運命の交錯
『; ー̀дー́ )ᵎᵎしかし、これは凄いな!国力の差では圧倒している自負はあるが、蜀がこれだけの船団を有しているとは驚きだ…』
『…物量作戦では負けていない筈なのに、今回は兵糧は元より医薬品まで貰う始末だからな…恥ずかしくて適わん!』
曹仁は、樊城の民を保護する責務を担うため、太子・劉禅所有の大型船に同乗している。いざ城の外に出てみると、城の水没半壊も然も在らんという事が如実に堪える。
波間に漂うひとりとなった彼にとっては、十分…目を見張るものがあった。そしてその波間を抗う様に進むこの船団の規模は、尋常では無い。
大型船二隻を含み、残りを全て中型船で固めるこの大船団の陣容は水面を覆うが如きである。
『; ー̀дー́ )ᵎᵎこの技術力の高さは何だ!我々だって大型船を作る技術が無いとは想わぬ。現に赤壁の際は、魏王の母艦は当時としては巨大であった…』
『…しかしこの大型船と比較すれば、やはり見劣りする。これは海軍力では呉は勿論の事、蜀にも負けている事を意味する。危うい事だ!」
曹仁はそう肌身で感じていた。
魏ほどの大国が船をこれだけ持ち得ないのも不思議な気はするが、これには理由がある。そう…曹仁がいみじくも述べた"赤壁の戦い"である。
これは広く知れ渡った有名な戦いであるから、知っている方も多いと想う。曹操が天下統一を目指して、呉蜀連合と決戦に及んだ戦である。
そして曹操は負けて敗走し、ボロボロになりながらも、帰国。国力を立て直す事を当面の命題に掲げた。その時、彼は曹仁にのみ、ボソッと呟く。
『(๑°⌓°๑)…世の代での天下統一は夢と消えた』…と!
それから曹操はその夢を息子・曹丕に委ねたと言われている。赤壁の敗戦はそれ程に大きな代償を伴うものだったのである。
決戦の地・赤壁とは、呉の領国内である。長江も、呉の領国内は概ね、高い岩肌に囲れている印象が強く、ここ赤壁の名の由来も読んで字の如し…その辺りから来ているようだ。
つまりは攻め手も守り手も船が必須であった。曹操は天下統一の準備として、江東(呉の領域)を攻める為には、海軍力は必ず要ると踏んでいた。
そのため、荊州の劉表を攻めた時に得た、海軍力に長けた将、蔡瑁と張允にその命題を与えた。
中原を中心にその北方を含めた国力を十分に生かし、その圧倒的な財源をふんだんに使って、海軍力を増強させたのである。
何しろ曹軍百万(実際は93万)と言われる将兵を運ぶのだから、その数も尋常では無い。大中小様々な船が造られ、その陣容はまさに長江を埋め尽くす有様であったと言う。
敗けた理由には諸説あるが、ここでは、疫病の蔓延を挙げておきたい。演義では、諸葛亮が東南の風を吹かせたとか恰好が良いが、そんな仙人の如き事が出来る人間が居るとは到底考えられない。
曹操の陣には北方の出身者が多く、南部の気候と長江の水に慣れない者が多かった。つまり、風土病による体調不良から来る疫病の発生で悩んでいたのである。
そのため、連環の策と言って、船と船とを鎖の環で繋ぎ、船を安定させる事で陸の上で居るのと変わらない状態を作り出そうと、知恵を絞って改善に努めていた矢先であった。
しかしながら世の中にはそのまた上を行く者が現れるものだ。
呉には当時、周瑜と黄蓋という、知恵を練る者とそれを体現出来る気骨の士が居たから、魚油を大量に染み込ませた藁を積んだ船を、次から次へと突撃させ、火を付けたのである。
そして、江東の季節風を熟知した者なら、数日間のみ東南の風が吹く事を知っていただろう。そんな学士が一人ぐらい居たとしても可笑しくは無い。
