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異世界恋愛短編集

高慢な令嬢聖女の影と呼ばれた侍女、実は本物の聖女でした

作者: 百鬼清風

 王都の大聖堂には、朝から群衆が押し寄せていた。白亜の尖塔は陽光を浴び、荘厳に輝いている。今日こそ「聖女」が選ばれる日だ。王国を覆う瘴気を祓う存在、神に祝福された唯一の乙女。その登場を、人々は息を潜めて待ち望んでいた。


 候補の令嬢たちは皆、絢爛なドレスを纏って並び立つ。宝石のような瞳、精緻な化粧、背筋を伸ばした姿勢。彼女たちの中からただ一人、神の光に選ばれた者が「聖女」と呼ばれるのだ。


 その最後列、誰からも注目されない位置に、ひとりの少女が控えていた。質素な青灰色の侍女服。頭を深く下げ、表情を読み取らせない。彼女の名はリリア。貴族の娘セリーナの侍女である。


 「……また陰気な顔をして。もっと胸を張りなさい、リリア。私の影を映す鏡なのだから。」


 高慢な声で言い放つのは、主であるセリーナだった。金糸のような髪を結い上げ、ドレスの裾を優雅に広げるその姿は、確かに人目を惹く。彼女こそが「選ばれるにふさわしい」と思い込んで疑わない。リリアはただ恭しく頭を下げ、「はい」と返すしかなかった。


 やがて、神官たちの声が堂内に響いた。


 「神の御名において、聖女を選ぶ!」


 光の柱が降り注ぐ。少女たちは息を呑み、手を胸に当てて祈る。群衆の視線が集中する中、その光はゆっくりと――セリーナを包んだ。


 「……やはり、わたくしが選ばれたのね!」


 セリーナが歓喜の声を上げると、場内は喝采と歓声に満ちた。王や貴族たちは安堵の表情を見せ、「侯爵家の娘セリーナが聖女となった」と宣言された。


 その陰で、リリアはひとり静かに胸を押さえていた。確かに光はセリーナを照らした。けれど――ほんの一瞬、あの光が自分の胸奥を貫いた気がしたのだ。温かな何かが、心臓の鼓動に同調するように脈打っている。


 (これは……何? 私の勘違い?)


 誰にも気づかれないまま、儀式は終わった。セリーナは栄光を手にし、リリアは影として従い続ける。それが世界の理であるかのように。


 夜。祝賀の舞踏会が終わり、静まり返った大聖堂の裏庭で、リリアは一人ひざまずいて祈っていた。ふと掌から淡い光が溢れる。白い花が咲くように地面が輝き、萎れかけた草が生き返った。


 「……やっぱり、私なの?」


 恐る恐る呟いた声は、夜風に消えていった。

 だが確かに、神の加護は彼女に宿っていた。


 セリーナが「聖女」として選ばれてから一週間。王都の大通りには行列が組まれ、人々が祝福の花を投げかけていた。侯爵家の馬車の上で手を振る彼女は、勝ち誇った笑みを浮かべている。

 その後ろ、荷馬車に座り込むリリアは、ただ影のように俯いていた。


 「侍女ごときが同じ行列に加わるなんて。まあ、影役にはお似合いね」

 セリーナが囁き、隣の侍女仲間たちが笑い声をあげる。リリアは小さく「はい」と返すだけだった。


 王国は今、瘴気に蝕まれていた。辺境の村では作物が枯れ、魔物が徘徊する。聖女の浄化の力で瘴気を祓うこと――それが旅の使命である。

 大聖堂の命により、聖女セリーナとその従者たちは、騎士団と共に辺境へ向かうこととなった。


 出発の朝。城門の前で騎士たちが整列していた。その中でひときわ背が高く、真面目そうな青年が、リリアに視線を向けてきた。

 銀の鎧を纏い、黒髪を後ろで束ねたその男の名はアルノー。王国騎士団の中堅で、若くして副隊長に任じられている。


 「……君がセリーナ様の侍女か?」

 「はい。リリアと申します」

 「そうか。表立って名を知られることはないだろうが、聖女を支えるのも大事な役目だ。どうか無理はしないように」


 穏やかな声音に、リリアは思わず顔を上げた。彼の眼差しは、他の誰とも違った。あざけりや軽蔑ではなく、ただ真剣に人を見つめる瞳。心臓が不意に高鳴るのを抑え、彼女は深く頭を下げた。


