第五十二話 歪められた優先順位
中央ギルド総務局。
朝の執務室には、いつもと変わらぬ書類の山が積まれていた。
だが、空気はどこか落ち着かない。
職員たちの声が、わずかに低い。
小声の会話が、普段より多かった。
「おい、なんか総務局長がやらかしたらしいぞ」
書類を抱えた職員が、隣の机へ身を寄せる。
「ああ、俺もその噂は聞いた」
「なんでも、辺境の塔攻略案件で不正があったとか無かったとか」
「不正、ねえ」
別の職員が苦笑する。
「まあ、あの人だからな」
「一癖も二癖もある」
「出世のためなら手段を択ばないって話だしな」
声は抑えられている。
だが、完全に隠す気もない。
噂というものは、消そうとするほど広がる。
「監査室が動いてるって聞いたぞ」
「本気か?」
「本気らしい」
そこで会話は途切れた。
足音が近づいてきたからだ。
レオンハルトが通り過ぎる。
職員たちは何事もなかったかのように視線を落とした。
書類をめくる音だけが残る。
レオンハルトは足を止めない。
自席へ戻る。
机の上には、すでに書類が積まれていた。
だが、仕事に取り掛かる前に、呼び出しがかかる。
「局長がお呼びです」
短い伝言。
理由は言われない。
言われる必要もなかった。
局長室の扉を叩く。
「入れ」
やや強めの声だった。
中へ入る。
総務局長は机に肘をつき、指を組んでいた。
いつもと同じ姿勢。
だが、視線の動きがわずかに早い。
「妙な噂が流れているようだな」
前置きもなく言った。
「監査室が動いているとの話も聞きます」
レオンハルトは事実だけを答える。
感情は乗せない。
余計な言葉も足さない。
総務局長が小さく舌打ちする。
「監査室だと?」
「あんな茶坊主どもに、私の仕事の邪魔をされてはかなわん」
一拍。
「とにかくだ」
視線が鋭くなる。
「上手く処理しておいてくれ」
レオンハルトはわずかに目を伏せた。
「私に出来ることはありません」
静かに答える。
「すでに監査手続きが開始されているようです」
総務局長の表情がわずかに歪む。
「杓子定規な連中だ」
「現場の事情というものを理解していない」
机を軽く叩く。
「優先順位というものがある」
「すべての案件を同列に扱えるわけではない」
レオンハルトは答えない。
言葉を挟む場面ではない。
総務局長は続けた。
「辺境の案件など、通常なら優先度は低い」
「より重要な依頼が重なっていた」
「判断として間違ってはいない」
自分に言い聞かせるような口調だった。
レオンハルトはただ聞いている。
「とにかく」
総務局長が言う。
「余計な問題が広がらないよう、気を付けてくれ」
「……承知しました」
それ以上の会話はなかった。
レオンハルトは一礼し、部屋を出る。
廊下を歩く。
足音が一定のリズムを刻む。
表情は変わらない。
だが、頭の中では状況が整理されていた。
(監査室が動いたか)
そこまで進んでいるなら、もはや止まらない。
監査室は形式を重視する部署だ。
だが、形式は強い。
記録が残る。
証拠が残る。
判断過程が残る。
今回の案件は、痕跡が多すぎた。
机へ戻る。
未処理の書類を開く。
だが、その内容はほとんど頭に入らなかった。
状況はすでに個人の裁量を超えている。
やがて、総務局内に通達が回る。
監査室による正式調査。
対象は、辺境北部塔案件。
初期報告の優先度変更。
対応保留判断の経緯。
記録は残っている。
変更履歴も残っている。
消せない。
その日の午後。
中央ギルド本館、上層執務室。
秘書室長が報告書を手にしていた。
「やはり、総務局長が初期報告の優先度を引き下げていたようです」
中央ギルド長は黙って聞いている。
「辺境北部塔における異常反応について、警戒レベルの引き上げ提案が出ていました」
「しかし、緊急性は低いとして処理が後回しにされています」
「理由は?」
短い問い。
「同時期に、有力貴族からの高難度依頼が複数入っていたようです」
「人的資源をそちらへ集中させたものと考えられます」
中央ギルド長は目を閉じた。
「一歩間違えれば」
一拍。
「国土防衛機構が機能不全に陥っていた可能性もある」
秘書室長は答えない。
事実として成立してしまうからだ。
今回の件は、結果として被害が出なかった。
だがそれは偶然ではない。
現場が対処したからだ。
「優先順位を誤ったか」
中央ギルド長が呟く。
「あるいは」
秘書室長が続ける。
「意図的に優先順位を変更した可能性もあります」
沈黙。
室内の空気が重くなる。
「有力貴族との関係を重視した判断と思われます」
「結果として、辺境案件の重要性が過小評価されました」
中央ギルド長は机上の資料へ視線を落とす。
辺境北部塔。
国家防衛機構。
中央所属Aランクの関与。
事態の重大性は明らかだった。
「……」
短く息を吐く。
「能力の問題ではないな」
秘書室長は頷く。
「判断基準の問題かと」
「組織の優先順位を誤った者に」
中央ギルド長が言う。
「重要な職責を任せ続けることは出来ん」
それだけだった。
だが、結論としては十分だった。
秘書室長は静かに一礼する。
「手続きを進めます」
中央ギルド長は頷いた。
感情は見せない。
だが判断は早かった。
総務局長の失脚は、もはや時間の問題となった。
辺境で起きた一件は。
静かに、中央の人事を動かしていた。
組織は結果で動く。
だが、その結果に至るまでの過程もまた、評価の対象となる。
今回、問われたのは戦闘ではなかった。
優先順位だった。
そして。
その誤りは、見過ごされることはなかった。




