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太助

 真友は「ねえ、このまんま直に願いごと書けば、緑の短冊だね」と木を見やった。


「ははは、書ききれねーし。あ、試し書きあるよここ」

 田んぼに畦道がある風景っていうよりも、とてつもなく広い道の……川にたとえるなら中洲みたいなところに田んぼが位置する……そんな感じのする場所。


 俺が説明しようとするとそうなるところに、真友たちがいた。


 ひとりの小さい子供が、真友と連れだってる。


 そこにはまず、電柱が見あたらない。だから電線にとまっている雀や鳩っていうのもない。

 だけどササの形した草が生えてるし、日本語で話ができてるから、外国にいるんではないって気はした。

 意識を向けると、楽器や虫の声みたいな音色が代わるがわる、町内放送のようにどこからともなく流れている。

 いわゆる『あの世』なのか? そこが『天国』なのか?

 そんなことを考えるのは、いつも〈起きて〉からあと。


 広がる道と同じように、川原の地面はハイドロカルチャーっていったか、あの鉢の中の粒を思わせるような感触がする。

 気がつくと俺は木の根もとにもたれてたり(四回目のとき)、歩いてたり(五回目のとき)して、地面の感触や空気感で同じところに来ていることをさとる。

 はじめてのときは、子牛と一緒に幼い子供が、あおむけの俺を覗きこんでいた。

 足もとにだれかもうひとりいて、それがだれであるのかを直感したが、なんとなく、俺はのそっと体を起こした。


 しゃがんでいる彼女に、子牛が歩み寄る。

 その真友は、年上に見える。二十歳ぐらいに見える。

 こっちに目をもどし、小首をかしげて顔一杯にほほ笑んだ。

 つられるように、俺も手をあげ、ニカッとしたかなって思う。


 会えたことには俺はぶったまげたかもしれない。だけど、おまえがいることには、驚きがなかった。


 邂逅記念日って呼んでみている。

 全部きのうのことのようだよ。



 子供のことを「太助」って俺は呼んだ。

 シャバ、つうか現実……の俺の肉体のほうは2回目のコロナワクチンをしたあとの熱発と全身痛でクソのたうちまわっていたが、タスケテェェだった心の状態と、その呼び名とは関係ない。

 呼べないと遊びづらい気がしたので、考えておいたんだ。

 本人は抵抗を見せず、反応も示してくれる。

 真友にも了解をもらえた気がした。したがって、この子の性別が実際どっちなのかは、俺はろくに気にしてない。現にこいつは色は白いし……髪を結わえちゃったりなんかもして、判然としないんだ。


 俺はこう解釈している。真友の口数が多くないのは、言うほどでもないことばかりだからだ、って。

 よそよそしいんだったら、なにより近づかんだろうし。


 真友が「抱っこしてあげて」と言う前に、俺が太助を抱きあげるだろ? そうすると、まなざしでもって、真友が「それでいい」って言ってくれてるように感じてるのだ。


 一度だけ、彼女が俺に……短くではあるけど、なんとも説明くさく語ったことがある。

 やっぱり二回目のときだった。


卓史(たくし)は現実に生きているから、時間の制約があるのよね。わたしは大丈夫よ」


 それから三回目までが長かったのなんの。よくメンタル維持したってくらいに。


 なまじ一度もこういう夢を見なければなにを望んだ?


