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10、エピローグ―名探偵の存在証明

 まるで浸水したように、あれだけ床を満たしていた資料は元あった場所に戻り、テーブルの上のカップも全て食器棚に並んでいる。ホワイトボードも拭き掃除して白さを取り戻し、ボロボロだったコルクボードは買い換えた。

 人食いパンダの切り紙は原作者に引き取られ、代わりにまた白いボードに書き直されている。「がおー」と棒人間を貪るパンダが今度は二匹、片方はメスなのか左耳にリボンを付けていた。

 応接間をオープンに演出する、壁面ガラス越しに差し込む夏の日差しは心地よく、クーラー独特の人工的な冷たさが肌を撫でている。

 それは一ヶ月前までと同じ平穏な生活の象徴で、苦悩や不安の取り除かれた世界は心の加減で眩しく見えた。

 戻ってきた日常。戻ってきた蜜。

 久し振りの憂慮ない日々、久し振りの二人きり。

 来訪者の居ない応接室の奥、生活スペースになっている一室――仄かにグレープフルーツのアロマが香り、開け放たれたドアから差し込む光の中、ベッドで私は蜜を押し倒していた。

 重なる手と手、それぞれの左薬指には誕生石をあしらった指輪が嵌めてある。蜜の指にはアレキサンドライト、私のはピジョン・ブラッドルビー。婚約指輪で、結婚指輪。

 長い、長い口づけの後、ポジションを逆転させようと身体を捩る彼女を抑え込んで言った。

「駄目よ、今日は私が攻め。蜜はネコ」

「んー、何か恥ずかしい……」

「恥かしがってる蜜も可愛いわよ?」

 触れる額、鼻先、二度目のキス。絡めた手を離して、今度は彼女の太腿をなぞっていく。柔らかい感触、火照った温もり。

 どこか遠くから聞こえる蝉の声が、透通った光の色が、昼間というこの時間を強く意識させる。夜とはまた違った心地良さ。

 指が布地を引っかけて、いよいよというその瞬間――、ケータイが鳴った。

 せっかくの雰囲気に水を差された事に顔をしかめる。見れば、着信は可奈さんからだった。

 蜜に「待ってて」と念を押してから、お邪魔虫をひっ掴み部屋を出た。

「もしもし……」扉を足で閉めながら応答する。「可奈さん?」

「あーもしもし」

 大して久しくもない、けれどいつもとは調子の違う彼女の声。それが単にスピーカーを介しているからなのか、それとも彼女自身がそうしているのかは判断しかねる。

 そもそも用事があればそれを理由にサボりに来るような人間なのだ、思えばこうやって電話を通じて話すのは初めてだった。

「……どうかしたんですか?」

「うん、用事があってね。でも、その前に……結婚おめでとう、桃ちゃん」

「あぁはい、ありがとう、ございます……? あの、それで用事っていうのは?」

 蜜を待たせているのもあって、時間をかけたくない私は単刀直入に問いかけた。

「うん、まぁ、ほら……」

 けれど返ってきたのはそんな要領を得ない言葉。

 電話をかけてきた側であるのに関わらず、何やら躊躇しているらしい。

 その様に思い当たる節があって、私が僅かばかりケータイを握る手を固くした辺りで、

「池田君の事があるし、一応さ」

 彼女は、

「今を逃がすと……もう機会はないだろうし」

 煮え切らない物言いで、

「これだけは訊いておこうと思ってね」

 そう切り出した。


「桃ちゃん。……桃ちゃんは今回の事件――どう、思ってるの――?」


 ……。

 …………ふぅん?

 ………………それは――それは一体、どういう意味で……なのだろうか?

 押川友恵ちゃんが犠牲になった事について? 佐々木裕子ちゃんが犠牲になった事について? 道元麻央さんが犠牲になった事について? あるいはエレベーターに投げ込まれた犠牲者や御伽の国の犠牲者の事で? それとも池田悠志君が犠牲になった事? あぁ南城和樹君の事、とか?