当時、鳳雛と呼ばれた龐統士元などは、呉に居た様であるから、彼からその情報を得たという可能性は高いのでは無いかと想う。
連環された船には、強く流れ込む風が火を蔓延させた。そのため大勢の者が焼死に、或いは溺死した。運良く逃がれた者も、呉蜀の追撃により討たれた。もはや戦いどころの騒ぎでは無かったのである。
こうして大勢の戦死者を出し、財力の限りを尽した船団も焼かれ、或いは打ち捨てられた。魏はその後、敗戦の痛みから、復興しつつあったが、積極的な海軍力の再生は見送られた。
それだけ赤壁の敗戦の痛手が大きく、天下統一を既に次世代に委ねた魏王にとっては、海軍の再生等もはや眼中に無かったのである。
「(•• ๑)曹仁殿、酷い有様でしょう?」
北斗ちゃんは、せっかくの機会だからと再び声を掛ける。
「; ー̀дー́ )ᵎᵎええ…そうですな!しかし太子は荊南の民を救われたのでしょう?儂は備えをしているつもりになっていたが、判断が甘かった。多くの民を死なせて申し訳無い事だ…」
曹仁はそう溜め息を尽く。
「ꉂꉂ(°ᗜ°٥)否、私だって運が良かったのです。配下に荊州出身の者が居て、教えを乞う事が出来たのですからね♪それに偶然の産物も多い。今回は、我々に運が味方してくれた…それだけの事です!」
「ꉂꉂ(ー̀дー́*)フッ…儂には運が無かったか?確かにそうかも知れませんな!でもその運も上向きつつあります。儂は少なくともそう想っていますよ!何故か?…」
「…貴方達という救い主が現われて、今こうして民を避難させられています!これが証拠ですよ♪つまり貴方は我々の救世主って事に成りますな!」
曹仁はそう断言すると、笑った。
『敵わないな…(꒪ö꒪;)何て前向きな御仁なのだろう。一から十までこの調子だと、とても相手に成りゃあしないだろう。でもそうで無ければならんのだ。僕もこの人を見習わなければね!』
北斗ちゃんはそう想った。そして閃いたのである。
「仰有る通りかも知れませんね♪ではその救世主から面白い事を予告しておきましょう…(´°ᗜ°)✧」
そう悪戯っぽい表情をする時、北斗ちゃんは童そのものである。
「いったい何です?✧(ー̀дー́*)余り敵方に口が軽いのは慎しまれよ!将来、上に立つ者は軽々しい態度は禁物ですぞ!」
真険な眼差しでそう応える曹仁の姿勢は、まるで自国の太子を嗜める様にも観える。彼をして、いつしかこの隣国の太子に親近感を感じ始めていたのかも知れない。
「( ๑•▽•)否、構わないですよ!減るもんじゃ無し!」
北斗ちゃんは微笑ながら、会釈を返す。曹仁の懸念に感謝した証である。彼は続ける。
「✧(°ᗜ°´)来年はこの氾濫が起らぬ事でしょう…それは何故か?」
彼は取って付けた様に、曹仁の真似っ子をして愉しんでいる。余程、曹仁の語り口が恰好良いと想ったのかも知れない。
昔は良く韻を踏むという答礼の仕方が持て囃され、洒落ていたのだろう。
「…貴方にここでお会いしたのも御縁というものです。御縁は大事にせねばね♪私は先日、ある者から河川整備の打診を受けまして、その時は、時が無いゆえ歯止めを懸けたのです!でも復興に沿って、私は向き合うつもりです。フフフッ…(´°ᗜ°)✧邪魔されますか?」
北斗ちゃんはじゃれる様な仕草を返す。そして然り気無く、横目で様子を窮った。ところが、柔軟な態度で臨んだ事が却って、良かったのかも知れない。
曹仁は直ぐ様、反応した。
「✧(ー̀ᗜー́*)ああ、ここにも同志が居ましたか?実は私も兼ねてから、河川工事の要請を都に打診しておりましてね、ところがこの地域(荊州)の共有財産であるから、取り掛かれば蜀や呉にも利すると宣うのですよ…」
