【番外編】荊州行脚珍道中
魏延は面白くない。せっかく面倒臭い事務処理を中心とした雑務から逃れて、久方振りに懐かしの故郷である荊州に帰省する機会を得たと言うのに、その結果がこれだ!
『( °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)やれやれ何足る事か…』
黄権に後を押し付けて身も心も軽くなり、晴れて自由の身に為ったと思いきや、彼に待ち受けていたのは更なる試練であった。
魏延は字を文長と言い、荊州義陽郡の人である。劉備が荊州の南四郡を攻略した際に、長沙の太守であった韓玄を切って馳せ参じた功により、劉備に取り立てられた。
但し問題は当時の魏延が韓玄のいち配下であった事だった。これは主殺しにあたる。本来ならば非難されて然るべき悪行である。
勿論、その事情足るや魏延に同情する余地が無い訳でも無い。この韓玄という人は悪政を敷き民を苦しめていた。
そして配下の黄忠が関羽に負けて退却して来ると、城の門を閉ざして見殺しにしようとしたのである。我慢を重ねて来た魏延であったが、さすがにこれにはキレた。
そこで兵を煽動して、この無体な行為を辞めさせるべく立ち上がりこの『主殺し』に及んだという訳である。
片やの黄忠は忠節の心を持っていたので、たとえ主が腐った人非人であっても直ぐに他の主を担ごうとはしなかった。家に引きこもり固くその扉を閉じて裁下を待った。
この黄忠という人は字を漢升と言い、荊州南陽郡の出身である。この時、劉備や諸葛亮に説得されてようやくその幕下に収まる事に為るのである。
このように、この二人の戦後の身の処し方は真逆と言っても良い。魏延は太守の首を手土産に進んで配下になった。黄忠は罪人として裁下を待った。
果たしてどちらが立派なので在ろうか。
『( °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)否、否…何でやねん♪儂の善意を何だと想っとんねん!儂が韓玄めの首を取ったから漢升殿は息災の身にある。まぁ益州攻略戦で命を救われたからチャラ、貸し借りは無しだが、漢升殿は忠節の人で儂は反骨精神に富んだ人物と観られるのは甚だ遺憾だわい…』
魏延の言い分にも一利あるが、世間はそうは想わないのであった。しかしながら劉備は少なくとも彼を漢中太守に抜擢したのであるから、評価している事に違いは在るまい。
本来的に漢中太守には劉備と義兄弟の張飛が就任すると誰もが考えていたものだが、蓋を開けてみると魏延に白羽の矢が立ったのである。魏延は就任の式典で劉備に抱負を問われこう答えた。
「(ღ °᷅ ⌓ °᷄ *)曹操が天下の兵を挙げて攻め寄せるならば、我が君の為にこれを防ぎ、曹操配下の将軍が十万の兵で来るならば、これを併吞する所存でございます♪」
「(◍′◡‵◍)σ♡よくぞ申した。アッパレである♪さすがは文長よ…儂の目に狂いは無かったのう♡」
抜擢した劉備も面目躍如と言ったところであった。魏延の言葉に衆目もどよめき、感心しきりとなったのは言うまでもない。
けれども諸葛亮以下の節度を重んじる心有る者達は、内心苦虫を噛み潰していたのだった。
『丞相殿は不服と見えるな…( °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)だがこれで正解なのだ!漢中はそもそも我が君の天領♪ここは文武両道で信の厚い儂こそが相応しい。張飛殿は戦場の花では在るが、内政は糞不味いからな!』
彼はそう…ほくそ笑んだものである。
丞相・諸葛亮は魏延の武勇には一目置いていたものの、その忠節には疑問を抱いていた様で、殊ある事に彼を処分しようとしていた節があった。
