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将を射んと欲すれば

「けど…それってエグくないっすかね?」


賀斉はそう言った。


さすがに気が(とが)めるらしい。そもそも彼は波風を立てるのを苦手としていた。


まぁ好きで波風を立てたい人も居るまいが、時と場合にもよりけりなのである。


当の孫登だって、気が咎めない訳じゃないが、優柔不断な父親にお付き合いするのにも限度はあった。なので苦渋の決断と捉えている。


彼は皆を前にしてはっきりと宣った。


「まぁな!でも(おも)(わずら)い、一度決断した事を(くつがえ)すのは君主たるべき者の成す事では無かろう。勿論、国や民の行く末が懸かっている事だから、じっくりと腰を据えて考える事は必要だろうさ♪でもね、風見鶏の如く変節されては、下の者も混乱すると謂うものだろう。覚悟を決めるのは、何も指示する者に限るまい!指示された者だって覚悟は居るのだ。確かに状況に応じて覆さないといけなくなる場合もあるだろうが、こう二転三転しては誰も信じて従えなくなる。今回の事は国同士の約束だから、必ず果たさねば成らない。否…敢えていうなら私と劉禅君の誓いだ♪それにだ!何も必ず行使しようってんじゃ無い。またぞろ迷走が始まった時の最後の一手さ♪それなら皆も納得してくれるんじゃないかな?」


孫登は想いの丈を口にした。


これには皆も同意したように頷く。


特に過去に苦い経験をした者たちは大旨、腹に落ちた。赤壁の折りの苦い経験は、彼らの心の片隅に今も残っていたのだろう。


だから彼らにしてみても、太子の苦肉の策を諫める者は居なかったのである。


結局のところ、賀斉の出した案は諸手を挙げて採用され、その採用を唯一渋った者も賀斉、只ひとりであった。


「溺れる者は藁をも掴むと申します。最終手段であれば、やむを得ません!」


呂蒙はそう太子を擁護する。


「背に腹は代えられません!」


陸遜もそう述べた。


「それでその錫杖というのは、今どこにあるんだい?」


孫登は訊ねる。


ところがこれに即座に答えられる者は誰もいなかった。呉国太(ごこくたい)様は到に亡くなられており、普通に考えれば副葬品と共に、埋葬された筈である。


本人が生前、好んで使っていた物ならば、尚更だった。これには皆も諦めざる逐えない。


無い物ねだりは出来ないのだ。こうして皆が諦め掛けた時に、「あっ!」と声を上げる者が居た。言わずと知れた賀斉本人だった。


「何だ!何だ!想い出したのかい?」


孫登は慌てて訊ねる。


すると賀斉は首を傾げながらも答えた。


「そうですな…もしかしたら、尚香様がお持ちかも知れません。呉国太様は、尚香様をとても大切にされており、その形見である錫杖を欲しがるとしたら、あの方を置いて他に在りませぬ!当たってみるのもひとつの手では無いでしょうか?」


