第一話 栄転という名の左遷人事
総務局課長代理であるカイの一日は、書類の山から始まる。
中央ギルド本部――総務局。英雄も高位冒険者もいないが、ここが止まれば現場は確実に滞る。派手な功績は生まれない代わりに、派手な事故を未然に防ぐ部署だった。
机上には、依頼失敗の損失処理、人員配置の調整、部署間の予算の帳尻。どれも地味で、だが放置すれば必ず揉める。カイはそれを知っている。だから先に手を付ける。火種のうちに消す。それだけだ。
「カイさん、これも……」
誰かが気軽に紙束を置いていく。断れば別の誰かが困る。結局、前線にしわ寄せがいく。
カイは淡々と受け取り、目を通す。矛盾を拾い、関係部署へ短い確認を飛ばし、決裁の順を入れ替え、余りと不足を噛み合わせる。魔力は弱く、戦えもしない。だが、人と仕事の流れは見えた。書類の行間に、疲労と焦りが滲んでいる。
通路では、何人かの職員がマグカップを片手に雑談に花を咲かせていた。
「……ああ、またカイか」
レオンハルト・ヴァルツェン。30歳でカイと同じ課長代理に出世したエリート。
貴族の家の子弟で、中央でも顔が利く男だ。
「全部あいつが片づけるからな。まるで俺たちが何もしてないみたいに見える」
「でも、助かってはいますよ」
「助かるかどうかの話じゃない」
レオンハルトは顔を上げない。
「組織ってのは分担で回すものだ。ああやって一人で抱え込むのは……まあ、平民的なやり方だな」
悪意はない。少なくとも本人はそう思っている。ただ、自分が正しい側だと疑っていないだけだ。
「たいした才能があるわけでもない。要領よく立ち回ってるだけだろう」
カイはその会話を知らない。知っていたとしても、気にしなかっただろう。誰かに嫌われるより、現場が回る方が大事だった。
その夜も、局内は静かだった。灯りが落ち、総務局で明るいのはカイの机だけだ。
最後の書類に目を通していると、軽いノックがした。
「失礼します」
セリーヌだった。総務局長秘書。冷静で有能で、筋の通らないことが嫌いな女だ。手には封のされた書類。
「お疲れ様です。これ、今日中に回しておくようにと」
「ありがとうございます。助かります」
カイが受け取ると、セリーヌは積まれた書類の量に目を向けた。
「……まだ終わらないんですね」
「明日だと困る人がいまして」
いつも通りの返事だった。セリーヌは、それが“普通ではない”と知っている。
「今日だけで三件、調整が入りましたよね。損失処理も、人事も……全部絡んでいる」
事実確認のような口調。
「……それを、あなた一人で回している」
カイは困ったように笑った。
「皆さんも忙しいですから」
「忙しい、では済まない量です」
短い沈黙。セリーヌは声を落とした。
「カイさん。あなたがいなかったら、今週だけで、いくつかの部署が止まっていました」
評価ではなく、報告だった。
「大げさですよ。誰でも出来ることですよ――」
「誰でも、ではありません」
セリーヌは言い切って、そこで止めた。
「カイさん……お気をつけください」
「何を、ですか?」
カイが首を傾げた頃には、彼女はもう背を向けていた。
その三日後の朝、カイの内線が鳴った。
「……おはようございます。セリーヌです」
一拍、間があった。
「カイさん、恐れ入りますが、至急、総務局長室までお越しください」
「分かりました」
特別な予感はなかった。呼ばれれば行く。それが仕事だと思っていた。
総務局長室は、過剰なほど整っていた。
局長は机の前で指を組み、口元をわずかに歪める。
「カイくん、異動発令だ。辺境のギルド長。」
そして、にやりと笑った。
「栄転だよ。おめでとう」
カイは一瞬、言葉を失った。
「問題は多いが、裁量は大きい。君のように現場を回せる人間には、むしろ相応しいポストだ。」
「……ありがとうございます」
素直な返事だった。
局長は満足そうに頷く。
「中央に置いておくには、少々、自由すぎたからね。
ああ、それから君の後任はレオンハルト君にお願いすることにしたよ。
しっかり引き継いでくれたまえ。」
季節外れの異動だった。
翌日、辞令が回る。
カイ、辺境ギルド長に任命。
レオンハルトは紙面を見て、薄く笑った。
「……うまい人事だな」
だが引き継ぎ用の書類箱を開けた瞬間、その表情は消える。
書類は整然としている。しかし処理の順、調整の連なり、すべてが連動していた。
「……これを、全部?」
自分なら、ここまで先読みして回せるだろうか。
レオンハルトは書類の山を見つめ、息を吐いた。
「……何も考えずにやってたわけじゃないな」
廊下の向こうで、セリーヌは足を止めていた。
(あそこは……栄転なんかじゃない)
胸の奥でだけ呟く。
(実質、左遷じゃないの……)
それでも言えない。秘書として、中央の人間として。
セリーヌは静かに目を伏せた。
彼女の心には、この時すでにある決意が生まれていた。
そしてこの時、物語は動き出した。




