七番星 もう一つの目的④
「ママのことだよ。妻はしばらく不在なんだ。仕事でね」
イル用のお皿と、琥珀の食器。
両手にそれら二つを持って、パパが戻って来た。
ハンバーグの乗ったお皿をイルに手渡しながら、そう言う。
「イルくんは本当に、難しい言葉を知っているね。でも日本の小学生で、その言葉を知ってる子はほとんどいないかな。教育の違いなんだろうし、直せってことじゃない。ただ、通じない場合もあるってことは言っておくよ」
「ありがとうございます。不在……そうですか。それと言葉選びはツキハの前ではつい、普段の口調が出てしまうのですが、通じるよう気をつけます。……いただきます」
お皿を受け取ったイルはもう一度手を合わせ、食事を再開した。
わたしも、だいぶ冷めたおじやの残りを食べ進める。
そして食べ終わっていたパパは、大人しく待っていた琥珀を呼び、待てをさせてから、ご飯をあげていた。
琥珀が食べ始めると、パパはまた、こちらを向く。
「そこまで畏まらなくていいよ。フォローってわけじゃないけど、僕個人としては君の口調は個性的で好きだし。……美味しいかい? イルくん」
「はい。大変美味にて……いえ。スーパー美味しいです」
イルが言葉を選ぶかのように、考えながらそう言った。
「……スーパー?」
その言葉に、パパは首を傾げる。
……無理ないかも。わたしも初めて聞いたとき、あれっ、て思ったし。
だって、その言葉遣いは。
「変な言葉でしたでしょうか? ……ごちそうさまでした」
きれいに食べ切ったイルが手を合わせた。
わたしも最後の一口を飲みこみ、同じように手を合わせる。
「変……ではないかな? 燈子さん……ああ、妻の名前なんだけど。彼女もよく言うからね。ただ、他であまり聞かない言い回しだから少し驚いて。そんな偶然もあるものなんだね」
「……偶然。本当にそうなのでしょうか」
イルが、独り言のように呟いた。
そうだ。イルの地球の言葉は、頭の中のナノマシンからの知識だって言ってた。
そして、その知識を入力しているのは地球に派遣されたアルズ=アルムの人だとも。
……イルは昨夜、ママが地球人かと聞いてきた。
それは、ママがアルズ=アルムの人かもって……そう、疑ってるってこと?
そこまで考え、わたしは左手首のブレスレット……そして、そこに付いてるエィラを見た。
地球人が持っているはずのない、精製されたエィラを持っていたママ。
地球人が使いこなせないはずの、エィラの力を使えたわたし。
それは、……本当に偶然なの?
「ねえ──」
イル、と口を開こうとしたとき。パパのケータイの呼び出し音が鳴った。
ごめん、と言ってパパが廊下に出ていく。
「何だ? ツキハ」
イルは、いつの間にか食べ終わっていた琥珀の所に行き、隣に腰を下ろしていた。
けれど、ママが地球人かってことは、何となく聞けず……代わりに、他の話題を持ち出す。
「イル、ケータイありがとね。そのために来てくれたの?」
「ん? ああ、ヴァリマを拾い集めたり、地面の穴を塞いだりしてたら発見しての。実は折れた傘も持ってきたのだが、さすがにパパ君の前では出せず、下駄箱脇の……傘立てだったか? そこに隠してしまったが。……大切な物だったのだろう? すまぬな。ツキハ」
「ううん。確かに、パパから貰った宝物ではあったけど、あの傘のおかげでみんな無事だったんだし。残念には思ってるけど、後悔はしてない。怒られるのも怖くないよ」
「……当は人を見る目はあると自負しておってな。その目で見た限り、パパ君が頭ごなしに叱る方とは思えぬが。だがそうなった際は、当も一緒に怒られよう。何しろ共犯であるからの」
ひっくり返った琥珀のお腹をもふっていたイルは、その手を止め、にっと笑った。
「ん。そうだね」
イルの左隣に行って座りながらそう答えると、琥珀が寝たまま、わぅ! と声を上げた。
「うむ。コハクもであったな。汝は本当にスーパー可愛いの!」
わしゃわしゃと、琥珀を撫で回すイル。
本当に琥珀のことが好きなんだな、と思って、少し羨ましく思ってしまう。
……いや、あくまで琥珀にお腹を見せてもらえるイルが羨ましいんであって、決してかわいいって言われてる琥珀が羨ましいわけじゃないんだけど!
心の中でそんな言い訳をしながら見ているとイルの上着……の左腕の擦り切れた箇所から、赤いものが見えるのに気づいた。
さっきまでわたしは、イルの右側に座っていたし、ボレロを着てたときは見えなかったから忘れてたけど、それは。
「……イル。それ、リボン? それとも……血?」
その色にすっと血が引いて、恐る恐る尋ねた。
そういえば応急処置とすら言えない、簡単な手当をしただけで、ちゃんとした手当はしてないんじゃ。
……まさかまだ、血が出てるとか?
「ああ。これはフィタ……帯の一種だ。汝の巻いてくれた、な。昨夜ツキハが眠ってしまったあと、持参した血止めと化膿止めの薬も飲んだし、とうに血は止まっておる。薬には痛み止めの成分も含まれておるしの。骨に異常もないし、大した怪我ではない。だから、気に病むな」
「気に病むよ。帰ってちゃんと手当して貰った方がいいんじゃないの? ……ケータイは受け取ったし……もう、地球に用はないんでしょ?」
帰っちゃうのは寂しいけど、イルは地球の人じゃないんだ。
カァや星の人たち、お父さんやお母さんも心配しているだろうし……イルのためには、その方がいいんだ。
気持ちを押し殺しながらそう言うと、まだだ、とイルが首を振って否定した。
「え?」
「もう一つ、当にはすべきことがあるのだ。それはの」
イルが言いかけたとき、パパが戻って来た。
そして、イルに向かってケータイを差し出しながら言う。
「電話の相手は僕の妻でね。月花の風邪のことと一緒に、イルくん。君のことも話したんだ。そしたら、君に代わって欲しいって言われて。多分、自分は君を知っているからって」
「そう……ですか。では、お借りします」
イルが受け取り、電話の向こうのママに向かって言う。
「初めまして、で宜しいでしょうか? ミズ・トウコ。当……いえ、手前はイルと申します。はい。イルヴァイタスと。もっとも、普段はこの名をお教えすることは出来ませぬが。基本、禁じられておりますので。……このような言い方で、おわかりでしょうか?」
ママが何やら答えているけど、何て言っているのかまでは聞こえない。
それに対し、イルが頷きながら続ける。
「ええ。もう少し、こちらに滞在するつもりです。為すべきことがあるので。それは」
すう、と息を吸い、イルははっきりと、自分の目的を口にした。
「──あなたとお会いすることですよ。ミズ、トウコ・マチヤ」