「…何を考えているのかな?民の事は蚊帳の外、念頭に無いんですな…甚だ心外というものです…」
彼は然も残念だと言わんばかりだ。
「✧(❛ᴗ❛ و)喝を入れてやれば良い…敵を利するなんて愚かな考えだ♪まずは民の為です♡そして戦時には、工夫を凝らせば済む事ですからな!ある意味…やったもん勝ちに成るかも知れんのです♪そうでしょう?」
「仰有る通りです!ꉂꉂ(ー̀ᗜー́*)貴方が羨ましい…何でも自分で決断出来るのですからな…否、これ以上は言いますまい!決断するにも勇気がいりますからな…」
「…義兄を見ているとそう想います。それは上に立つ者のメリットでもあり、ジレンマでもあるのでしょうからね…」
曹仁は奥深い事をさらりと言ってのけた。彼だって程度の問題はあるにしろ、魏を背負う立場である事に変わりは無い。
しかしながら、彼が例えNO.2で在ったとしても、魏王・曹操との間には、大河・長江の河幅以上の権限の開きはあるだろう。
そしてその腹心だからこそ、垣間見る事の出来る王の悩みというものにも何度も遭遇しているのだろう。
それをして、彼にそう言わしめたのかも知れない。そしてその苦い決断が、民の生死を左右する事になる事もである。
「ええ…確かに!(´°ᗜ°)✧まぁ、私は丞相の後ろ楯があるから、まだ気は楽なのですよ♪太子と言えど、廃鏑される事だってある御時世ですからな…あ!否、大変失礼…」
北斗ちゃんは口が過ぎたと、手で口を覆う。
『(°ᗜ°٥)…しまった!余計な事を?!』
彼は口に出すまで、気が付かなかったのだから、決して他意は無いのだが、言った端から相手が不味かったと謝意を示したのである。
実は曹操には、息子が大勢いて、この時代は既に儒教精神が行き届いているとはいえ、父親が可愛がっている子供が跡を継ぐ事が多かった。必ずしも鏑子の太子擁立が有利だった訳では無かったのである。
そして、曹操は子供の中でも、次男の曹丕と三男の曹植に特に期待を懸けていたので、彼らを試めす様な事をしていた。
曹丕には司馬懿を、そして曹植には楊脩を教育係に着けて、互いに切磋琢磨させたのである。
当時、若手参謀の中では、この二人が群を抜いていた。だから見込みのある息子達に、この二人を充てがった。そして主従共々競わせる事により、優劣を決する様に仕向けたのだった。
こうなると、互いに必死である。司馬懿や楊脩だって、自分の主人が次期後継者になれば、自身もNo.2は確定したも同然なのだから、当然張り切る。場合によってはこの際、選択の余地なく、汚い手段に訴える事すらあったのである。
勿論、それも含めて、補佐役の力量すらも推し量ろうとする魏王の慎重なのか、えげつないのか、最早それすらも判らない、計算高いこの姿勢は、やがて両陣営の争いをますますエスカレートさせたのだった。
当初は家名も高く、機転が効き、先読みの鋭い楊脩が一歩も二歩もリードしていた。
それに比べて、若い頃から何度出仕する様に促しても、時に仮病をはたまた怪我を装い、曹操の誘いを事如く、袖にして来たのが、司馬懿仲達である。
彼も本来はとても優秀ではあるのに、わざとその才能を隠して、馬鹿を地で行く振る舞いをするなど、奇行が絶えなかった。
曹操に注目されれば、される程に近づく事さえ厭がり、その期待を空かす。そして絶対に底を見せない寝技師で在った。まるで何を考えているのか判らない男であったのだ。
楊脩も司馬懿以上に優秀な男と観られており、周りの評価も高かったのだが、この男…少々自分の才能を鼻に懸ける嫌な性格の持ち主であった。
