明けの明星、あるいは……①
「月花、忘れ物はない? ちゃんと六年生の教科書は持った?」
ママが心配そうに聞いてきた。
家にいるときのママは心配症だ。
普段はパパに任せてれば安心、とか言ってるけど、そのパパが不在なので自分がしっかりしないと、と思ってるらしい。
仕事場のママはきりっとしてるけど、家ではどっか抜けている。
ついでに言うと、ママは家事全般が苦手だったりもする。
パパが家事全般が得意なので、つい、甘えてしまうとのことだ。
それでも何とか頑張ってくれているので、わたしもなるべく、家事を手伝うようにし始めた。
お仕事中のママも悪くないけど、家でのちょっと抜けてるママも、わたしは大好きだから。
そしてパパは撮影のため、海外に渡ったばかりだ。
二人は話し合って、わたしを一人にすることのないよう、お仕事のスケジュールを見直すことにしたらしい。
とは言っても、二人とも自然が相手の仕事なので、どうしようもないときはある。
ママのお仕事についていくことは出来ないけど、パパの撮影には、学校を休ませてでも連れて行く、とのことだ。
なのでわたしも、二人に嘘はつかないようにしようと反省した。
少なくとも、バレたら二人が悲しむような嘘は、もうつかない。
今は、ママのお仕事の期間契約が終了したので、入れ替わりでパパは、色々な国に撮影に行ってくるらしい。|
寂しくないと言えばウソになる。
けれども毎日電話はしているし、寂しいときは素直にそう言うことにしたので、遠くにいても、前よりずっと近くに感じる気がする。
「もう、ママってば。今日は始業式だから、授業はないんだよ」
ママの言葉に苦笑しながら、わたしはランドセルを背負った。
「じゃ、行ってきまーす」
お見送りに来てくれたママと琥珀に手を振って、家を飛び出そうとするその前。
下駄箱脇の傘立てが目に入った。中にはパパとママの傘。
そしておじいちゃんちから帰る前、研究所が開いてる日にお土産コーナーで買って貰った、冬の大三角などがプリントされた、わたし用の傘がある。
そしてイルが隠してしまったという、二つに折れた、わたしたちの思い出の傘も。
──いい天気。
通学路を歩いていると、どこからか桜の花びらが風に吹かれ、目の前を舞って、どこかへ流れていった。
そしてお隣の前を通ったとき、玄関の扉が開いているのに気づいた。
また、内覧希望の人かな。
お隣が空き家になってから、何人かお家を見に来る人たちがいた。内覧っていうらしい。
けれどまだ、新しい住人さんは決まっていない。
早く決まるといいのにな、と思いながら、元伊藤さんちの前を通り過ぎる。
優しい人たちだといいけど、同じ年くらいの子がいれば、もっといいな。
そうしたら、友達になって下さいって。そう言うんだ。
恥ずかしがって、相手から言ってくれるのを待つなんてもったいない。
時間は有限で、どんなに仲良くなっても、いつお別れになるかわからないんだから。
「……そうだよね。イル」
足を止め、雲一つない青空を仰ぎながら呟いた。
そしてまた、通学路を歩き出す。
イルは元気かな、と思いながら。
あの別れの日以来、しょっ中イルたちのことばかり考えてしまう。
わたしは外から見えないよう、服の中に隠したネックレスの先端を握りしめた。
それに通してるのは、イルから貰ったエィラのついた指輪だ。
イルたちとお別れしてから約三ヶ月半。
その間にエィラの傷は直り、ヒビはなくなった。
けれど、エィラが光ることもなかった。
また流星群の夜が来て、その中にヴァリマが含まれていたら光るんだろうか。
そしたらまた、金色の王子様もやって来て──。
そこまで考え、ぶんぶんと頭を振った。
イルやカァや女王様、そしてレイトさんたちも、色々頑張ってるハズだ。
わたしも今日から六年生。小学校、最後の年だ。
……わたしも頑張らなきゃ。
何の取り柄もないわたしだけど、いつかまたイルとエンカウント出来たら……そのときは、胸を張って話せるように。
「──よし! 頑張ろう!」
わたしは学校を目指し、走り出した。
「ただいま! ねえママ、見た? 伊藤さんちの前にトラックが停まってて、家具とか、荷物を運び込んでたよ!」
帰る早々、ママに切り出した。
新しい担任の先生とか、同じクラスになった友達のこととか……他にも色々話すことはあるけど。
ついつい、今見たばかりの光景の方を口にしてしまう。
「ええ、ついさっきご挨拶に来たわ。私と琥珀しかいないのを知って、またあとで伺いますって!」
