十番星 再会前夜④
「え? あ、うん。わかった。じゃあ……居間で待ってるね」
客間を出て、後ろ手にふすまを閉めながら、考える。カレーなんだし、白い服を汚しちゃうと大変だと思うけど、イルとしては、ちゃんとしたカッコをしないと気が済まないんだろう。
イルの性格からして、そう言うのは当然だと思う。
でも……ただ。
イルに差し出した、右の手を逆の手で握りしめる。
ただ……この手を取ってもらえなかったのが、少しだけ残念だった。
やがて元の服に着替えたイルが出て来て、みんな揃った。そして夕ご飯が始まる。
ちょっと心配だったけど、カレーを食べられるほどにはイルも回復してたらしい。
しかも気に入ったらしく、おかわりまでしていた。とりあえず安心する。
そしてイルは、パパはもちろん、おじいちゃんやおばあちゃんとも親し気に会話をしていた。
つくづく、どこに行っても好かれる王子様なんだなあ、と思う。
それは嬉しいことだけど……ちょっと寂しい。
ほんのちょっとだけ、なんだけどね。
食べ終わり、食器を流しに持っていくと、おばあちゃんが琥珀のご飯を用意してくれてた。
なのでわたしが持っていくよ、とおばあちゃんに言って、琥珀のご飯を受け取った。
廊下から縁側へ、そして濡れ縁から外に出る。
そこにあったスリッパを履き、琥珀の前まで行くと琥珀もお腹が空いてたらしい。
わん! と、大きな声で歓迎された。
ご飯をあげてから濡れ縁に座り、食べている様子をぼんやりと眺める。
そうしていると、背後に気配を感じた。
振り向かなくてもわかる。イルだ。
何となく言葉が出ず、黙って座っていると、イルがわたしの右隣にあぐらをかく格好で座った。
「……コハクの食事か。そういえば、何故コハクは外なのだ? ツキハの家では、宅内に居たであろう?」
「実はね、おばあちゃんが犬アレルギーなんだ。あ、琥珀のことはかわいいって言ってくれてるんだけどね。泊まりに来たとき用に、犬小屋も用意してくれたし」
「アレルギー……ああ、レルヒアのことか。くしゃみや、痒みが出たりするものであろう?」
「あ、うん。アルズ=アルムでの言葉があるってことは、そっちでもそういうのがあるんだ」
「うむ。前にも言ったと思うが、我が星の人間と、地球人に身体的な相違はほぼないからの。何しろ、子も生せるくらいであるのだしな」
「え!? そうなの!?」
思わず大声を出してしまったわたしに、イルははっきりと頷いた。
驚いた。地球人とアルズ=アルム人との恋は、乗り越えなきゃいけないことが多いって言ってたから、てっきり、子供なんかも作れないのかと。
でも……それなら。
「ねえ、イル。他の星の人同士の、その……恋とか。確かに、わたしなんかには想像出来ないくらい大変なことなのかも知れないけど。でも、子供が出来たっていうことは、そういう例があるんだよね?」
「う、うむ。当は会ったことはないが、そういう者はおるらしい。しかも一組でなくの。大概は地球の調査に行ったときに出会い、恋に落ち、そのまま相手をアルズ=アルムに連れてきた例が多いと聞いておる」
「そう……なんだ。結婚も出産も、普通に出来るんだ……」
「そうだがな、ツキハ。それまでが大変なのだぞ。何しろ地球人はアルズ=アルムの民どころか、他星の知的生命体の存在すら、認識しておらなんだからの。であるからして、当星は結ばれた男女は歓迎するが、地球での痕跡は一切消してから、アルズ=アルムに連れて来なければならんことになっておる。その手続きもまた、大変だと聞き及んでおる」
そこまで一気に言い切ると、イルはふぅ、と一度息をついた。
けど何だか、すっきりした顔をしている。
話せないことは色々あるみたいだけど、話せることを口にしたら、胸のつかえみたいなものが取れたのかも知れない。
それなら良かった、とは思うけど……わたしには、別の疑問が湧いてきた。
