第九話 調整のための初任務
天衝のレゾナンスの面接日から二日後。
ギルドの掲示板の前で、マックスが腕を組んで唸っていた。
「……こんなのばっかだな。薬草採取、害獣駆除、荷運びの護衛」
「今日はそれでいいんです」
カイは淡々と答え、依頼票を一枚剥がした。
「“調整”の日ですから」
「調整?」
リリアが首を傾げる。エルナはその隣で、胸元の杖を握りしめていた。まだ緊張が抜けていない。ギルドに入ってからずっと、視線が床の上を彷徨っている。
グレンが鼻を鳴らした。
「調整ってのは、要するに慣らし運転ってことだろ」
「はい。エルナさんが今日、どう動くかを見たい」
カイは言い切ってから、ちらりとグレンを見る。
「それと――今回も攻撃役が足りません。ですので、グレンさんには斥候と攻撃の兼任をお願いします」
「……またかよ」
露骨に嫌そうな顔。
「無茶だって言ったよな。前も後ろも見て、殴って、戻って……」
「承知しています」
カイは一歩も引かない。
「今日の依頼は簡単です。危険度を上げるつもりはありません。無理をしない前提でお願いします」
一拍。
グレンは舌打ちして、肩をすくめた。
「……今回だけだ」
「ありがとうございます」
マックスがぽつりと言う。
「俺は前でいいんだよな」
「はい。前はマックスさんです」
それだけで、マックスの口元がわずかに緩む。以前のように「俺が突っ込む」とは言わない。役割が馴染み始めている証拠だった。
カイは依頼票を指で叩く。
「“川沿いの小遺跡に棲みついた穴掘り獣の駆除”。単独行動はしない。奥へ追い込みすぎない。危なくなったら引く」
最後の「引く」の一言で、エルナの肩が少しだけ落ちた。
「……はい」
小さな返事。
カイはそれを聞いて、頷いた。
「では行きましょう」
今回も、ギルド長が同行する。
受付の男が目を丸くした。
「またギルド長が現場に……?」
「現場を見ないと、調整ができませんから」
それだけ言って、カイは先に歩き出した。
川沿いの小遺跡は、半壊した石壁と苔むした階段だけが残る、拍子抜けするほど小さな場所だった。
入口でグレンが手を止める。
「足跡……新しいな。数は……二、いや三か」
マックスが低く唸る。
「三匹か。楽勝だな」
「油断すんな。狭い場所で暴れると面倒だ」
グレンの声は冷たい。だが、それは警戒であって皮肉ではない。
リリアが深呼吸をした。
「……詠唱、短くします。暴発しないように」
以前なら震えていた言葉が、今は意思を持っている。
エルナは一歩後ろに下がり、カイの横に立った。
「……私、後ろで……」
「はい。今日はそれでいいです」
カイはそれ以上言わない。励ましもしない。命令もしない。ただ、そこに線を引く。
遺跡の中は薄暗く、湿った空気が漂っていた。
角を曲がった瞬間、低い鳴き声。
地面が盛り上がり、土を跳ね散らしながら、穴掘り獣が現れる。犬ほどの大きさだが、前脚の爪が鋭い。狭い場所では十分脅威になる。
「来るぞ!」
マックスが前に出る。だが、突っ込みはしない。盾代わりの大剣を横に構え、通路を塞ぐように立つ。
「後ろは通すな!」
その声に、リリアが一歩も動かないで済んだ。
グレンは壁に背を沿わせ、獣の動きを読む。
「左……来る!」
次の瞬間、獣がマックスの脇をすり抜けようと跳んだ。
だがマックスは焦らない。身体を捻り、盾のように剣の腹で押し返す。
獣がよろける。
そこへグレンが滑り込んだ。短剣が光り、喉元を浅く裂く。致命傷ではない。だが動きが止まる。
「今だ、リリア!」
「はいっ……!」
リリアの詠唱は噛まなかった。
火球が弧を描き、獣の胴を撃ち抜く。爆ぜた熱が湿った空気を焦がし、獣は悲鳴を上げて倒れた。
もう一匹が土を掘って逃げようとする。
「逃がすな!」
マックスが踏み出しかけた、その瞬間。
「追いません」
カイの声が、狭い遺跡に落ちた。