これには孫登も頷く。


確かにその可能性はあるかも知れないと感じていた。だから迷わずこう告げる。


「では…それは公苗(こうみょう)、そなたに任せよう♪言い出しっぺだ!最後まで責任は持って貰うぞ♪」


そう言って笑った。


「え~っ!あっしですかい?若様じゃね~ので♪」


賀斉は声が張り裂けんばかりに驚き、叫ぶ。ところが無常にもその言葉は、却下された。


「世の中、そんなに甘くないぞ♪何のために私が意見を求めたと想っているんだ!それは…判るだろ?」


孫登は皆まで言わずに尋ね返す。その瞳にはイケズな色合いが在った。


「へぇ…それってアレっすよね?ひとりで出来る事には限りがあるが、皆で協力すれば倍々の力が発揮出来るってヤツっすね?」


賀斉はたどたどしい言葉ながらも、そう答えた。これには孫登も諸手を挙げて拍手喝采した。


賀斉は見事に自爆した。本人もさすがに気づかぬ筈は無く、青ざめるも時既に遅かった。


「何だ♪判ってんじゃん!そうそう、それそれ♪何しろこれは我らの結成した時の旗頭だからね!忘れて貰っちゃ困る訳よ♪」


孫登はそう(うそぶ)く。まぁ確かにその通りなんだから仕方無いが、これでは明らかに言い出し損であった。


賀斉もさすがにひとりで尚香様を訪ねるのには抵抗があったので、今にも泣きそうである。それと同時に、彼は太子のドヤ顔に初めて触れて唖然としていた。


すると呂蒙が今度は(うそぶ)く。


「太子様も何か劉禅君に似て来ましたな♪」


「えぇ~そうかなぁ…」


「そうですよ♪」


「そらぁ嬉しいけど、何か失礼かも♪」


太子はその意味を理解出来ずに困惑気味に恥じらう。皆はこりゃ駄目だと突っ込むのを止めた。


やっぱりこの方の本質は天然だと想ったのである。彼らは知らない事だが劉禅君も天然なのだから、やはり似た者同士なのかも知れない。


賀斉は致し方なく、孫登の命を拝受した。


「判りました…何とかします♪」


「そう言ってくれると想ったよ♪じゃあ頼むね!」


孫登はニコやかに微笑むと解散を命じた。ようやく彼も束の間の休息に入る事に成ったのである。




「やれやれ…参りましたね…」


賀斉は溜め息を漏らす。そしてそんな独り言を呟きながら、昨日歩いたばかりの、庭園を囲む回廊を進む。そう…彼は今、尚香様の住まう離れに、只ひとり向かっているのだ。


本音を言えば、彼だって好き好んで行きたい訳じゃ無い。けれども、これは役割分担なので仕方無かった。しかも彼は(きんきん)々で、尚香様に御意を得たひとりだったので、状況が判っている分、幾らかマシと謂えたろう。


それでも臣下の身である事には変わりないし、喩え太子の命で在ろうとも相手は君主の妹御に当たる訳だから、何も無くても気は使う。ところが相手は男顔負けの鎧武者であり、男勝りな言葉がポンポン飛び出す姉御肌の鬼姫だった。


ゆえに賀斉は今まで孫策様のお供以外でお会いした事は無く、ましてや単独で面会した事など無い。それでも行けと言われれば、行かなくてはならないのが臣下の道なのである。


『さてと!どう切り出すか…』


まずは会う事だろうが、その壁を無事に越えても、錫杖の件を蒸し返した上で、手に入れなければならないのだ。そのハードルは高い。


彼はテクテク歩みを進めながら、頭を痛めたが、そうそう急に良い着想が浮かぶ筈も無く、逐に無策のまま辿り着いてしまった。


『ええい…ままよ!』


どうせ手ぶらでは帰れないので、彼は思い切る。ここが正念場と、勢いに任せて行動に出た。


「ドン!ドン!頼もう♪」


賀斉が門を叩くと、運の好い事にはあの女官長が出てくれた。これもある意味、強運の持ち主である。彼は閃く。


『ひょっとしたら…繋いでくれるかも?』


そう想い、声を掛けようとしたら、想いのほか、先方から声を掛けて来た。


「あら…賀斉様ではありませんか?先日は有り難う御座います♪お陰で主様(ぬしさま)も以前の覇気を取り戻し、昔の華麗さが戻って参りました!全ては太子様と賀斉様のお陰…感謝しております♪」


女官長はニコニコでそう宣うが、考え様によってはお転婆娘が復活した訳だから、これは素直に喜んで良いのか、賀斉も五分五分と謂ったところである。けれどもここは本音を必死に押さえて調子を合わせた。


