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作者: 安永祐二

日常の気付きを、超ショートロード・ムービー的私小説、エッセイにしてみました。




いったい、どれくらいの物事を見逃して生きてきたんだろう。。




✼✼✼




令和6年元日、福岡地方は晴天に恵まれた。


年末のなまった身体に活を入れるべく、約4キロ程の行程を散歩した。


途中、ふとプレートが目に入った。


「 昭和初期まで ここが海岸線でした 」


ここは人通りの多い街中である。


海岸で防波堤として活躍していたであろうコンクリートの遺構に、その勇姿を称えるがごとくプレートが設置されていた。


ここが海岸線だったなんて信じられない。


いくら思いを巡らせても想像が追い付かない。


「悠久の時を伝える遺構」かぁ。


昭和初期というから、もう100年近くも前のことである。


戦時下真っ只中においても、その役割を毎日粛々と果たしてきたことになる。


とても真似のできることではない。



挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)




✼✼✼




1時間程掛けてゆっくりと歩いて、ようやく我が家のマンションが見えてきた。


マンションの敷地に入るところの角に大きな桜の木がある。


春には毎年綺麗な姿を披露してくれる。


すっかり葉が抜け落ちたその桜の木の横をいつものとおり通り過ぎようとしたら、何やら桜餅の匂いが漂ってきた。


気の所為と思い、そのまま通り過ぎようとしたもののやはり気になり戻ってみたところ、やはり桜餅の匂いがした。


このマンションに越してきてもう十年になるが、こんなことは初めてだった。


植物の生命力のことは全く知見がないものの、おそらくこの時期に何等かの作用が働いて、それが香りとして放出されているのであろう。



人生においてなんて多くの物事を見逃して生きてきたのか。


その損失は計り知れないものの、今日知ることが出来たこと達に感謝をし、家路についた。



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