1話-これが異世界転生?
――終わりは突然。人は突然死ぬ。
それは病気かもしれないし、事故かもしれない。人や動物に殺される可能性だってある。
寿命で死ねる人間なんて一握り、自分がその一握りになれるなんて思ったことはない。
だけど、まさかこんな終わりを迎えるなんて―――
「あっついな……外……」
その日、日頃社畜で会社に閉じ込められている俺は、久々の休日に昼食を買いに出かけていた。
普段はキツいダルい面倒臭い上、上司はウザいうるさい臭いで最悪ながら、冷房だけは効いた職場に居た為か、蒸すような暑さの炎天下の中、日差しが肌を焼く感覚に慣れておらず、大変キツい。
なんとか辿り着いたコンビニで涼みつつ、食料を買う。
「871円で~す。」
適当に千円札を出し、お釣りを受け取る。
「お釣り、129円で~す。」
財布に仕舞い、店を出る。
「ァざっした~。」
雑な挨拶を鼓膜で受け止め、再び蒸し焼き炎天下の中に舞い戻ってしまった。余りの暑さに、若干フラつく。その時だった。
―けたたましいブレーキ音が鳴り響き、身体に激しい衝撃を浴びた。
―ああ、俺、死ぬのか。やりたい事、結局なんも出来てねえなぁ……
瞼を閉じる。音が遠ざかっていく。
……最期に空でも拝んでおくか。
なんて、叶わない願いのつもりで瞼を開けた。
「…………は?」
瞼を開け、視界に飛び込んできたのは、青い空、そして木々の枝と葉。感触からして、今自分は草の上に寝そべっていると思われる。
「どこだ、ここは……?」
上体を起こし、辺りを見渡す。
変な草、変な木、謎の虫の鳴き声、獣と思しき謎の遠吠え。
「……成程、これが、」
気付けば撥ねられた際の傷も痛みも無い。つまりはこれが噂に聞く、
「異世界転生、ってやつか……?」
疑問はありつつも、なんとなく察する。
会社の後輩達が話しているのを聞いたことがある。異世界転生。事故に遭ったり突然飛ばされたりとかで今とは異なる世界に行ってしまう物語。まさか自分が経験することになるとは思わなかったが……ともかく、こんなところに居てはいつ野生生物に襲われるかわかったものではない。人里を探して、どうにか夜を凌げる場所を探した方がいいだろう。
「…さて、人というのは、水場の近くに住処を作るもの……だったよな?」
この世界に居る知的生命体が自分と近い人間であるのなら、この定石通りに水場の近く…川沿いとかに町があるはずだ。だから―
「水の音…がするな。こっちか…?」
微かに聞こえる水音を頼りに進んでいく。そうして見つけた川に沿って下っていく。
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数時間、なんとか歩き続けて、ようやく街を見つけることができた。石のような素材で出来た、推定5メートル程の壁に囲まれた街。中の様子をうかがうことは出来ないが、ここは言葉が通じる事を祈っていくしかないだろう。
そ~っと、壁に近づく。門のような場所に門番らしき兵士がいる。恐らく、この世界の人間だろう。姿は自分と変わらない普通の人間のようで安心した。
―と、ある程度まで近づいたところで、門番に気付かれた。
「―ん?そこのお前、止まれ!」
若々しい青年の声。どうやら言葉は通じそうで安心だ。
「見慣れない格好だな…何者だ!」
明らかに警戒心マックス…といった具合だ。冷静に話を聞いてくれるといいが…
「初めまして。自分は稲生 葵斗です。気が付いたら森の中に居て…ここまで歩いて来ました。もしよろしければ、ここがどこなのか教えていただけますでしょうか?」
極力丁寧な言葉を意識して喋る。
「この街は『エラン』だ。お前……変わった名前だな。それにこの街の事も知らないとは……怪しいな。念の為拘束させて貰う。抵抗はするなよ。」
まさかの拘束に異議を申し立てたいところだったが、こちらが口を開く前に門番が口を開く。
「なにも収監するわけじゃない。念の為聞き取り調査をし、何も無ければ教会へ連れて行く。それだけだ。」
そう言いながら手首に手錠のようなものを付けられた。連行中に逃げられないようにする為だろう。…これではもうどうすることもできない。大人しく従うしかないだろう。
そうして門番に連行され、着いたのは詰所のような場所。狭い部屋に椅子が二つ、テーブルを挟んで置かれている。
