第三十五話 反省会
※『枯れたおっさん』から来てくださった方へ
こちらは別作品になりますが、
同じく「仕組みで人を救う」物語です。
少しずつ積み上がっていく構成になっていますので、
ゆっくりお楽しみいただければ嬉しいです。
その夜、辺境ギルド併設の酒場は、珍しく席が埋まっていた。
騒がしいわけではない。
だが、いつもより人の声が多い。
塔から帰還した面々を迎えるために、簡単な料理と酒が並べられている。
祝宴というほど大げさなものではなかったが、少なくとも「何もせずに解散する」空気ではなかった。
結果、「反省会」と称した飲み会の席が設けられた。
銀牙も、天衝も、同じ卓についている。
マックスはすでに二杯目に手を伸ばしかけて、エルナに止められていた。
「まだ回復薬を使った直後でしょう」
「一杯くらい問題ねえって」
「その“一杯くらい”で問題が起こるんです」
エルナは真顔で言う。
マックスが言葉に詰まり、グレンが吹き出した。
少し離れた席では、ユリウスが酒を口にしながら、リリアの術式の組み立て方について短く何か言っている。
リリアは神妙に聞いていた。
ブロムはクラウディアに軽く傷の具合を見られながら、相変わらず大きな声で笑っている。
ヴァレリアは卓の端に座り、手元の杯に視線を落としていた。
アルトリウスはそんな卓を一歩引いた位置から眺めていた。
そこへ、遅れて入ってきた人影がある。
セリーヌだった。
酒場の空気が、ほんの少しだけ落ち着く。
「遅くなりました」
いつも通りの声。
だが、視線だけは自然に卓を一巡し、人数を確かめていた。
足りている。
それを確認してから、ようやく空いた席へ腰を下ろす。
「事務仕事は片付いたのか」
ブロムが聞く。
「最低限は」
セリーヌは答えた。
「ただ、明日以降の処理は増えました」
「勝ったのに景気の悪い話だな」
「勝ったから増えたんです」
きっぱりと言われ、ブロムが肩をすくめる。
そのやり取りに、卓の空気が少しだけ和らいだ。
カイはその様子を見ながら、手元の薄い酒に視線を落としていた。
いつも通りの席。
いつも通りの酒。
だが、今夜だけは少し違う。
銀牙と天衝が同じ卓につき、そこにセリーヌまでいる。
塔の件は、これで終わりだ。
そう考えれば、今言うべきことは、一つだった。
カイは杯を置いた。
卓の音が、わずかに静まる。
「一つ、共有しておきたいことがあります」
大きな声ではない。
だが、全員が聞く。
マックスが杯を置き、リリアが姿勢を正す。
アルトリウスも視線を向けた。
カイは、少しだけ言葉を選んだ。
だが、長くは迷わない。
「今回の塔での戦闘ですが」
一拍。
「私の判断は、少しブレていました」
静かな声だった。
卓に沈黙が落ちる。
誰もすぐには口を開かない。
カイは続けた。
「接続回路を見極める直前、撤退を指示しかけました」
「状況は基準内でしたが、一瞬だけ判断が遅れた」
それだけだった。
理由は言わない。
言い訳もしない。
ただ、事実だけを置く。
「その結果」
カイは全員を見回す。
「皆さんに支えられました」
「ありがとうございました」
言い終えて、また静けさが戻る。
だが、それは気まずさではない。
それぞれが受け取っている時間だった。
最初に口を開いたのは、マックスだった。
「……基準内だったんだろ」
「はい」
「じゃあ、別に間違いじゃねえよ」
短い。
だが、真っ直ぐだった。
「オレらは、アンタが決めた基準で動いてる」
「今回も、その通りだった。それだけだ」
エルナが頷く。
「魔力残量も、危険域には入っていませんでした」
「負傷率も、許容範囲内です」
グレンが肩をすくめる。
「後ろも抜かれてねえ」
「増援の流れも、まだ読めてた」
リリアが小さく言う。
「詠唱も、最後まで崩れてませんでした」