「そりゃあ、よう御座んした♪あっしも役に立てて何よりです!ところで、ものは相談でやんすが、今一度、尚香様に御意を得たいんで♪繋いで貰えたりしますかい?」


余りにも唐突なのは百も承知だが、先方だって無駄話をしに来たとは想うまいと、勢いのまま訊ねた。


女官長は変わらず愛想よく頷くと、「えぇ…それは勿論♪太子様の御下命ですね?」とさすがの忖度(そんたく)である。


これは有り難いと賀斉もコクリと頷くと、話し続けた。


「左様で♪察して下さるか?こりゃあ、有り難ぇ~♪じゃあ、頼んます…」


そう言った瞬間に、賀斉はふと思い付いて、お伺いを立てに行こうとした女官長を一旦、引き留めた。


「ちょっと、待って下せぇ~♪」


「何でしょう?」


彼女は不思議そうな顔をする。


よくよく考えてみれば、本人にわざわざ聞かなくても、女官長が知っていれば話は早い。しかも本人の目の前に立ち、話を振るのもある意味、勇気のいる事だ。


それならここで損にして聞いてみる方が旨味があるというものである。


『情報は力なりだ…』


賀斉は訊ねた。


「いゃ…付かぬ事を伺うが、(おさ)殿は呉国太様を覚えていらっしゃるか?」


賀斉の不躾(ぶしつけ)な物言いに女官長は再び不思議そうな顔をするが、昨日、彼の機転で助けられているものだから、無体な真似も出来ない。直ぐに答えてくれた。


「はぁ…それは勿論です!忘れる筈が在りませんよ♪それが何か?」


「そうか!それなら話は早い♪呉国太様は尚香様をとても可愛がっていらしたな?」


「えぇ…それはもう♪目に入れても痛くない程に可愛がっておいででした!」


女官長は賀斉の意図するところが判らず、戸惑いながらも真摯に手伝う姿勢を見せてくれている。賀斉は少々遠回しに過ぎたかと想い、そろそろ本腰を入れる事にした。


「あっしの(つたな)い記憶でスマンが、呉国太様は生前に錫杖を肌身離さず持って居られたと記憶しておる。アレはどうなったかお分かりか?」


賀斉はそう言ってみたものの、今度は唐突に過ぎたかと焦る。けれども話の花が咲いて嬉しいくらいの満面の笑顔で女官長は答えてくれた。


「あぁ♪そうです!賀斉様もよく孫策様とお越しでしたから、良く覚えておいでですね♪懐かしいですわ!そうですね?アレは初めは呉国太様と一緒にお棺に入れる筈でしたが、亡くなる間際に是非、尚香様に形見として残したいと言われて…確か今も尚香様がお持ちの筈です!」


それを聞いた賀斉はしめたと想った。娘の願いでは無く、母の娘を想う心だった違いは在ったものの、所在は彼の睨んだ通りだったので想わず安堵の溜め息を漏らす。


けれどもここからが急激にハードルは上がる。それをどうやって手に入れるかである。おそらく直球で頼み込んでもそう簡単には貸して貰えまい。


何しろ母の形見として譲り受けたものだからである。特に望んだものならまだしも、故人が特に娘にと残した物なら尚更である。


思い入れが深い分、大切にされている事だろう。困った賀斉は少々図々しいとは想いつつも、正直に話してみる事にした。


「実はな、長殿!(かくかく)(しかじか)々…」


賀斉はその意図するところを全て包み隠さず、正直に打ち明けた。すると女官長は呆気に取られた表情になる。


「ホッホッホ…まぁ、太子様ったら何てお茶目な事を考えるのでしょう♪でもそれなら必要無いと断言しますよ!」


女官長は自信満々にそう語った。今度は賀斉が不思議な顔をする番だった。


「それはいったいどういう事かね?どうして必要無いのかあっしには判りませんが?」


すると再び女官長はクスクスと笑った。


「賀斉様!そりゃそうです♪昨日、尚香様はこう仰いました!これからは太子様の手助けに乗り出すから、準備をしなさいと♪そう言われてふと想い出したのですが、尚香様は錫杖を保管箱から取り出されて、とても懐かしそうに御覧になられていました!それを愛でながら、何やら決意されていた様にもお見受けしました♪おそらく何も言われなくとも尚香様も太子様と同じ様な事を考えておられるのだと想いますよ!だから不要だと申し上げました。ここは信じてお任せに成られる事をお勧めいたします!それにお優しい太子様に、そんなやり方は似合いません♪呉国太様の意思をお継ぎに成った尚香様が為さってこそ、効果があると私は想いますの!何でしたらこの私が然り気無くそのように示唆しておきましょう♪如何です?」


