第14話 一級魔導士
B区の荒野。山岳地帯の一角の崖際。
そこに出現した青い鉄の城砦は、複雑怪奇な構造をしていた。
青鉄城塞宮。
地中の鉄を操り、鉄の防壁を錬成する高位魔術だ。
それはただの壁に非ず。
まるで迷宮のように入り組んだ構造のそれは、一見すると頑丈性に欠けるように見える。
「うぅ…ッ!? くぅぅう…ッ!」
要塞と衝突する炎の咆哮。
爆風と熱波に震える山岳地帯。
特徴的な三つ編みが揺れる。
空生翼獣による最大威力の咆哮。
並みの魔導士なら抵抗する術もなく焼き尽くされるされが、アロンの鉄魔術と拮抗している。
鉄壁の凹凸構造が炎によって削られていく。
しかし、そのたびに咆哮の威力が削がれていく。
「魔力の対消滅を利用した防御魔術。なかなか良いわね」
魔術による被造物がぶつかり合うと、それらが纏う魔力が対消滅し、相殺される。
ライラが雷魔術で咆哮を打ち消したのも同じ原理だ。
「ぅぅう…ッ! ぉぉぉおぉおおぉおおッ!」
青鉄城塞宮の真価、それは破壊された城壁の破片にある。
出現する壁は高濃度の魔力を帯び、淡い青色に発光している。
飛び散った鉄の破片も魔力を帯びているため、術者が魔力を流し続ける限り、敵の魔術を打ち消し続ける。
そんな破片が無数に舞うことで、対消滅は広範囲に及ぶのだ。
「ま、完全詠唱でこれだからまだまだだけど」
そう。先ほどの詠唱破棄で出現したのは、ただの鉄の壁だった。
すこし凹凸があるだけで青くもない。
そんな歪な構造物が、強化された咆哮に敗れるのは必至。
「でも、やっぱり私の見込んだ通り。全力さえ出せれば二級魔導士でもトップクラス、かもね」
魔導士が昇級するには、実践以外に魔術の練度が求められる。
二級魔導士になるためには、詠唱付きでも高位魔術を行使できること。
一級魔導士になるためには、詠唱省略して高位魔術を行使できること。
アロンは大幅に出力が低下したとはいえ、詠唱省略で高位魔術──青鉄城塞宮を行使できた。
それにアロンのポテンシャルを見出したからこそ、ライラは彼女に盾役を任せたのだ。
「くぅ……ッ! 負け、ない……ですッ!」
魔力滞留も恐れず、魔力を流し続けるアロン。
徐々に赤熱する青い鉄壁。破片と炎が舞い輝く。
徐々に砕けはじめた要塞は、そして───
「ぉぉぉぉおおおぉおおおおッ!!」
爆炎の咆哮に、競り勝った。
「ぶはぁっ!」
炎で覆われていた空が開かれた。
炎ではない、太陽の優しい光に目を細める。
勝った。勝ったのだ。
達成感と安堵感、魔力消費で脱力し、膝から崩れ落ちてしまった。
もはや立つ気力もない。
「上出来♪ 私もがんばっちゃおうかな」
土煙の中に佇むライラ。
再び紫色の瞳が発光し、金色の魔法陣が出現した。
「武御雷剣舞」
魔法陣から迸る無数の電流。
音を置き去り、3体の空生翼獣に直撃する。
大技を放った後の魔獣たちに防ぐ術はない。
ギュラァァアアァァアッッ!?
グルゥァァアアァァアッッ!?
グラゥァァアアァァアッッ!?