    ୦


 あれだけ一緒にいたつもりで、俺は濃厚接触者ですらなかった。


 一日での家族葬と聞き、生きてた真友の最後の姿に会うには、家の人にともなって安置室に行くしかなかった。


 中川のおじさんと約束したセレモニーホールの駐車場まで、急ぐでもなくひとりチャリを走らせた。

 ひと月くらい前にも、このホールの前を真友とふたりで通った。こんな用事で中に入ることがあるとは、思ってもいやしない。


「五月病か? やつれちゃってまー」


 おじさんにそう言われた。


「え。そ、そかな」


 (ヒジ)で鼻頭を覆う。なんの修練だ、って思いは地平線下に、だれひとり『やつれ』たとまで言わない。


「真友のほうが全然そのまんまだぞオ。俺と同じでな」


 おじさん、俺は悶々としてただけで。苦しんでない。死んで、ない。


「納めてる袋が顔の部分だけでも透明で、よかったっちゃよかったよ」


 袋……


「俺たちでさえ最期まで会えなかったんだ、全身すっぽりなんて勘弁してくれって、なあ」


 病棟の受付で門前払いだった子もいるらしい。

 同窓会の幹事会が有志によるお香典を集め、俺は会計の菊地(きくち)のところにだけ直接出かけて、よろしく言ってきてたのだった。


 皆嘘だって思ってるよ。


 二週間。細かくは、十三日間会わなかった真友。


 おまえは自分で気にしてた、しかめ眉ですらない。


 おじさんが用足しに行ったのをいいことに、口にしてみた。


「なんでそんな顔してんの」


 いい夢でも見てたか、ん? くすぐるかしたら――

「ごめん。思わず言っちゃったよ。なんならこの蓋」


 破壊して 実行したいけど。


 廊下の足音が近づいてきて、ノックはなしにドアがあく。ホールの人ではなく、もどってきたおじさんのほうだ。



「卓坊は学校挟んで反対側なんだろ、いま」


 おじさんの声が、壁に反射した。


「伯母夫婦のところに」

「お母さんからも聞いたよ。新年早々、ちょうどわれわれが法事で家空けてたときだったんだってな、家出をしたの」


 息を呑んで、うなずく。


「わざわざありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」


「せっかく高校も一緒になったのに、残念だ。おりいって、卓ちゃん、ここだけで話す」


「はい」


「真友には、赤ちゃんがいた」


 柩を見た。が、体をとっさに向き直せなかった。


「らしい。うちのやつが、書きつけやら、日記に残してあるのを見つけてね。様子がちがうのは気づいてたが、それで納得したと」

「おじさん」


 なぜ僕に話しているの


「相手がだれなのかは、つきとめられない」


 相手の男……


「ただ、書いてあることから察するに、五ヶ月目に入ってた……なんて聞かされたって、君にはピンとこないな? 俺はそういうのあんまり知らない」


 その子の父親……


「ごめんよ。行こうか。卓ちゃん――行こう」


 バレてる……と思った。


 俺は、中川のおじさんに言わなかった。


 自分をかばうためなのか、おじさん、おばさんをこれ以上傷つけないようにするためなのか、それはわからない。


    ୦


 ただリュックに着替えやら詰めこんだだけの、俺は準備の悪い男だった。


 『結ばれた』って述べれば簡潔だし美しいだろう。

 だが、俺主観ではそっちのほうがえげつないんだ。彼女の体の内側の襞が俺のをつかまえたのは、このとききりだった。敷くためのバスタオルを取ってきて、ついでに電気を落とした真友は、ある意味準備のいい……女だった。



