第13話 信頼
「おーおー。派手にやってらっしゃる」
煙草の煙をくゆらせながら、獣動車の運転手は遠方の戦闘風景を眺めていた。
戦場からは2km以上離れている。
ここまで被害が及ぶことはないだろう。
「しかし魔導士というのは物好きだねぇ。俺には無理だな」
流れる雲に目を移しながら呟く。
彼は従獣士──陸生走獣の運転手として10年以上、一般人から魔導士まで様々な人間を乗せてきた。
依頼に向かった魔導士が死亡し、空の獣動車で帰ったことも幾度となくある。
そのたびに思うのだ。
「よくもまぁ、金のために命を張れるな」
魔導士たちの仕事や勇敢さは尊敬する。
必要な仕事であることも分かる。
しかし、自分は命を懸けてまで金を稼ぎたいとは思わない。
陸生走獣を操って安全圏で待つ。それで十分だ。
「うおっ!?」
煙草の火を消そうと地面に近づいた瞬間、重い振動が周囲に轟いた。
どうやら3人の魔導士による戦闘はかなり激化しているらしい。
このままではこちらまで被害が及びかねない。
「離れるか…行くぞ」
冷静に判断し、獣動車の運転席に座る。
手綱を握り陸生走獣を叩いた。
「……ん?」
おかしい。
陸生走獣が反応しない。
3年以上と共に仕事をしているが、こんなことは初めてだ。
「安全圏の自分は大丈夫、とでも?」
「ッ!?」
突然の声。
ビクリと震え周囲を見渡す。
「………はぁ?」
自分を睨む目。目。目。目。目。
獰猛な獣が、運転手の乗る獣動車を囲っている。
全て陸生走獣、魔獣だ。
「なっ…まずいッ!」
陸生走獣の群れは厄介だ。
魔導士ですら手を焼くと聞いたことがある。
今すぐ逃げなければならない。
自身の陸生走獣の背中を力いっぱい弾いた。
その瞬間、
ビァァアアアァァアッ!
「ぅわぁぁああッ!?」
嘶いた陸生走獣がキャビンを振り払い、運転手を車外へ放り出した。
荒野へ叩き出された運転手に、周囲の陸生走獣がにじり寄る。
それらの目は餌を見つめる獣のそれだ。
何が起きている? なぜ放り出された?
混乱する運転手。
そこに歩み寄る、人影。
「ッ!?」
見上げると、可憐な少女が立っていた。
短い黒髪にピンクのリボンを巻いた少女。
しかし、自分を助けようとしているのではないと一瞬で分かる。
その下卑た笑みは、明らかにこの状況を楽しんでいる。
「そんな甘い考えだから、死ぬんですのよ」
ハスキーな声の死刑宣告。
生暖かい空気を感じて、運転手は振り返った、
「ぁ……」
陸生走獣が、大口を開けている。
3年の時を共に過ごした人間も、魔獣には餌としか映っていなかった。
「ま、ま───ッ」
◇ ◆ ◇
「───い。おーい。起きろーアロン。えいっ」
「……ぴぎゃぁっ!?」
突然の電流に飛び起きるアロン。
痺れる身体が医師に反してビクビク痙攣する。
「お、起きた。危うく死ぬところだったよー?」
「え、死…ぁ…」
再生する記憶。
アロンが錬成した最高強度の壁は、魔獣の咆哮によって破壊された。
攻撃を防ぎきれなかったはずだ。
「私、炎で焼かれて…それで…」
「大丈夫よ。フレンが防いでくれた。今は別行動してるけどね」
赤髪の魔導士を思い出す。
道中で何度も迷惑をかけたのに、今度は守られてしまった。
きっと怒っているだろう。
罪悪感にアロンが項垂れる。
「落ち込まないで。今回ばかりは仕方ないわ」
「……ぇ?」
しかし、ライラは空を見上げたままそう答えた。
その視線の先を追う。
涙で滲む視界に、空を飛ぶ3つの影が映った。
「ふ、増えてる…っ!?」
先ほど攻撃してきたのは赤い空生翼獣1体だけのはずだ。
しかし、上空の魔獣の影は3体。
少し小柄な緑の空生翼獣が2体増えている。
「まさか群生魔獣の討伐依頼なんて…面倒なことになったわね」
「群生、魔獣…?」
聞き覚えのない言葉に、アロンが首をかしげる。
「あの空生翼獣たちみたいに群れで行動する魔獣よ。協力関係、従属関係にある魔獣は討伐難易度が跳ね上がるのよ。二級魔導士が受けられる依頼じゃまず出くわさないわね」
魔獣は個々で強力な力を持つため、群れることは少ない。
しかし稀に、連携攻撃を仕掛けてくる個体が存在する。
「ただでさえ強い魔獣が連携してくるんだから面倒よね。さっきの咆哮も、赤いのが放った炎を緑の2体が風魔術でブーストしたみたい。あんなの破られて当然よ」
アロンは違和感の正体に気づいた。
咆哮と鉄の壁が拮抗した瞬間、その炎の威力が跳ね上がった。
威力を見誤ったと反省していたが、そうとも言い切れないらしい。
「ま、種が分かれば大したこと無いわね。あとは…」
「どうやって攻撃を当てるか…ですか?」
アロンの質問にライラは笑みで答える。
紫の瞳に空生翼獣の群れが映る。
蛇のような体躯に巨大な翼。爬虫類のような凶悪な相貌。
威嚇するように低い唸り声をあげている。
「ま、私にとって距離はあってないようなものだから、大丈夫よ」
そんな魔獣たちを前にしても、ライラは余裕の笑みを崩さない。
これが一級魔導士。
二級魔導士であるアロンには無い、圧倒的な実力と実戦経験で培われた自信の表れだ。
「アロン、空生翼獣はもう一度、確実に咆哮を撃ってくる」
ライラの言葉にアロンが震える。
凄まじい威力の炎に襲われた記憶が蘇った。
「タイミングは言うから、次は完全詠唱で防御魔術を行使して頂戴」
「で、でも……」
「さっきは先制攻撃で詠唱が間に合わなかっただけでしょ? アンタの防御魔術なら連携した咆哮も防げる。一級魔導士の私が言うんだから、間違いないでしょ?」
元気づけるように微笑みかけるライラ。
その言葉に、アロンは不安げな顔のまま頷きかけて、
ギュラァァァアアアァァアアアッ!!