空生翼獣たちの絶叫が山岳地帯に響き渡る。
しかし、魔獣の鱗もまた魔力を帯びており、魔術を打ち消す効果がある。
ライラの電流もまた打ち消され、致命傷には至らない。
怒った空生翼獣たちが接近し、大口を開いた。
立ち上る魔力。展開する3つの魔法陣。
咆哮による抵抗を試みているのだ。
「このままじゃ……」
地に伏しながらアロンは震える。
ライラの魔術は未だに止まらない。
魔術をすぐに中断することはできないのだ。
今のライラには咆哮を打ち消す暇がない。
しかもアロンは二度の高位魔術で動けない。
このままでは───
「解放・焔・烈火の巨腕」
岩壁から岩壁へ飛び飛び移り、駆け抜ける影。
魔獣たちの左側面の崖を蹴って飛んだ。
赤髪をなびかせて、空生翼獣との距離を詰めるのは、フレン。
アロンとライラが時間を稼ぐ間に、空生翼獣を一撃で葬り切れる地点へ向かっていたのだ。
炎魔術で強化された体が宙に舞う。
「我、フレン=ゲヘナ=バーネリアスが命ず・其の魔性は紅・我より生じ・万象を薙ぎ払え!」
空生翼獣の意識の外。
無重力に身を委ねたフレンの魔術が発動する。
上空に巨大な魔法陣が3つ出現した。
「炎魔神壊撃ッ!」
解き放たれた地獄の炎が、空生翼獣たちを襲う。
高位魔術の三重行使。
規格外の魔力量を誇るフレンだからこそ可能な絶技だ。
ライラの魔術に気をとられていた空生翼獣たちに、抵抗する時間はない。
三柱の業炎が魔獣たちを呑み込む。
同時にライラの雷が、抵抗力を失った空生翼獣たちを襲う。
刹那、轟音が山岳地帯に轟いた。
絶叫する間もなく、哀れな魔獣たちは墜落してゆく。
谷底に落ちていくそれらは、全身が炭化し、原型も留めていない。
ズンッ…と重低音が山岳に伝播した。
「これが…一級魔導士……」
金髪をなびかせて佇むライラ。
魔獣の遺骸を見下ろしながら足場に着地するフレン。
あれだけの神業魔術行使を経ても、2人に息の乱れはない。
一方のアロンは息も絶え絶え。
立っているのもやっとな状況だ。
「やっぱり、自分はまだまだなので…あります……」
憧れの2人との実力差を感じながら。
緊張の糸が途切れたアロンは、意識を手放した。
◇ ◆ ◇
「もー! もっといい場所に落としてよ! 谷底まで降りなきゃいけないとかめんどくさいじゃん!」
「…浮いてる魔獣相手に無茶言わないで」
不満を垂れるライラと、それに苛立つフレン。
そしてそんな2人を他所に、岩壁にもたれかかるアロン。
谷底に沈んだ空生翼獣の遺骸から魔獣石を回収しているために、30m近い崖を下った3人の魔導士たち。
緑の空生翼獣2体からは回収できたが、残り1つがなかなか見つからない。
撃ち落とした赤い魔獣の遺骸を割き、内臓を抉り、体内の魔獣石を探る。
グチャグチャと気味悪い音にライラは顔をしかめた。
「うぇぇ…気持ち悪……あ、あった!」
黒い血液に濡れた手の中に握られた紫の石。
満足げに空に掲げられたそれは、先日討伐した八つ目の陸生巨獣ほどではないものの、高い魔力量を宿した紫の光を放っている。
「はい、これアロンにあげる」
岩壁にもたれかかったアロンに手を差し伸べるライラ。
アロンは力なく応じる。
「…あ、あるがとう…ござい…ます…うぷっ……」
「どうしたの? 」
「さっきから…胃がムカムカして……」
「あー魔力滞留ね。無遠慮に魔力を流し続けたから」
咆哮を防ぐために青鉄城塞宮に魔力を流し続けたアロン。
その結果、劣化した体内の魔力がアロンを蝕んでいるのだ。
「それくらいで魔力滞留を起こしてどうするわけ? 戦場では誰もアンタを守れないのよ」
「そ…それは……」
フレンの容赦のない正論に、アロンは力なく地面を見つめる。
咆哮を防げたことは自信になったが、あくまでとどめを刺したのは一級魔導士の2人だ。
それも自分は守られてばっかりだった。そのうえこの体たらく。
自分はまだまだだ。突きつけられた現実に憂鬱を感じざるを得ない。
「まーまー、魔導士なら一度は通る道よね。フレンだってこの前、魔力滞留のせいで死にかけてたし」
「…ライラ、余計なお世話」
嫌な記憶を思い出して眼を鋭くするフレン。
それを無視して、ライラはアロンの背中に手を置いた。
「うぅ…う?」
淡い白の光が谷底に灯る。
ライラがアロンに魔力を譲渡して魔力滞留を緩和しているのだ。
「ふぅ…これで少しは楽になったかしら」
