二章7話-不意打ち
エラニアの森から続くエラリニア山。草木が生い茂る中、踏み均されることで出来た道が、山に向かって傾斜になっている。
曉熊二匹の討伐。基本的に単独行動の多い曉熊だが、繁殖期にはつがいで行動する。つがいの居る曉熊は、平時よりも縄張り意識が高まり、普段は見逃されるような縄張りへの侵入者すらも排除しにかかる。つまるところ、凶暴性が増している。……と、いうのは、図鑑に記載されていた情報。
「山……慣れないなぁ……」
これまでの森以上に不安定な足元、悪い視界、高低差のある地形など、不慣れな要素がかなり多い。――が、現時点でのニコの戦闘スタイルを考えれば、これらは大きな問題にはならない。『水穿・網』も、『写し水』も、前述した要素による悪影響は殆ど受けない。
「突然出てきて襲われたりとかしないといいけど……」
受けないにしても、消えない懸念がこれである。こればかりはどうすることも出来ない。不意を突かれないように気を張り巡らせておくしかない。
と、周囲を警戒しながら、これまでの冒険者やモンスターかが踏み均して出来た山道を歩くこと、2時間。
「……遭わないなぁ。結構歩いてるのに。」
モンスターの鳴き声や川の水音、木々が風で揺れて鳴る葉の音は沢山聞こえてくるものの、肝心の曉熊に遭遇しない。これでは完全にただの山道の散歩である。
「疲れないのも便利だけど……味気ないなぁ……」
魔法の使用による魔力の激しい消耗は無く、長時間歩行による筋肉への過負荷は魔力が修復する為、ただ歩いているだけの現状に疲労というものは感じない。それ故の刺激の少なさからか、物足りなさのようなものを感じる。
穏やかなのは悪いことじゃない。むしろいいことだとすら思う。でも、自然の世界ではそんな穏やかさはありえないことぐらいは知っている。いつだって、強いものが弱いものを襲い、捕食する。それが当然。自然の摂理。古い時代のことを記した本には、⁅人間は自然界の中で、肉体だけの強さなら最下層の弱者⁆と書かれる程弱い。それは知っているし、事実であることは、魔力も魔法も無い状態なら、自分が纏狼マルヴや鋭牙獣シャンガどころか草原ウサギにすら勝てる想像が出来ない時点でわかっている。
「ちゃんと警戒、後手に回らない……」
油断しないよう、気を引き締める言葉を吐く。先手を取れれば難は無いはず、と、そう信じて歩くこと数十分。変わらず聞こえてくる生物の音の中に、それまでとは違う音が混じる。木々が轟音を立てて倒れる、地を揺さぶるような音。魔獣も魔物もいないこの山に生息が確認されているモンスターの中で、それが出来るのは、曉熊だけ。つまりこの音の方に向かえば、曉熊を見つけられる。
「……あっちから……!」
音の方向は急斜面の下。最速で向かうなら、この斜面を滑り下りなければならない。
「…………っ」
多少無茶をしたところで、死ぬことは無い。だからこのまま全力で滑り下りても、何ら問題はない。斜面には、常人であれば簡単に命を散らすような、無数の植物でできた棘。――常人ではない魔女に、躊躇う理由は、無い。
一息、深く呼吸をし、意を決して飛び込む。軌道調節は不可能。滑っていく身体を、飛び出した枝が切り裂いていく。傷を負い、癒え、負い、癒え、それを繰り返しながら、滑り下りていく。やがて斜面は緩やかになり、折れた木々が、木々の隙間から僅かにその姿を露わにする。
「『水穿・網』!」
曉熊の姿を視界に捉えるよりも先に、折れた木々の方へと魔法を放つ。水は、木々を切り刻み、勢いもそのままに進み続け――鳴き声を上げる間もなく、二匹の曉熊は組み合ったままその命を散らした。
刻まれた木々の残骸の隙間を進み、曉熊たちの死骸の前に立つ。死骸は大部分が刻まれており、地に散らばった肉片はどれがどちらのものかなど判別不可能な有様となっている。
