十番星 再会前夜②
思わず謝ったけど、今さらな気も。
初めて会ったときはもっと距離が近かった気がするし、散々手も握ったり、おんぶもされたし。
……男の子の手なんて、ほとんど握ったことないし、そこまで仲が良い子もいない。
だからこんな風に話せるのも、普通に触ろうとしてしまうのもイルくらい。
まだ出会って数日の、照れ屋な王子様くらいだ。
何でだろう?
確かに、改めてそんな風に言われると恥ずかしいけど……でも何でかイルだと、そうしてしまうんだ。
「い、いや。当こそ大声を出してすまぬ。それと……心配させたことも」
布団から目だけ出して、イルが言った。そんなこと、謝らなくていいのに。
けどそう言っても、この頑固な王子様は聞かないに決まっている。
だからただ、一言だけ伝えた。
「イル。わたしを心配させたくないなら、ちゃんと休んで元気になってね。約束だよ?」
「……うむ。努力する。では、すまぬが……少し休む」
その言葉に頷いて、わたしは客間をあとにした。
「ねえ琥珀。ママは今夜当直で、明日の朝でお仕事は終了なんだって。引継ぎとかがあって、帰りは夕方近くになるみたいだけど。でもそれまでには、イルも元気になってるよね?」
わぅ、と琥珀が返事をした。久しぶりに二人で歩く、おじいちゃんちの周り。
この辺りには家も少なく、道路もアスファルトじゃなく、土のところがほとんどだ。
なので草むらも多く、琥珀もときどき草に鼻を突っこんで、匂いチェックを入念にしている。
わたしも大きく深呼吸し、久しぶりの田舎の空気を味わう。
うん。何て言うかやっばり、ウチの近所と違って、空気が美味しい気がする。
イルと話したあと、おじいちゃんやおばあちゃん、パパたちとしばらく話をしてると、琥珀がきゅんきゅん言う声が庭から聞こえてきたので散歩に連れ出した。
パパもついて行こうか、と言われたけど、断った。
歩き慣れた道だし、色々考えたかったので今は琥珀と二人だけだ。
考えることといっても、やっぱりイルのことと、ママのことになっちゃうわけだけど。
「……考えても、わたしには何も出来ないけどね」
そう呟くと、琥珀がわたしを見上げてるのに気づいた。
きゅうんと鳴いて、心配そうな顔をしている。
その頭を撫でて大丈夫だよ、と伝える。
そう。大丈夫だ。ママが悪いことをしてるはずがないし、イルもそう言ってくれた。
けれど、とイルとママの電話の様子を思い返す。
少なくとも、ママがイルのことを知ってるのは確かみたいだ。それに。
〝こんな星の降る夜には、魔法のような出来事がある〟
ママと話した、流星群の夜のことを思い返す。
そんな会話のあと、イルと出会ったんだ。
それは確かに、魔法のような出来事だったと……今でも、そう思う。
ママはわたしとイルが出会うことが、わかっていたんだろうか?
そしてやっぱりママは、イルと何か関係があるんだろうか?
……どんな関係かは、想像もつかないけど。
軽くため息をつきながら、辺りを見渡す。
するとちょうど、夕日が山の向こうに沈んでいくところだった。
「……うわあ。いつもより夕日が大きく見えて、きれいだね」
琥珀にそう話しかけたけど、つい、イルとも一緒に見たかったな、と思ってしまった。
……ああ。まただ。
イルと出会ってから、何かあるごとにイルのことを考えてしまっている。
そのたびに胸があったかくなるときもあるし、ざわざわするときもある。
けれど、一つだけ確かなことは。
「この広い星の間で、エンカウント出来たのがイルで良かったよね? 琥珀」
琥珀はわん! と大きな声で返事した。
うん。それだけは確かなはずだ。
これから先、何が起こっても、イルと出会ったことを後悔なんてしない。
──でも、とりあえずは。
「帰ろっか、琥珀。あとは明日、ママが帰ってきたら……色々わかるはずだから」
琥珀と一緒に、帰りを急ぐ。暗くなり始めてきたので、ケータイを懐中電灯モードにして、辺りを照らしながら歩いていると、道端に一台のバイクが止まっているのに気づいた。
……あれ? あのバイクって、確か。
「こんばんは。またお会いしましたね。小さなレディ」
メットを片手に、バイクに跨っている人の顔が見える距離まで近づいたとき。
向こうのほうから、声を掛けてきた。
「昼間の……! あ、じゃなくて、こんばんは」
慌てて、ぺこりとおじぎする。
バイクに跨ってたのは、昼間助けてくれた人だった。
メットを外しているおかげで、今度は顔全体がよく見える。
やっぱり、きれいな顔立ちの人だ。
「ええ、こんばんは。偶然ですね、レディ。……ところで、そちらは?」
その人の視線の先にいるのは琥珀だった。
知らない人を警戒するように小さく唸っている。
「琥珀、大丈夫だってば。わたしを助けてくれた人なの」
すみません、と謝り、コハクをなだめる。
イルにはすぐ慣れたせいで忘れてたけど、琥珀は元々、初対面の人にはこんな感じだった。
「お気になさらず。日本犬は警戒心が強いと聞きますしね。怪しい者から姫君を守ろうする、立派な騎士殿ではありませんか」
怪しいなんて、と言おうとしたけど、そういえばお互い名前も知らないままだった。
ちゃんと挨拶をすれば、琥珀も落ち着いてくれるかも知れない。
知り合いの人には懐くまではいかなくても、吠えたりはしない子なんだし。
「あの、改めてさっきはありがとうございます。待夜月花と言います。お名前を聞いても?」
わたしが名乗ると、その人は何故か一瞬だけ黙って……それから、口を開いた。
「……ピスティスと申します。こちらこそ挨拶が遅れ、申し訳ありません」
ミラーにメットを引っかけてからバイクから降りると、また昼間見た、イルと似たポーズでピスティスさんは頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ。あの……ピスティスさんは、この辺りの人なんですが? わたしはこの先に母の実家があるんですが、近所に海外の人がいるなんて、知らなかったもので」
「いいえ。自分はこの辺りの住民ではありません。来たのも初めてなもので、恥ずかしながら道に迷っている、というのが正解です」
ピスティスさんが困ったように笑う。
わたしたちが普通に話していると、ピスティスさんが怪しい人間じゃないのがわかったのか、いつの間にか、琥珀も唸るのをやめていた。
「迷って……どこに行きたいんですが?」
「この町の天文研究所です。ちょっと、仕事でしてね。ご存じありませんか?」
「あ、じゃあ、海外からの研究者さんなんですか? ママの同僚さんってことなのかな?」
「お母上は、そちらにお勤めなのですか?」
「はい。えっと……嘱託職員とかいう立場の研究者なので、ずっと勤めているわけじゃないんですが……流星群の時期にはだいたい、そこで働いてます」




