第二十七話 まだ足りないものがある
準備は進んでいた。
――進んではいたが、整ってはいなかった。
辺境領北部の塔。
そこへ向かうとなれば、戦力だけでは足りない。
回復薬。保存食。矢弾。予備装備。結界具。魔力触媒。
そして、長期戦になった時の“余白”。
机の上には、必要量の一覧と、現状の在庫表が並んでいる。
数字を見ただけで、結論は出た。
「……足りませんね」
セリーヌが静かに言った。
焦りはない。ただ事実を提示している。
「回復薬が三割。矢は半分。触媒は規格が揃わない。結界具は……出力不足の型しか残っていません」
オスカーが紙束をめくる。
「代替調合も試しました。だが持続時間が足りない。長期戦になれば、途中で切れます」
金額の問題ではない。
“物”がない。
辺境とはそういう場所だ。
「近隣ギルドへの打診は?」
「全滅です。どこも余裕がない。魔獣の動きが一帯で活発化しているそうです」
銀牙が来たことで戦力は整った。
だが、それに比例して消耗量も跳ね上がっている。
勝てる布陣があっても、継戦能力がなければ意味がない。
途中で回復が尽きれば、撤退すら出来なくなる。
「……どうすりゃいいんだ」
マックスの声は低い。
誰もすぐには答えなかった。
答えは出ている。
だが、口にした瞬間に現実になる。
「物資が不足したまま出れば、短期決戦になります」
セリーヌが淡々と続ける。
「短期で決まらなければ、回復が尽きる。予備装備も尽きる。作戦成功率は大きく下がります」
言い換えれば、死者が出る。
ヴァレリアは無言で視線を落とし、リリアは唇を結ぶ。
エルナは帳簿の数字を睨み続けていた。
八方塞がりだった。
兵は出せない。
中央は動けない。
近隣ギルドも余裕がない。
商会も物がない。
そして、物資がなければ――戦闘は成立しない。
その時。
セリーヌが顔を上げた。
「まだ、一件だけ返事をもらっていません」
全員の視線が集まる。
「ヴォルフ商会です」
空気が、わずかに動いた。
「ハンスか」
「少し前に、打診しました」
カイは一瞬だけ考える。
彼はまだ若い。
だが、判断は早い。
「待ちましょう」
それ以上は言わなかった。
⸻
翌日。
応接室に現れた青年は、以前よりも姿勢が良かった。
ハンス・ヴォルフ。
ヴォルフ商会代表。
「お久しぶりです、カイさん」
「来てくれて助かります」
ハンスは書類束を差し出した。
「見積もりです」
カイは目を落とす。
――回復薬。
保存食。
矢弾。
予備装備。
魔力触媒。
簡易結界具。
不足分だけではない。
長期戦想定の余剰分まで、揃っている。
「……全部、ありますね」
セリーヌが息を呑む。
カイは価格を見る。
「……この価格で大丈夫ですか?」
相場より明らかに低い。
ハンスは静かに答えた。
「先行投資です」
それだけでは足りない。
カイは視線を上げる。
「もしこの依頼に失敗したら、この取引はあなたにも傷になります」
「分かっています」
迷いはなかった。
「商人は、どこかで賭けに出なければ前に進めません」
一拍。
「中央で滞留していた在庫を、僕が一括で引き受けました。本来なら王都の大口に回るはずだった品です。辺境行きでは売れないと判断され、棚に積まれていた」
軽く息を吐く。
「売れない在庫を抱えるより、動かした方がいい。危険地帯が抑えられれば商路は生きる。辺境ギルドが立て直れば、物流は安定する」
視線は真っ直ぐだ。
「これは情ではありません。僕の判断です」
そして、少しだけ柔らぐ。
「……ですが。駆け出しだった僕が、ここまで来られたきっかけは、あなたでした」
「なら、あなたのピンチで手を引く理由はありません」
静かに続ける。
「これは僕の商人としての一世一代の勝負です」
カイは、しばらく彼を見ていた。
無謀か。
計算か。
覚悟か。
そして頷く。
「この条件で、お願いします」
ハンスは小さく息を吐いた。
「ありがとうございます」
部屋の空気が変わる。
詰みが、解けた。
セリーヌが静かに微笑む。
「……揃いましたね」
オスカーが深く頷いた。
「これで現場が回ります」
アルトリウスが壁際から言う。
「物も、人も、揃ったな」
カイは書類を閉じる。
「準備は完了です」
剣でもなく、魔法でもなく。
最後の一手を埋めたのは、計算だけでは届かないものだった。
数字は揃った。
あとは、それが崩れないことを祈るだけだ。
決戦は、目前に迫っていた。




