九番星 ママに会いに①
「あら月花ちゃん、明さん。お出かけなの?」
玄関先で車に荷物を積み込んでいると、隣の伊藤さんちのおばあちゃんが話しかけてきた。
「ええ、月花の冬休みを利用して妻の実家の山梨へ。現在、妻もそちらの天文研究所で働いておりましてね。その契約期間が終わるので義父母に顔を見せがてら、迎えに」
「ああ。天文学の研究者さん……だったかしら。博士号も持っているのよね? 顔を見ない日が続くときは、お仕事なのね。月花ちゃんも寂しいでしょう?」
「……いえ。パパも、琥珀もいますし」
それに、と言いかけたとき。もう一人、いま現在、家に居てくれている相手が帰って来た。
「おーい、ツキハ。コハクの散歩に行って来たぞー!」
手には、琥珀がしたお土産を入れた袋と、スコップを持っている。
「あ、ありがとイル。琥珀の、その……ちゃんと拾ってきてくれたんだ」
「うむ。ここ一週間以上、アキラ先生とツキハと一緒にコハクの散歩について行ったろう? 排泄物を持ち帰るのは、飼い主として当然のマナーと言うではないか。王……いや、当家の名にかけて、マナーを軽んじるなど出来ぬ」
そうなんだろうけど、とても王子様がするような仕事とは思えない。
イヤじゃないんだろうか。
ちらりとイルを見るけど、イヤどころか、何だか得意そうな顔をしていた。
ついでに胸を張っているような。
……これは、褒めて欲しいのかな?
「ありがとう、イルくん。それは預かるよ。ゴミに出してくるから。しかし、偉いね、君は。ペットのトイレの後始末なんて、したことなかったんだろう?」
「いえ、当然のことです! アキラ先生!」
わたしが口を開く前にパパがイルを褒めた。
そのイルは琥珀のリードとお土産を渡しながら答える。
……すっごい嬉しそう。
犬みたいに、ぶんぶんと振ってるしっぽが見えるような。
「あら。月花ちゃんのお友達? そういえば、数日前も見たような。海外の子、かしら?」
おばあちゃんがイルを見て、首を傾げた。
「初めてお目にかかります、御婦人。当……いえ、手前はイルと申します。ツキハ嬢とアキラ先生には、大変お世話になっております。以後、お見知り置きを」
「あらあら、ご丁寧に。私は伊藤といいます。その年でしっかりした子ねえ」
「彼は妻の知人の息子でしてね。少しの間預かっているんですよ。ま、これから一緒に会いに行くんですが」
「そうなの。博士ともなれば、海外の人とも付き合いがあるのね」
「……ええ、まあ」
ちょっとだけ困ったような顔で、イルが頷く。
ママとの電話のあと、そう説明されたとパパは言ってた。
パパとママが何を話したのか……詳しいことはわからない。
ただ、ママはイルと会ったら、ちゃんと話してくれると言っていたらしい。
イルはそれで納得してたので、わたしも納得するしかない。
「そう。でも残念ね。せっかく月花ちゃんにいいお友達が出来たみたいなのにお別れなんて」
「え? どういう意味?」
「……御自宅が、騒がしいようですね」
イルの言葉にわたしも耳を澄ませた。
確かに伊藤さんちのほうから、何人かの声が聞こえてくる。
おじいちゃんとおばあちゃん、二人だけの家なのに。
パパも会話に加わる。
「息子さんですか? 前に同居することになったとおっしゃってましたが、ひょっとして」
「ええ。息子が、急にまとまった休みを取れることになったのでね。今、夫婦で来ているの。これから引っ越し業者さんも来るの。急に予定が早まったので、ちょうど今、待夜さんちにも挨拶に行こうと思っていたところだったのよ」
ちょっと申し訳なさそうな顔で、おばあちゃんが言う。
「そうですか。残念ですが、ご家族と住まわれるのでしたら何よりですね。……月花。パパはちょっと挨拶してくるから、琥珀と荷物をお願い」
