三番星 本当の冒険の始まり③
「イル王子。さっき力添えを求むとか言ってたけど、わたしに力を貸してってこと? 何か、困ってるの?」
ああ、とイル王子は頷いた。
「どうもな、アル……いや、ナノマシンに不具合が生じているらしい。地球に転送されたときの衝撃によるものかはわからぬが。よって現在、当星との交信が出来なんだ」
「……さっきケータイで話してたと思ったのは、そのナノマシンだったの?」
「さっきというのがいつを指しているのかはわからんが、まあ……そうだ。無事に地球に到着したら、当星の者と交信するはずであった」
「何のために?」
「星間転移の成功と、転送先の正確な座標についての報告であるな」
「セイカンテンイ?」
「当の星、アルズ=アルムはこの天の川銀河に存在するものではない。ここよりも遥か彼方の銀河にある星でな。例え光速であろうとも、一人の人間が生きている間にたどり着けはせぬ。なので当星の白光装置を使い、転移を──」
「ちょ、ちょっと、待って!」
ぺらぺら説明しだしたイル王子を、慌てて止める。
「どうした。やはり、翻訳機能にも問題があるのか?」
「そうじゃなくて……」
難しい言葉にめまいがした。
琥珀を見ると、よくわからない言葉に興味がないのか、いつの間にか寝そべっていた。
わたしだってわかんないけど、こっちは寝るわけにはいかない。
こほん、と一つ咳をして、イル王子に言う。
「だからその、子供にもわかるように……お願いします」
「うむ? わかるように言ったつもりだが……そうだな。育った星が違うのだから、当の常識は、汝の常識ではない、か。了承した。なるべく噛み砕いて説明するが、理解出来なんだら、すぐに申すと良い」
こくりと頷くと、イル王子は再び話し始めた。
「当の星はこの銀河系からとても遠いところにあり、宇宙船で地球に来るのは時間がかかりすぎる。なので白光装置を使い、ここに来た。地球風の言葉で言うと、ワープしてきた。それが成功したと、ナノマシンで報告するはずだったのだ」
「ワープ……え、その、白光装置っていう物で? すごい! そんなこと出来るの!?」
思わず丘の中央を振り返った。
そこはまだ、うっすらと光ってる。
あの中にワープ出来る、白光装置とやらがあるんだろうか。
「うむ。これは地球にはまだ存在しない技術であり、説明するわけにはいかんのだが」
「何で?」
「革新的な技術というものはな、それだけで争いの種となるのだ。例えば当の持ち込んだ技術を使えば、宇宙に進出も出来よう。だが、誰がそれを行う? 宇宙資源を得るため地球の大国は我こそは、と名乗りを挙げるだろう。そしてそれは、一つの国だけではあるまい。恐らく、国同士の争いとなる。当星の技術でそのようなことが起きるなど、当の望むことではない」
「争いって、……戦争になるってこと?」
それはイヤだ。例え日本で起きるんじゃないとしても、戦争なんて絶対イヤだ。
「……わかった。言わないでいい」
ぎゅっ、とわたしは両手を握りしめた。
絶対に、そんなことになって欲しくない。
「汝は良き者であるな。娘」
そう言うと、イル王子は嬉しそうに笑った。
その笑顔には、何故だか胸がどきりとしたけど……その呼び方は、何だか。
「あ、ありがとう。でもイル王子、あのね?」
「何だ」
「わたしのことは、汝とか娘とかじゃなくて。……月花って呼んで欲しい、な」
さっきから汝って呼ばれるたび、思っていたことを口にした。
だいたい、琥珀は名前で呼んでいるのに、わたしのことは月花って呼んでくれないのは……何ていうか、もやもやする。
きょとん、とした顔でわたしを見ると、イル王子は顎の下に手を当て、何やら考えるようなポーズをとった。ちょっとだけそうしたあと、口を開く。
「……名乗らせたのだから、応えるのが礼儀であろうな。だが当星において王族は、みだりに平民の名を口にしてはならんのだ」
「そう、なの? どうして?」
「簡単に言えば、下界のものに触れると汚れる、というのが一番の理由である。当星は宗教国家であるからしてな」
「宗教国家?」
「国として信仰すべき宗教があり、王は神託を告げる代行者なのだ。言わば王は神の子、神子……いや、巫女と呼んだほうが日本ではわかりやすいかの」
フジョ……巫女さんのことかな。でも、名前を呼んだだけで汚れるって。