 最初の目的地は辺境の小村だった。瘴気に覆われた畑は黒ずみ、村人たちの顔には疲労と絶望が刻まれている。

 「聖女様がおいでくださった!」

 村長が涙を浮かべて出迎え、村人たちが必死に頭を垂れた。


 セリーナは得意げに手を広げる。

 「安心なさい。わたくしが瘴気を祓ってあげますわ!」

 彼女は儀式の言葉を唱えるが、光は弱々しく、畑は何も変わらない。むしろ瘴気が濃くなったかのようだった。

 ざわめく村人たちに、セリーナは怒鳴った。

 「静かにして! これは場所が悪いだけ。私が失敗するはずがないのだから!」


 結局、村人の失望を残したまま儀式は終わった。だが夜、村の外れで、リリアはひとり跪き、両手を組んだ。

 「どうか……この村に恵みを」


 祈りに応えるように、青白い光が彼女の掌から溢れ、枯れた大地に流れ込む。次の朝、村人たちは驚愕した。黒ずんでいた畑から若葉が芽吹き、空気は清らかに澄んでいたのだ。


 「聖女様のお力だ……!」

 村人たちは歓喜し、セリーナに感謝を捧げる。

 「ええ、そうよ。わたくしの力に決まっているでしょう?」

 誇らしげに胸を張るセリーナを見ながら、リリアは胸の奥で小さくため息をついた。


 だがその横で、アルノーの瞳が鋭く彼女を見ていた。

 「……あの光を放っていたのは、誰だった?」

 心の奥に芽生えた疑念が、確信へと変わりつつあった。


 辺境の街道は荒れ果て、瘴気に濁った空気が漂っていた。乾いた風が吹くたび、黒い土煙が舞い上がる。聖女一行の馬車はぎしぎしと軋みながら進み、騎士たちは警戒を解かずに周囲を見張っていた。


