第四十一話 かつての職場
中央へ向かう馬車は、予定通りの時刻に王都へ入った。
揺れは少ない。
街道も整備されている。
辺境から来た者間にとっては、それだけで違いが分かる。
石畳は途切れず、行き交う荷車の数も多い。
道端には露店が並び、朝から人が動いている。
活気はある。
だが、辺境のそれとは質が違った。
辺境の賑わいが、生きるための熱に近いのだとすれば。
中央のそれは、仕組みの上に積み上がった豊かさだった。
馬車の窓から外を見ていたセリーヌが、小さく息を吐く。
「相変わらずですね」
「何がですか」
向かいに座るカイが問う。
「何もかも、です」
それだけで十分だった。
説明を要する話ではない。
二人とも、この街を知っている。
中央ギルド本館が見えてきたのは、それからほどなくしてだった。
高い石造りの建物。
正面の紋章。
広い前庭。
手入れの行き届いた外壁。
辺境ギルドとは比べようもない。
規模も、予算も、立場も違う。
馬車が止まる。
御者が扉を開いた。
「到着しました」
「ありがとうございます」
セリーヌが短く礼を言い、先に降りる。
続いてカイが降りた。
見上げるでもなく、感慨にふけるでもなく。
ただ、目の前の建物を一度確認する。
それだけだった。
「行きましょうか」
「ええ」
正面入口へ向かう。
扉の前には、受付担当の職員が二人立っていた。
中央ギルドらしい、隙のない姿勢だった。
そのうちの一人が、二人の姿を認めて一瞬だけ目を見開く。
すぐに表情を戻す。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
定型の言葉。
だが、セリーヌはその一言に、以前との違いを聞き取っていた。
かつてなら。
少なくとも、彼がまだここにいた頃なら。
その問いはなかっただろう。
カイは気にした様子もなく、通知書を差し出した。
「特別監査会議の召喚を受けています。辺境ギルド長、カイ・アークライトです」
「同行者のセリーヌです」
職員は通知書を受け取り、確認する。
手元の一覧と照らし合わせ、わずかに緊張を含んだ声で言った。
「確認いたしました」
「会議は明朝です。本日は客室をご利用ください」
「案内いたします」
「お願いします」
短いやり取り。
それ以上の言葉はない。
案内役の若い職員が前を歩く。
本館の廊下は静かだった。
人は多い。
だが、無駄な声がない。
書類を抱えた職員が行き交い、立ち止まることなく次の部屋へ消えていく。
壁際には整理された棚。
一定間隔で置かれた観葉植物。
窓硝子には曇り一つない。
整っている。
すべてが。
セリーヌは、歩きながら視線だけで周囲を確認していた。
懐かしい、と言うほどではない。
だが、知らない場所でもない。
人の動き方。
書類の持ち方。
すれ違う時の視線。
中央は、変わっていない。
そして、変わってしまってもいた。
途中、二人の職員がすれ違いざまにこちらを見る。
一人は明らかにカイに気付き、声をかけかけた。
だが、その隣の職員に小さく肘で制され、結局そのまま通り過ぎる。
カイは振り向かない。
気付いていないようにも見えるし、気付いていて流したようにも見えた。
「……歓迎、という感じではありませんね」
セリーヌが小さく言う。
「そういう場ではないでしょう」
カイの返答は簡潔だった。
「監査ですから」
「ええ。そうですね」
それ以上は続かない。
案内役の職員が立ち止まる。
「こちらです」
通されたのは、本館内の来客用控室だった。
辺境の感覚からすれば、十分すぎるほど整っている。
だが、中央としては標準的なのだろう。
「必要なものがあれば、申し付けください」
「夕刻までに、明日の進行表をお持ちします」
「ありがとうございます」
セリーヌが応じる。
職員は一礼し、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静かになる。
ようやく、二人きりになった。
セリーヌはテーブルの上に手荷物を置き、部屋を一通り見回す。
「変わりませんね」
「中央は、簡単には変わらない場所です」
カイはそう言って、窓辺へ向かった。
外から見えた前庭が、今度は上から見える。
人が行き交っている。
誰も立ち止まらない。
「ですが」
セリーヌが続ける。
「少し、空気が違いました」
「ええ」
カイは否定しない。
「私はもう、ここの人間ではありませんから」
その言い方には、感慨も皮肉もなかった。
ただ、区分を確認しただけのような声音だった。
セリーヌは、ほんの一瞬だけ視線を伏せる。
「……それでも、覚えている人はいるようでした」
「いるでしょうね」
「声をかけかけて、やめていました」
「でしょうね」
同じ返答。
カイは振り返らない。
窓の外を見たまま、静かに言う。
「ここは、そういう場所です」
私情より先に、立場が来る。
親しさより先に、現在の役職が来る。
中央ギルド本館。
それは、そういう場所だった。
セリーヌは椅子に座り、書類鞄を開く。
中から整えた資料束を取り出した。
塔案件の概要。
現地対応の経緯。
辺境軍が動けなかった理由の抜粋。
銀牙参戦の経路。
損耗状況。
停止・再起動の記録。
必要になるであろう資料は、すでに分類済みだった。
「確認しておきましょうか」
「そうですね」
カイが窓から離れる。
向かいに座り、資料に目を落とす。
やることは変わらない。
中央でも、辺境でも。
必要な事実を整理し、余計な言葉を削り、必要な順で並べる。
それだけだ。
「論点は大きく四つでしょう」
セリーヌが淡々と言う。
「非公式依頼の経緯」
「銀牙の参戦判断」
「現地指揮権の成立」
「塔への干渉の妥当性」
「おそらく」
カイも頷く。
「成果そのものを否定するのは難しいでしょう」
「だからこそ、手続きと前例で来るはずです」
セリーヌが一枚、資料をずらした。
「問題は、私の書簡ですね」
そこで、初めてわずかな間が生まれる。
カイはすぐには答えなかった。
資料の上に視線を落とし、数秒だけ考える。
「問題にはなるでしょう」
事実だけを言う。
「ですが」
一拍。
「必要でした」
また、同じ言葉。
セリーヌは小さく息を吐く。
「その一点張りですね」
「変える理由がありません」
「……そうですね」
それ以上は言わない。
言えば、感情が混じる。
だが、今必要なのは感情ではない。
資料の確認を進める。
会話は短い。
だが、十分だった。
夕刻前、案内役の職員が進行表を持ってきた。
やはり簡潔だった。
明朝。
上層会議室。
特別監査会議。
出席予定者の欄には、中央ギルド長の名も入っている。
セリーヌが書面を確認する。
「……思ったより大きいですね」
「ええ」
カイは頷いた。
「わざわざ中央ギルド長が出る以上、“確認”だけでは済まないでしょう」
セリーヌが言う。
「そうでしょうね」
それでも、カイの声は変わらない。
明日の予定を確認し、資料を閉じる。
やるべきことは、もう大きくは変わらない。
外は、いつの間にか薄暗くなっていた。
中央の夜は、辺境よりも少し明るい。
だが、その分だけ影も濃く見える気がした。
「休みましょう」
カイが言う。
「明日は早い」
「はい」
セリーヌも資料を揃える。
部屋の灯りが静かに揺れる。
中央本館。
かつて働いていた場所。
けれど今は、呼ばれた側としている場所。
変わったのは立場だけだ。
だが、その違いは小さくなかった。
明日、この場所で何が問われるのか。
まだ、すべては見えていない。
ただ一つだけ、確かなことがある。
それは、辺境で起きたことが。
もう辺境だけの問題ではなくなっている、ということだった。




