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第17話 〈鳴神〉

 男の実家、ウテロ家は富豪だった。

 しかし、そこでの生活は地獄そのものだった。


「男児に用は御座いません」


 初めて認識した言葉は拒絶だった。

 それを言ったのは自分の母親らしい。

 腹を痛めて産んだ我が子を、彼女は拒絶した。


「聞きました? 4人目の子どもに男児が生まれたらしいですのよ?」


「まぁ、汚らわしい…何かの凶兆かしら…」


「しっ…来ましたわよ。さっさと離れましょう」


 この家において自分は不吉の象徴らしい。

 それを知ったのは7歳の頃だった。

 名家に女児を嫁がせることで財を成してきた一族の歴史など、彼は知らない。

 腫物のように扱われる日常だけが、彼の人生の全てだった。


 食事と風呂とトイレ以外は物置同然の自室に閉じ込められる日々。

 学校にも通わされず、家族にも使用人にも話しかけられず。

 窓際の小鳥以外、自室を訪れる者はいない。

 10歳の頃、彼の精神は限界に達した。

 発狂しそうな思考で考える。

 どうすればこの家の人々は自分を見てくれるのか、と。


「ごきげんよう。お母さま」


 翌朝、彼は初めて自分の意思で母親に話しかけた。

 厚塗りの化粧。濃すぎる口紅。無造作に伸びた黒髪。

 誇りまみれの古いゴスロリ服。

 ぎこちない仕草と上ずった声。

 彼は女として生きることを選んだ。


 ただ、自分を見てほしかった。

 生きていてもいいと思いたかった。

 生まれたことが罪だと信じたくなかった。

 そんな一心で女装をした。


「何をしているのですか! 気色悪い…」


 そんな我が子を、母親は平手打ちした。

 まるで怪物でも見るような目で。

 我が子を暴力という形で、再び拒絶した。


「ぇ…」


 床に膝をつき、頬を抑える。

 じんわりと痛む頬。ずきりと痛む胸。

 どこかから使用人の短い悲鳴と笑い声が聞こえる。

 もはや涙は流れない。

 自分は生まれてはならなかったという現実が、そこにあるだけだった。


「……」


 物置同然の自室の窓から身を乗り出す。

 空は残酷なほど青くて綺麗だった。

 地上4階。ここから飛び降りれば死ねる。

 生き地獄の日々から解放される。

 ぼんやりとした安堵を抱え、身を投げようとした。


「……ぁ」


 その時、囀り声が耳を打った。

 毎朝窓際に訪れる小鳥たち。

 食事の残りを与えていたため、いつのまにか懐かれていたのだ。


「…はい、今日のご飯だよ」


 ポケットからパンくずを出して小鳥たちに与える。

 嘴で角日らを突きながら群がる小鳥たち。

 唯一自分を拒絶しない生き物たち。

 毛の温度が、足の感触が、囀り声が、温かい。

 頬から零れる涙は悲しみではない。

 この小さな命のために生きよう。

 それだけだ、彼の唯一の生きる目的になっていた。


「……いやだ」


 そんな小鳥たちが死んだ。

 12歳の頃だ。

 ある鳥は頭の半分を齧られ。別の鳥は片羽を毟られ。

 凶暴な獣にでも襲われたのか、それらは全て惨たらしい姿だった。

 にも関わらず、小鳥たちは帰ってきた。

 そして彼の部屋の中で、息絶えた。


「…いやだ…いやだいやだいやだいやだ!」


 自分を拒絶しない唯一の生き物が、死んだ。

 また自分は生きてはいけない存在になってしまう。

 床に転がった死骸を掬い、滂沱の涙を流す。


「いやだいやだいやだ! 死なないで!」


 その瞬間、全身に何かが流れた。

 同時に、部屋が赤黒く光った。


「ぇ……?」


 突然の不気味な光景に戦慄する。

 この世の終わりのような光。

 しかし、彼の表情は徐々に、恐怖から喜びに変わっていった。


 鳥の死骸がひとりでに動きだした。


「ぁ…」


 頭を抉られたまま。羽をもがれたまま。

 光のない目で彼を見つめる小鳥の死骸たち。

 操り人形のようなたどたどしい動作で彼に寄る。


「よ、よかった…よかった…」


 その惨たらしく不気味な容姿など見えていない。