する側は機を捉えて発言しているので、一見は法に乗っ取った当然至極の言動であり、口を挟む余地も無いのだが、彼の悪運は、否…天運は絶対権力によって殊如く守られて来たのだ。
そう…劉備である。
何故かは判らぬが、この二人は妙に波調が合うのか、魏延はお気に入りだったようだ。さすがの諸葛亮も主の意に染まぬ事は断行出来なかったのである。
そしてされる側は如実にそれが判るものである。魏延は丞相に嫌われている事、警戒されている事、それだけに止まらず重箱の隅を突ついても粗を探そうとするが如くに睨まれている事も感じており、不安と共に憤りすら抱えていた。
だから、この道行きには物見遊山の気分で臨む事は出来なかったのだと言って良い。
『何故じゃ…( °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)依りによって丞相の監視付きとはな!そこまでこの儂が信用出来ぬか?』
魏延がそう想い込んでも仕方が無いと言えるのでは無いか?実際、この組み合わせは偶然の為せる技なのだが、当事者は決してそうは想わないのである。
人は疑心暗鬼に陥ると、より一層用心深くなる。この時の魏延の心はまさにそういった具合であった。
そして後の二人が黄忠と馬超である。
黄忠は死地に迷い込んだ自分を救出しに来てくれた程の人であるからまだ良い。そして彼とは荊州で共闘した仲なのだから、不安は無かった。
とは言え、武人としての評価もその格も黄忠の方が上である。確かに自分は漢中太守には成ったものの、相手は後軍の将であるから、一目置くべき立場だった。
そして、馬超である。
彼は字を孟起と言い、司隷扶風郡茂陵県の人で、涼州の名門の出である。名門の御曹司であるばかりか、彼は武勇にも優れていたので、名前を聞くだけで相手が震え上がる程の人物であった。
但し、この人の人物像を如実に物語る例として挙げるならば、その悪評には枚挙の暇が無い。演義ではとても良い人物に脚色されているが、正史では想いの他とんでも無い御方である。
彼はどうも自分が王様に成りたい節があり、涼州で反乱を起こす。しかも父親が都に行って留守の間に蜂起し、韓遂という地元の名士をそれに巻き込んでしまう。
彼は勢いのまま潼関に攻め込むが、曹操自らの智力に屈して敗れると、漢中の張魯の許に逃げてしまった。このため、父親と実の弟二人が反乱の負い目を背負い斬首。韓遂も殺される羽目になってしまった。
これだけでも一族は許より涼州の名士であった韓遂の一族も踏んだり蹴ったりだ。彼のせいでその命を失う事になったからである。
そして彼の悪評はさらに轟く。彼の困っていた時に匿い、助けてくれた張魯が危くなると彼を見捨てて、とっとと劉備に寝返ったのである。
普通に考えれば、人でなしと言うべきであろうが、彼は元々自分が王様に成りたい程の人であったから、要は自分愛に長けていたと言うべきだろう。
言い方を変えれば、とんだ利己的な男と言えるのではないか。彼はそんな"とんでもお坊ちゃま君"なのだった。
そんな彼を劉備がどうして欲しがったのだろう。それは彼の名門としての箔もあるだろうが、何より天下に轟く武勇の持ち主であったからだ。
そして彼とまともにぶつかると、こちらの被害も甚大になると踏んだからであった。それなら戦う前に寝返り工作を行っておきたいと想っても罰は当たるまい。
馬超本人も戦いに継ぐ戦いで、そろそろ安寧の地に落ち着きたいという意志があったのだろう。或いは、連戦に継ぐ連戦の中で、どうも自分には王としての資質は無いとようやく自覚したのかも知れない。
それが証拠に、彼は劉備の傘下に下ってからは、ひたすら忠節を守っている。
そしてあの龐徳が馬超と袂を別つ決断をしたのもこの頃のようである。彼は張魯の許にそのまま残った事により、その張魯が降伏した曹操の傘下に収まる事に為った。