 「こんなところ、さっさと通り過ぎたいわね」

 セリーナが扇子で鼻先を覆い、うんざりと呟いた。

 リリアは「はい」とだけ返し、馬車の外を歩きながら荷を支えていた。影のように仕えるのは、もう慣れきった日常だ。


 そのとき、地面が揺れた。

 「……来るぞ!」

 アルノーが鋭く叫び、剣を抜いた。


 次の瞬間、瘴気をまとった魔物の群れが木立から飛び出した。狼のような体躯に、鱗のような黒皮膚。赤く濁った眼が光り、牙が閃いた。


 「きゃああっ!」

 セリーナは悲鳴を上げ、馬車の陰に隠れる。侍女たちも我先に逃げ惑った。

 だが、泣き叫ぶ子供の声が聞こえた。村から逃れてきた一家が、街道の脇で魔物に囲まれていたのだ。母親が必死に庇っているが、牙は今にも届こうとしていた。


 リリアの体が勝手に動いた。

 「だめ!」


 彼女は盾も持たずに駆け出し、子供の前に飛び出して抱き寄せた。牙が迫り――その瞬間。


 眩い光が弾けた。

 轟、と空気が震え、純白の奔流が魔物を薙ぎ払った。黒い影は悲鳴をあげ、次々と倒れ伏す。瘴気が裂け、空気が澄んでいく。


 「……な、に?」

 リリアは自分の腕を見下ろした。抱きしめた子供を覆うように、柔らかな光の膜が展開している。まるで神の翼に抱かれているかのようだった。


 「見たか……今のを」

 アルノーが息を呑んで立ち尽くしていた。剣を握る手が震えている。


 「なぜ聖女は君ではないのだ?」

 低く呟かれたその声に、リリアの心臓が跳ねた。


 「ち、違います。私は……ただの侍女です。聖女様はセリーナ様で――」

 必死に否定するリリア。だが、アルノーの瞳は揺らがない。

 その眼差しは、彼女を「真の聖女」と確信していた。


 「……俺は見た。君が光で魔物を退けたのを。神が選んだのは、セリーナ様ではなく――君だ」


 リリアの胸に重く響く言葉。しかし彼女は首を振り、唇を噛んでうつむいた。

 「お願いです、誰にも……言わないでください。私はただの影。表に立つ資格はありません」


 アルノーはしばし沈黙した。やがて剣を収め、深く頷く。

 「分かった。だが、俺の心はもう騙せない。――俺が守りたいのは、本当の聖女である君だ」


 その声音に、リリアは震えた。恐怖ではない。

 胸の奥が熱くなる。自分の存在を見てくれる人が、この世にいる。

 けれど同時に、それは禁忌だった。

 「影の侍女」が聖女であるなど、決して許されない真実なのだから。


 辺境の村々を巡る旅は続いていた。

 「聖女セリーナ様のおかげで、この土地も救われました!」

 そう村人たちが歓声をあげるたび、セリーナは得意げに胸を張る。


 だが、実際に瘴気を祓っていたのはリリアだった。

 夜ごと人知れず祈りを捧げ、枯れた泉に水を戻し、黒ずんだ森を浄めるのは彼女の力。村人たちは薄々気づき始めていた。儀式の時には何も起こらないのに、翌朝には奇跡が起きている、と。