「耳は……無事だね。ちゃんと持って帰らないと。」
曉熊二匹ぶんの耳を剥ぎ取り、街へ戻ろうとして、ふと気付く。
「あれ……道、どこ?」
この折れた木と刻まれた木に囲まれた空間に続く道がない。自分が今いる場所は、冒険者なども基本来ない場所。人のよく通る道から逸れ、坂を滑り下りて辿り着くような場所に向かう人など、そうそういない。それ故に、人に踏み均された道、というものがない。モンスター達の通り道は、通ったところで人の道にはめったに繋がっていない。依頼の目的を達成した今、これを辿る意味は薄い。自分が切り刻んだ木々を辿れば坂までは戻れるが……体力とかそれ以前に、あの坂は登れる地形をしていない。つまりどういうことか――そう、迷子、である。
「どうしよ……」
眼前に立ち並ぶ木々を『水穿』で伐採し、視界を確保して進んでいけば、いずれは道に出られるだろう。がしかし、戦闘行動や依頼内容が関与しない状況での環境の破壊は、規模や事情によっては見逃されることもあるとはいえ、基本的には罰せられる。できればそれは避けたい。
首を傾げ、口に片手を添えて考える。事を荒立てずに、穏便に、ここから街へ帰る方法を。5秒、10秒、30秒、1分――考え続けても、答えは浮かばない。そんな時だった。
「――!ぐ、ぅ‟、ぉえ」
突然、横から猛烈な勢いで突撃され、身体が吹き飛ばされる。折れた木の断面の棘に肉を裂かれながら吹き飛び、折れていない木に打ち付けられてようやく止まる。既に治りかけの傷とは裏腹に、身を裂かれる痛みに溢れそうな涙を堪えつつ、周囲に目をやる。自分がさっきまでいた場所を見れば、そこにいたのは鋭牙獣シャンガ。弱っていたのか、人に衝突した衝撃で気を失っている。よく観察すれば、全身に深手を負っており、それは、シャンガを襲った何者かがこの付近にいる、ということの証明になる。
つまり――『依頼中に依頼対象外とのやむを得ない戦闘』が、この後発生する。正当な理由のある戦闘行動での周辺環境への被害は、罪に問われない。勿論出来れば避けたい選択ではあるが……
「……仕方ない、これは仕方のないこと!」
言い訳するように自分に言い聞かせ、ニコ・ツノイアは杖を構える。
「『水穿』――『裂水』!」
杖の先から真っ直ぐに伸びた水は、直後の詠唱によって一気に横へと引き延ばされ、その切断性を以て眼前の木々を向こう100Mにわたって切り倒した。開けた視界の向こうに、少しだけ木の密度が薄いように見える場所がある。
「道、かな……?」
行ってみれば判る。そう判断し、向かう。切り倒された木々の隙間、生い茂る草を掻き分けて進んでいくと、視界に赤く染まった切株と草が映る。位置的に――恐らくは先程のシャンガを傷つけた曉熊、『裂水』に巻き込まれたそれから吹き出した血で染め上げられたものだろう。
「……仕方ないよね。」
赤を傍目に、突き進む。やがて視界が開け、見えたのは、数時間前に通った覚えのある道。――無事、元の道に戻ってこれたようだ。
「よかった……」
安堵が思わず口に出る。ほっ、と息をつき、帰るために歩き出す。その足取りは、行きよりも少しだけ軽かった。
歩くこと約二時間、ようやく山から森へと戻ってくることが出来た。景色は変わらず、草木が生い茂る中に道があるだけだが、それでも起伏が少ないぶん精神的な疲労は軽い。そう思うことにして、再度歩き出す。
木々の枝葉が擦れる音、モンスターの鳴き声、モンスターにすら分類されない生物たちの鳴き声。そして自分の呼吸音。それだけが聞こえてくる夕暮れの中、ニコは街へと帰っていく。まだ日が沈み切っていないというのに、空気は真夜中のように冷え切っていた。




