二番星 願いの星の王子様①
「……はぁ。やはり壊れとるか。これでは、──が出来ぬ」
わたしと琥珀は茂みに隠れて、その人の様子を窺っていた。
やっと着いた、宙見の丘。わたし達は丘から見えた白い光を目指して、ここまで来た。
キュロットのポケットからキッズ用ケータイを取り出し、時間を確認する。
夜の十一時。
家を出る前に見たときは、十時半だった。
いつもは十五分くらいで着く距離だけど、懐中電灯を頼りに慎重に登ってきたから、倍くらいかかっちゃったんだ。
誰かに見つからないよう、びくびくしながらだし。
とりあえず、ふう、と息をついた。
ここまでは誰とも会わなかったし、無事に着いた。
どんくさいわたしにしては、上出来だと思う。
この宙見の丘はその名前通り、星がきれいに見えるから、夜はデートスポットになっている。
パパと琥珀の散歩でここまで来たときには、一つだけあるベンチにはいつもカップルが座っていた。
けれど今夜は、カップルの話し声は聞こえない。
流星群の夜なんて格好のデート日和だと思うんだけど……なのに不思議なことに、人の気配はない。
さっき何かを呟いていた、わたし達が見ている人を除いては。
茂みの中でお座りしてる琥珀は、楽しそうにぶんぶんしっぽを振っている。
そんな琥珀を横目に、音がしないよう、ゆっくりと傘を畳んだ。
頭を覆っていたものがなくなり、夜風を直接受けたボニーテールがなびく。
髪は冷たいままだけど、だいぶ乾いてきている。
わたしはもう一度、声の持ち主を見た。
その人がいるのは、光のすぐ近く。
フード付きのゆったりしたローブ……だっけ? そんな感じの服を着ている。
だけどフードを被っていて、顔は見えない。服は白く見えるけど、それは光のせいかも。
その人までの距離は、十メートルくらい……かな。
とにかく、それくらいはあって、向こうはわたしに気づいていないみたいだ。
ついさっき、丘を登り終えたわたしたちは光の中心に行こうとして、人がいることに気づいた。
それで慌てて二人して茂みに隠れ、様子を窺っていたんだけど……何してるんだろ。
何だか落ち着きなくうろうろしたり、手を頭の辺りに当てて何かつぶやいたり。ケータイ、かな? それに話しかけているっぽい。
ここからじゃ、ほとんど聞こえないけど。
けれど、さっきは大きめの声だったから、何かが壊れたってとこは聞こえた。
ケータイが? だったら困ってるのかな。声、掛けた方がいいかな?
一瞬そう考えたけど、ダメダメ、と自分に言い聞かせる。
人がいたら帰るって、そう決めたじゃない。
それに、怖い人だったらどうするの。
いくら琥珀が一緒とはいえ、他の人には会いたくない。
さっき聞こえた声は高めだったけど、言葉使いからして男の人のような気がする。
知らない男の人に声を掛けるなんて、やっぱり怖い。
光の正体がわからないのは残念だけど……しょうがない。
自分で帰るって、そう決めたんだから。
でも、と、諦めきれない思いが、心の中に渦巻く。
せめて、写真だけでも撮りたい。
だけどシャッター音がしたら、気づかれちゃうかな。
どうしよう。撮ったらダッシュで逃げる?
でも気づかれて、追いかけられたりなんかしたら、琥珀ならともかく、わたしの足じゃ逃げきれない。
捕まったら、何で隠し撮りなんかしたんだって怒られるかも。
怒られるだけで済めばいいけど……子供がこんな時間に何してるんだって、お巡りさんを呼ばれたりなんかしたら。
想像して、身震いした。
……やっぱり帰ろう。
お巡りさんに突き出されたりしたら、パパとママに、夜に出歩いたことが知られちゃう。
そしたら、きっと怒られる。心配させる。
──嫌われちゃう、かも。
「それは……イヤだよ」
思わず、呟いてしまった。
いけない。まさか、聞こえちゃった?
慌てて口を押え、男の人を見ると。
「……え?」
いない。どこにいったの?
琥珀も男の人がいた方角を見て、ハテナ? と首を傾げている。
わたしも目をこらして、男の人を探すけど……やっぱりいない。
丘を降りたの?
