪くその位置あった私の足元にまでかかった。生足と靴下の不快感を我慢して、開けた鉄板の裏に目をやれば切断された人の片足が無理やりドアポストにねじ込まれていた。
構わず奥に進むと、すぐさま目的のモノは見つかった。
探すまでもない。何せワンルームだ、部屋の全てが一度に視界に収まる。
そう、全てが。
例えば――ベッドに仰向けにされた高校生時代の級友の尺の足りない死体とか、切断されてから改めて胴体に乗せられた両腕が、その手にさも大事そうに自分の心臓を包みこんでいる様子とか、テーブルの上に置かれた切断されたもう片っ方の足とか――そんなモノ、全てが。
視界を満たした。
「……これはこれは」
誰も居やしないのに、見栄を張るように声を出してみる。けれど自己に対して平静を装う、つまるところ自己暗示というそんな姑息な手段は、声が震えて失敗に終わった。
もう一度、視線を死体に移す。そこにある遺体の名前は押川友恵。親から友人に恵まれるようにと付けられただろう名前の願かけはそれなりに効果があったとみえて、私の知る限り高校時代には知人も多かったはずだ。つまりそれはその分恨みや妬みも買っていたという事でもあるのだろうけど……いや、そんなことはどうでもいい。
おそらく彼女の交友関係など、この殺人には関わりないだろう。
むしろ関係があるのは私の方だ。
裸で横たわる四肢のない身体、その胸部から抜き取られた心臓を、ハート型を模った両手で包み込ませるという犯行手口。
「これは……やっばい、なぁ」
それに痛いほど見覚えがある。
♯
溜息を吐いた後、私は二回電話をかけた。一つはもちろん警察で、もう一つは私の恋人に。
当然ながら先に着いた警察は現場と死体を確認するやすぐさま立入禁止(KEEP OUT)テープを張り、廊下も青いビニールで覆って外からの視線を完全に遮断した。
出てきたのはバラバラ死体だ。四肢切断、内臓摘出。その四字の言葉で語れるほど目に優しい現場ではない。血が抜けて蒼ざめた死体の顔や、床を浸す乾き始めて滑りを帯びた血溜まり、そして断面。すでに数回同じ(、、)死体を見た事のある私だからこそよかったものを、免疫のない人間が見たら間違いなく吐くだろう。
それに、もしこれが前のアレ(、、、、)と同じ手口である事が明るみに出たらとんでもない騒ぎになる。マスコミがかぎつける前に、野次馬に目撃される前に現場を完璧に封鎖しておきたいはずだ。
そんな彼ら警察のピリピリとした空気を肌で感じつつ、横目で様子を窺っていた私は視線を自分の居る警察車両内に戻して嘆息した。第一発見者としての事情聴取というやつだ。まあ、通報した以上そうなる事は分かっていたとはいえ……狭い車内で両脇を野郎二人に挟まれるというのは拷問以外の何ものでもない。
右は若い刑事、左は中年刑事、そして助手席に座る女刑事。せめてあなたが左に座ってくれれば……っ!
……閑話休題。
主に質問してくるのは前に座るうら若き桜花可奈という名の女性で、名前と発見経緯、被害者との関係を聞かれた後、「では」と前置きして彼女は中年刑事に目配せした。それに応じて彼は内ポケットから写真を1枚取り出して私に見せてくる。
「この人に見覚えはないかしら?」
……そこまで言われたら、写真の人物がたどった運命は容易に想像がつくというものだ。嫌な予感とある種の諦めを持って写真に意識を移すと、そこには予想した通り私の知人が映っていた。
「佐々木裕子ちゃんですね。中学時代からの友人でした」
これで押川さんの死体を見た時得たあの予想は確信に変わった。やはりこの事件は……、だとすれば、
「もしかして殺されたのって七月二日の午後二時ぐらいですか?」
殺害された旨と予想だにしなかった情報を口にされて若刑事が少々うろたえた。二十代に見えるその若さから言って新米だろうと思っていたけれど、やはりそのようだ。二人で良さそうなものを三人で聴取してるのは彼の研修を兼ねてるのだろう。
何故と訊かれる前に、ケータイを開いてスケジュール表の七月二日を見せる。『裕子 中央図書館』。国立大に入った勉強熱心な彼女に頼まれていた資料を渡す予定だったのだけど、
「直前にキャンセルされましたけどね。……裕子ちゃんも同じ手口で?」
「ええ」
「今回で二人目ですか。それも女性二人、ハート事件と同じですね」
『ハート事件』という単語に今度は中年刑事が反応した。
一般人があんな死体を冷静に観察できるとは考えにくい。現場を見たとはいえ、それを五年前のあの事件と結び付けられるとは思っていなかったようだ。
けれど、残念ながら私はたまたま巻き込まれてしまった哀れな発見者ではない。むしろこの件に限って言えば被害者よりも因縁深い立場に居るのだ。
言わずともいずれは分かるだろう事だけど、ここで自ら告げるのは少し憚れる。できれば関わりたくもないと思いながらも、それを許されない状況下で私は……いや、私達(、)は事件の渦中に身を投げる事を決意した。
「五年前、あの事件で犯人逮捕に関わった女子中学生が二人居たでしょう? その一人が私です。ですから、あの事件についてはよく知ってます。今回の事件、同じ手口が私の周りで行われている。……どうやら私達に関係あるようですね」
言って、ドアガラス越しに見える我が愛しの待ち人を指差す。その先には夏というこの蒸し暑い中、黒いワンピースに黒いニーソックスで絶対領域を作り出し、頭に黒い麦わら帽子を乗せているショートカットの黒髪をハーフアップにした女の子がこっちに視線を寄こしてきていた。
「あの娘は桜川蜜。ハート事件に関わったもう一人の女子中学生で――私の恋人です」
その台詞に交互に私と彼女を見比べて口をパクパクと開閉する男性二人。
その隙を見逃さず、私はもう一押しと、トドメの名刺を取り出した。
「それとこれ、どうぞ」
ジェネレーションギャップのせいか、殊更思考回路に負荷がかかって呆然としている中年刑事の方を選んで切り札を差し出す。
事務所『白桃シロップ』
名探偵 白藤桃
その表記にさらに固まった彼の脇をすり抜け車外に出る。
ふっ、我ながら華麗なる脱出法よね!
蜜の所に駆け寄り、野郎共の呪縛から解放された嬉しさのあまりに再会のフレンチ・キス。彼らに見せつけるようにたっぷり十秒間、離した唇を人差し指で拭って、勝ち誇った顔を彼らに向けてやった。
「それじゃあ私達はこれで」
が、そのまま現場を去ろうとした私の肩を掴む人物が一人。
振り向けばいつの間にか車を出ていた桜花さんが笑顔でそこに立っていた。
「いや、駄目に決まってるじゃない」
……ですよね。