「隊長、門前で不審な男を発見致しました。私は警備に戻りますので、この男の対応をお願い致します。」
目の前の厳つい――隊長と呼ばれた男が口を開く。
「うむ。承知した。……では、幾つか質問をさせてもらうぞ。まずは…名前と、出身は言えるか?」
「はい。名前は稲生 葵斗です。出身は…」
待て、日本と言って伝わるのか?…とはいえ他に表しようもない。ここは素直にそのまま言ってしまおう。
「出身は、日本です。」
「………そうか。ここへは、どこから、どうやって?」
「ええと、気付いたら森の中に居て、ここまでは歩いて来ました。」
「そうか……質問は以上だ。貴殿が怪しい者でない事は判った。…おい、彼を教会まで案内してやれ。」
「はっ」
男は横に居た兵士に声を掛けた。兵士は短く返事をし、俺の拘束を解き、外へと連れ出す。
「教会はこっちだ。ついてこい。」
兵士は先導するように歩き出す。
「ここのシスター…レアルファさんは女神のように優しい御方だ。色々聞いてみるといい。」
兵士は穏やかな表情で言う。俺がここに居る理由とか、色々聞けるだろうか……
そんなことを考えながら歩いていると、立派な建物が目に入った。ここが教会か…想像よりも大きいな。
「俺はここまでだ。じゃあ、達者でな。」
兵士は爽やかに去っていった。この街に留まっていれば、きっとまた会う事もあるだろう。
……なんだか緊張してきたな。けど、こんなところで怖気づいてたって何にもならねぇ!よし、行くぞ。
―ギィ、と、音を立てながら扉を開くと、そこに、修道服のようなものを身に纏った、金髪の女性がいた。恐らく彼女が、兵士が言っていたシスター、レアルファだろう。
彼女はこちらに気付くと、ふっ、と微笑み、優しく語り掛けてくる。
「異邦の御方、人払いは済ませてあります。誰にも聞かれる心配はありません。……聞きたいことが、おありなのでしょう?」
明らかに何かを知っている口ぶりだ。これは色々教えて貰えそうだ。
そう思い、まずは自己紹介でも…と口を開こうとした時、先にシスターが口を開く。
「名乗りは不要です。まずは何から聞きたいですか?」
出鼻を挫かれてしまったが、気を取り直して質問していこう。
「あ、あぁ…ええと……そうですね…ではまず、この世界について、と、あと俺がここにいる理由を聞きたいのですが……」
「ここにいる理由、ですか…そうですね。率直に言えば、貴方は前の世界で死んでしまいました。」
これは予想していた答えだ。異世界ものの定番、らしいしな。
「次にこの世界について、ですが……そうですね、これを見て貰った方が多少は早いでしょう。」
そう言った彼女は、懐から一枚の羊皮紙のようなものを取り出した。
「これは『容秘紙』というものです。ここに魔力を流し込むことで、その者のあらゆる情報が記されます。…基本的には人に見せないものですが……一応お聞きしますが、魔力は扱えますか?」
当然そんなものは扱ったことがない。それは恐らく彼女もわかってて聞いたのだろう。「ないです」と答えると「ですよねぇ」みたいな顔をした。
「では今回は私がお手伝いします。一回感覚がわかればあとは簡単なので、以後はご自分で、自力でお願いしますね。では…」
と言って、彼女は俺の腕を掴んできた。
「紙に手を添えて……こう!です。」
身体の中にある何かが出ていく不思議な感覚に襲われる。容秘紙が淡く光ったと思えば、文字が現れてきた。
「この文字は…日本の方ですか。そこそこ転生者の多い場所なので、もしかしたら同郷の方にも会えるかもしれませんね。」
「俺の他にも転生者が居るんですか?」
「ええ。それはもう沢山。貴方とは別の世界から来た方もいますよ。」
「そうなんですね……」
そういうものなのだろうか。聞きかじった俺の知識ではこういうのは一人だけだったりするものらしいが……何事も、創作が全てじゃない、ってことだな。
「この容秘紙は差し上げます。…それで、他に聞きたいことはありますか?」
「ありがとうございます」と軽く礼をし、紙を受け取る。書かれている内容を眺めつつ、気になったことを聞いていこう。
「……この、能力〖変身〗ってなんですかね…?」
「能力は主に転生者に与えられる固有の力です。中身は人によって違いますので、詳細は私には何とも……」
「そうですか……能力の使い方ってわかります?」
