九番星 ママに会いに③
トイレ前まで来ると、女子トイレ側は外まで行列が出来ているのが見えた。
「女子トイレは混んでるね」
「まあ女性のほうは全て個室だし、時間がかかるんだろうさ。……でも確か、裏手にもトイレがあったっけな。月花は覚えているよね?」
このサービスエリアは、ママの実家に行くときは必ず立ち寄っている。
だから、少し行ったところの裏手側にあるトイレが穴場なのは知っていた。
そっちには駐車スペースはなく、駐輪専用のスペースがあるだけなので、使うのはほとんどライダーの人ばっかりなんだ。
「うん。わたしあっちに行ってくるよ。トイレが済んだらパパは、そこのベンチで待ってて」
近くのベンチを指差し、そう言う。
「パパも行こうか?」
「大丈夫。それにあっちはライダーの人たちばかりだから、男子トイレこそ混んでるかもよ? まだ昼間だし、何かあったら電話するから」
「わかった。じゃ、気をつけてね」
パパに手を振り、わたしは駐輪スペースの近くにあるトイレに向かった。
用を済ませ、手を洗ってトイレをあとにする。
やっぱりというか、こっちの女子トイレは空いていた。
代わりに男子トイレは、まあまあ人がいたみたいだけど。
すれ違う人はだいたい男の人で、ツナギを着ていた。ほとんどライダーなんだろう。
学校は冬休みに入ったけど、社会人もなのかな? 結構、人がいる気がする。
駐輪スペースのバイクの数を見ながら、そう思う。
すると止めたバイクに寄りかかり、こちらを見ている人がいるのに気づいた。
……見てる? わたしを?
まさか、とその考えを否定する。
家からだいぶ来たし、わたしにライダーの知り合いはいない。
パパはバイクも好きだから仲間はいるけど、その人とか?
何人か、家に遊びに来たことはあるけど。
シルバーのカウル、だっけ?
それを付けた大きめのバイクに寄りかかっているのは黒いツナギを着た、多分……男の人だ。
黒いフルフェイスのメットも被ったままだし、これまた黒いシールドも下ろしたままなので、顔は全然見えない。
顔が見えないんだから知ってる人か、その人が本当にわたしを見ているかなんてわからない。
多分、わたしの後方にあるトイレでも見ているんだろう。
ライダー仲間でツーリングなんてよくあるし、トイレに行った仲間を待っているだけだよね、きっと。気のせい、気のせい。
何となく感じる視線に知らんぷりして、その人の前を通りすぎようとしたとき、
「きゃっ……」
足が何かに引っかかり、転びそうになった。
「──危ない!」
その言葉と同時にがしっと左手首を掴まれ、体が引き戻された。
「あ、ありがとう……ございます」
手を掴んでいる人にお礼を言いながら、相手を見る。
「いえ。お怪我はございませんでしたか? お嬢さん」
黒ツナギと黒メットの人が、そう答えた。
「は、はい。大丈夫です」
さっきわたしを見てた人?
ううん、見てたって決まったわけじゃないけど……にしても、何で転んだんだろ。
そう思って、足元を確認すると。
「そちら、割れているようです」
その人が空いているほうの手で、さっき転んだところを指差した。
見ると、足元のコンクリが割れて、欠けているところがあった。
「さっきから、何人か足を取られる方がおりましてね。かと言ってこちらから声をかけるのも警戒なさるでしょうし、成人なら注意するまでもないかと思いましたが……年少の方が歩いておられたので気になったのです。年若な方は、あまり足元に注意を払わないことが多いので。お体に触れたことはお詫び致します。ご無礼をお許し下さい、お嬢さん」
わたしの手を離すとその人は左手を自分のお腹に、そして右手は後ろに回し、一礼した。
「ぶ、無礼なんて! こちらこそ、その、……ありがとうございます」
見ていたのは気のせいじゃなかったみたいだけど、心配してくれていたんだ。
変に疑ったりして、わたしこそ失礼なことを、と反省する。
そう考えながらも、イルも似たようなポーズをしていたのを思い出した。
よく、海外の執事さんとかがやるポーズだ。
何てポーズかは知らないけど、日本ではあまり見ないような。
「礼には及びません。無礼ではないというお言葉だけで、恐悦至極に存じます」
……難しい言い回しも、イルに似ているような。
そう考えたとき、かしゃん、という音を立て、その人はメットのシールドを上げた。
「そして、あなたの心遣いに感謝を。お嬢……いえ。小さなレディ」
そう言って、深い紺の瞳で笑う。
「い、いえ……」
海外の人なんだろうか。ちらりと見える髪の色は、濃い紺? に見える。
けど思ったより、ずっと若い。大学生くらいなのかな?
ちらっとしか顔は見えないけど、きれいな顔立ちをしている気がする。
「……って。あれ!?」
ふと掴まれてた手首に目をやると、ブレスレットがないことに気づいた。
さっき手を洗ったときは、確かにあったのに。
慌ててその辺を見回す。
まさか、落としたんだろうか。
「お探し物は、こちらでしょうか?」
目の前にすっと、その人の手が差し出された。
その手を見ると……手の平の上に、わたしのブレスレットがあった。
転びかけた拍子で外れたのか、留め具が開いてる。けれど、エィラはちゃんと付いていた。
「あ、わたしの! ありがとうございます!」
おじぎして受け取ろうとすると、その人がじっとブレスレットを見ていることに気づいた。
──違う。見ているのはブレスレットじゃなく、エィラだ。
「あの、……何か?」
ちょっとだけ警戒しつつ聞くと、その人ははっとしたように顔を上げた。
「ああ、失礼。あまりにも美しい宝石なので……つい、見惚れておりました」
わたしの手にブレスレットを乗せながら、そう言う。
「ダイヤモンドかジルコニア……それとも、アクロアイト? どれとも違う気がしますが……いずれにせよ、とても美しい」
「えっとママ、……母から貰ったものなので。わたしも、よく知らないんです」
とっさにごまかすけど、イルから聞いたこと以上に知らないのは本当だ。
「……左様でございますか」
その人は頷くと、シールドを下ろした。
「何にせよ。再び落とすことのないよう、お気をつけて」
「はい。色々ありがとうございました」
ブレスレットを付け直し、もう一度おじぎをする。
そしてその人に背を向け、パパと待ち合わせた場所に戻ろうとしたとき。
お待ちを、と呼び止められた。
振り返ると、その人は再びシールドを上げ、わたしを見ていた。
「──くれぐれもお気をつけて。お小さくも、心優しいレディ」
その言葉とともに、その人の紺の瞳が、ふっと笑った。




