チラ裏駄文
この話には何のストーリー性もない。オチもない。
私が思ったことを書いただけのものであり、その内容も決して大したものではない。
球体はどこから見ても丸である。と言ったような至極当たり前の事を述べているに過ぎない。
しかしこれを創作に活かすことができれば面白いのではないかと漠然と思っただけのことを書いているものである。
その事を理解した上で読んでいただきたい。
もしあなたが一人暮らしの人の家に遊びに行った時に、「あっちの部屋のテーブルの上にリンゴが三個並んでるから、真ん中のやつ持ってきて。」と言われたとしよう。
しかし部屋へ入りテーブルへ行くとリンゴが二つしかなかった。
その時、あなたはどう考えるだろうか。
テーブルの周囲を探すかも知れない。しかし見つからない。
その場合、こう思うのではないだろうか。
二個しかないじゃん、と。
その時にどちらを疑うだろうか。
三個あるからという言葉と、目の前には二個しかない事実と。
当然、言葉を疑うだろう。
どうせあいつが数を勘違いしているのだろうとか思うだろう。
つまりこの場合、正解は二個なのだ。三個ないのは何故だと思う人は少ないだろう。
言い換えれば、目で見たものを信じ、聞いたものを疑ったということになる。視覚と聴覚では視覚を優先する。だって事実なのだから。
今度は、テーブルに『ここに三個のリンゴがあります』と書いてあるとしよう。そして目の前には二個のリンゴ。この場合はどう思うだろうか。
この場合、あなたはどう思うだろうか。
二個で正解と思うだろうか。
本来三個あるべきなのに二個しかない、とは思わないだろうか。
では先程は何故そう思えなかったのか。
そしてこのような矛盾が最大化した場合
「リンゴが三個あるから」目の前には桃が二個ありますの文字。テーブルにはミカンが七個。
こうなるともうギャグになる。
視覚や聴覚。言葉を発する人、言い方。周囲の状況。
何を信じるか。何をもって確からしい事実と判断するのか。
もう一つ。
世の中には多くのエンタメがある。ではその表現方法でしか表現できないことはなんだろうと考えた。
例えば、漫画とアニメで言えば、絵が動いて色がついて音が鳴るのだからアニメが完全上位互換であるはずだってある。
しかし漫画は自分で読み進めるため間が最適になるが、アニメになるとそうはいかない。これでは感情の機微を伝えるのは難しい。どうしても力任せに表現するより他ない。
世界のリアルな描写においてはアニメではドラマに太刀打ちできない。
しかしアクション映画などでクライマックスにワイヤーアクションやCGが激しくなると、なんだか急に嘘の物語になってしまう。
小説の場合は地の文で表現しなければ視覚情報は不明なままだ。極論、ひと言も言葉を発しなければ全く関係ない人物が紛れ込める。
これは映像作品だと難しい。
人の心情描写やセリフで嘘をつき、ミスリードすることも小説は得意だ。
表現力が乏しいためエンタメ力は弱いが、逆に意表を突く表現を行いやすい面もあるのだろう。
このような面はドラマや歌、映画や写真などあらゆるものにあるのだろう。
などと考えてみるが、それを考えてみたところで話が面白くなるわけでもない。
面白い話が書けるわけでもない。
これも、ただ意味もなく思いついたことを書き連ねたばかりである。
たった今、ここまで書いたところで店員さんがお皿を下げに来たので、ディナー帯に入る前にこの話はこれで終わりにしよう。
何ならむしろ推敲もしないくらいが丁度よかろう。くらいに思った次第である。




