十三番星 さようなら、遠い星から来た王子様⑤
ツキハ様、と呼ばれ、そちらに顔を向ける。
するとレイトさんが、わたしに向かって片膝をついていた。
いつの間にか、お土産の紙袋とヴァリマの入ったバッグも、イルに預けている。
それは従者さんとしてどうなんだろう、とは考えたけど、すぐにそんな場合じゃない、と思い直し、慌ててレイトさんの体を引っぱる。
「レ、レイトさん! 膝なんかつかないで下さい! そういうのはイルとか、偉い人に対してやるポーズなんじゃないですか!?」
引っぱっても、レイトさんはびくともしない。
大人の男の人なんだから、当然だろうけど。
困っていると、逆に腕を引っぱられた。
わたしの耳元近くに、レイトさんの唇がくる。
「レ、レイト! ツキハに何を!」
何故か、慌てたような声を上げるイルに対し、
「お静かに、殿下。今はツキハ様に、大切な話がございますので」
きっぱりと言って、レイトさんはイルを黙らせた。
……何となくイルから、怒ってるような空気は感じるけど。
とにかくレイトさんはわたしの腕を掴んだまま、他には聞こえないくらいの声で、囁いた。
「レディに失礼な真似をして、申し訳ありません。ですがツキハ様、老婆心ながら御忠告を。殿下に言いたいことがあるのなら、全て吐き出すことをお勧め致します。ツキハ様がわがままを申されましても、本当のあなたを知っている方なら、誰も嫌いになったりなど致しません。現に、昨日もそうだったでしょう?」
レイトさんは一瞬イルの方を見て、さらに続ける。
「それがイルヴァイタス王子殿下なら、尚さら。殿下は意地っ張りが過ぎるとか、困ったところもある御方ですが……本当に、お優しい方なのです。だからこそ自分は、身命を投げ打ってでも、生涯、殿下にお仕え致すと心に決めております。それに」
少し笑うような声で、レイトさんが言う。
「ツキハ様。それはあなたが、一番おわかりなのでは?」
「……レイトさん」
レイトさんの言葉で何か吹っ切れた気がした。
そうだ。これが最後だ。
だったら、わたしの一番のわがままをイルにぶつけてみよう。
レイトさんは、イルがわたしのことを嫌いになったりしないって言ったけど、……嫌われてもいい。
ううん。ホントは、そんなのイヤだけど……このままお別れになっちゃうほうが、もっとイヤだ!
拳をぎゅっと握って決意を固めると、わたしが決心したのを感じ取ったのか、レイトさんは腕を離してくれた。
「──はい! ありがとうございます、レイトさん!!」
「自分は何もしておりませんよ。ですが何かを決意されたのなら、それは元からあなたの中にあった強さです。御武運を。勇敢なレディ」
そう言うと、次にレイトさんはわたしの手を取り、その甲に口づけた。
「なっ!? ななな……っ! レイト、ツキハに何を──!」
わたしは立ち上がった。
それから、真っ赤な顔でどうやら怒っている? らしいイルの目の前に行って、向き合う。
──そして。
「そ、その、ツキハ……」
「イル!」
何やら言いかけたイルの言葉を遮り、わたしは左手のブレスレット──エィラの付いたそれを、イルの右手に握らせた。
「受け取って。イル。これは元々、女王様……イルのお母さんが持ってたものなんでしょ?」
「そう、だが。しかしこれは母上からミズ・トウコ、そしてツキハへ託されたものであろう」
「いいの」
わたしはかぶりを振って、答える。
「これを調べれば、何で精製してないエィラがあれだけの力を持っていたのかとか……色々とわかるんじゃないの? エィラがこの地球にあったことで、自然と力を持つっていうのなら、それを調べに、アルズ=アルムの人がまた来るのかも知れないでしょ。そうしたら……いつか地球人と、アルズ=アルムの人が手を取り合うようになるかも知れない。こうして」
わたしは改めて、イルの右手をエィラごと、両手で握りしめた。
「ほら。わたしたちみたいに」
「……ツキハ」
イルも左手で持っていた紙袋とバッグを地面の上に置き、自由になった手を、わたしの両手の上に重ねる。
「そうであるな。だが貰いっぱなしというのは、当のプライドが許さん」
そう呟いて、イルはわたしから手を放す。
それからイルは左手薬指、そこにはめている指輪──エィラのついたそれを、わたしの手に握らせた。
