明けの明星、あるいは……②
「イル!!」
わたしは飛びつくように、イルの左腕に取りついた!
ちょっと驚いたような、イルの顔。
そして、そのイルの左手首には、わたしがあげたブレスレットが付いていた。
「本当に……! 本当に、イルなんだね!? でも、どうして──」
「……何から話せばよいかの。だがその前にツキハ、手を離してくれるか? その、……動きにくいのでな」
イルの言葉に、名残り惜しく思いながらも手を放す。
……と思ったら、今度は琥珀がイルに飛びつき、顔をぺろぺろ舐め始めた。
「ちょっ……くすぐったいぞ、コハク。さっきも散々、舐め回したであろうに」
困ったように、でも嬉しそうに言いながら、イルは琥珀の頭を撫でる。
「さっき?」
「何だ。ミズ・トウコに聞いたから、ここに来たのではなかったのか? もうすぐ桜が満開になるから、見に行ったらどうだと勧められたのだが。あとでツキハにもここに足を運ぶよう、伝えておくと言われて、な」
家に帰ったときの、ママの嬉しそうな顔を思い出す。
それにイルが琥珀に言った、さっきも、という言葉。
それって……つまり。
引っ越してきた、お隣さんっていうのは。
「ひょっとして……イルなの? 伊藤さんちに引っ越してきたっていうのは」
「そういうことだ。しかし黙っているとは、ミズ・トウコもお人が悪い。……当がどれほど、──との再会を待ち望んでおったか、御存じであろうに」
琥珀を撫でながら、イルが何かを呟いたけど……小声で、聞こえないとこがあった。
……何て言ったんだろ?
「い、いや、違う! 変な意味ではなく、その、当は……」
聞き返す間もなく、イルは赤くなって、何やら否定している。
何の話かわからず、イルに聞こうとした瞬間。
「あー、もう。聞いてらんないですねぇ、全く。本当に王子は口下手というか、何と言うか」
木の裏側から、人の声が聞こえてきた。
……女の子の声? 桜の木の、裏を覗き込む。
するとそこには、木に寄りかかった、一人の女の子がいた。
初めて見る子だ。目が合う。
「……どうも~!」
ひらひらと手を振りながら、女の子は木の裏から、姿を現した。
桜よりちょっと濃い目の、ピンクの髪をツインテールに結んでる。
服装といえば、紺のワンピースの上から白いエプロンを付け、頭には白いカチューシャを装着した、メイド服姿の、可愛い顔立ちの女の子だ。
……見た感じ、わたしより少し年下くらい?
その子はわたしに目を合わせると、背筋を伸ばして両手でスカートをつまみ上げ、
「初めまして。散々王子や姫様、兄より話は伺っておりましたが……お目に掛かれまして光栄です。ツキハ様」
右足の膝は軽く曲げ、左足は後ろに引く、といったポーズで頭を下げてきた。
「あ……初めまして。その、あなたは……」
「失礼しました。自分はノセ・ピスティスと申します。以後、お見知り置きを」
ピスティス、って……レイトさんと同じ苗字だ。じゃあ。
「あなたがノセさん? レイトさんの妹で、イルたちと乳姉弟だっていう……」
前に聞いたことを思い出す。
あれ、でも乳姉弟ってことは、イルより年下じゃないのかな?