そして従兄弟の馬岱のみが、最期まで馬超に付き従ったのだった。馬超の行動は過去を省みると魏延の比では無いとさえ想える。
けれどもこの当時は名門の士は一目置かれる存在であった。しかもその後は裏切る事も無く、逃げだす事も無く、左将軍の重責を担って来たのだから、彼にとってみれば文句を言われる筋合いでは無かったのである。
こうして掘り下げてみると、何とも個性の強い濃い目の面子が揃ったものである。そしていみじくも冒頭の魏延の呟く独り言に行き着くという訳だ。
『やれやれ…( °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)』
魏延で無くとも、似た様な立場の者ならば、同じ様に呟く者も居たかもしれない。丞相・諸葛亮を筆頭に、後将軍・黄忠、左将軍・馬超、そして魏延である。
『(ꐦ٥ °᷄ ⌓ °᷅ )何故この組み合わせになったのか?』
ひつこい様だが、彼がそうなった経緯に疑問を感じても不思議は在るまい。
『どうせならば…(ꐦ٥ °᷄ ⌓ °᷅ ღ)陛下と張飛将軍、法正殿のグループに入った方がまだましであった…』
魏延はひと際、高く口を尖らせて、不承不承後に続く。
言いたい事は山ほどあるが、文句の一つも言えぬ面子であるし、これでは冗談すら軽く洩らせない。時折、遠慮気味に溜め息を漏らすのがせいぜいであったのだ。
『(ღ °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)全くこれじゃあ、羽を伸ばすどころの騒ぎじゃあ無い!この沈黙は拷問に近いな…』
彼はそう想いながら、前を行く三人を交互に見つめた。
諸葛亮は珍しく馬上の人であるが、左手にはあの白扇を握り、気持ち良さそうに時折、パタパタと扇いでいる。(ღ ˘͈ ᵕ ˘͈ )~♫
『ふん♪(ꐦ٥ °᷄ ᗜ °᷅ )੭ ੈ何を想うておるのやら…丞相の頭の中はいったいどういう構造をしておるのか、機会があれば切り開いてみたいものだ…』
彼自身は今のところ、丞相に対して特に恨みは無いが、あれだけ面と向かって敵視されれば面白い訳が無い。けっきょくのところ、そんな思考に辿り着くという訳だ。
そして馬超はこちらも珍しく鎧兜を身に付けていない。常に白銀の鎧兜に身を包み、錦馬超と言われた威風堂々さは形を潜める。(〃´•̀ з•́)=3
このところ背中に出来物があるために痛みが激しい。彼は眉間に皺を寄せ、時折少し発熱し、只ひたすらに我慢しながらの行軍である。
そこはさすがは馬孟起と言うべきだろう。文句のひとつも口に出さず真一文字に口許を結び耐えているのだ。
『(ღ °᷄ ⌓ °᷅ ꐦ٥)まだ饒舌に武勇伝でも聞かせて貰う方がましであったな…痛々しくて見ておれんわい…』
相手が元気でさえあれば、怒らせてみるのも面白かったが、これでは余りにも気の毒に過ぎる。
馬超はプライドが高いがゆえに、すぐに剥きになるところがあった。顔を真っ赤にして頬を膨らます彼の顔が面白くて、張飛将軍などはわざとけしかけたものである。
けれども相手は言うは憚る事ながら、こうなってみると半病人である。否、下手をすれば重病人かも知れない。けっきょくのところ、さすがの魏延も視線を維持する事すら適わなかった。
最期に残るは黄忠である。( ꐦ◜ω◝ )
この人は戦場では、豪放磊落に振る舞うが、元々は剛毅朴訥。不屈の精神の持ち主で、日頃は話題を振る様な人物では無い。
簡単に言えば、愚直なのである。とどのつまりは、魏延からすれば、このグループは和気あいあいと賑やかにやれる雰囲気度"0"という事になる。
『(ꐦ٥ °᷄ ⌓ °᷅ ღ)無論、遊びでは無い…これも国への奉仕の一環なのだ。それは判っておるが、何とも味気の無い事よ!』