「交換だ、ツキハ。当のエィラはまだ完全に修復されておらんし、力も戻りきってはおらぬが……この地球の地でなら、アルズ=アルムにあるより早く直るかも知れぬ。約束しよう。当は汝からのエィラを大切にし、傷つけるような真似はせぬと。これをツキハだと思って、な」
「……イル……」
その言葉にわたしも大きく頷き、イルからもらった指輪を握りしめた。
「わたしも大切にする! イルだって思って、ずっと、ずっと!! だから──」
そのとき、白光装置が一際強く輝いた。
と同時に辺りが暗くなり、耳鳴りがする。
あの日……イルとエンカウントしたときと同じだ。
イルがレイトさんを呼ぶ。
レイトさんは紙袋とバッグを拾い上げ、イルのすぐ隣に立った。
ワープが作動するんだ。……帰っちゃうんだ。
──ううん、まだ! わたしは指輪を左手の中指にはめ、イルの服に取りついた。
「待って! まだ、一番言いたいことを言っていない!」
「……言いたいこと?」
イルが首を傾げる。
多分、わたしがこれから言うことは、イルは予想もしていない。
わたしだって、こんな自分勝手な人間だって知られたくない。
でも言わなきゃ、一生後悔する。
「……ないで」
「え?」
「行かないで! 帰らないでよ、イル!! わたしイヤだよ! イルが帰っちゃうなんて!!」
イルが驚いたように、大きく目を見開く。
想像通りだ。わたしがこんな勝手な子だなんて、イルは予想もしてなかったに違いない。
イルはただ、わたしを見ている。
そしてわたしは……いつの間にか、自分が泣いてるのに気づいた。
でも、もう止まらない。
一番言いたくて、……でもガマンしていたことを口にしたせいで、水道の蛇口が壊れたように、あとからあとから、本心が溢れ出てくる。
「だって、エンカウントとして、まだたったの十二日なんだよ!? まだまだ話したりないし、もっと、地球のことも知ってもらいたい! それに、それに──!!」
答えを貰うのを諦めていた、イルと出会った日に言った言葉を、もう一度口にする。
「イル! あなたと友達になりたい! その気持ちはエンカウントした夜のまま──ううん、もっと! もっともっと、強くなってるんだから!!」
「……ツキハ」
イルの服を握りしめていた手を、優しく剥がされる感覚があった。
レイトさんだ。
目が合うと、レイトさんは申し訳なさそうな顔をした。
「ツキハ様。これ以上触れていると、あなたまで星間転移に巻き込まれてしまいますので」
イルとレイトさんの姿が、薄くなってゆく。消えていく。
まばゆい……白い光に包まれて。
「イル──!!」
「ツキハ!! 当は、汝と──……!」
イルの言葉は途中で切れ──やがてその姿も、……光も全て。消えてしまった。
「月花」
パパとママが、わたしを呼んだ。涙を拭いながら、振り返る。
「……えへへ。大丈夫。わたし、大丈夫だよ」
うん。言いたいことは全部言った。
ホントならイルに、答えを聞かせてもらいたかったけど……困らせたバツかな。
ごめんね、と心の中でイルに謝る。
笑顔で見送ってあげられなくて。
手にしてるリードの先にいた琥珀が、急にわたしに飛びついて来た。
そしてぺろぺろと顔をなめられる。
お陰で、また出そうになっていた涙が引っこんでいった。
「琥珀。……ありがと」
そっと琥珀の頭を撫でると、少しだけ笑うことが出来た。
パパとママが近づいてくる。パパがわたしから琥珀のリードを引き取った。
右手でリードを持つと、左手をわたしのほうに伸ばしてくる。
わたしはその手を取る。
そしてママも、右手を伸ばしてくれる。
空いてる左手で、わたしもママの手も握り返した。
「帰ろう。パパ。ママ。琥珀」
両手にぬくもりを感じながら、来た道を戻っていく。
誰も、何も口にしなかった。
だけどふと、パパが足を止めた。ママが、空を見上げる。
もちろんわたしも、そうする。
遠い遠い、あの空の向こう。
アルズ=アルムという名の……見上げても、どこにあるかすらわからない、彼方の星。
そして、そこからやってきた、金色の王子様。
「──さようなら、イル。遠い星から来た……王子様」
そう呟いて……わたしたちはゆっくりと、丘を降っていった。