教えられないならそう言ってくれるだろうし、聞いてみよう。
「痕跡って……そこにいた証、とかだよね? どうやって消すの?」
「……そうであるな。まあ簡単に言えば、死の偽装工作だ」
「し……し、って……あの死だよね!? それをごまかすの!?」
「あのというのがどれかはわからんが、多分その死だ。生きているという体だと、親兄弟などから失踪届など出され、厄介であるからの。死んだことにするのが一番手っ取り早い。本人に似せた遺体の調達や死亡確認などは、アルズ=アルムの者が責任を持って行う。実際、今までに露見……いや、バレたことはないと聞く。科学力は地球より、当星の方が進んでおるしの」
「似せた遺体……じゃあその人のお父さんやお母さん、友達とかにも死んだって嘘つくの!?」
「うむ。だから言ったであろう。乗り越えなければならぬものが多すぎると。例えばツキハ、汝なら出来るか? 父母君、御祖父母様に自分は死んだと嘘をつき、夫以外は誰一人、知人のおらぬ未知の星に行くことが。しかも夫が先に亡くなったとして、汝は地球では死亡したことになっておる。よって地球の地は、二度と踏むことが出来ぬのだ」
「……それは……」
考えてみるけど……わからない。
パパやママ、おじいちゃん、おばあちゃん。それに琥珀にも嘘をついて、悲しませて……それでも、好きな人と一緒にいたいんだろうか。
少なくとも、今のわたしには出来ない。
それとも、恋をしたらわかるんだろうか?
恋心っていうものは、そこまで強いものなんだろうか?
「……すまぬ。困惑させたな。ツキハにはそんな話はまだ早いし、第一、またアルズ=アルムの者に会うことなど、天文学的確率だろうよ。当が帰れば、恐らくアルズ=アルムの者に会うことなど、二度とあるまい」
帰れば、というイルの言葉が体の中に入ってきて、心をずん、と重くさせる。
そうだ。明日ママとイルが会って、話をして……そして迎えの人が来たら、イルはアルズ=アルムに帰ってしまう。
そうなったら、もう。
ちらり、と横に座っているイルの顔を見る。
イルは優しくて照れ屋な、王子様。
だけど地球のじゃなくて……違う星の、王子様。
帰ったら……もう、二度と、会えない……?
言いたいことはある。
けど、それだけは言えない。
──……らないで。……なんて。
心の中だけでも、思っちゃダメだ。
だってそんなの、困らせるだけだって知っているから。
「ツキハ、コハクが」
琥珀のほうを見ていたイルが、こちらへ向き直り、わたしと目を合わせた。
「食事を終えたようであるぞ」
「え? あ、うん」
濡れ縁を降り、空になったお茶碗を手にした。琥珀は水入れのお水を飲んでいる。
わたしはイルに背を向けたまま、言った。
「寒いし、イルは戻っていて。わたしは琥珀のお茶碗を洗ってから行くから。おばあちゃんのアレルギーがあるし、台所では洗えないんだ」
「当も何か、手伝うか?」
「洗うだけだから。イルはまだ本調子じゃないし、戻って休んでいて。それが一番嬉しいよ」
「……了承した」
イルが立ち上がる音がした。衣擦れや、歩く音。
それらを耳で捕らえながら、この音を忘れないようにしよう、と胸の中だけで呟く。
例えイルが帰ってしまって、二度と会えなくなっても。
これはイルが確かにここにいた、証の音なんだから。
「ツキハ」
イルの優しい声に、お茶碗を持ったまま振り返る。
見ると、イルが夜空を指差していた。
「見よ。あの月を」
その言葉通り、わたしは月を見上げる。出会った日は満月だった。
それから九日。今、月はどんどん欠け、三日月になっている。
その三日月はだいぶ小さくなっていって、あと数日で消える。
でも。
「綺麗であるな。ツキハ」
その言葉にわたしは、
「うん。きれいだね。イル」
そうとだけ、答えた。




