第9話 因果
「おかしいと思わない? なんで〈禍風〉はアンタが魔力滞留を発症していることを知ってたの? 」
「それは…あの魔導士2人がチクったからでしょ?」
「でも、アンタとの諍いはその日の朝よ? たった10時間くらいの間に偶然出会って意気投合してアンタを襲う…なんて、ちょっと無理ない?」
言われてみれば…たしかにそうだ。
密告者の存在が2人しか思いつかなかったためそう決めつけていたが、いざ指摘されると違和感を感じる。
「さっきの話に戻るけど、その2人、買収されたってゲロったわよ」
予想外の事実にフレンが目を剥く。
フレンとヴェンダーの戦闘中、ライラは気絶させた2人に尋問を行った。
電流による拷問の結果、そう告発したのだ。
「あの日の少し前、ある男が取引を持ち掛けたみたい。金銭と引き換えにフレンの魔力滞留の時期を聞き出せ…ってね」
無名の二級魔導士など、フレンの眼中にはない。
しかも『マグナゲート』は149人もの魔導士が在籍している。
多少尾行されたり、行動を見張られても、気づきようがない。
「そのことを知っていた〈禍風〉が2人に接触してフレンの襲撃に同行させたのよ。まぁ買収されたとはいえ本当にアンタを刺したあたり、復讐心は本物だったと思うけど……」
そう言い切り、コーヒーカップに口をつけるライラ。
「つまり、2人ともヴェンダーに買収されてたんだ…。どうりで、まんまと引っかかったわだ」
「違う」
カチャリ
カップを皿に置く音。
すべてが繋がった。
そう思っていたフレンは、否定するライラの言葉に固まった。
「確かに2人は買収されてた。でも〈禍風〉にじゃない。さすがに名前までは聞き出せなかったけど…」
ライラは一瞬、口ごもるように机に目を落とした。
やがてフレンの赤い瞳を見て、告げた。
「曰く、『スーツを着た赤髪の男』に取引を持ち掛けられた、って」
ピクリと、フレンが震えた。
蘇る5年前の惨劇の記憶。
炎を背景に立つ、スーツに身を包んだ『あの男』。
「これ、D区で押収された〈禍風〉の日記。読んで」
そう言いながら、ライラは2枚の写真を机に出した。
そこには古びた手帳のページが映されている。
日付に見覚えがある。
フレンが『カラミティ・ゲイル』を壊滅させた日の前後だ。
震える手を抑えて写真を手に取る。
『交渉開始。今のところ不備はない。
担当者の名前はシリウスというらしい。
バーネリアス家の生き残りというのは本当なのだろうか』
「………は?」
『煉獄のフレンは必ず殺す。煉獄のフレンは必ず殺す
シリウスはフレンの魔力滞留時を襲うことを提案した。
部下と同じ本調子でない状態で嬲り殺すのも悪くない。
煉獄のフレンは必ず殺す。そのために必要なのは密告者か』
シリウス。
ガタンッ
「はっ……はっ……はぁ……」
その名前を見た瞬間、フレンは思わず立ち上がった。
青ざめた顔に汗を垂らし、荒く息を吐いている。
何事かと振り返る周囲の客など目に入らない。
燃え盛る記憶が強くフラッシュバックした。
抉り出されたトラウマ。
己の人生を徹底的に捻じ曲げた瞬間。
その張本人である『あの男』の名前。
シリウス=バーネリアス。
フレン=ゲヘナ=バーネリアスの実兄。
「気になって調べたらね、『カラミティ・ゲイル』の討伐依頼、彼がしていたみたい」
動揺に震える赤い瞳が、冷静に告げるライラに向けられた。
その言葉が意味する真実。
フレンに『カラミティ・ゲイル』を討伐させたのはシリウス。
だが、復讐に燃えるヴェンダーに協力したのもシリウス。
そして、魔導士2人を買収して密告させたのもシリウス。
それは、つまり。
「………あの夜の戦いは…全部…あの男に…仕掛けられてたの……?」
震える唇を必死に動かし、フレンは言葉を紡いだ。
視界が歪む。窓の外の喧噪が遠い。
フレンの目も耳も、目の前の現実を捉えていない。
赤々とした炎が、呪いの言葉が、視覚と聴覚を覆い、魂を削る。
記憶の底に消えた『あの男』が、自分を殺すためにヴェンダー達を操った。
忘れようと努めた
「…それだけじゃない」
震えるフレンに構わず、ライラはまた、数枚の書類を机に置いた。
依頼明細書。
討伐対象や理由、注意点、場所、そして依頼主など、ギルドへの依頼の詳細が書かれた書類だ。
チンチロ中、掲示板に貼られた依頼書が異常に多かったことを思い出した。
それらの依頼は全て、同じ日に出されている。
ヴェンダーと戦った日の翌日。
それらを机いっぱいに広げたライラは、ある箇所を指さした。
依頼主の欄。
「……ぇ」
『シリウス』
『シリウス』
『シリウス』
『シリウス』
『シリウス』
それらの依頼の主は、全て同一人物、シリウスだった。
「これだけじゃない。他の掲示板の依頼や貼りきれてない依頼もまだある。その依頼主も全員彼」
紫の瞳に映る自分は酷く怯えた顔をしていた。
そこに一級魔導士の面影はない。
燃え盛る邸宅で絶望を味わった、哀れな少女の顔。
「断言できる。彼はアンタを誘き出そうとしてる。5年越しに動き出した理由は分からない。でも間違いなく、彼はアンタを狙っている」
◇ ◆ ◇
その日は国立魔術大学の卒業式。
証書を受け取ったフレンは誰と会うこともなく、1人で帰宅した。
珍しく家には誰もいなかった。
書斎で仕事をしているはずの父も、私兵の稽古をつけているはずの祖父も、来客の対応をしているはずの祖母も、その他の親戚連中も。
この家で唯一、いつも自分の帰りを迎えてくれていた母親さえも、誰もいなかった。
異変を感じたのは20:00頃。
自室のベッドで久方ぶりの熟睡についていたフレンは、異音と異臭に目を覚ました。
何かが弾ける音。何かが焦げる匂い。
そして誰もいない邸宅。
異様のない不安を感じて飛び起きた。
ドンッ
ドアを叩く音。
いや、何かがドアぶつかった音と言うべきか。
恐る恐るドアノブに手をかけて捻り、扉を開く。
何かが扉の前にあるのか、上手く開けられない。
フレンは扉に半身を寄せ、体重をかけて押した。
ずずっと、何かが引きずられる音がする。
ドチャッ
「きゃ…っ!?」
粘着質な音と共に、扉が一気に軽くなった。
急にドアが開いたせいで、体重をかけていたフレンは部屋の外に放り出されてしまった。
ピチャリ
足元で嫌な音がした。
水溜まりを踏んだような音。しかしそれは粘性の液体だった。
恐る恐る目線を下げる。
血溜まり。
横たわる、血塗れの実父。