魏延はこうしてブツブツ呟きながら、時折それに耐え切れずに三人に阿る様な素振りを見せた。彼からすればかなり卑屈な態度という事になるが、色々と試行錯誤した結果として、これが道中一番楽な姿勢なのだと辿り着いたからであった。
彼のお気楽な帰省休暇計画はこうして破綻したのである。
元々魏延は蜀の重鎮連中の中では若い部類に入るし、殊更に急いで健康診断に出向く必要は無かったのだが、果たしてなぜこの第一グループに入れられたのであろう。
組分けの優先事項は国の重責を担う者で在り、その中でも年輩者か、もしくは病を抱える者であった筈であるが、魏延は生憎とそのどちらにも当て填まらないのだ。
それではここで種明かしと行こう。
劉備は、自分のアイデアだと言い張っているこの計画に当初は非常に乗り気であった。だからこそ即日この施策を施行した。
董允と糜竺にすぐに計画を策定させたのである。ところがいざその計画書が上奏されると、何と自分の名前も乗っているでは無いか。
「(◍;′◡‵◍)σ…なぬ!?わしも行くの?何で?だってわし王様だよ♪王が留守にしてど~すんのよ!余り王と太子が同じ所に居ない方が良いってさ、王位継承者の鉄則だよね?ど~すんのよ??」
すると義弟の張飛に一喝される。
「(ꐦ°᷄д°᷅)兄者♡心配要らね~よ♪わしが一緒に行って守ってやるからよ!大船に乗ったつもりで居な♪なぁに、成都は丞相が居れば問題無いし、たまには太子や関羽兄貴、趙雲とも逢えば良いさ…気楽に行こうぜ♪」
劉備に面と向かって単刀直入な物言いが出来るのは後にも先にも関羽と張飛の義兄弟だけである。そう張飛に釘を刺されると、さすがの劉備も行かぬ訳にも行かなかった。
ようやく年貢を納めたとは言え、嫌な事、面倒臭い事は、早めに済ますか、なんとか先延ばしにしたいと願うのは古今東西、人の性である様だ。劉備はどうやら後者のようであった。
元はと言えば配下の健康を願う心がもたらした施策であるから、自らが模範的に振る舞う必要性は感じていたので、仕方なくこの際一計を案じた。
「(◍;′◡‵◍)儂はまだまだ壮健よ♪ゆえに後廻しで良い!皆、建国の為に長年に渡り身体を酷使しておる。早めに観て貰うが良いぞ♡」
ここ一番で配下を想う心をこれ見よがしに発揮した。こうして計画書の一番目に名を連ねていた劉備の名前は諸葛亮に変更された。
本音を言えば孔明も早めに荊州の様子を検分したかった。そして太子とも今後の事について話し合いたかったので渡りに舟だった。
劉備はさらなる小細工を弄する。魏延の名前と黄権の名前までひっくり返した。そして然もこれで良いという悪戯っぽい表情をすると、これで公表するようにと宣ったのである。
諸葛亮も多少のモチベーションの低下には繋がるが、自分にとってもこの交代は都合が良く、益はある。態度の怪しい魏延を手許に置いたまま監視も出来るのだから一石二鳥だった。
こうして然も偶然を装った組み合わせは、当然の如く公表された。皆、裏事情を知らないから文句も言えなかったのである。
ではなぜ劉備はお気に入りの魏延では無く、黄権を組み入れたのだろう。劉備は元々侠客の士を好む傾向がある。
法正などは一見、諸葛亮同様の正道を尊ぶ立派な士大夫に観られ勝ちだが、跳んでも無い。ガチガチの俠客で在り、策を弄する事に長けているばかりか、自分の反対勢力は裏に手を回して上手く消してしまうという様な、イケイケの御方であった。
張飛・法正が絡むこのグループには魏延を組み込むよりも、皆に一目置かれ、常識のある黄権の方が劉備にとっても良かったのである。結果、若い魏延が黄権に代わり第一グループに入る事に為ったのだった。
魏延はブツクサ文句たらたらだが、実は彼を可愛がっている劉備の根回しによる仕込みだと知ったらさぞ驚くに違い在るまい。
彼はこうして我慢に我慢を重ねた身の上を憂いながら、故郷に錦を飾ったのであった。