公開買い付け
三日ほど空いたが、今日の予定は織り込み済みだった。元々はタクシーの防犯用として出ているカメラを前職の伝手で調達し、久志はカバンに忍ばせる。トラック倉庫に顔を出す際はこれといったチェックもないので、自身で簡単な点検をしてから乗り込むばかりだ。と、不意に携帯電話が鳴った。
原則として通話による連絡はないことになっているが、発信者は雇い主だ。どうやら緊急らしい。
検閲時間を三十分早める、倉庫への納品もその分繰り上げる、今回は倉庫から搬出する分の検品に立ち会うよう要請を受けたので現場で指示に従う、そんな内容が早口で告げられた。
どこか聞き覚えのある声だったが、極めて紳士的だったので、それ以上勘ぐることはなかった。ただ、三十分前倒しというのは厳しくないか。そんな自問が久志を圧すのだった。
メーカー倉庫からの出庫を早め、食事時間を切り詰める。法定速度での運転を何とかキープし、ルートも守った。息は上がっていたが、いつものように右左折を繰り返し、ポンプ場の路傍に辿り着く。手筈を整え、シートに戻った時点で二十二時半。呼吸はなかなか整わない。
定刻きっかりではなかったが、開扉する音が届いたことで、久志には言いようのない緊張が走る。間に合った、という安堵感が勝りそうなものだが、そうではない。トラックの中も外も妙に静かなのがかえって不穏にさせる。少なくとも扉が閉まる音が聞こえるまでは落ち着くことはない。
長い長い数分間が過ぎ、扉は閉められた。その音に勢いが感じられなかったため、発車をためらうことになるが、指示に従わない訳にもいかない。倉庫で待つ人がいて、今夜は立会いもあるのだ。
冷静さを欠く運転だったせいか、いつもの橋での徐行が不十分になる。ちょっとした段差だが、その振動は思いがけず大きかった。後方で異音がした。積荷でなければいいが、果たしてどうか。
「おぅ、おつかれさん」
外灯で照らされた清水の顔は赤らんで見えた。それとは対照的に久志の顔色はあまり良くなかった。
「青い顔して大丈夫かい?」
搬出先の関係者と目される人物も外で待っていた。
「あ、どうもすみません。稲田と言います」
名刺を差し出すことはなかったが、その中肉中背の男はフルネームで名乗った。
「豊川勢至です。今日は早めに買い付けようと思って来ました」
「買い付け?ですか」
「まぁ、稲田君はとりあえずそこで待っててくれや」
清水はそう言い残し、扉を開けた。大声が聞こえるまで、さほど時間はかからなかった。
「ありゃ! 今日はまた・・・」
そして、清水は豊川に様子を見させるのだった。
久志は内心ドキドキではあったが、つとめて平静を装う。荷崩れが起きていないことは音でわかる。何らかの損傷があるとすれば、それは別の理由だ。
「時間を早めた分、多少荒れたかな?」
「いえ、速度的には問題なく。ただ、ちょっと段差で・・・」
久志は話を合わせつつも、正直に言うべきは言うようにした。
「どこでどうなったかはともかく、これじゃ電器店は嫌がるでしょう」
軽口だったが、豊川の一言は久志に突き刺さった。だが、いざとなれば自らに責がないことを晴らすことはできる。それでも下手に外す訳にはいかない。二人がカメラに気付いたら気付いたで構わない。事情を話せばわかってもらえるだろう。
小物家電も積んでいたが、この日のメインは小型冷蔵庫十点。久志も何となく運び出しを手伝っているが、台車に載せればあとは清水の独壇場だ。豊川は台車に付き添いながら、これ見よがしに品定めをしている。
「もうちょっと何とかなりませんか?」
「これなんかいいとこ、こんなもん?」
立ち会うよう言われているので、二人の様子を見るとはなしに見ているが、これでいいのだろうか、と久志は思う。買い付け人は指を伸ばしたり、折ったりを続ける。清水は電卓を打ちながら、時に苦々しい顔をしている。取引の現場はこうして公開され、久志はその立会人となった。
先日目にした凹み梱包の品々を含め、どうやら交渉はまとまったようだ。辛うじて束とわかる厚さの紙幣を持って清水は事務室へと姿を消す。豊川は器用に台車を操って搬出を始めた。久志はさっきから出入口に居て、見張り番のような格好になっている。
無印のトラックを見送ると、いつもと同じような雰囲気に戻る。今は清水の顔色が冴えない。
「という訳でさ、搬入したての荷姿を確認してもらうことにしたんだけどよ」
「やっぱり僕のせいで・・・」
「なーに、メーカーからの直接仕入れだろ。もともと安いからいいんだ。でもって配送業者もメーカー指定だ。何かあったら一応補償はしてくれる。買い叩かれても引き取ってくれるだけマシってもんさ」
お手上げといった面持ちながら清水は訥々と語る。だが、自分の所為にされたままでいいはずはない。証拠はまだ確認できていないが、その端緒は得た。ならば、と久志は強い調子で話す。
「何と言うか、自分としては納得いかない点がなくもないんで―――何か証拠でもあれば買い叩かれなくて済むと思うんですが」
検閲の件は口外できない。だが、あの不自然な凹みが生じるとするなら、検閲時をもって他にはなさそうだ。
一見堅気ではあるが、豊川にどこか不敵なものを感じた久志は、できることなら清水に助け舟を出したい気分に駆られていた。検閲の現場に立ち会ってもらえば話が早い気もするが、まずは自分なりに証拠を押さえてからだろう。
ちょっと間が空いたが、清水は屹然と、
「証拠? 何か思い当たるフシでもあんのか?」
と問う。
「いえ。ただ少なくとも僕の落ち度ではないことは証明したいんです」
「ま、俺がどうこう言わないんだから、それでいいのさ。稲田君は指示に従って運んでるだけで、意図的に何かやらかしてる訳じゃないだろ? 荷姿が多少おかしくなるのは想定内さ」
納得した訳ではないが、自分を庇ってくれる以上、弁解も何ももう要らない。久志は一礼し、倉庫を後にした。
そろそろ日付が変わろうとしている。