曹操に仕える老臣連中でさえ、大っぴらに小馬鹿にするものだから、段々と嫌われ者の代名詞が付き纏う。
片や司馬懿は真面目一徹で、敵を作らぬが、すぐヘり下ったり、逃げ出したり、土下座する弱虫という負の要素が絶えず付き纏った。
それを見ていて周りの者達も、双方共に、一長一短と辟易する始末であった。
才能を鼻にかけても、老臣連中をまだ小馬鹿にする内は良かったが、この楊脩、遂には調子に乗って曹操自身を試す様な事をしたものだから大変だ。曹操は怒り心頭になり、もう少しで彼を自裁に追い込む寸前まで行く所だった。
それというのも、この人、相手の心の中に土足で踏み込み、その人の考えを的中させちゃう程の凄腕だったので、曹操の心をよせばいいのに読み問いて、それを公衆の面前でペラペラ喋くったのである。
魏王である曹操は、当然、他の臣下が見ている前で、それを認める訳にはいかないものだから否定する。
否定すれば、答を外した楊脩が恥を掻く。その場は笑いに包まれる。ところがこの場で笑えないのは楊脩、司馬懿、そして当人の曹操で在る。
楊脩は自信があるからどうしても膨れっ面になる。
司馬懿はそれが当たっているのが判っているから、楊脩の才に戦慄を覚え、曹操の怒りが如実に判るから恐ろしい。
そして、自分の心の内を見透かされた王自身は嬉しい訳が無く、いつか殺してやるくらいの憎悪を滾らせていた。
たまたまこの時は、世子候補の曹植が楊脩を連れて詫びを入れに行ったので許された。
実のところ、曹操は詩や芸術に秀でたこの三男を溺愛しており、本音は後継者に考えていたのだが、酒癖が悪く、素行が極めて宜しくなかった。
そして夢から覚めて、現実を直視した時に、政治・軍事・統率力と三拍子揃っていたのが、曹丕であったのだ。
但し、この人も能力はあるのに自分に自信が持てない人で、すぐ弱気に成り、司馬懿に影で尻を叩かれる。一つ所か三拍子揃った実力が在る癖に、この人、相手の土俵で互いを比較する悪い癖が在った。
詩や絵、文章表現など、どれを取っても、弟・曹植に敵ず、いつもその後塵を拝していたので、曹操には生まれてこの方、褒められた事が無く、自分は父に嫌われていると想い込んでいた。
そして何よりこのカリスマ性随一の父親を怖がっていた様であり、その傍によると極度の緊張を覚えて脚が震えた。結局この恐怖心は、曹操が崩御するまで消える事は無かったのである。
さて、何度も前述している様に、魏の太子は曹丕に決まる。これは大きく二つの事情が内包されていた。
一つは曹植が、酒に酔った勢いで帝の内宮に繋がる門のうち、夜間帯に許しも無く禁門を破り、乱入した事。これだって下手をすれば極刑である。
この場合の帝とは、後漢の劉協(皇帝)の事であるが、この人は曹操に帝位に着けて貰った傀儡で在るから、そもそも力は無かった。
曹操は既に丞相の頃から、政治を牛耳り、睨みを効かせていたので、この場合も曹植が極刑になる事は無かった。
但し、罪に問わない訳にもいかず、結果、体良く島流しに合うだけで済んだ。
まぁ、島流しと言っても、地方の長官ではあるので、端的に言えば表面上、左遷されただけであり、ほとぼりが冷めれば、中央に舞い戻る目も在ったのだろう。
太子争いからは、普通ならこれで脱落する。けれども曹操自身がまだ諦めておらず、本人次第では、まだ浮上する目もあった筈なのに、彼はこれで精神の糸が完全に切れてしまって、酒により溺れる様になる。
そして曹操自身が決断せざるを得なくなったこの二つ目の理由で、曹丕の太子擁立が決まる事になる。それは曹操自身が劉備に奪われた漢中奪還に臨み、現地に攻め込んだ時の事であった。