1、プロローグ―名探偵の椅子取りゲーム
ルビのズレはご容赦ください。
紙面を読んだ時、あるいはニュースを見た時、そこにはミステリーの欠片もない。
『児童虐待』『警察・検察の不祥事』『未成年の凶悪殺人』『通り魔の大量殺人』……そこにある事件に、不謹慎ながらも興味を抱いたとしても、さらに続くのは、虐待に手を出せない法や地域の現状や、増長した行政・司法機関の話や、少年法に守られた匿名少年Aの記事や、どうせ真には分かりもしない犯人の動機や心情を解説するコメンテーターの言葉だけ。
それらは大衆が欲しがる情報ではあっても、事件を推理するのに充分なモノとは言えないし、その事件資料にしたって情報源は結局警察だ。
一応は法治主義を謳うこの社会において、犯罪は警察や調べ、犯罪者は検察や裁判官によって法の下――凶悪犯罪ならば裁判員制度の下に裁かれ、刑という法の枷によって罰せられる。
そこに名探偵の入る隙などありはしない。
名探偵は存在しない。
名探偵――探偵業ではなく、謎めいた推理を求め、そして解決する事だけを生業にするような人物が活躍するミステリーの世界は、意外性に支えられながらも読者を納得させるべくリアリティーが求められるが、その相反する要素が故に、両者を求めれば求めるほど現実から乖離がしてしまいがちだ。
密室で死体が見つかれば、それはまず間違いなく自殺であり、証言自体が疑われればも元も子もないアリバイに細工するなんてナンセンスなだけで、ダイイング・メッセージが残っていれば死体発見と共に犯人が知れる事だろう。
完全犯罪に必要なのは、意外なトリックでも明晰な頭脳でもなく、死体処理会社の連絡先なのだ。
合理的に考えればすぐに分かる事だけど、適度に謎に満ちながらも、素人推理で解けるようなちょうどいい難易度の事件などこの世にはない。
さて、事件単体ですらそんな感じなのに、困った事にミステリーはそれ自体に大きな歪みを抱えてる。
吹雪の山荘や嵐の孤島、いわゆる閉じられた空間では容疑者が内部の人間に絞られる。それは内部犯に絞った推理を展開させるために考え出された一つの技法なのだろう。
けれど考えてみれば、本に綴じられた推理小説だって、犯人が作中に登場してないなんて事はほぼあり得ないわけで、推理小説そのものがクローズド・サークルの体を成しているのは周知の事実だ。
犯人は本の中に居る。
加えて、ミステリーとして意外性を求められるが故に、意外な人物こそが犯人であるという予測もできる。
犯人を当てるのに論理的な推理は必要ない。
推理を放棄した推理とでも言うのか、当てずっぽうで、抱いた論拠ない印象で、無責任に犯人を当てた気になれるのだ。
読者という立ち位置としてはそれでよいのかもしれないが、ここは一つ容疑をかけられる立場になってみてほしい。
理論立てて推理もしないくせに、間違っててもいい、そんなあまりにも軽い気持ちで、何となく「こいつが犯人だ」と決めつける。間違ってても構わない、違ってても自分は痛くも痒くもないんだから――それをする本人は気づいていないのだろうけど、それはまさしく名探偵役を引き立てるために用意される駄目刑事そのものだ。
大した根拠もないのに、筋違いな推理を吐き散らし権力かざして自白を強要するような刑事に目をつけられる。
はっきり言って全く笑えない。
刑事ドラマであるような取り調べのシーンなんて、フィクションというフィルターを取り除けば、もはや目を覆うような大惨事だ。
冤罪。そのあまりにも生々しい現実の前にミステリーの歪みはこの上なく酷く曝け出される。
ここが現実世界である以上、推理小説のお約束など存在しない。
謎解く鍵があるとも限らず、見つけられるとも限らない。
捜査が犯人に辿り着くとも限らなければ、見知った範囲に犯人が居るとも限らない。
ご都合主義の名の下に、ハッピーエンドが約束されているわけでもない。
この現実にミステリーは存在しないし、名探偵も存在しない。
幻想の中に宿るミステリーはまるで『不思議の国のアリス』の世界のように不合理だ。
話も人もちぐはぐで、常識のように非常識。
ひたすら走り回っては時間を気にする白ウサギ、にやにや笑う姿の見えないチャシャ猫、不公平な裁判がお得意のハートの女王。
どいつもこいつも気狂って、正気の沙汰とは思えない。
出演者がそうである以上、そこでの事件は一般人では解けはしない。
本の中でこそ完成された、現実味のない壊れた世界。
そんな中、登場人物から犯人を探し出す行為は椅子取りゲームに似ていないだろうか?
そう、犯人探しは椅子取りゲーム、席の周りでみんなして、マイム・マイムを踊ってる。
私の席は『名探偵』、五年前から予約済み。
偏見持ちで、差別屋で、自称他称変人の、自尊心が強いメイタンテー。
私の役目は『犯人』席を埋める事。
『名探偵助手』には我が恋人蜜ちゃんを、『協力的な刑事』には可奈さんを――続々席が埋まる中、増えるのは『被害者』ばかりで『犯人』席は空いたまま。
犯人は誰? それを決める狂った椅子取り。
さぁさ、犯人探しを始めよう♪
起こる事件は連続殺人。
四肢切断に内臓摘出、残されるのはハートのシンボル。
リズムに乗って踊り廻って、リズムに合わせて踊り狂って♪
曲が止まったその時に、最後に残った『犯人』の席。
そこに座ったあなたはだぁれ♪