「能力は基本的に、頭の中で念じたり、その名前を口に出すことで発動できます。…貴方の場合は……変身、ですと…なりたい姿を思い浮かべて、唱える、といった感じでしょう。恐らく、ですが。」
「成程…ああ、それと、門番の兵士に『変わった名前だ』と言われたのですが……これって変えた方がよいのでしょうか?」
「変えた方がよいと思われます。……貴方なら、変身と併せて完全な別人として生きてみてもいいかもしれませんね。」
「完全な、別人……」
その提案に、少し悪寒のようなものを感じつつ、しかしてこの冴えないツラの人生から脱却できるのでは?という期待も感じてしまう。
「……わかりました。そこは考えてみます。…それと、何か仕事をしたいのですが……」
こんな場所でも社畜として生きてきた自分は変えられない。転生しても働きたがる身体にややうんざりする。
「それなら、冒険者などはいかかでしょう?転生者も、そうでない方も、大勢いますよ。この近くにギルドもありますし、明日にでも行ってみては?」
冒険者、ギルドか…
「わかりました。明日、行ってみることにします。」
とは言ったものの、さて今日の夜をどう乗り切るか、だよなぁ……
そう考えていると、それを察したのか、シスターが口を開く。
「空き部屋があります。今晩はそこに泊まっていくといいと思いますよ。」
俺は有り難く、その言葉に乗っかることにした。
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それから、改めて軽く自己紹介をし、部屋に案内された。
扉と窓の他、簡素な造りながらふかふかのベッドと、木製と思しき棚、全身鏡と、ランプのようなもの。
質素だが温かみを感じるいい部屋だ。安心感がある。
さて……休む前に、〖変身〗を試してみよう。せっかくなら、今の自分とは真反対な姿がいいな。その方が、今までの自分みたいな陰気臭い社畜から離れられる気がする。そうだな……思い切って、性別ごと変えてしまおう。てことは、まず女、で、身長は…低すぎても高すぎても変だ。下二桁だけ逆に…146cm……まあ、いいか。次に…見た目の年齢。そうだな…俺もうすぐ31歳だし、13歳ぐらいでいいか。よし、あとは髪と目だな。髪型は…今の俺が普通のサラリーマン、短髪だから長くしよう。サラサラストレートヘアーってやつ?色は…今の俺が、黒っぽいから白?茶色って確か赤だよな?じゃあ若干青みがかった白にするか。目もまあ青でいいか。茶色っぽいし。あとは……目つき?逆ってなんだ…ぱっちりさせとくか。
よし、こんな感じでいこう!と今まで纏めた情報を元に姿を脳内に想像し、その能力の名前を紡ぐ。やはり日本男児たるもの、この言葉は叫ばなくては!
「――〖変身〗!」
隣の部屋に響かない程度に抑え、叫ぶ。すると、身体が僅かに光り、輪郭が歪み始めた。身体の感覚が変わっていく、不思議な感覚。数秒もしないうちに、変化は終わった。
視点が低い。視界に白い毛が映る。身体が軽い。
数々の違和感に包まれながら、鏡の前に立つ。
「これが、俺……?」
そこには、銀髪碧眼の美しい少女が立っていた。
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どれほどの時間、そうしていただろうか。体感時間では数分、いや数十分は鏡と向かい合っていた。そうしてようやく我に返り、次にすべき事を思い出す。
「名前、名前かぁ……」
先程は自身の姿に意識を奪われ、それどころではなかったが、そう呟いて出てきた声すらも、鈴が転がるような可愛らしい声でむず痒い。
名前…元の名前の並び替えでいいだろ。
ええと…いなうきのと、だから……アルファベットでいくか。InauKinoto……
部屋をうろつき、鏡の前に立ち、ベッドに横になり、そうして数分、自分の名前と脳内で格闘を繰り広げ、ようやく思いついた。
「ニコ・ツノイア……これだ。」
新しい、この世界での名前は、ニコ・ツノイアだ。
「さて…」
声が可愛いせいか、言葉を発するのもちょっと楽しい。無意識のうちに、いちいち言葉に出してしまう。
「変身を解いてもいいけど……」
出来ればこの姿を写真か何かに残してからにしたい。なので。
「それまでは、このままでいいかな……」
忘れたら困るし、と声に出す前に、意識は微睡み落ちていった。