マックスがぴたりと止まる。
「……でも!」
「奥へ追い込むと、数が読めなくなります。今日は調整です」
言われた通りに、マックスは歯を食いしばって足を引いた。
グレンが苦笑する。
「従うようになったな、坊主」
「うるせえ」
残る一匹は、マックスの前で暴れたが、狭い通路では数の有利が出ない。グレンが間合いを崩し、リリアが短い火の矢を二発撃ち込む。
ほどなく、獣は動かなくなった。
息を整える間もなく、エルナが小さく唱える。
「……再生、付与します」
淡い光がマックスの腕に宿る。傷は浅い。必要最低限の回復だ。
戦闘は、拍子抜けするほどあっけなく終わった。
遺跡を出ると、川風が冷たく頬を撫でた。
マックスが豪快に笑う。
「楽勝だったな! やっぱ配置が――」
「楽勝だからこそ、見えるものがあります」
カイが遮らずに言った。
グレンが眉を上げる。
「何だよ、また小言か」
「小言ではありません。確認です」
カイはエルナに視線を向ける。
「エルナさん。魔力、どれくらい残っていますか」
エルナは一瞬固まり、唇を噛む。怒られると思ったのかもしれない。
「……えっと……七割……くらい、です」
「思ったより残っていますね」
エルナが肩をすくめる。
「……怖かったので。いざという時のために」
「その判断自体は、今日に限っては正解です」
カイはまず肯定した。エルナの目がわずかに開く。
「ただ」
一拍置く。
「あなたは“使い切らないために”、使わなさすぎています」
エルナの指が、杖を強く握った。
「……でも、もし枯渇したら……」
「枯渇しません。私が止めます」
カイの声は、いつも通り落ち着いていた。
「今日の敵なら、範囲回復を一回、防護をもう一回。使っても撤退ラインは超えません」
エルナが驚いたように顔を上げる。
「……そんなに……?」
「はい。あなたは計算が慎重すぎる。悪いことではありません。ですが――」
カイは川の流れに目を向けた。
「慎重すぎると、仲間が“今助かるはずの痛み”を抱えます。小さな痛みは、次の判断を鈍らせる」
グレンが、ふっと息を吐いた。
「……当たってるな」
マックスも黙って腕をさすった。傷は浅いが、確かに痛い。
リリアが恐る恐る言う。
「……エルナさんの魔法、すごく綺麗でした。怖くても、出せるんですね」
エルナは顔を赤くして、首を振る。
「……綺麗とか……そんな……」
「褒めてます」
カイが淡々と言うと、エルナは更に戸惑った顔をした。
カイは続ける。
「次から、基準を作りましょう」
地面に小石を三つ置く。
「魔力が十あるとします。安全のために三残す。それはいい。ですが、残り七を“使わない”のではなく、“使う順番”を決める」
小石を指でずらす。
「防護に二。範囲回復に二。緊急用に三。こうすれば、怖さは減ります。数字が味方になりますから」
エルナは、小石を見つめていた。
少しずつ、呼吸が整っていく。
「……私……数字なら……分かります」
「なら、できます」
それだけで、カイは話を終えた。
過去は掘らない。同情もしない。だが、逃げ道だけは用意する。
そのやり方が、エルナには効いた。
帰り道。
グレンが後ろ歩きで、ぽつりと言った。
「……順調だな」
マックスが笑う。
「順調だろ。次もこの調子で行こうぜ!」
「もう、このメンバーで確定でいいんじゃないか?」
「連携も良くなってきたしさ」
「まあ、悪くはないがな」
グレンが短く切った。
カイは先を歩きながら、心の中で頷いた。
(ええ。順調です)
(だからこそ――次で試される)
ギルドの建物が見えてきた。
掲示板には、また新しい依頼票が貼られている。
その中に、ほんの少しだけ報酬の高いものが混じっていた。
カイはそれを見て、目を細める。
大丈夫だ。焦らない。
だが、油断もしない。
天衝のレゾナンスが「試練」という言葉を知るのは、きっと次の依頼からだ。