 「影の聖女……あの侍女が本当なのでは?」

 そう囁く声が、いつしか村々で広まり始めていた。


 ある夜、村を発つ直前のこと。

 「リリア!」

 セリーナの呼び声に、リリアは慌てて駆けつけた。


 「あなた、また勝手に動いているんじゃないでしょうね?」

 「……いいえ、セリーナ様」

 「嘘をおっしゃい。村人どもが妙なことを言っていたわ。“影の聖女”だなんて。笑わせないで」


 セリーナはリリアの頬を平手で打った。乾いた音が響く。

 「分を弁えなさい。あなたは私の影なの。光はすべて、この私が浴びるのよ!」

 リリアはうつむき、ただ「はい」と答えるしかなかった。


 その様子を、アルノーは陰から見ていた。

 拳が震える。

 「……これ以上、彼女を虐げるのか」


 翌朝、出発の準備をしているとき。セリーナが大げさに騎士たちへ語った。

 「この村を救ったのは、もちろんわたくしの力ですわ! 夜の儀式のことを知らぬ者が“侍女が奇跡を起こした”などと、くだらない噂を立てているようですけれど」

 取り巻きの侍女たちは笑い、騎士たちは沈黙した。


 だがアルノーだけは一歩前に出た。

 「……その噂が真実だとしたら?」

 「な、何ですって?」

 「俺は見た。魔物を祓う光を放ったのは――リリアだ」


 場が凍りついた。セリーナの顔が蒼白になり、すぐに真っ赤に染まる。

 「あなた……何を言っているの!? 彼女はただの侍女よ!」

 「いいや」アルノーの瞳は揺るがない。「お前を虐げ、嘘で飾り立てるその姿こそ偽りだ。本当の聖女は、リリアだ」


 リリアは慌てて首を振った。

 「やめてください! 私はただの影です……!」


 だがアルノーの剣のような言葉は、誰よりも強く響いた。

 セリーナは唇を噛みしめ、視線を逸らす。その瞳には、明らかな嫉妬と恐怖が宿っていた。


 こうして、リリアを巡る「真の聖女」の噂は、ますます広がっていくことになるのだった。


 旅の夜は冷える。

 街道沿いに焚き火が焚かれ、騎士たちは交代で見張りにつき、他の者たちは眠りについていた。遠くでフクロウの声が響き、炎のはぜる音だけが耳に残る。


 リリアは寝袋の中で眠れずにいた。胸の奥に、あの村での出来事が焼きついている。

 ――「本当の聖女は、リリアだ」

 アルノーの声が、頭から離れない。


 彼女は影。表舞台に立つことを許されぬ存在。それなのに、あの人の瞳は真っ直ぐに自分を見ていた。心臓が熱く脈打つ。怖いはずなのに、なぜか心地よかった。


 「眠れないのか?」

 低い声に、リリアははっと振り向いた。焚き火のそばに、アルノーが座っていた。炎に照らされる横顔は精悍で、黒髪が赤く揺れている。


 「す、すみません……」

 「謝ることはない。俺も見張りで眠れないからな」


 彼は黙って火をくべ、しばし沈黙が流れた。リリアは落ち着かず、ぎゅっと両手を握りしめる。やがて、アルノーの口から低い声が零れた。


 「……俺が守りたいのは、表の聖女じゃない」

 リリアの鼓動が跳ね上がる。

 「俺が守りたいのは――本当の聖女である君だ」


 その言葉は、焚き火の炎よりも温かく、鋭く胸に突き刺さった。


 「や、やめてください……私は、ただの侍女で……」

 リリアは顔を伏せ、涙をこらえた。だが、目尻からは雫が零れてしまう。

 「誰も……今まで、私をそう呼んでくれたことなんて……」


 嗚咽混じりの声に、アルノーは静かに頷いた。

 「分かっている。だが俺は、見た。君の光を。あれは偽れない。たとえ君が否定しようとも、俺の心は揺るがない」


 焚き火の影が二人の間を揺らす。

 リリアは唇を震わせながら言った。

 「もし……もし真実を告げれば、私は処刑されます。偽りの聖女を立てている王国に逆らうことになるから」

 「それでも」アルノーは力強く言った。「俺は君を守る。たとえ全王国を敵に回しても」


 リリアは顔を上げた。その瞳に映るアルノーの眼差しは揺らぎなく、ただ彼女ひとりを見つめている。

 胸の奥が震え、熱がこみ上げる。――初めて、自分の存在が肯定された。


 彼女は涙を拭い、かすかに微笑んだ。

 「……ありがとうございます」

 その笑みは、誰にも見せたことのない、ほんの小さな花のような笑顔だった。


 こうして二人の間に、誰にも語れぬ秘密と、静かな恋情が芽生えた。

 だがその秘密は、いつか大きな嵐を呼ぶことになる。

 それを知りながらも、リリアはただ――この一夜の温もりを胸に刻んだ。


 旅の途上で辿り着いた辺境の村は、すでに瘴気に包まれていた。空はどんよりと曇り、地にはひび割れが走り、井戸の水は黒ずんでいる。村人たちは疲弊し、救いを求めるように聖女一行を迎えた。


 「聖女様! どうか……どうかこの村をお救いください!」

 村長が土下座するように懇願する。


 セリーナは顎を上げ、扇子を広げて言った。

 「ええ、もちろんよ。わたくしの力で瘴気などすぐに祓ってあげるわ!」


 だが彼女の声には焦りが混じっていた。これまでの旅で、自分が行った儀式はことごとく成果を出せず、裏でリリアが夜に祈って浄化してきたのだ。その噂はすでに村人の間に広がりつつあった。