わたしに琥珀のリードとスコップ、そしてお土産袋を渡すと、パパはおばあちゃんと一緒にお隣に入っていった。
「ツキハは挨拶しなくて良いのか? 見た限り、今の御婦人とは親しいのだろう?」
「おばあちゃんとはそうだけど、おじいちゃんとはあんまり。息子さんとかも、ほとんど顔も知らないし。……それに」
お隣から聞こえてくる、パパを交えた大人たちの声を聞きながら、わたしは言う。
「あんまり突然だから、何て言えばいいかわかんない。お別れなんて……急すぎるよ」
「……そうか」
イルはそれだけ言って、家の中に入っていった。その後ろ姿を目で追いながら、イルとも、と思う。
イルとも、もうすぐお別れなんだ。
イルがママに会って話をしたら、──それで。
そのときにわたしは、何て言ってお別れすればいいんだろう。
手にしたものをぎゅっと握りしめていると、琥珀がきゅうん、と鳴いた。
「……ううん。何でもないよ、琥珀。お水を飲んだら、ケージに入ってよっか」
琥珀を庭に連れて行って、お水を用意する。琥珀が飲んでいる間、イルが持ち帰ってくれたお土産を庭のゴミ箱に捨てたり、琥珀のハーネスが緩んでないかチェックする。何かしているほうが、余計なことを考えなくて済む。そうしているうちに、イルが家から出てきた。
「手を洗ってきたぞ、ツキハ。では、玄関先の荷物を車に運べば良いのだな?」
「あ、うん。今行く」
琥珀を連れて玄関に向かう。
何て言えばいいか、なんて。……そんなこと、今はまだ。
「──考えたくないよ」
わたしはそっと、呟いた。
「……大丈夫? イル」
「う、うむ。……大事ない……」
ここはママの職場と実家がある、山梨県へと続く高速道路のサービスエリアだ。
休憩で立ち寄ったんだけど……そのサービスエリア内のベンチで、イルは大の字になって寝転がってた。
「はい、お水。飲めそう?」
自販機で買ってきたペットボトルを渡す。
「……すまぬ。女子に情けない姿を見せるなど、王子としていかがかと思うが……」
体を起こしながら、青い顔のイルが言う。
「またそんな。揺れる車とか、初めて乗ったんだよね? 酔ってもしょうがないよ」
それは車の中で、パパに聞こえないよう、イルがこっそり教えてくれた。
アルズ=アルムにも乗り物はあるけど、車輪がなく、飛行機のように浮いて進むものがほとんどなので、あまり揺れとかはないらしい。
とにかくイルの左隣に座りながら、そう言ってフォローする。
けど揺れまくる傘に乗って、飛び回ってたときは平気だったのにな、とはちょっと思う。
「言っておくが自分で操縦するのと、人の操縦に乗車するのとではだいぶ違うのだぞ……」
キャップを開けて水を一口飲むと、イルはそう呟いた。
「そういうものなの? それは……ごめんなさい」
思わず謝ったけど、相変わらずイルにはわたしの考えは読まれているな、と思う。
それは、イヤじゃない。
イヤじゃないけど……もうすぐ終わりなんだ。
「別に謝らんで良い。……ところで、アキラ先生とコハクは?」
「ドッグランだよ。ここのサービスエリアには、設置されているから。十分くらい行ってくるから、イルも休んでるようにって。何かあったら電話するよ」
ケータイを見せ、イルに説明する。
「ドッグラン……ああ、犬の運動場か。コハクもずっとケージとやらに入っておったものな。入れないといかんのか?」
「事故とかに遭ったら大変だしね。それに、犬は狭いほうが落ち着くんだよ。そうやって大人しくしていると、乗り物酔いの防止にもなるんだって」
「なるほど。では当も、ケージとやらで大人しくしていたほうが良かったか」
「イルが入れる大きさのケージなんて持ってないし、あっても入れたりしないよ!?」
真面目な顔で言うイルに、わたしも同じく、真面目に返してしまった。




