九番星 ママに会いに②
「わかっておる。冗談だ」
「冗……もう! イルってば!」
ついほっぺを膨らませてしまったけど、イルがほっとしたような顔でいるのに気づいた。
「どうかしたの? イル」
「いや、ツキハが元気になったようなのでな。……安心しただけだ」
あ、と声が漏れる。
そうだ。イルには、わたしの考えなんてわかっちゃうんだった。
さっき、そう思ったばかりだったのに。
「ツキハも酔っていたのではないかと、心配していたのだ。大事ないか?」
「ありがと、イル。でも大丈夫。酔ってはいないよ。……考えごとをしてただけ」
「考えごと? どんなだ?」
色々だよ、と言ってごまかす。
イルと別れるのが寂しいなんて……そんなこと、言えない。
イルが困るだけだろうし、言ってもどうにかなるわけじゃないのも、わかってる。
イルとエンカウントしたのは十二月十四日。
そして次の日、十五日からイルがウチに泊まり始めて……今日は二十三日。終業式だ。
ママに会いに行くため、急いで帰って来た。
その間、イルが琥珀の散歩に行ってくれていた。
それから車に荷物を積み込み、出発したんだ。
イルがウチに泊まっている間、わたしは土日以外は学校があったから、日中、イルはパパと琥珀と過ごしていた。
おかげで琥珀はもちろん、パパともだいぶ仲良くなったみたいだった。
わたしはといえば、イルがウチに泊まると決まったあとから、何だか上手くイルと話せず……毎日、当たり障りのないことしか話してなかった。
アルズ=アルムの薬のお陰でケガの治りも早く、泊まり始めた夜にはほぼ治ってたから、手当の必要もなかったし。
それに何か話そうとしたら……ママのことや、イルがもうすぐ帰っちゃうことを、口にしちゃいそうだったから。
「……そうか」
イルもそれ以上聞かずに、水を一気に飲み干すと、ベンチの隅に置いた。
そんなわたしたちの間を、風が吹き抜ける。くしゅん、とくしゃみが出た。
「ツキハ、これを」
イルが自分のボレロを脱いで、わたしに渡してくる。
「だ、ダメだよ。イルがカゼ引くよ?」
「そこまで柔ではない。現に汝らの宅で厄介になる前、宙見の丘のベンチで一晩過ごしておるしの。その前に血液を落とす溶剤を使うため服も脱いだが、風邪一つ引いておらんぞ」
そういえば、すぐ交信が回復して帰ると思ってたから、ウチに来る前はどうしていたのかと聞いてなかったことに今さら気がついた。
「野宿だったの!? それに十二月に外で脱いだって……言ってくれれば、ウチに泊めたのに」
「……あのな、ツキハ。いくらコハクがいるとはいえ、あの晩は一人だったのだろう?」
「え? あ、うん」
「若い娘が親の了承も得ずに他人に泊まれなどと言うものではないぞ。……まして、当は男子なのだし」
「……そういうもの?」
「そういうものだ。とにかく当は今、酔い覚ましのために冷たい風に当たりたいのでな。今のうちだけでも着ておれ」
「……わかった。ありがと、イル」
お礼を言って、自分の赤いポンチョの上から、イルのボレロをは羽織る。
……あったかい。
それに何だかイルのにおいがして、心が落ち着いていく。
もうすぐイルは帰っちゃう。それは仕方のないことだ。
けれどわたしは、忘れない。
イルのことも、二人で話した色んなことも、このぬくもりも、においも、全部。
──全部。
「おーい月花。イルくんも、具合はどうかなー?」
後ろから聞こえてきたパパの声に、我に返った。
振り返ると琥珀のリードを握ったパパが、琥珀とゆっくり、こちらに歩いてきていた。
「はい、もうだいぶ。アキラ先生にもご心配おかけしました……っと。ああもちろん、コハクにも、な」
琥珀に飛びつかれたイルはその体を抱きとめ、撫で回しながら答える。
「それは良かったけど……でも距離としては、まだ半分なんだよね。本当に大丈夫かい?」
「は、半分……ですか」
たださえ白いイルの顔が、もっと白くなった。というか、青?