 呼び鈴を押したとき、出てきた真友はリボンタイと第一ボタンをはずし、ひじの下まで腕をまくっていた。カーディガンは着ていない。


「なあに……重たそうなのしょってー」


 俺は真友の胸もとを指差した。


「おまえ、なんか色っぽいぞ。物騒じゃないかよ」


 季節はずれの陽気では……まぁ、あった。


「帰ってきたばっかだもん、塾から。ベッシーに草あげてたの。入んな入んな」

「ほんとにあがるよ?」


 妙な念の押しかたをした。


「うん。お腹すいてる? うどんならすぐだよ」


 リビングの続きの空間で、うさぎが生牧草を食んでいる。俺もここでうどんをいただいた。


「おかか風味。ンま」


 この時間に、ふたりだけの屋根の下。

 真友はみかんともう一人前のうどんを持ってくると、俺の向かいへ九〇度移した座椅子で一緒に食べはじめた。

 ニマニマと俺を見る。


「じょうずに食べるね」

「なんなんー」


 からかってるみたいじゃあないけど、それこのあいだ、年あけ前にも言った。

 スープを飲み干した。

 ここから北西微西方向に移動距離で七分ほど行った地点での、事情を話す。


「マスクを買うんだったら、小遣いを渡さないとよ。正常な生活できないじゃん……おいら、限界も限界灘」

「まじに、どうしようと思ってるの」


「近場の親戚に相談してみる」


「うちじゃだめかな。卓ちゃん」


「おじさんたちいないし、疲れて帰ってくるだろ? それに……身内の恥さらしだ」


「ねえ」


 擦り膝で寄ってきた真友が、俺のおでこを猫のように頭突いた。


「あたしたち、受験ですべったら、別れわかれになっちゃうね」

「すべりどめが有効なの、ふたりとも落ちたときだけ……だったりするか。ははは」


 真友は食い入るような目になった。


「俺だけ落ちたら、迷わず第一志望行けよな」

「やめてよ」


「まーゆ、いままでは義務教育だった、てぇだけじゃんよ。な」


 顔に手をのばす。


「もともと背伸びはしてないんだ、まだ合否もきまっちょらん……」


 唇を触れ合わせた。


「入るとこがちがったって、俺、補うんだから。な」

「卓――ひゃ……っ」


 フェチだかなんだか知らんけど、俺は真友の膝裏を、特に立ち姿勢なときに撫でるのが好きで。このときの真友は、反射的に俺の肩につかまった。


 俺たちに、沈黙に耐えられないってことはもともとなかったよな。勉強中とかでなくても、何十分間でも無言でいられる。ひどくいまは話し足りないのを感じているけど。


「もうすこししたら、親戚にショートメッセージ入れるよ」

「卓ちゃん。いますぐよそぅ」


「ま? 真友ー……」

 泣いてやしないよな。普通でいてくれ。


「おいて……かないで。ねえ」


 ケージの中のうさぎだけが近くにいた。うさぎって動物はかなり近眼らしい。空は飛ばないほうが無難だ。


「おいてくんじゃないよ、俺は勝手にここに寄って、あげてもらって」

「外寒い」


 真友のこめかみの髪をそっとかきあげた。俺の全身は小刻みに、本当に震えてた。


 そうだな――寒いな。


 ここでこうしていなければどこで震えてたんだかな。

「うさぎ見してもらって、うどんごちになって」


「卓史」


 たくさん頬擦りをした。




 頭を冷やしてたら深夜になったって口実にした。


 イトコの(サト)ちゃんが、伯母さんや俺たちの隣区に住んでいる。まず理ちゃんに連絡をつけた、あの朝だった。