 その夜、異変は起きた。

 地鳴りとともに、闇の中から無数の魔物が村を襲ったのだ。狼のような獣、瘴気を吐く鳥、蠢く影。村人の悲鳴が響き渡り、炎が上がる。


 「きゃああああっ!」

 セリーナは最初に悲鳴を上げ、荷馬車へ駆け込んだ。

 「早く! この場から逃げるのよ!」

 彼女は侍女たちを連れて村の外へと走り出す。残された村人たちは絶望の表情を浮かべた。


 「聖女様が……逃げた……?」

 「もう終わりだ……」


 そのとき、リリアは前へと踏み出した。

 恐怖で体が震えていた。だが、それ以上に、泣き叫ぶ子供の声が心を突き動かした。


 「お願いです、神よ……どうか、この人々をお救いください!」


 彼女は地にひざまずき、血が滲むほど強く手を組んだ。次の瞬間――


 天から光が降り注いだ。

 夜空を裂くように輝きが広がり、村全体を包み込む。

 炎は消え、瘴気は一瞬にして吹き払われ、魔物たちは悲鳴をあげて焼かれ、次々と崩れ落ちた。


 村人たちは目を見開き、声を失った。

 やがて誰かが叫んだ。

 「真の聖女は……侍女だ!」


 「そうだ! 彼女こそ、我らを救った本物の聖女だ!」

 「影の聖女などではない! 真実の聖女だ!」


 人々の叫びが夜空に響き渡った。リリアは涙を流しながら立ち上がり、光に包まれたその姿は、誰が見ても「聖女」そのものだった。


 だが翌日。王都から派遣された使者たちは、冷ややかに宣告した。

 「その侍女が聖女を僭称し、偽りの奇跡で民を惑わせた」

 「王国の秩序を乱す反逆者として、拘束する」


 「そ、そんな……!」村人たちは口々に叫んだ。

 「彼女は本当に我らを救ってくれたのだ!」

 「偽りの聖女は、むしろセリーナ様の方だ!」


 だが使者たちは一切耳を貸さなかった。権力にとって、真実など不都合でしかない。

 リリアは縄で縛られ、村人たちの前に突き出された。


 アルノーは怒りに燃える瞳で使者に食ってかかった。

 「ふざけるな! 彼女こそ真の聖女だ! 俺は何度もその奇跡を見た!」

 「黙れ。貴様も謀反人と見なされたいか」


 剣を抜きかけたアルノーを、リリアは必死に目で制した。

 「いいのです……アルノー様……」

 「だが!」

 「私は影の侍女。……それが、この国の決めた運命なのです」


 涙を流しながら連れ去られるリリア。民の叫びも、アルノーの声も、冷たい鎖にかき消されていった。


 こうして、「影の聖女」は王国によって反逆者と断じられたのだった。


 王都の石畳を、重い鎖の音が響いていた。

 リリアは両手を縛られ、護送兵に囲まれて歩かされていた。群衆が押し寄せ、石を投げる者、罵声を浴びせる者もいる。


 「偽りの聖女を名乗る大罪人だ!」

 「影の侍女が神を欺いた!」


 けれど中には震える声で「彼女は本当に村を救ったんだ!」と叫ぶ者もいた。人々の間には疑念と動揺が広がり、空気は張り詰めていた。


 王城前の大広場。壇上に立つのは、豪奢な衣装を纏ったセリーナだった。彼女は勝ち誇った笑みを浮かべ、民衆に向かって声を張り上げた。


 「聞きなさい! この侍女はわたくしの力を盗み、聖女を僭称したのです! すべての奇跡は、わたくしの力によるもの。影は影らしく、主を妬んで虚言を弄したのです!」


 群衆からはどよめきが上がる。セリーナはさらに続けた。

 「神は唯一、わたくしを選ばれた! 彼女のような者が聖女であるはずがない!」


 リリアは俯いたまま何も言わなかった。自分が否定すればするほど、民を巻き込み、アルノーを危険に晒すだけだと分かっていたからだ。


 その沈黙を破ったのは、鋭い剣の音だった。

 「……ふざけるな」


 アルノーが壇上へと歩み出て、剣を抜いた。

 「俺は見た。何度もだ。神の光で人々を救ったのはリリアだ! お前が逃げたときも、震えて隠れたときも、彼女だけが祈り立ち向かった!」


 広場が騒然となる。セリーナの顔が引き攣る。

 「何を言うのです! あなたまでその侍女に惑わされ――」