「じゃあ、琥珀は? わたしはイル王子の名前を呼んでるけど、そっちは大丈夫なの?」
「何を今さら。名を呼ぶだけでなく、当に対する口調も同年代相手のものであろう」
「あ」
そういえば、いつのまにか敬語じゃなくなっていた。
「ご、ごめんなさい」
「良い。今さらだと申したろう。してさっきの問いだが。コハクはまあ、人ではないからの。例外で通用するであろう。汝が呼んでいるのも当の正式名でなく、略名だ。当をその名で呼ぶのは当星の民も同じであるからして、それも問題なかろう」
「略名?」
「読んで字のごとく、名を略したもののことだ。……日本ではあまりないのか? 他の国だとそうだな……マーガレットをメグとか、エリザベスをベスとか呼ぶのであろう?」
「あ。若草物語?」
「うむ。検索したら、それが引っかかった。汝も知っておるか」
「うん。何年か前に、ママが本を貸してくれてね。それで好きになったの。ママも子供のころから、好きだったって言ってたよ。ママは本好きだけじゃなく、ゲーマーでもあるんだけど」
「……母親が。そうか、なるほどの……」
そう呟くと、イル王子は何かに納得したように頷いた。
「それがどうかしたの?」
「いや、大したことではない。それより、他に問は?」
「えっと……あ。じゃあ、ホントの名前は秘密?」
「うむ。即位すれば、そこで民にも報じることになるがな。まあ、すれば、の話である」
そう言うと、イル王子の顔は少し曇った。
何だか変な反応だ。第一王子って言ってたし、即位するのが当然なんじゃ。
そう思っているとイル王子の表情は元に戻って、再び、他に質問は? と聞いてきた。
「あ、そうそう。名前を呼べないんなら、他の人のことはみんな汝って呼ぶの?」
それじゃ、区別がつかないんじゃ。わたしの問いに、イル王子は首を振る。
「いや。呼べぬのは、あくまで平民の名だ。当の周りにおるのは聖職者や貴人、役付きや官吏などで、平民は一人たりとおらぬ。故に出身星が違うとはいえ、こうして平民と言葉を交わすのは久方振りであるな」
……平民。その通りなんだけど、連呼されると、ちょっと文句を言いたい気もしてきた。
だけど、イル王子に悪気はないんだよね。
さっきからの会話で、そんな人じゃないのはよくわかったし。
「わからぬところがあったか? 複雑そうな顔をしているが」」
イル王子が、わたしの顔を覗き込んできた。思わず後退ってしまう。
悪い人じゃないけど、この王子様は距離が近いような。
どきどきする胸の音が聞こえないように、わたしは大きな声を出した。
「あ、うん! えと……そうだ! キジンとかカンリって何?」
「そうであるな……貴人は高い身分の者、官吏は役人のような者と言えばわかるか?」
「うん、それなら」
「ふむ。そのように言い換えれば良いのか」
一人、頷くイル王子。思わずわたしも呟いた。
「……でも、キジンって変な人って意味の奇人じゃないんだ」
さっきイル王子は自分の呼び方を、貴人の一人称とか言ってたけど。
「誰が変な人であるか」
わたしの言葉に、イル王子がすかさずつっこんだ。
「ご、ごめんなさい! イル王子が変な人って言いたいんじゃなくて!」
「……はは」
イル王子が急に笑い出した。思わず、琥珀と顔を見合わせる。
そんな、面白いことを言ったつもりはないけど。
寝そべっていた琥珀も、ハテナ? という顔をしている。
とりあえず二人でイル王子を見つめながら、落ち着くのを待つ。
……それにしてもこの王子様は、ころころ表情が変わるなぁ。
「はは……、いや、すまぬ。おかしいと言うかな。気が抜けたのだ」
「気が?」
ますます、よくわからない。
「当はな、この地球にたった一人で来訪した。実のところ供もなく、一人旅など初めてでな。まして未知の星。地球に対する知識だけはあるが、地球人とは会ったこともなく、どのような性質の者であろうかと、少しばかり心配しておった。だが」
イル王子は笑うのをやめて、真剣な目でわたしを見た。
「汝と話をしたことで、その心配がなくなった。初めて会った地球人が、汝のような良き者であったことに気が抜けたのだ。……要するに、安心した」
……そんな風に言われること、何もしてない。
それに、助けてもらったのはこっちなのに。