 いやいやいや、違うんだろうなぁ。

 たぶん、彼女が言いたいのはハート事件の被害者である温井見美々ちゃんや中島梨奈ちゃんや畑明日香ちゃんや有田夏美ちゃんや濱口朋子ちゃんや中谷真希ちゃんや――、

 内山広一君の事を含めた〝全て〟の事について、なんだろう。

 ……視線の先、雲が陽を閉ざし始めたのか、影が動いて部屋を満たしていく。

 少し暗くなった室内。テーブルのガラスに反射する自分の表情。

 ケータイ片手に移動する、その際に、テーブルの端にはみ出していたレポート用紙が足に引っかかって床に散らばった。

 強制返却された課題小作文。

 何気なく落とした視線、その目に映るのはファンシーでファンタスティック、ミステリアスでホラーな夜の情事――すでに抵抗する気を根こそぎ吸い取られている私はされるがままに身を委ねるしかなく、やがて太腿まで下がっていった指はショーツに手をかけ、手際よく抜き取ったソレで彼女は私の首を絞めた。息が詰まる感覚にはもう慣れた。朦朧する意識の中、彼女の顔を撫でる。それが合図、首にかかる圧迫感が抜け、代わりに太腿に走る鋭痛。僅かに光る刃物が暗闇に揺れている。指の腹が傷を撫でて、付着した血を舐め取る艶めかしい音が響いた。その間、私は彼女の身体を愛撫し続けていたけれど、今度はその腕に作った傷を直接舐められてくすぐったい感触が――『身体が持たないかもしれない』『蜜に殺されそうだ』。その言葉が意味する事など、吟味する必要も、わざわざ口にする必要もないだろう。

 犯人は蜜、そんなのは最初から分かりきっていた事じゃないか。

 ――振り返ってみればいい。

 初めの初めから――私の目的は『犯人探し』。犯人に相応しい人間を探してた。

 内山広一が犯人? だったらなんて彼は自殺した?

 南城和樹が犯人? それなら何故、六人もの人間を殺めたはずの彼は私に軽々殺された?

『天才的行為を成すのに天才である必要はない』? 何よそれ、馬鹿みたい。天才は天からの贈り物如き才能に恵まれた人物を呼称するからこそ〝天才〟なのだし、そもそも『天才は素質の有無ではなく才能の片寄りで生まれる』というのなら、『命の重さ』が紙切れのように軽い事を『誰よりも知ってる』蜜は、妹を目の前で殺された蜜は、ずっとずっと……両親を殺す事ばかりを考えていた――。

 ハート事件自分達で終わらせたのは何故? 同じ手口なのは何故? 蒸し返したのは何故?

 それを説明できない限り、私達を犯人扱いできないというのなら、要はそれさえクリアできればいいわけで、

 ――さぁ、『犯人になったつもりで』考えてみよう。

『一般人』の感覚『では解け』ない、そもそも蜜は緘黙で失感情症、自分の気持ちを把握する事もそれを表現する事も感情が複雑になればなるほど難しい。『天才と呼ばれる人間は才能に自己表現を依存しがちだ』とするのなら、彼女にとって他傷行為とは、殺人行為とは何を意味するのか?

 快楽犯(、、、)が何故わざわざ自分達で事件を終わらせた? それがそもそもの間違いなのだ。

 ……だってアレ、快楽殺人じゃないんだもの。

 四肢切断? そんなモノはオマケにすぎない。二番煎じ事件を見れば分かるように、彼女は四肢切断に大して拘っていないし、内臓摘出に関してはハートを模すためにそうしているだけで、そこに猟奇的な意味など一切全くこれっぽっちもありはしない。

『一歩間違えれば監視カメラに写ってしまう状況下で、わざわざ四肢と東部を放り込むような真似をする理由』、死体にわざわざオオ女将さんの着ぐるみを着せた理由、それが単に難易度を上げる事で、『あまりにも完成された殺人』を行う事で、貢物(、、)としての価値を上げるためだと――誰が思うだろうか?

 唯一どの殺人にも共通している、手に包まれた心臓が、手が模したハートがまさか――ラブレターを封かんするハート型のシールや、メール文の最後のハートマークと同じモノだと――誰が思うだろうか?

