七番星 もう一つの目的②
「元気になったか。何よりである」
挨拶のように片手を上げて、ほっとしたようにイルが笑った。
……一瞬。
思考が、止まって。
「──イル!? 何でいるの!?」
それから大声が出た。
「ほほう。イルがいる、か。それは駄洒落とかいう、知識や教養を必要とする気の利いたものであるな? その年で使いこなすとは。やるなツキハ!」
「違うよ!?」
びしっと親指を立てながら言うイルに、思わずつっこむ。
言葉を発したことで、やっと思考回路が動き出した。
まじまじイルを観察する。
何故か得意げな顔のイルの隣には、白いショルダーバッグのような物が置いてある。
服は昨夜着てた白いズボンとタートル姿のままだけど、血は付いてない。
擦り切れているところがあるから、新しい服じゃなく、血を洗い落したんだろうか。
そしてローブの代わりに、胸下までの青いボレロを着ている。
わたしが巻いた、赤のリボン? はボレロで見えない。ケガは? 大丈夫なんだろうか。
いや、それもだけど、今は。
「そうじゃなくて、何でここにいるの? ていうかいつから!?」
「ついさっき、五分ほど前からだが。汝の御尊父様が通してくれての」
「ゴソンプ……えっと、パパのこと? どこで」
会ったの、と聞こうとしたとき。
「起きたか、月花。大声が聞こえたから、何かと思ったよ」
お盆を手に、パパが部屋に入って来た。
「ケンカしているわけじゃないよね?」
机にお盆を置き、わたしたちの顔を交互に見てから、パパが聞いてきた。
「け、ケンカはしてないよ。起きたらいたんで、びっくりして……つい」
「申し訳ありません。驚かせてしまったようです。ただでさえ通されるまま、入眠中の女子の寝室に足を踏み入れるなど、男子として礼を欠いた行為でした。お詫び申し上げます。ツキハ嬢にも、御尊父様にも」
立ち上がって胸に片手を当て、イルは頭を下げた。
何ていうか、すごい……王子様みたい。いや、王子様なんだけど。
「いや、ちょっと顔を見ていったらって言ったのは僕なんだし、そんな畏まらなくていいよ。はい。どうぞ座って」
湯気の上がってるマグカップをイルに手渡すと、パパは床に腰を下ろした。
お礼を言って、カップを受け取ったイルも床に腰を下ろし、それに口を付けた。
「……! これは……!!」
「ココアだけど。あ、もしかして苦手だったかな? 月花が好きだから、子供はみんな好きなものだと思っていたな。飲めなかったら、別のものを持ってくるよ?」
「いえ。驚いただけです。……あまりに美味なので」
ふーふーしながら、ココアをこくこく飲むイル。……ちょっと、かわいいような。
「初めて飲んだのかい?」
「はい。恥ずかしながら。……ありがとうございました」
飲み切ってカップを返しながら、イルはそう言う。
「恥ずかしいってことはないと思うけど。国によって口にするものは違うのだろうし。大体、君は子供なんだから、もっと気易い口調でいいんだよ」
「そうは参りません。目上の方に対等な口を利くなど、そのような非礼は当星……いえ、当家にとって末代までの恥となります。ツキハ嬢のパパ君」
「まあ、そんなに言うんだったら。……でも、パパ君って何?」
わたしが昨夜言ったのと同じように、パパもつっこんだ。
「ツキハ嬢がパパと呼んでおられたでしょう。それに敬称を付けパパ君と。変でしょうか?」
「いや、まあ……」
「すごく変だよ……」
パパと二人で答えた。
イルが普通の敬語を使えることにも驚いたけど、たまに出る変な言葉も何ていうかズレてて、つい、つっこんでしまう。さっきの駄洒落とかもだけど。
それがナノマシンの不具合のせいなのか、イル本人のせいなのかはわからないけど。
「ふむ。では、何とお呼びすれば?」
「あー、別にその、咎めたわけじゃないんだ。日本ではあまり聞かないってだけで、君の国では普通に言うのなら、そう呼べばいい。ちょっと戸惑っただけでね。悪い言葉でもないし」