 合格発表もすんだころ、ひさしぶりな真友の部屋で接吻を超えるセックス未満のことをしたが、そういうのは……そういうのも、そこでとどまったきりになった。


    ୦


 葬儀の日程も過ぎ、俺が最初にしたことは、抗体検査を受けることだった。

 正確には、バイトの給料が出てから受けに行った。

 俺はずっと無症状だったが、真友にうつした可能性が気になった。


 ほかにしてたことっていえば、皆既月食を見ようとして天気のせいで見れなかったり。

 タイムスリップものの小説に没入した。


 抗体検査では、過去に感染しているかをチェックできる。

 結果はマイナスだった。

 いまになって調べても、不正確かもしれないが、気休めにはなった。

 じゃあ、プラスだったらなにをどうしていたんだ? って話ではある。


 交差点の歩道だまりのところで真友と。

 いつものように別れた。あまりにもいつものように別れて、いつものようにやりとりしたメッセージで終わった。


 コロるまで、よく平気だったよな。手伝ってくれた荷物にだって、重てえのがあったじゃないかよな。

 はた目にもよく食うなぁとは思っていた。

 なにを見て、真友になにを求めてたの俺。あいつ、なにも言わなかった。いかにも楽しく振るまって。

 真友は俺に言わなかった……


 俺がまちがえて生まれてきたんだとしても

 おまえは死んじゃいけなかった


 医学的症状についてを調べてもみた。

 食の好みに、変わりはないように見えていた。

 調べる中で

 妊娠すると、免疫力が低下するものなのだとも――

 思い知った。



 同じころ、俺にはコロナワクチンの接種券が届いた。


 俺たちは、なんだったんだろうね。


 まにあわせのロースニーカー。

 借りてプレーするゲーム。


 きつくしめない薄いバンダナ。


 なんだったんだろう。

 予習しなくてもおとずれた朝。ノートに取りきらなくても、消された板書。


 はかどらせるために会う。

 会うために、小脇に抱えた勉強道具。



 不自由だった。


 こうしているこの俺も。



「ただのノリと勢いだったってんなら、世の中全体、そうじゃねえのか」



 人はひとりで生まれてくる。

 でも、生まれるときは ほんとのひとりじゃない。


 熱帯夜の続いた日に、ほんのすこし聖書を、無料のオンラインで読んだ。


 『父よ、もしそう望まれるなら、この(さかずき)をわたしから取り除いてください。それでも、わたしの意志ではなく、あなたのご意志がなされますように』


 イエス・キリスト、彼が処刑される前夜に山で祈る様子――そこだけがやけに刺さった。

 ノンフィクションか否かは、あんまり関係なかった。文字から想起するイメージは、すでにそこで史実ではない。


 祈るイエスをよそに、弟子たちは居眠りをこき。

 あんなさみしさがあるか? 俺のは孤独のうちに入らない気がしてしまう。



 中学の担任から預かった封筒を、母校が一緒な人間の分まとめて引きうけ、職員室で渡してきた日。

 もどると教室は空っぽ。靴箱にも真友がいない。


 靴に、校庭の砂が入った。自転車置き場まで行く。手前で足をいったんとめて、そこで速度をゆるめた。すっかり葉桜になった木の下で、あいつはスマホをいじっていやがる。首を小揺らしして、画面に集中してる。


