第三十四話 帰還
※『枯れたおっさん』から来てくださった方へ
こちらは別作品になりますが、
同じく「仕組みで人を救う」物語です。
少しずつ積み上がっていく構成になっていますので、
ゆっくりお楽しみいただければ嬉しいです。
辺境ギルドの受付は、昼と変わらない静けさを保っていた。
依頼書が掲示され、
木の床は磨かれ、
出入りする者の足音だけが、規則正しく響く。
いつも通りの光景。
――ただ一人を除いて。
セリーヌは、受付奥の机に座っていた。
帳簿を開き、ペンを走らせている。
手は止まっていない。
処理も、滞ってはいない。
だが――
同じ行を、三度なぞっていた。
数字に誤りはない。
確認も済んでいる。
それでも、視線がそこに戻る。
一瞬、手が止まる。
また動く。
その繰り返し。
視線が、入口へ向く。
戻す。
帳簿へ。
そしてまた、入口へ。
その時だった。
扉が開いた。
軋む音。
それほど大きくはない。
だが、受付の空気がわずかに止まる。
最初に入ってきたのは――
マックスだった。
盾を背負い、肩で息をしながらも、足取りは崩れていない。
続いて、リリア。
グレン。
エルナ。
ヴァレリア。
天衝が、揃っている。
誰一人、欠けていない。
その事実が、場に広がる。
だが、まだ終わりではない。
その後ろから、さらに影が現れる。
ブロム。
リーネ。
ユリウス。
クラウディア。
そして――
その中央に、アルトリウスがいた。
歩みは変わらない。
だが、その場の空気だけが、わずかに締まる。
最後に。
カイが、入ってきた。
外套に土埃。
だが、姿勢は変わらない。
セリーヌの手が、止まった。
ペン先が紙に触れたまま、動かない。
顔を上げる。
カイを見る。
そして、その後ろ。
一人ずつ、視線でなぞる。
マックス。
リリア。
グレン。
エルナ。
ヴァレリア。
ブロム。
リーネ。
ユリウス。
クラウディア。
――全員。
足りている。
誰も欠けていない。
その瞬間。
ほんのわずかに。
セリーヌの表情が緩んだ。
すぐに戻る。
だが、確かに変わった。
セリーヌは立ち上がる。
机の奥から一歩出る。
そして、口を開いた。
「……被害は?」
それだけだった。
カイは、短く答える。
「全員無事です」
一拍。
それで、十分だった。
セリーヌは目を閉じる。
ほんの一瞬。
息を吐く。
それから、目を開ける。
「……そうですか」
その一言に、すべてが含まれていた。
空気が、わずかに緩む。
誰も声を上げない。
それでも、理解は共有されていた。
マックスが頭を掻く。
「いやー……今回はマジでやばかった」
「軽口を叩けるなら問題ありませんね」
セリーヌが返す。
「うっ」
言葉に詰まるマックス。
グレンが苦笑する。
「相変わらずだな」
「当然です」
セリーヌは視線を外さない。
「あなた方が戻る前提で、業務は回っていますので」
ブロムが肩をすくめる。
「いい職場だな」
その時だった。
アルトリウスが、一歩前に出た。
余計な動きはない。
ただ、必要な分だけ。
「依頼は完了した」
短い言葉。
「塔の異常は停止。再起動も確認済みだ」
一拍。
そして。
「この場における指揮は、カイ・アークライトが執った」
静かな声だった。
「我々は、その判断に従った」
それだけ。
だが、その一言は重かった。
受付にいた者たちが、息を呑む。
中央最強パーティ。
そのリーダーが、認めた。
事実として。
セリーヌは、一瞬だけカイを見る。
何も言わない。
だが、それで十分だった。
「承知しました」
それだけ答える。
アルトリウスも、それ以上は続けない。
役割は終わった。
「各員、装備の確認と休息を」
セリーヌが言う。
「負傷の程度に応じて、後ほど確認を行います」
「了解」
声が重なる。
それぞれが動き出す。
騒がない。
誇らない。
ただ、終わったことを受け入れている。
少しずつ、人が散っていく。
受付は、元の空気へ戻る。
残ったのは、カイとセリーヌ。
短い沈黙。
「……無茶をされましたね」
セリーヌが言う。
責めるでもなく、ただ確認するように。
カイは答える。
「計画通りです」
即答。
セリーヌは、わずかに視線を逸らす。
「……そういうことにしておきます」
一拍。
それ以上は言わない。
カイは頷く。
「報告書は後ほどまとめます」
「はい」
「問題があれば共有を」
「承知しています」
会話は、日常へ戻る。
それでいい。
それが、この場所だ。
カイが踵を返す。
その背に、声が届く。
「カイさん」
振り返る。
ほんの一瞬。
「……ありがとうございました」
それだけ。
カイは答えない。
ただ、小さく頷く。
それで十分だった。
受付の向こうでは、仕事が再開されている。
依頼が貼られ、
人が動き、
声が交わされる。
何も変わらない日常。
だが、確かに一つだけ。
変わったものがある。
誰も欠けていない。
その事実だけが、静かにそこにあった。