何だろう。ママはすごく、嬉しそうだ。
お出迎えにきてくれた琥珀も嬉しそうに、わん! と大きく鳴いた。
「どんな人? 琥珀とママがそんな喜んでるんなら、いい人なんだろうけど」
「そうねぇ」
ママはちょっと考える素振りをしてから、続けた。
「何でもお子さんたちは、宙見の丘に行ったそうよ。琥珀の散歩がてら、行ってみたら?」
「お子さん? いくつくらい?」
願っていたことが実現するかも、と思いながら、ママに聞いてみる。
「それはエンカウントするまでの、お楽しみ! ほら。行った、行った!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだスカート姿なんだし、散歩用の服に変えてから行くってば。……それに行ったとしても、どの子かわからないよ?」
昨日、ママと琥珀とで宙見の丘に散歩に行ったとき、丘の上にある、一本だけの桜の木は、もうすぐ満開だった。
お花見目的の人もちらほらいたし……今日も何人かいたとしたら、誰がお隣さんかなんて、わからない。
「それは、琥珀が知ってるから大丈夫。とにかく、着替えたらいってらっしゃい。ママは進級祝いとお隣さんの引っ越し祝いも兼ねて、美味しいものを作って待ってるから」
「……手伝わなくて、大丈夫?」
「へ、平気よ! 美味しいものって言っても、その、……カレーだし」
カレーなら、ママでも失敗しないで作れる料理だ。それなら、安心かな。
「わかった。じゃあ着替えたら、行ってくるね」
「ええ。くれぐれも宜しくね。月花」
「何だか桜のにおいがするね。琥珀」
丘の頂上へと続く遊歩道を登りながら、琥珀に話しかける。
けれど話しかけられた琥珀は、リードを口にくわえ、くいっと引っぱってきた。
早く行こう、とでもいうかのように。
琥珀がこんなに急かすなんて珍しい。
そのお隣さんのことを、よっぽど気に入ったのかな。
「わかったよ。じゃあ琥珀、頂上まで競争だよ? よーい……」
どん! と言うと同時に、駆け出すわたしたち。
もちろん甲斐犬の琥珀に勝てるわけなく、ほとんどわたしが引きずられるような形になるんだけど。
だからって、手を抜いたりしない。
最近は苦手な運動も克服しようと、散歩のときも走ったりして、頑張ってるんだから。
「……つ……い、た……!」
息が上がっているわたしとは違い、琥珀は嬉しそうにわん! と鳴いた。
またまだ走れる、といった感じ。もちろん今日も、琥珀の勝ちだ。
けどちょっとずつ、琥珀に距離を離されずに走れるようになってきた。
わたしは何の取り柄もないし、イルみたいに優しくて強い子になりたいって思いはあるけど、なりたいものは、まだ見つかってない。
だけど、そんなわたしでも頑張ることは出来るんだ。
そう思うとちょっとだけ、自分が誇らしい気がした。
「ところで、お隣さんは?」
ぐるっと広場を見渡すけど……誰もいない。
入れ違いで、帰っちゃったのかな。
「しょうがないか。まだあとで、会えるもんね。……そうだ、琥珀。桜の様子を見に行こっか」
琥珀のリードを引き、桜の木がある場所まで移動する。
──すると。
「……わあ……!」
桜は満開だった。
すう、と大きく息を吸い込む。
うん。桜のにおいはここからだったんだ。
──イルにも、見てもらいたかったな。
つい、そう思ったとき。
木の上側の、大振りな枝が動いた。
違う。枝じゃない。……人だ。
こちらに背中を向け、枝の上に座ったまま、桜の花を見上げている。
何やら模様の入ったスタジャンに、ジーンズ姿。
スタジャンの中にはパーカーか何かを着ていて、しかもそのフードを被っているので、顔は見えない。
琥珀はきゅんきゅんと、その人に向かって嬉しそうに鳴いていた。しっぽもぶんぶん。
……この人がお隣さんなのかな。
でも、琥珀が今日会ったばかりの人にこんなに懐くなんて珍しい。
イル以来だ。
琥珀の声に、その人が振り返る。顔が見えた。
──そのとき。
「わっ……!」
突然、風が巻き起こった。
桜が風に舞い、わたしを……わたしたちを、包み込む。
……一瞬の、桜吹雪がおさまったあと。枝に座っていた人が──、
「……これが桜吹雪というものか。なるほど……本当に、──美しいな」
上から降ってきた。
フードが外れ、顔が見える。青い瞳。金の髪。
──王子様が、降ってきた。
「……イ……ル……?」
「うむ。当である。久しいな」
ツキハ、とわたしの名前を呼んで、イルは優しく笑った。




