十番星 再会前夜③
目的の方角を見渡すと、暗くなり始めてたおかげで山の上の天文研究所の明りが見えた。
わかりやすいよう、そこまでの道のりを頑張って伝えると、すぐに理解してくれたらしい。
ピスティスさんはほっとしたように言った。
「いや、助かりました。これで辿り着くことが出来そうです」
「いえ、そんな。でも、これから仕事なんですか? 大変ですね」
「星を観測するのが仕事ですしね。夜からが本番なのですよ」
そういえばそうか、と納得する。ママだって、今夜も当直なんだし。
「では、自分はこれで。お礼代わりと言っては何ですが、お母上に言伝でも?」
再びバイクに跨ったピスティスさんは、メットを被り、シールドを上げながらわたしにそう聞いてきた。
「……いえ。明日には会えるはずなので。ただ疲れてる感じだったら、ちゃんと休憩するように伝えてもらえれば。あ、母は待夜燈子といいます」
「ミズ、トウコ・マチヤですね。承知しました。ツキハ様」
「様って……呼び捨てでいいですよ。年上の人に様付けされるような、偉い人間じゃないし」
「ああ。すみません、つい。ところでツキハさん。自分からも、お願いがあるのですが」
「お願い?」
何だろう。いくら名乗り合ったとはいえ、わたしみたいな子供にお願いすることなんてあるのかな。
そう考えていると、ちょっと照れたような顔でピスティスさんが笑った。
「大したことではありません。ただ、自分とここで会ったことは、誰にも言わないでいただけますか? ……この年で迷子だったとは、さすがに少々恥ずかしいもので」
「あ、……はい。誰にも言いません」
その言葉に、わたしも笑いそうになるのを堪えながら答えた。
「ありがとうございます。ではお気をつけて。レディ・ツキハ。そして、勇敢な騎士殿も」
メットのシールドを下げながらわたしたちにそう言うと、ピスティスさんは、バイクを発進させた。エンジン音が聞こえなくなると、辺りは本当に静かになる。
いつの間にか夕日も沈んでいて、明かりといえば、わたしが手にしている懐中電灯代わりのケータイくらいだ。
「帰ろっか、琥珀。わたしを守ろうとしてくれて、ありがとうね」
ぽんぽん、と琥珀の頭を軽く撫でると、琥珀がわん! と鳴いた。
さあ、帰ろう。みんな待っている。
心配事は色々あるけど……それは明日、だね。
おじいちゃん家の玄関を開けると、いい匂いが漂っていた。
その特徴的な匂いには、琥珀を犬小屋に繋いだときから気づいていたけど家の中に入るとやっぱり、と予想が確信に変わる。
この匂いはカレーだ。その匂いに反応するように、お腹がくぅ、と鳴る。
そういえば、お腹はぺこぺこだ。今日は移動やら何やらで、疲れたし。
「おお、月花、お帰り。遅いもんだから、心配したぞ」
玄関先まで、おじいちゃんが出迎えにきてくれた。
「うん、ごめんね。実は──」
言いかけて、ピスティスさんとした約束を思い出した。
そうだ。ピスティスさんのことは、内緒にしないと。
「──……実は、ちょっと迷っちゃって。一年振りに来たし、暗くなってきたから」
そう言うとおじいちゃんは納得してくれたけど、自分がついて行けば良かったな、と言ってきた。
ちょっとだけ胸が痛むけど……何ていうか、そう、罪悪感? みたいなものは、あまり感じなかった。
不思議だ。今までだったら悪い子だと、自分で自分を責めてた気がするのに。
これは、イルと出会ってから?
イルと出会って……わたしは、大人になったんだろうか。
平気で嘘をつけることが、大人?
どうなんだろう。でも今のわたしを、わたしはイヤじゃない。何でだろう?
手を洗ってくるね、とおじいちゃんに言って、洗面所に向かう。
変化していく、自分の心の在り様を、疑問に思いながら。
居間に行くと、おじいちゃんとおばあちゃんが居間の奥の台所にいるのが見えた。
近くまで行って何かお手伝い出来るか聞いたけど、疲れているだろうから休んでるように、と釘を刺されてしまった。
まあ、おじいちゃんが手伝ってるし、その言葉通り、休んでることにしよう。
……イルのことも気になるし。
「イル、起きてる? 入っていいかな?」
ふすま越しに声をかけると、うむ、という声が返ってきた。
良かった。声の調子からして、少しは元気になったように思える。
ふすまを開けて客間に入るとイルは布団から体を起こし、わたしを見てきた。服はパパのТシャツを着ている。
そしてイルのきれいな青い瞳は灯りに反射し、きらりと光る。
地球と同じ色だと言ったその瞳は、ほの暗い電灯の下で見てもやっぱりきれいだ。
ちょっとどきどきしながらイルの近くまで行って、畳の上に正座した。
「イル、起きて大丈夫? 吐き気とかは? もうすぐご飯だけど、食べられそう?」
枕元にあるペットボトルの水は減っていたけど、隣にある洗面器は使った様子はなかった。吐いてはいないらしい。
「うむ、だいぶ良い。食欲は……あまりないが。御祖母様にも聞かれたので、正直に答えたら今夜はカレーと相成った。本来なれば、スシを取る予定だったらしいのだが。すまぬな」
「そんなのいいよ。カレーも好きだし、お寿司はママが揃ってからのほうが良いと思うし」
「ほう。スシとやらはそんなに特別な料理なのか? ナノマシンにもデータとしてはあるが、そこまで詳細には記載されてなくての」
「そこまで特別じゃないけど……回転寿司とか、安いのもあるし。でも、お祝いで食べることが多い料理かな。そういえば、カレーは知ってるの?」
「うむ。それも、ナノマシンのデータにある。そちらも美味らしいが……重い料理らしいの。食することが出来なんだら、御祖母様はおじやを作って下さるとのことだ。それに御祖父さまも水やらを持ってきて下さり、時々様子を見に来られた。……優しい方々だ。さすが、ツキハの御祖父母様だの」
イルが優しい顔で笑った。すると、何でだろう。どきどきが強くなる。
イルは笑顔が似合うし、ずっと笑っていて欲しいけど……何だか、心臓に悪い。
「ツキハ?」
わたしの戸惑いが伝わったのか、イルが不思議そうな顔をする。
「そ、そういえば、パパは? 居間にいないし、イルと一緒かと思ってたけど」
慌てて話題を変えると、イルが答えてくれた。
「ああ。さっきまでここにおられたのだが、奥方からケータイに電話が掛かって来てな。今、二階で話しておられる」
「ママから電話? ちょうど忙しい時間だろうけど、休憩中かな」
「母君は天文学者だったか? なるほど。夜は計測やら何やらで、多忙なのであろうな」
そんな話をしてると、二階から階段を下りる音が聞こえてきた。
通話が終わったんだろう。その音を聞きながら、わたしはイルに向かって右手を伸ばした。
「イル、起きられる? ムリなら、ここにご飯を持ってくるけど……でも出来れば、イルとも一緒食べたいな」
イルは一瞬、わたしの差し出した手を見たけど……結局、手を取ってはくれなかった。
代わりに顔を背け、
「……着替えてから行く。なのでツキハ、悪いが席を外してくれ」
と、小さな声で返してきた。