どうみてもわたしより年下にしか見えないノセさんを、つい、まじまじ見てしまった。
するとイルはわたしの考えを察したのか、耳元で囁いてくる。
「ツキハ。これでもノセは当らより年上で、十三歳だ。こう見えて武闘派なので、あまり余計なことは言わぬほうがいいぞ。怒らせると厄介だからな」
「はあ? 厄介ってなんですかぁ? いくら王子とはいえ、女の子に対して失礼な言い方だと思いますけどー?」
ノセさんがイルの頬を引っぱる。
その迫力に、琥珀はわたしの後ろに隠れてしまった。
「大体ですねぇ、王子。さっきから聞いてれば何ですかぁ!? 三ヶ月半振りで、ようやく再会した女の子に対し、もうちょっと気の利いたことが言えないんですかねぇ。このお口は~?」
ますます強く、イルの頬をつねるノセさん。
さすがに見てられず、間に割って入る。
「ま、まあまあ。ノセさん。イルもその、何から話せばいいか迷っていたみたいだし。だからその、……あんまりイルを、いじめないで下さい」
そう言ったわたしの顔を、ノセさんはじっと見つめてきて……それから、イルの頬から手を放す。
そうかと思ったら、今度は急に、わたしに抱きついてきた。
「ああもう、ツキハ様はお優しいですねぇ。王子や姫様がぞっこんなわけです。ほっぺも王子よりすべすべで、いい匂いがするし~」
すりすりと、頬ずりをしてくるノセさん。
それを見てイルが、こほん、と咳払いをした。
「ノセ。いくら女子同士とはいえ、いきなりそれは、スキンシップが激しいにもほどがあると思うぞ。ツキハも困っているであろうが」
「えー? そんなことないですよねぇ、ツキハ様。それとも何ですかぁ? 王子は御自分も、ツキハ様に頬ずりしたいんじゃないんですか~?」
「ち、違うわ! 男子たるもの、女子の頬になどそうそう気安く触れて良いわけなかろうが! それに──」
まだ何か言いかけてるイルを、ノセさんははいはい、と軽く流した。
何ていうか……レイトさんもそうだけど、ノセさんもイルのお姉さんみたいだな。
イルへの口の聞き方も、ちょっとレイトさんに似ているし。
まあノセさんのほうが、イルへの態度はちょっと……あれだけど。
そんなことを考えていると、ノセさんはやっと、わたしを放してくれた。
後ろでは琥珀が、きゅうん、と小さな声を上げる。
ノセさんの勢いに、だいぶ押されてたみたいだ。
確かに、わたしも驚いたけど……悪い人じゃないと思うし、仲良くしたい。
「えっと。ちょっとびっくりはしたけど、ノセさんの言う通り、わたし困ってはいないです。それとわたしのこと、様付けじゃなくていいですよ? 大体、わたしのほうが年下なんだし」
そういうとノセさんは、ぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、ツキハちゃん、でいいですか!? ノセも同年代の友だちがあまりいないし、仲良くしたいです! ノセのこともさん付けじゃなくていいし、敬語もいらないんで!!」
「わかりまし……じゃなくて。その、わかった。それとわたしのほうも、敬語はいらないよ? ノセちゃん」
「うん、ツキハちゃん! これから宜しくね!!」
そう言ってノセちゃんが、また抱きついてきた。
ちょっと苦しいけど、新しい友達が出来たことはそれ以上に嬉しい。
そんなわたしたちを、イルが複雑そうな顔で見てることに気づいた。
「どうかしたの? イル」
「……いや、別に」
何だろう。イルはそっぽを向くと、琥珀の前に座って、その頭を撫で始めた。
どうしたんたろう、と思ってると、今度はノセちゃんがわたしに耳打ちしてくる。
「ツキハちゃんが気にすることはないと思うよぉ? あれはノセにツキハちゃんを取られたと思って、拗ねてるだけだろうし~!」
耳打ちのわりに、大きな声でノセちゃんが言うと、
「拗ねとらんわ!」
イルはすかさず、つっこみを入れた。
拗ねてるかどうかはともかく、イルが不機嫌なのは確かみたいだ。
この王子様は意地っ張りだけど、結構わかりやすい性格をしているし。
そう考えて、王子様、という言葉が自分でも引っかかった。
王政をやめると女王様が言いだして、三ヶ月半。
イルはまだ、王子様なんだろうか。
ノセちゃんはそう呼んでるけど……イルの服装を見ると、何だか普通の子みたいだし。
それに、地球に引っ越してきたって……どういうことだろう。
「ねえ、イル。アルズ=アルムはどうなったの? それに引っ越したって、イルとノセちゃんの二人で?」
「ち、違うわ! 成人前の男女が二人きりで住まうなど、あるわけなかろう!?」
何だか慌てた様子で、イルが立ち上がる。
「まあ、そっか。それにイルの付き人は、レイトさんだしね。というか、まだ王子様なの?」