「あの、イル。無理しないでよ? もう少し休んでよっか?」
言いながらイルの服の袖口を引っ張ると、じっと顔を見つめられた。
「……いや! 当は全然平気である。大丈夫である。壮健である」
何故だか、イルが早口で言いきった。
「えっと……あんまり大丈夫に見えないけど、どうしたの?」
「はいストップ。イルくん、琥珀をお願い」
琥珀のリードをイルに預けると、パパは二人から少し離れた場所にわたしを連れてった。
「あのね、月花。君が聞くと無理です、とは言えないと思うよ? イルくんは」
「何で?」
「まあその辺は、男の子の意地ってやつなんだろうさ。特に彼はそういうことにこだわるほうだろう? 出会って一週間以上経ったし、彼の性格はもうだいぶわかるようになったよ」
確かにイルが意地っ張りなのは、わたしもよく知っている。
「そう、だけど……でもちょっとくらい、弱音を吐いてもいいのに。男の子だから、女の子の前で言えないの? わたしが男の子だったら、もっとイルの力になれたのかな」
「あー……、それは違うかな。女の子の前だからじゃなく、月花の前だからだよ。多分」
思わず零したわたしの言葉に、パパは頬をかきながら答えた。
「え? 何で?」
「それは、僕が言っていいことじゃない気がするなあ。聞くんなら直接、イルくん本人に頼むよ。……ああでも、一つだけ」
ちょいちょいと手招きされ、パパに顔を近づける。
するとパパはちょっと屈んで、内緒話をするみたいに耳元で囁いてきた。
「イルくんはね、月花が女の子で良かったって。そう、思っているはずだよ」
「それ、どういう──」
意味、と聞こうとしたけど、いつの間にかパパは、イルのほうへ向かい始めていた。
慌てて追いかけると、そのイルとぶつかりそうになった。
ペットボトルを捨てるため、琥珀を連れてゴミ箱のあるこっちに側に向かってきていたらしい。
「っと。すまぬな、ツキハ。当たっておらなんだか?」
「う、うん。大丈夫」
答えながら、さっきのパパの言葉を思い出す。
──月花が女の子で良かったって、そう思っているはずだよ。
本当にそう思ってるのかな、イルは。
つい、まじまじイルを見て、考えてしまうけど。
「な、何だ? 当の顔に何か付いておるのか? ツキハ」
「……ううん、何も。ね? 琥珀」
それは何となく聞けず、琥珀の頭を撫でるだけにする。
怪訝そうな顔をするイル。
すると助け船を出してくれたのか、パパがイルに話しかけてくれた。
「ところでイルくん、これからの予定なんだけど……君の体調次第ではあるかな。重ねて聞くけど、本当にもう大丈夫かい?」
さっきのことは言わず、パパはそれだけ聞く。
確かに、それも心配だけど。
「ええ。休息を長く取ろうと、酔うときは酔うものでしょう? ならば一刻も早く、目的地に着いたほうがいい。乗り物酔いとやらで、死んだというのは記録にありませんしね。まだとはいえ、半分も来られたのならあと半分も行けるはずです」
「記録までは知らないけど、確かに死因が乗り物酔いっては聞いたことがないかな。じゃあ、出発するけど……具合が悪くなったら早めに言うんだよ? サービスエリアで、こまめに休憩を入れるようにするから。トイレは行っておいたかい?」
「はい、ベンチに横になる前に。アキラ先生とツキハは? コハクは手前が見ておきますので行ってきて下さい」
「そうだね。じゃ、琥珀は頼むよ。行こう月花」
「うん。上着ありがと。イル」
お礼を言ってボレロを返すと、イルに琥珀を任せ、パパと一緒にトイレに向かった。