 この姿をずっと見ていたいと思った。


 自分のスマホのバイブが鳴ったが、かまわずに本人に歩み寄った。



 そうして、自転車を駐める位置を動かせなくなってしまった。

 あたりまえだが、同じ桜の木のそばに真友はいない。



 いた人がいない。



 クラスがちがって、名前も知らない藤野賢の姿を、たまに見かけていた。

 校庭の御倉(ミクラ)信者の群れに現れるが、長時間つるんでるようでもない。

 天然かなにか知らんパーマっ毛以外、きわだった特徴があるわけでもないが、なにか目がいく男だった。

 そのうち、同じ女の子といるところをよく見るようになった。


    ୦


 元号が『令和』に変わった、二〇一九年。中二の初夏。中二だから……僕十四歳。


 コロナパンデミックはまだ始まっていない。

 のちのち、四年後に藤野から聞かされて知ったことでは、この年の夏に、PCRの技術を発明したアメリカの生物化学者が亡くなっている。


 気にもとめてなかったが、前年の二〇一八年には在イスラエルアメリカ大使館がテルアビブから『エルサレム』に移転している。

 イスラエルの国は、一九四八年に独立宣言をした。それまで、()()()()()()のあいだ、ユダヤの民は国土を持たなかった。


 そうした事象に、聖典ソースの意味づけをなす存在が世の中にはある。

 俺の親だとかが属する宗教もしかり。



 映画が終わって、首を回しながら廊下をロビーに向かう。3Dメガネで、耳が痛くなっちまった。

 すぐ後ろで、女の声が呼んだ。


「たっくちゃぁん」

「なんだよ……おどかすなよ」


 息を切らす真友の顔があった。

 その真友の、口が動いた。


「ベンチで食べかけてるトコで、大笑いしてたでしょ。聞き覚えのある声だと思ったら」

「よくわかったな……」


「あんだけツボってたの、卓ちゃんしかいないよ」


「こんなことってあるんだな」


 俺に見せたチケットの半券によれば、左へ隔てたすぐ後ろの列に真友はいたようだった。


「ストーキングじゃないもん。購入済みの画面――」スマホを出しそうな仕草の真友に、

「いいよ、俺は見せるのめんどい」と言ってとめた。


「卓ちゃんはひとり?」

「ひとりで来たよ」

「変わってるなあ」

「おまえはなに、連れをさし置いて俺に声かけたとか?」


「最初からひとりよ。泣けるシーンで泣きやすいでしょ」


「泣いたの」


「んーん、全然泣かなかった」


「おまえだって変わってるよ。俺は前作見てなかったから、ストーリーが見えないとこあった」


「あたしは二作目も、TVで途中からちょっとしか見てないや。四年生だったよね、―壷の上に林檎が載って在る驚嘆―」


「そうそう。んで去年あたりから気になって。HDRハイダイナミックレンジ上映館ってどんなもんかって思ったし」


 真友は目を閉じ、息を吸いこむ。

「あんな真っ暗闇なんだね。どこにいるのかわからなくなった」


「なんか俺いま、遠足とか林間学校の気分」

「うん、いつもとちがうんだもんね。でも、ほかにまわりにだれもいない」

「こんなとこであれだ、そのへんどっか――あ。金。俺持ちあわせがないわ、ははは。見るのだけが目的で来てしまったからのう」

「いくらか貸せるよ」


「俺に貸したら返ってこないって思わなきゃダメヨ? おいら、まっすぐ引きあげるよ」


「じゃあ、一駅歩いてかない? あたしも運賃すこし浮くし」


「そう……だな。そんくらい、ぶらつくのもいいかもな」


 ふたりで改札口前のコンコースを抜けて、西口を左折する。


 真友がめかしこんでなくてよかった。


 異性との交際、という意味で『つきあう』って言葉を使うのは、どーも苦手。

 それでもあえて言うと、俺たちがつきあいはじめたのはこのときがきっかけだったって思う。

 『好きだ』とも、言ったことがない。

 だって、好きも嫌いもなくね?

 そんな屁理屈も手伝って、言わずじまいだった。


「あたしもいまは帰宅部だからね。うちにいても、これといってやることがない」

「もどればいいじゃん、バレー部に」

「やだ、あんな鬼顧問のとこ。卓ちゃんは知らないからそうやって言うんだよ、さらっとー」

「けどけど、走るのはいまも速いんだろ? 去年のリレーのアンカー、正直、俺見とれてた」


「そうなの?」


「ビリだったのを、みるみる抜いて一着だもん。そらほわーッとなるわな」


「へへ。なんていうか、取り柄っていうか、逃げ足疾いのよ」


「ウソつけー。その脚で、なんべん蹴りこまれたか知んねー」


 本当いうと、体育の時間……おまえのブルマから覗けてるもんがあって何人かの男が『中川がはみパン』ってどよめいたとき、俺は拳を握ってたぞ。すかさず自分から教えてやれなかったってことが、俺はなによりくやしかった。