 自分を拒絶しない唯一の生き物が生きている。

 それだけで良かった。それだけで……


「きゃぁぁあぁあああッ!?」


 背後から絶叫。

 いつの間にか開け放たれていた自室の扉の前で、使用人が腰を抜かしながら叫んでいる。

 部屋から漏れる赤黒い光を不審に思って開けたのだろう。

 化け物を見るような目は、彼と動く死骸に向けられていた。


「化け物化け物化け物っ! 誰かぁぁあああぁあっ!?」


 それからのことはあまり覚えていない。

 私兵たちの拘束され、凄惨な暴力を加えられ、色狂いの男たちに度し難い扱いを受け。

 気が付いた時には、懲罰用の地下牢に閉じ込められていた。


「ぁ……ぁ……」


 石畳に伏した肉体が痛む。

 もういつからここにいるのか分からない。

 食事と水は最低限のみ。

 服は着せられていない。

 自身の傷ついた肉体を見る度に、男として生まれた自分への恨みが募る。

 女として生まれていたなら、こんなことにはならなかったのか…


「……だれ?」


 弱々しい言葉は、いつの間にか目の前に立っていた男へ。

 奥の開け放された扉から差し込む久方ぶりの光に目を細める。

 狭い視界に映る男は、スーツに身を包んでいる。

 赤い髪と瞳が特徴的だ。


「■・■……」


 手を突き出しながら何かを呟く男。

 しかし、その言葉が、途切れた。


「……大丈夫だ」


 次の瞬間には、自分は男に抱き締められていた。

 棒切れのような体を抱く男の腕。

 それは、始めて感じる人間の温かさだった。


「ぁ……ぁ……」


 言葉は出ない。嗚咽が止まらない

 喉から漏れる音は、彼にとって産声だった。


「メノス、君は自分の思うように生きていい。君が生きられる世界は、僕が作る」


 自分を肯定する言葉。

 彼は、メノス=ウテロは、その時初めて自分が生まれた意味を自覚した。


「だから、君の力を貸してくれ。メノス」


 自分を抱きしめてくれた、この男のために生きるのだ、と。


◇ ◆ ◇


荒神雷(ミョルニ)──」


 ライラによる一節の詠唱。

 僅か0.002秒で魔術が発動。

 刹那、視界を覆う無数の屍魔獣が、一掃された。

 亜音速で放たれた無数の()()()が、屍魔獣と従屍術士(ネクロマンサー)の全身を粉砕したのだ。


「──鎚砕(レイド)


 全身を炎で防御したフレンを除いて。


「……相変わらずの威力」


 荒神雷鎚砕(ミョルニ・レイド)

 周囲の物体を電磁加速によって撃ち出す、雷の高位魔術だ。

 強力なローレンツ力の加わった物体は、音速に迫る速度と圧倒的な威力を持ち、対象を反応すら許さず穿ち抜く。


 ライラが弾丸に選んだのは、屍魔獣の骨。

 全身が骨の屍魔獣に通常の雷魔術は効かず、他の物質では有効打に欠ける。

 よって同等の硬度を持ち、尚且つ電磁加速に耐えうる屍魔獣の骨を散弾として撃ち出した。

 逆に言えば、あの場でライラが使える魔術はこれしかない。

 その結論に一瞬で至ったからこそ、弾丸から身を守るために、フレンは炎龍百齧破(ラドーナ・バーン)の指向性を操作し、自身を覆ったのだ。


「…チッ」


 しかし、屍魔術の赤黒い魔法陣は消えていない。

 全身に穴が開いて地に伏す従屍術士(ネクロマンサー)が、起き上がった。


「見゛テぇ゛ッ! め゛ノ゛すヲ゛見て゛ェ゛ぇ゛え゛ッッ!」


 さながら本物の生屍。

 ゴスロリ服は破れ、抉られた血肉と脈動する紫の亀裂が覗いている。

 黒い血と内臓を零しながらフレンに迫る従屍術士(ネクロマンサー)

 割れ砕けた仮面の奥、皮膚が剝がされて筋繊維が剥き出しになった顔。

 狂気的に血走った瞳が、フレンを捉えている。

 

「あれで足りないわけ…!?」


 硬化した腕を振るう従屍術士(ネクロマンサー)

 魔力で強化した肉体でかろうじて捌く。

 ピキリと走る頭痛。

 既に魔力滞留の症状が出始めている。

 に関わらず、屍魔獣たちは既に再生を始めている。

 あろうことか従屍術士(ネクロマンサー)の欠損した肉体まで修復を始めている。


 フレンはあと一度の魔術行使が限界。

 持久戦にもつれ込めば敗北は必至。

 