「はい…ほんとに、ありがとうございまへぶぅッ!?」
立ち上がろうとしたアロンは、急に足場が崩れてしまい、その場で尻もちをついた。
「もー、何やんてんの?」
呆れながら手を差し伸べるライラ。
しかし、その後ろでフレンは目を丸くしていた。
「…2人とも、少し離れて」
「え?」
「…?」
2人を押しのけてアロンの足場をくまなく観察するフレン。
その傍らで2人は怪訝な表情を浮かべていた。
やがて何かを確信したように立ち上がった。
「これ……魔獣の遺骸」
「……まじ?」
「え……?」
思わぬ言葉に、2人はアロンが座っていた場所を見つめた。
よく見るとそれは巨大な口のように見えないこともない。
赤い砂に覆われた岩にしか見えないが翼らしき部位もある
「……まさか、私たちの本当の討伐対象って、これだったの?」
周囲を見渡すと、似たような岩が2つある。
これがらが、空生翼獣の遺骸の成れの果てとしたら───
「……ッ!」
「…囲まれたわね」
「え……?」
突然臨戦態勢に入ったフレンとライラ。
訳も分からぬまま、アロンは2人を見上げた。
「…なんですか…? この足音……」
静謐とした谷底に、不穏な押し音が鳴り響く。
赤土を踏みつける足音は1つではない。
2つ、3つ、4つ…それ以上。
3人を囲むように接近している。
「流石、『マグナゲート』の一級魔導士。気づかれてしまいましたわ」
3人以外誰もいないはずの谷底に響く人の声。
同時に岩壁の隙間から、二足歩行の魔獣の群れが出現した。
3人の周囲を埋めるそれらの頭数は9。
そしてそれらを従えるように、ゴスロリ姿の人物が姿を現した。
「アロン、捕まって」
「ぇ───」
アロンの返事を待たず、フレンが加速。
魔獣の包囲網を突っ切り、数十m離れた川辺に着地した。
「この川に沿って行くと旧自然公園跡地に着く。そこに止まる電車に乗って中央区まで帰って」
矢継ぎ早に説明しつつ、地図と路線図を渡すフレン。
突然の出来事に動揺するアロンは、返答もできず立ち尽くしている。
「早く行って! アンタを守りながらじゃ戦えない!」
「ひぅ……ッ!? は、はいっ……」
痺れを切らしたフレンが怒声をあげる。
その剣幕に慄いたアロンは、逃げるように川辺の向こうへ走り出した。
地図と路線図と魔獣石だけを握りしめて。
「優しいねーフレン」
ニヤニヤと笑うライラ。
しかし現在、彼女は魔獣の群れに囲まれいる。
体長2m、太い後足、鉤爪ついた短い前足、獰猛な前傾姿勢。
「陸生走獣の群れ…それを扱うアンタは、従獣士ね」
陸生走獣を従えるゴスロリ姿のに人物に問う。
返ってきたのは嘲笑的な笑いだった。
「はははっ! で、どうするんですの? アナタ1人なら確実に葬り去れるんですのよ?」
魔獣の群れがライラににじり寄る。
陸生走獣の強みは瞬発性。
9体同時に襲い掛かれば、いくらライラでも捌ききれない。
フレンは距離が離れすぎて援護が間に合わない。
「……」
しかし、彼女の顔から余裕の笑みは消えない。
ライラは無言でフレンを一瞥した、その瞬間。
「殺しなさいッ!!」
従獣士の号令。
同時に陸生走獣が、全方向から襲い掛かった。
鋭い鉤爪がライラを引き裂こうと迫る。
「迦爆球!」
しかし同時に、ライラの周囲の地面が爆ぜた。
フレンの足跡に付着した微量な魔力を触媒にした、遠隔魔術行使。
威力は爆竹程度だが、陸生走獣に一瞬の隙を作るには十分だった。
「金剛雷────」
ギュア゛ッ
突然、1体の陸生走獣が弾け飛んだ。
従獣士も8体の陸生走獣も、フレンすら反応できない。
ドサッ
腹に風穴の開いた陸生走獣が、地面に倒れた。
ようやくそれに注目が集まった。
抉られた肉の表面が黒く焦げている。
「────鳴衝」
遅れて完了する詠唱。
魔術の開始から発動までの時間差、僅か0.002秒。
あまりの早さに詠唱が追い付かないのだ。
「……はッ! 魔眼術士…クソウザいですわッ!」
「怖いって、素直に言ったらどうなの?」
睨みつける従獣士。
ライラは相変わらずニヤニヤと嗤っている。
「アンタの報奨金、陸生走獣共の魔獣石、全部回収すれば相当な額になりそうね。せいぜい私の魔眼に見られないよう、足掻いて頂戴」
舌なめずりしながら従獣士を見下すライラ。
魔眼──ライラの魔導器官である紫の瞳は、眼前の全てを金としか見ていなかった。