「暴力はいけなかったよねぇ。あ、ねえねぇ、二人三脚したよね。あみだできまって」

「ま、相方が福留クンってことで、戦果はふるわなかったな」


 真友が、足をとめた。


「『タラヨウ』だって……」


 真友は植えこみのしげみの中の、金属の説明板に目を落とす。


「郵便局のシンボルツリーです。葉の裏に……先のとがったもので字を書くと……」

「ふん? 字を書くとその跡が黒く残るので、古代インドで手紙や文章を書くのに用いたタラジュ? の葉になぞらえてその名が……ふーん、面白いな」


「『はがきの木』かー。花がいっぱいついてる。地味にかわいい」

 と真友は、黄色っぽい花のその樹木にスマホを向けた。


 俺は枝に手をのばした。「これか。なんかツルツルした葉っぱだな」


 根元からちぎって取った一枚を渡す。


 真友は「ねえ、このまんま直に願いごと書けば、緑の短冊だね」と木を見やった。


「ははは、書ききれねーし。あ、試し書きあるよここ」


 『幼なじみ』っていえばそうなんだろう。でも、近所を駆けずってたやつらは、年がバラバラだってみんな幼なじみだ。


 中学にあがると、とたんに俺らは外で遊ばなくなった。男は男、女は女でグループで固まることが多くなった。

 真友も学校だと俺を名字にくんづけで呼ぶことが増えて、俺はめっきり女子を下の名前で呼ばなくなってた。



 最寄り駅へ帰着した。俺は改札出たところのフリーペーパーを引き抜く。

 駅前の景色が、なんだかひと回り小さい。


「こういう日に一枚でも宝くじ買ったら、どかんと当たるかもしれないなァ」


 売り場を眺めながら言ってると、真友が俺の背中をトトンとつついた。


「ねぇ、『休憩 ¥5,100―』だって。入る?」

「おのれきさまァー」


    ୦


 腰をおろした川沿いの原っぱで、カーゴパンツのポケットを探る。キーホルダーに使っている折りたたみのミニナイフを眺めた。

 鍵が取れてる。夢でなかったら、慌てて探してるところだ。


 ハーフパンツにグルカ風のサンダルを履いた太助が、一頭の子牛を乗せたソリを引いてる。


「卓史っちゃん。ちょうどいい。見ててー」


 二級河川未満くらいの川の平坦な岸辺を、下流に向けて、太助は走った。

 どこまで行くんだ。なんでソリに牛なわけだよ、太助っちゃん。


「てやんでい。べらんめい。ちゃきちゃきの、リサイタマ」


 六頭身強ぐらいのあの子から届いてくる声。

 べらぼう(べらんめえ)め、か。こんな『天国』があったんか。

 けど、すくなくとも地獄ではない……


 五、六十メートルくらい先の木のあたりで、折り返してくる。


 あ。すっ転んだ。


 むくりと起きあがり、そのまま俺のところに到着。


「見してみな」


 顔から…………打ちつけたって思ったんだが。


「ここの重力は『月』並みなのか……それとも」

「なんてったーあ? 卓ちゃん」


「いいよ。その帽子は、真友ちゃんが編んでくれたの?」


 太助は、かぶり直した白っぽい薄手の帽子に両手を当てた。


「うん、編んでくれた」

「真友ちゃんは?」


「みんなして、イチゴつんでた」


「おまえ、変わらないな。ここしばらく、いつ会っても十歳ぐらいだ」


 最初は三歳くらいだった。金太郎よろしくの腹掛け一丁が、かわいかったよな。

 このところ、発育してるように見えなかった。


「いっちょまえに、牛を運びました。テッちゃん、みんなのところにお行き。ぼくは卓史っちゃんに用事がある」


 太助は牛を促した。


「用事?」

「約束したよ。ここを行くんだ」


「ああ、アスレチックを向こうまで行ってみるんだったな。じゃあ川で遊ぶのはまただぞ」


 橋のこっち側のたもとはウッドデッキになってて、このおにぎり型のドームへと細く延びてる。対岸に建造物は見あたらないから、橋がアスレチックの起点なんだろう。

 ドームの空洞は、邂逅記念日に俺がこの『夢』を知覚した場所だ。

 登って上を伝ってけば、次の平均台へとうつる。


 コースの左手は、こんもりと木立がつづく。この夢は一部、俺の願望が採用されてるって思う。なぜって、エレメントの継ぎ目継ぎ目で、地面に降り立つことがない構造が俺好みだから。

 ロープはそれ自体が、蔓そのものかのようだ。


 空に白い丸びた本物(ホンモノ)の月が浮かぶ。すみれ色っぽかった日もあった空。

 その濃い青色に抜けた上方に、細く光線を散らして放つ星が、俺たちの向かうほうへと一緒に進んでくる。


 アイテムを渡りついで行き、櫓を登る。登りつめてく途中で牛たちが、十人ぐらいの人といるのが見えた。


 真友。


 手前の一角では俺の身長にも迫る高さの、コスモスの一種みたいな葉ぶりの草が花をつけて、風に揺れている。太助が声を張りあげた。


「真友ちゃーん。ひいちゃーん」


 真友と、もうひとりが立ちあがって、こっちに手を振った。

 ひいちゃんって呼んだ人は、おそらく真友のお祖母ちゃんだ。暮らしは別々だったが、真友が大好きだった。

 人びとはチュニックのような服に、太助が履いてるようなのや、エスパドリーユ調なサンダル履きの格好をしている。


 そういえば、電柱のほかに、ビニールハウスも見あたらない。現代的な形状の、低くて広っぽい住宅が点々とし、なだらかにつらなる山影。ピンク色の下空との境界を分ける帯状の白いほのめき。


「よし、先を行くか」

「よし。さあ、行きましょう」


 フラットネットのこの先は、クライミングロープ一本につかまってのジャングルフライトだ。

 太助の尻を上に見ながら縄梯子を登る。太助は出立デッキにあがった。


「太助」


 俺もデッキにあがった。


「はい。なんでしょーォ」

「おまえは半分、真友ちゃんに似てるね」


 なんて言うかと思ったら、太助はこう答えた。


「卓史っちゃん、顔がオトナびてるぜー」


 そしてケタケタ笑った。


 たぶんそのあと、苺を食べた。大粒の甘い苺を。


 初対面のときには俺を覗きこんでいたが、俺がおまえの寝顔を見ていた日もある。


 生きてんのかどうかは、ちょっと近寄って胸腹(ポンポン)に目を凝らせばわかった。

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