でも、アスファルト敷の遊歩道は、わたしのいるこっちの道だけだ。
確かにこの丘は、他から場所からでも降りられないことはないけど……草ぼうぼうの、道じゃない道を通ることになる。そんなところ、わざわざ通らないよね。普通。
そこまで考えて、そういえば、と思い出した。
二年生のときだったっけ、写生会でクラス全員でここに来たことがある。
学校から二十分も掛からずちょうどいい距離だから、ここに絵を描きにくることは恒例行事らしい。
で。みんなで遊歩道を歩いて丘を上がっていったんだけど、クラスのやんちゃな男の子は、わざと草ぼうぼうの、道じゃない道を歩いていた。
そっちの方が楽しいって。
もちろん、あとで先生に怒られてたけど。
そのときの光景が浮かんできて、ちょっと笑ってしまった。
ううん、そんな場合じゃないよね。でも……何だろう。
笑ったら、緊張がほぐれたような。少なくとも、ちょっと落ち着いた気がする。
そうだ。落ち着いて。せっかくここまで来たんだから。とりあえず、深呼吸。
ふう、と息をついて、もう一度決心する。
「琥珀。あと五分だけ、待ってみよっか」
頭を撫でながら言うと、琥珀はわぅ、と小声で返事してきた。
そう、五分だけ。
五分だけこのまま様子を見て……あの人が戻って来なかったら、光のとこまで行ってみよう。
そしたら写真を撮って、家に帰るんだ。
正体を調べるのはあとでいい。
大体わたしじゃ、どうやって調べたらいいのか、わかんないし。
とにかく写真に証拠を収められたら、パパに見てもらえば正体がわかるかも。
もう一度、手にしたケータイで時間を確認する。
十一時五分。これが、十分になったら。
わたしは隠れたまま、時間が経つのを待った。
そして。
十一時十分。
さっきの人の姿は、見えないままだった。
「──よし。行こっか」
ポケットにケータイをしまい、畳んだ傘と琥珀のリードを持ち、わたしは歩き出した。
服の上からでも見える、袖の中でかすかに光り続けている、ブレスレットをぎゅっと握りしめて。
光のみなもと。
琥珀と二人で、そこに辿り着いた。
……誰もいない。
ほっとしながら、周りを見回す。琥珀もふんふんと、地面を嗅いでいる。
近くにあるのは遊歩道沿いにある、一本の桜の木。もちろん、まだつぼみさえ付けていない。
そして桜が見えるよう、そちら側へ向けて置かれた、一つのベンチ。
そのベンチを、これまた一つだけの外灯が照らしている。
そしてベンチの裏側、丘の中央には白く光る、ドーム状の何かがあった。
……何? これ。
白い光はドーム状に、丘の中心部分を覆っていた。広さは……うちの庭と建物を合わせたくらい?
それって、どのくらいだっけ。
五十坪だか何だか、パパが言ってたような。
うろ覚えだけど、多分それくらい。ものすごく広いわけじゃない。
でも、家くらいの広さをいっぱいにする光って、何?
一体、何が光っているんだろ。
ドーム状に光りを放つ、それの外側から目をこらすけど光が強くてよく見えない。
だけど、まぶしいわけでもない。何でだろう。
そっと光の表面に手を伸ばす……けど、触れなかった。光なんだから、当然なのかな。
……いやいや。正体はあとでって、決めたじゃない。
とにかく、写真を撮らないと。
「琥珀、誰かが来たら、吠えて教えてくれる?」
琥珀のリードを外灯の根元に結びつけてから言うと、わん! と元気な声で、琥珀が返事をした。
それを聞いてから地面に傘を置き、デジカメを起動する。
宝物の傘だけど、写真を撮るのにはジャマになるしね。
写真を撮り始める。設定は特に変えない。
撮るのは光だから、フラッシュを焚いていいものなのかわかんないし、オートの設定にしているから、いいように撮ってくれるはず。
そのまま光の外側から、シャッターを押しまくる。
近くからそのまま撮ったり、ズームアウトして全体を撮ったりと。
何枚、何十枚、撮ったかわからないくらい、シャッターを切った。
──こんなものかな。あと、撮るとしたら。
光のドームを見渡して、
「……やっぱり……あの中、だよね……」
そう、呟いた。
触っても何ともなかった。
だったら中に入ったって、何ともない……ハズ。
ちょっと考え、地面から傘を拾い上げて左腕の関節あたりに引っかけた。
何かあったら、杖や武器代わりにも使えるはずだし。
覚悟を決め、わたしはドームの中に足を踏み入れた。