「寛容なのですね。郷に入りては、とかいう言葉が、この国にはあるのでは?」
「そういうのは知っているんだね」
パパがちょっと苦笑した。
「でもそんなのは、郷があったころに出来た言葉だろうし、そんな古臭い言葉に縛られる必要なんてないんだよ。君が僕に敬意を払おうとしていることはわかるし。月花のことも、嬢とか付けずに普通に呼べばいい。そうだろう? 月花」
「う、うん」
急に振られ、慌てて頷く。
ぼうっと聞いてたけど……イルはやっぱり王子様で、わたしよりずっと大人なんだ。
言葉遣いも変とかじゃなく、イルなりに精一杯パパに敬意を払おうとしていたんだって、二人の会話を聞いててようやく気づいた。
そんなことにも気づかないなんて、わたしはやっぱり子供だ。
イルには全然届かない。
まだまだ……イルみたいにはなれない。
「それはともかく月花、熱を計ろうか。汗もかいたろうし、パジャマも替えないしと」
「……パジャマ。それは……寝間着なのか? ツキハ」
「あ……うん」
パジャマ姿をじっと見られて、つい恥ずかしくなり、布団を引っ張り上げて隠した。
そんなわたしを見て、黙ったあと。
「し、失礼した。そうとは知らなんだ。その、当は席を外すゆえ……すまなかった」
イルは赤い顔で廊下に出ていき、琥珀もあとを追う。
二人が出たあと、ドアが閉められた。
「……しっかりしているようで、ずい分恥ずかしがり屋なんだね。彼は」
体温計をわたしのおでこに当てながら、パパがちょっと笑う。
ぴぴっと体温計が鳴り、数字を二人で確認した。三十七度五分。平熱じゃないけど、だいぶ下がっていた。
「薬とゼリー飲料は持ってきたけど、ご飯は食べられそうかい? アイスも買ってきたけど」
「ご飯……食べる。お腹すいた」
「よし。じゃあうどんとおじや、どっちがいい?」
「おじや。卵とおねぎの入った」
「わかった。持ってこようか?」
「ううん。起きる。着替えて下に行くよ。ずっと寝ていたんで、動きたいし」
「そうか。じゃあ薬は食後にしよう。イルくんと琥珀と、下で待ってるよ。でも無理はしないように。何かあったら、これで呼びなさい」
ズボンのポケットに手を入れ、パパが何かを手渡してきた。
「……わたしのケータイ?」
受け取って、驚く。
キュロットのポケットに入れていたんじゃ。
「イルくんが届けに来てくれたんだよ。琥珀の散歩のとき宙見の丘で会って、そのときに落としていったそうだね。インターフォンの使い方がわからないのか、ドア越しに頼もう! とか言っていたよ。そこで、買い物から帰ってきた僕と鉢合わせしたんだ」
「そう……だったんだ」
ちゃんとケータイを確認する余裕もなかったし、あれだけ動き回ってたんだし。いつの間にか落としてたことに、気がつかなかった。でも、そのために帰らなかったんだろうか?
じっとケータイを見つめてると、パパが口を開いた。
「優しい子だね、彼は。月花のことをすごく心配していたよ」
「え?」
「初めて見た子だし、どこから来た子かわからないから、最初ちょっと警戒しちゃったんだ。けどケータイを受け取り、月花は熱で寝てるって言ったらすごく動揺してうろたえちゃって。心から月花を心配していることがわかったから、通してしまった。何となくだけど、そのほうがいい気がしてね。合っていたかな? パパの勘は」
「……うん! ありがとう、パパ」
そう言うと、パパがぽんぽん、と頭を撫でてきた。
「お礼ならイルくんにもね。じゃ、下で待っているよ」
立ち上がってお盆を片手に、パパが出ていった。
わたしも着替えるため、起き上がる。
そして、手にしてるケータイをもう一度見て、
「……えへへ。またエンカウント出来て嬉しいよ。イル!」
きゅっと、両手でケータイを握りしめた。