その瞬間、空生翼獣の雄叫びが山岳地帯にこだました。
魔獣は人間のやり取りを待たない。
開戦の火蓋は切って落とされた。
「じゃ、任せたよー」
呑気に笑いながら接近する赤い空生翼獣に向き直るライラ。
開かれた口元に形成される赤い魔法陣。
高威力の咆哮の前触れにアロンが身構える。
「…違う」
しかし、赤の空生翼獣に追随するように、風の球弾が飛来してきた。
緑の空生翼獣の咆哮だろう。
『一撃必殺の咆哮が来る』というブラフを張っていたのだ。
炎と風の同時連続攻撃。どれかを防いでもどれかが当たる。
魔獣にこれほどの知性があるとは。
「まだよ、アロン」
詠唱を開始しようとしたアロンを、ライラが手で制する。
魔術攻撃を前にしてもライラは動じない。
自身の前髪をかき上げるライラ。
紫の瞳が輝きを帯びた。
「武御雷剣舞」
詠唱。金色の魔法陣の展開。
刹那、無数の電流が出現。
炎と風の咆哮を残らず撃ち落とした。
ギュラァァアッ!?
接近していた空生翼獣が動揺したように叫ぶ。
確実に魔導士たちを葬る算段だったのだろう。
想定外の事態に急旋回しようと、速度を緩めた。
「金剛雷鳴衝」
その隙をライラは見逃さない。
再び光る紫の瞳と金色の魔法陣。
間髪入れず電流の砲弾が空生翼獣を襲う。
ギュリュァァァアアァアァァアッッ!?
悶える赤い魔獣。
未知の衝撃と激痛が突き抜ける。
詠唱から発動までの時間差1.3秒。予備動作もない。
魔獣の超反応すら許さない神速の魔術行使だ。
「これが…魔眼術士……」
衝撃による暴風に晒されながら、アロンは呟く。
尊敬と畏敬、僅かな恐怖の籠った眼差しで眼前の一級魔導士を見つめながら。
「ッ! チッ…!」
「きゃぁぁあッ!?」
飛来する風の咆哮。
緑の空生翼獣が放ったものだ。
狙いが甘く、被害は2人の足元を抉るに留まった。
しかし、ライラの魔術が強制終了し、赤い空生翼獣の救出を許してしまった。
「……来る」
一気に距離を取る3体の空生翼獣。
絡み合うように飛翔しながら魔力を溜めている。
山岳地帯に不気味な風が吹いた。
「アロン、始めて」
ライラの合図。
「……ッ」
しかし、アロンは身体の震えを止められず、その場に立ち尽くすのみだった。
防御魔術を展開して、また破られたら…。
そのせいでライラまで被害を受けたら…。
悪い未来ばかりが思い浮かび、なかなか詠唱を始められずにいた。
「アロン」
ライラの声に、アロンは恐る恐る顔をあげた。
「言ったでしょ。アンタなら大丈夫」
ライラが笑った。
その言葉にハッとする。
『マグナゲート』最高戦力、一級魔導士の彼女が信用してくれたのだ。
その期待に応えられずに、何が魔導士だ。
曲がりなりにも二級魔導士に昇格したのだ。
こんなところで震えている場合ではない。
「───錬成・鋼・青鉄の迷宮」
膝をつき、赤土に右手を突き、魔力を流す。
灰色の巨大な魔法陣が2人の足元に広がった。
「我、アロン=ティターナが命ず・その魔性は灰──」
ギュリュァァァアアアァァアアアッ!!
時を同じくして空生翼獣が絶叫。
口を開ける3体の魔獣の前方。
赤と緑と緑。3つの魔法陣が重なった。
その瞬間、凄まじい威力の爆炎が解き放たれた。
「…フレンの魔術と良い勝負ね」
ライラすら冷や汗を禁じ得ない熱量。
ここまでの攻撃に危機を感じ、最大出力で放ったのだろう。
熱風が長い金髪を揺らす。
「我より生じ・此処に聳え立てッ!」
震える口を必死に動かして詠唱を継続するアロン。
目の前の咆哮から目をそらさない。
「青鉄城塞宮ッ!」
最後の一節。
次の瞬間、赤い大地を押し上げて鉄の城砦が出現した。
巨大な防壁が太陽を隠し、アロンとライラを覆う。
完全詠唱によるアロンの防御魔術。
最大出力の咆哮。
要塞と豪炎が、衝突した。