「───放流・雷・轟雷の戦鎚」


 その事実はフレンが最も理解している。

 そして、それを覆す手段も分かっている。


「我、ライラ=イナヅミが命ず・其の魔性は金──」


 遥か後方のライラを葬らんと駆ける無数の屍魔獣。

 不気味な唸り声と骨のきしむ音が迫る。

 そんな彼女が詠唱しているのは、既に炸裂した雷神砕剛鎚(ミョルニ・レイド)のもの。

 しかしそれは、二度目の魔術行使を意図した行為ではない。


「ライラッ! 早くしてっ!」


 叫ぶフレン。

 彼女は知っている。


 荒神雷鎚砕(ミョルニ・レイド)はまだ、終了していない。


「我より生じ・神敵を撃ち滅ぼせ」



 詠唱完了。

 同時に、屍魔獣と従屍術士(ネクロマンサー)を、轟雷が襲った。



「aァ゛ぉ゛ァ゛あ゛Aアァ゛ぁァa゛ぁア゛ぁA゛ァ゛ッッ!」


 魔眼は、対象を『見る』だけで魔術を行使できる。

 それによる魔術の神速行使を武器にしているライラは、時間のかかる詠唱を行わない。


 魔術行使()には。

 

「…後出しの詠唱くらいもっと早くしてよ」


 魔術を行使()の詠唱。

 消失しかけていた荒神雷鎚砕(ミョルニ・レイド)が再び活性化。

 射出時の電流が強化され、微弱な静電気が轟雷に化ける。

 それが襲うのは、被弾時に帯電した屍魔獣と従屍術士(ネクロマンサー)

 魔力の対消滅により、屍魔術の支配が弱まり、回復の隙を与えない。


 荒神雷鎚砕(ミョルニ・レイド)行使前に詠唱した場合、その効果は電流の強化による威力増大に留まる。

 しかし後出しで詠唱を行った場合、弾丸の発射と雷撃という2つの攻撃が可能になるのだ。

 無論、そんな超絶技巧が可能なのはライラのみ。

 魔眼による神速魔術行使。高い魔力量による魔術の持続。精密な魔力操作。そして判断力。

 それらを持ち合わせるライラだからこそ可能な芸当なのだ。


 故に、〈鳴神〉。

 0.002秒、敵の反応すら許さない神速の雷魔術。

 まるで稲光の後に雷鳴が轟く雷のように、魔術の炸裂の後に詠唱が完了する。

 さらに雷魔術は、ライラの意思に応じて何度も威力を取り戻す。

 そんな変幻自在の雷を操るライラは、正しく雷神、鳴神。

 対峙する者は、何が起きたか分からないまま消し炭と化す。


「はぁぁ゛あ゛ッ!」


 轟雷に撃たれて悶える従屍術士(ネクロマンサー)

 黒い血の涙と泡を流すその顔を、強引に掴むフレン。

 電撃に晒された右手が焼けるように痛む。

 しかし、フレンはその痛みを受け入れた。


「解放・焔・爆ぜる篝火」


 ライラの煽りで失った表情。

 何かを訴え続ける様子。

 きっと自分を殺そうとしたこの男も、何かを背負っていたのかも知れない。

 未だに甘さを捨てきれない自分に呆れる。


「我、フレン=ゲヘナ=バーネリアスが命ず・其の魔性は紅」


 甘さだけではない。

 なぜ『E区事変』の夜に自分を襲った怪物と同じ姿なのか。

 『あの男』との関係は。

 そもそも目的は。

 問い質したいことも山のようにある。


「我より生じ・背徳者を荼毘に付せ」


 だが、今の自分にそんな余力はない。

 彼を弔ってやる余裕もない。

 力のないも者に選択肢はないのだ。

 悶える従屍術士(ネクロマンサー)から目をそらさず、フレンは右腕に魔力を流す。


迦火天爆球(アグニ・プロージョン)


「ぁ゛────」


 爆散。叫びが、途絶えた。

 フレンの掌の空間が、それに掴まれた従屍術士(ネクロマンサー)ごと爆ぜた。

 灰すら残らず焼失した上半身。

 残った下半身が、赤土にドサッと崩れる。


「……」


 屍魔術の赤黒い魔法陣が消えた。

 仮初の命を与えられた屍魔獣が、物言わぬ遺骸に戻って崩れ落ちる。


 谷底に、本当の静寂が訪れた。

メノス=ウテロ

・魔術適正:屍

・魔導等級:一級魔導士(相当)

・魔導器官:右腕

・魔力滞留:???

・所属組織:???

・異名:???

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