 ハート事件当時、私は蜜に告白していた。『親密になったきっかけ』だったハート事件は、私の告白に対する蜜精一杯の返事だった――けれど、罪を犯した蜜に対して、私の口だけの愛情表現はあまりにも釣り合わない。『蜜の好意に見合った行為で報いる事――それが私のポリシー』だからこそ、改めてそれに応えるために、従犯を犯して罪を分かち合うために、『自分達で終わらせた』。

 じゃあ今回の事件は? 『ハート事件の二番煎じ、告白の二番煎じ』――告白の次、告白に似たモノ。私の告白が前回の引き金なら今回の引き金は? 『蜜が望んでいた』『結婚式』――プロポーズ、結婚、入刀、共同作業(、、、、)。女同士では『籍は入れられない』。なら、その代りを考えればいい。それで蜜はハート事件を思い出したのだろう。あの時と同じように、ケーキを分けるように罪を分けて、罪で二人を縛る事。それが〝二番煎じ〟の意味、そして事件の動機――。私がそれに気づいたのは結婚式のDVDを見た時だった。道元さんの時、私は彼女の意図に気づかず解決しようとした。が、それでは駄目だったのだ――それでは意味がなかった。だからその時点では犯人するわけにいかない道元さんは殺された。そう、『私がもう少し人の心に機敏であれば』、蜜の気持ちに気づいていたら、道元さんが犯人になって事件は終わって、五件目・六件目は起こらなかったし、悠志君は死ななかった。

 悠志君の死……あれは失敗だった。男を残せば殺しはしないと私は考えていたし、可奈さんもおそらくはそれに気がついていたから『立候補しな』かったんだろう。なのに、まさか殺すなんて――そこまで私を愛してくれているなんて思わなかったから――けれど、男性恐怖症だからこそ(、、、、、)、天才の彼女であってすらその結果は惨憺たるモノだった。

 そうやって追い詰められるところまで追い詰められて、やっと密の思惑に気がついた私は、気づいたが故に『私が』という点に拘らざるを得なかった。だって、どうしても私がやらないと……私じゃないといけなかったから。私が応えたかったから……!

 だから私は罪の扉を開いた――『錆びて赤茶色くなっている鉄製の階段は一段上る度に軋む』『ガンガンという外からの音』、タイミングは計れた。先に梶川さん(、、、、)に連絡を入れた理由はいうまでもなく、『和樹君は熱帯魚好き』、『酸性に傾く』『水槽の水』、化学の実験、電気分解、水に加えた食塩の意味。『五〇〇万ボルト』『大丈夫、問題ない』――。『彼の毛髪やら何やらが裏地から検出』された作業着、『顔を殴っ』た『鞄の中のモノ』は何だった? 『ハート連続殺人事件の犯人は桜川蜜と白藤桃。内山広一は無実、彼にはアリバイがある』――それは誰の言葉で、『皺の寄った柄付きの封筒』は誰からの贈り物? いきなりの告発文に彼は戸惑い『何度も開けては閉じて』封筒を確認したことだろう。『古』い紙? 『二〇〇八年十一月に廃版してる』封筒? ハート事件があんな『そこまでやるとは私も思わなかった』結末を迎えて、名探偵という火の粉払いを始めたような私達が、他に何も用意してないと? 『私にも私の伝ってものがある』わけで、『インパクトのある演出を私にですらプロデュースできる』――にゃんこ虐殺事件同様、ハート事件も『完全に紙面やニュースから消えていた』――『報道テロ』は誰の仕業? ハート事件で暴言を吐いた『今はもう警察には居ない』刑事はどうなった? 二番煎じ事件の責任を取らされた結果、『羽虫』はどうなった? 『希望の光が一筋も届かないような惨めな人生が』『用意されている』彼はさぞ私達を恨んでくれるだろう。恨まれる事は容疑者候補者が増えるという事。『私達に恨みを持った人物は今も昔も掴み放題』『恨みという恨みを大人買い』。真犯人説、実はハート事件の犯人はまだ生きているなんて、そんなあまりにも信憑性に欠ける説も、和樹君によるとされる告発文によって現実味が増した。これで次の時(、、、)には使えるだろう――。