 アルノーは剣を地に突き立て、民衆に向かって宣言した。

 「俺が守るべき聖女は、リリアだ!」


 その瞬間、空から光が降り注いだ。

 夜明けのようにまばゆい輝きが広場を包み、群衆のどよめきが歓声に変わる。リリアの鎖は砕け散り、純白の光が彼女を守るように立ち昇った。


 「う、嘘……!?」

 セリーナが絶叫する。彼女の体からは光が失われ、足元から黒い影が溢れ始めた。

 「なぜ……神は私を見放すの……? 私は聖女なのに!」


 群衆の視線は冷たく彼女を突き刺す。

 「偽りの聖女だったのか……」

 「我らを救ったのは、あの侍女だったのだ!」


 セリーナは崩れ落ち、地に額を擦り付けながら嗚咽した。金糸のような髪は土にまみれ、虚栄に満ちた姿はもはや見る影もない。


 光の中で立つリリアは、呆然と民衆を見渡した。

 「……どうして、私に……」

 彼女の声は震えていたが、その姿は誰が見ても「真の聖女」だった。


 アルノーはそっと彼女の隣に立ち、剣を掲げる。

 「神が選んだのは、ただ一人。俺の誓いもまた同じだ。俺はリリア、君を守る」


 その宣言に、広場は歓声に包まれた。

 こうして、偽りの聖女セリーナは失墜し、影と呼ばれた侍女リリアの真実が、ついに明るみに出たのであった。


 王都は混乱に包まれていた。

 聖女セリーナが神の加護を失ったその日から、民衆は口々に「真の聖女は侍女リリアだ」と叫んだ。広場で起きた光の奇跡を、何百人もの人々が目撃していたのだ。


 王や神官たちは最後まで否定を試みたが、もはや覆すことはできなかった。セリーナは自室に閉じこもり、侯爵家も沈黙を守るしかない。権力者たちの嘘は剥がれ落ち、真実だけが人々の心を掴んでいた。


 リリアは王城の大広間へ呼び出された。

 「侍女リリア。……いや、真の聖女リリアよ」

 神官長が深々と頭を垂れる。重臣たちも跪き、王でさえ視線を逸らしながら言葉を続けた。

 「国はもはや、あなたの存在なくしては立ち行かぬ。どうか、この王国を導いてほしい」


 リリアは震えて首を振った。

 「私はただの影……侍女にすぎません」

 だが、その声は広間に集まった民衆のざわめきにかき消された。

 「聖女様、どうか我らを導いてください!」

 「あなたの祈りが、私たちを救ったのです!」

 涙ながらに感謝を捧げる人々。その光景に、リリアの胸は熱く締め付けられた。


 その群衆の中から、静かに歩み出てきたのはアルノーだった。

 彼は甲冑を外し、ただの一人の男としてリリアの前に跪く。

 「リリア。君はこれまで影として生きてきた。けれど、もうその必要はない」


 彼は手を差し伸べ、真っ直ぐに見つめた。

 「これからは光の中を歩いてほしい。――俺と共に」


 リリアの視界が滲んだ。誰もが否定し、押し隠してきた自分の存在を、ここまで強く肯定してくれる人がいる。その事実が、涙となって溢れ出した。


 「……アルノー様。私、本当に……光の中を歩いてもいいのでしょうか」

 「もちろんだ。君こそ、国を救う真の聖女なのだから」


 リリアは小さく笑った。震えながらも、その微笑みには確かな強さが宿っていた。

 「はい。……もう影ではありません。私を守ってくれる人がいるから」


 こうして、侍女リリアは「国を救う真の聖女」へと昇華した。

 人々はその名を讃え、涙ながらに祈りを捧げる。

 そして彼女の隣には、常にアルノーの姿があった。


 ――愛と逆転の物語は、ここにひとつの結末を迎える。

 影と呼ばれた少女が光を掴み、そして愛する人と共に未来を歩む物語として。

よろしければ評価いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
短編として起承転結がちゃんと組まれていて読みやすかったです。 一つ気になったのはなぜ光は偽聖女を選んだのかが気になりました。 リリアに試練を与えたかったのか導線上に偽者がいただけだったのか。
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