ヴァレリアは杯を置いた。
「突破可能だった」
「だから、進んだ」
それだけ。
誰も「気にするな」とは言わない。
誰も慰めない。
同じ基準で返す。
ユリウスが、少し遅れて口を開いた。
「私から見ても、判断は妥当だった」
「むしろ、あの状況で撤退を口に出来るだけでも大したものだ」
皮肉はない。
ただ、事実の評価として言っている。
クラウディアが静かに続ける。
「誰かを死なせないための迷いなら、それは弱さではありません」
その言葉に、カイは何も返さなかった。
ただ、視線を少しだけ伏せる。
そこで、アルトリウスが杯を置いた。
「私も同意見だ」
卓の視線が彼へ集まる。
「あの場で撤退を視野に入れたこと自体は、誤りではない」
「むしろ、前線の感覚だけで押し切る方が危険だった」
一拍。
「最終的に継続を選んだのも、状況を見てのことだ」
「少なくとも、私にはそう見えた」
彼はそこで言葉を切る。
「……いい指揮だったよ」
それは褒めているようでいて、事実の確認だった。
だからこそ重い。
ブロムが鼻を鳴らす。
「つうか、オレはあんたが止めるって言ったら止まってたぞ」
「不満は出すだろうがな」
「出すんかい」
グレンが突っ込み、卓に小さな笑いが起きる。
緊張が、少しだけほどけた。
その時だった。
セリーヌが、ゆっくりと口を開いた。
「……むしろ、私個人としては」
誰も遮らない。
「撤退していただきたかったです」
卓の空気が、ほんの少しだけ変わる。
言葉自体は静かだ。
だが、そこに混じる温度だけが違った。
セリーヌは、視線を逸らさずカイを見る。
「もちろん、結果としては最善でした」
「誰も欠けなかった。それは何よりです」
一拍。
「ですが」
そこで、わずかに息を吐く。
「……無事でいてくださる方が、私としては重要ですから」
それだけだった。
酒場が静まる。
誰も茶化さない。
ブロムですら口を挟まなかった。
カイは、すぐには答えなかった。
杯の縁に触れた指先が、ほんのわずかに止まる。
それから、静かに口を開いた。
「そうですか」
短い返答。
だが、声はいつもより少しだけ柔らかかった。
セリーヌは、それ以上何も言わない。
それで十分だと分かっているからだ。
マックスが頭を掻く。
「まあ、なんだ」
「オレたちは、アンタの基準で動けるようになってきたってことだろ」
照れくさそうに言う。
「だったら、次からはもう少し任せろ」
言い切った後で、自分の言葉に少しだけ気まずそうな顔をした。
だが、グレンが笑う。
「結局それが言いたかったのか」
「うるせえ」
エルナが小さく頷く。
「私も、そう思います」
リリアも続く。
「はい。まだ未熟ですけど、前よりは」
ヴァレリアは短く言った。
「足手まといではない」
それは彼女なりの最大限だった。
アルトリウスが、そのやり取りを見て小さく息を吐く。
「……なるほど」
誰に聞かせるでもない声。
だが、その目はどこか納得していた。
カイは卓を見回した。
天衝。
銀牙。
セリーヌ。
誰も大袈裟なことは言わない。
だが、言葉の端々にあるものは、十分すぎるほど伝わっていた。
「分かりました」
カイは言う。
「次からは、もう少し信頼します」
そこで、ほんのわずかに間を置く。
「……基準の範囲で」
一瞬の沈黙。
それから、卓に笑いが広がった。
「それで十分です」
セリーヌが、すぐに返す。
マックスが苦笑し、グレンが肩をすくめる。
ブロムが豪快に笑い、クラウディアが静かに微笑む。
アルトリウスも、口元だけで小さく笑った。
酒場の喧騒は相変わらず大きくない。
だが、その夜の卓だけは、確かに温かかった。
塔の戦いは終わった。
誰も欠けずに戻ってきた。
そして今、ようやく一つのことだけが、はっきりしていた。
カイは、もう一人ではなかった。