『この世に人の愛ほど怖いものはな』く、『触れぬ神にたたりはな』い。冤罪先の候補者になりたがる人間などいないが故、可奈さんは沈黙した。『わっるい娘』と『わっるい警官』。『憎まれっ子世にはばかる』、この世の中はどういうわけか、悠志君みたいな善人ばかり死んでいく。

 ミステリーが不思議の国のアリスというのなら、気狂い帽子(マッドハンター)は誰だったのか。

『犯人探しは椅子取りゲーム』。名探偵の私の役目は、泣こうが喚こうが強引に引きずって、蜜以外の誰かしらを犯人席に座らせる事――ほら、『冤罪なんてものはそれこそすぐ傍に潜んでいる』――『無実の広一君』や『私を好いてくれた和樹君に』罪を『なすりつけた極悪非道な人物』。それが私。

『さぁて、新たな情報も出てきた事だし、改めて自己紹介をしよう。

 私の名前は白藤桃――人間の屑だ』。

 五年前――美々ちゃんが蜜に殺されたのも、梨奈ちゃんが蜜に殺されたのも、明日香ちゃんが蜜に殺されたのも、夏美ちゃんが蜜に殺されたのも、朋子ちゃんが蜜に殺されたのも、真希ちゃんが蜜に殺されたのも、広一君が自殺したのも、今回――友恵ちゃんが蜜に殺されたのも、裕子ちゃんが蜜に殺されたのも、道元さんが蜜に殺されたのも、他の二人が蜜に殺されたのも、悠志君が蜜に殺されたのも、和樹君を殺したのも、『悪いのは全部私』。信頼を寄せてくれる実を騙し、友達である広一君に罪を着せて――私はあの時、あまりにも多くを裏切り過ぎた。人並みの道徳心と倫理感を持っている私は自傷行為に走り、それでも解消し切れなかった『精神負担は胃に』。

 ――それでも私は蜜だけは失いたくなかった。

『蜜の全てを守る事が、私の全て』。

 だから蜜を傷つける人間は要らない。だから蜜を縛る法は要らない。

 警察も検察も裁判所も、時効撤廃も裁判員制度も永山基準も殺人罪も要らない。

 そんなもの、全てなくなってしまえばいい。

 私のそんな身勝手な言葉も、『容疑をかけられる立場に』――犯人という立場になって考えれば、『相手の気持ちを勝手に想像して』被害者に同情できるテレビ前の大衆は、当然こっちも(、、、)の主張も理解できるはずだ。

 だけれど、そのあまりにも醜悪な考えを皆が皆見て見ぬふりをしてるわけで、大衆の意思と利益を優先するこの社会は、私達の存在を赦さない。

『そんな世界の中で、私は蜜と出会った』――『もうあるか分からない運命のような出会い』。 

 ……けれど、私達の時間はきっと、そう長くは続かないだろう。『天網恢恢疎にして漏らさず』、私達の罪はいつか暴かれる。きっと、次は……ない。あるいは私が蜜に殺されるのが先だろうか。すでに私の身体はボロボロだ。『不老不死』になりたい――蜜の傍に居るには、この身体はあまりにも、脆いから。私達の時間が、できるだけ長く続きますように。

 私はずっと蜜の隣に居たい。蜜とずっと一緒に居たい。ずっとずっと一緒に居たい。

 だからせめて、高らかに宣言しよう。

 幽霊はどうせ今もお得意の幽体離脱で見ているのだろう。可奈さん、そして幽霊。仲人が二人も居るのなら、私にとっても絶好の機会だ。

『どう思ってるの――?』――その問いかけに対する私の答えは一つしかない。赤い宝石をあしらった左手薬指の指輪を胸に当てる。

 テーブルに映る晴れやかな笑顔。

 目尻の涙と綻ぶ唇。

 身体を満たす幸福感。

 一息吸って、私は誓いの言葉を紡ぐべく口を開いた。

 私は……私は――





















「――私は蜜を愛してます」

ルビー。石言葉は『純愛』。

アレキサンドライト。石言葉は『秘めた思い』。

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