これには賀斉も参った。確かに不躾な事を頼むよりかは、その方が余程マシというものだ。彼は即座に平伏して女官長に礼を述べた。


「それは助かります!そういう事でしたら、わざわざこのあっしが尚香様を煩わせる必要も確かに在りませんな♪では長殿を信じてここはお任せ致します!よしなにお取り計らい下さいませ♪恩に着ます!この通り…」


賀斉が余りにも平伏するものだから、今度は女官長の方が困ってしまった。


「そんな!大した事では在りません♪それよりも私を信じて下さる賀斉様の心の大きさに感服しております!必ず果たしますのでご心配無く♪お心安らかにと太子様にもお伝え下さいませ!」


「有り難う♪助かる!では宜しく頼みます♪」


こうして賀斉は尚香様に会う事も無く、目的を果たす事が出来た。持つべき者は信じて任せられる同志である。彼はこの時にそう想った。




『やれやれ…為せば成るもんだ!』


帰りの道すがら、長い回廊を歩きながら賀斉はそう想い、吐息をつく。善行は巡り巡って自分に返って来るとは謂うものの、正にそれを地で行く出来事がその身に起きて驚くばかりだ。


まさか偶然にもあの女官長に出会い、助けられる事に成るとは彼も想ってもみなかった。


『一日一善…一期一会…だから人生は面白い♪』


彼は来る時の苦しさなどすっかり忘れて、ほくそ笑む。何しろ最大の難関であった牙城を崩す事無く、その目的を達したのだから然も在らんというところだろう。


その解放感は尋常では無く、彼はいつに無くハイテンションで、踊らんばかりにはっちゃける。


『将を射んと欲すれば、まずその馬を射よ…か!これは名言だのう…』


彼は今、完全に羽目が外れてしまっている。その影響からか、気持ちがとても大きく成って、得意気にそう想っている。


けれども、それはあくまで計画的にそうした場合であって、実際のところは只の偶然に過ぎない。言い変えるとするならば、正に結果オーライ、超絶ラッキーってなもんである。


やはり濡れ手で粟を拾ったせいなのだろう。日頃はあれだけ慎重な彼の面影はすっかり影を潜めてしまって、そこには見る影も無かった。


ところが彼も元々は根が真面目で、奥ゆかしさを美徳とする男だったので、その調子の良さもそうそう長くは続かない。回廊を出る頃には反省し、すっかり冷めてしまった。


むしろあれ程酔っていた自分が恥ずかしくなり、哀れにすら感じる。


『やはりあっしは大物には成れませんな…小粒は小粒でもピリ辛の奴がお似合いだ!今回の事はあくまで(おさ)殿のご好意!忘れるなかれ、忘れるなかれ!』


賀斉はとうとう自力で自分を戒めてしまった。結局のところ、彼も根はいい奴なのである。


実際、彼がこんなに浮かれているのにも理由は在った。勿論、山越討伐で評価されて、廟堂の一員として返り咲いた事もそのひとつではある。


けれどもどちらかと謂うと、人に期待され頼られる事が、こんなにも嬉しい事だったなんて、すっかり忘れてしまっていたのだ。


遠い過去に置いてけぼりにして来たその感情を、彼は今この時に取り戻す事が出来たのである。


だからいつの間にか彼の心は爽快感に包まれていた。浮かれ落ち込み立ち直り、誠に忙しい男だと、彼は自嘲気味に自らを笑う。


しかしながら、彼はようやく自らの本当に依るべき場所に辿り着いた事を只ひとり喜んでいた。太子様は自分が仕えるに相応しい御方だと、彼は満足感と安心感に包まれ口許が綻ぶ。


自分を信じて託してくれる人が居る。そして互いを信じて協力し合える仲間が居る。


そんな在り来たりの様で、なかなか巡り会う事の出来ない人々の輪の中に今、自分が居られる幸せを彼は噛み締めていた。


『待てば海路の日和あり♪急がば回れ!…か。想えば孫策様を失って以来、あっしは新たな寄る辺を探していた様な気がする!孫登様はきっとあっしが長年探していた運命の御方なのだろう♪ならば必死に食らいつき、あの人の許で切磋琢磨し、きっとお役に立ってみせるぞ!』


賀斉はそう決心していた。傷を癒した鳥は羽ばたき、蒼く広い空に今正に飛び立とうとしていた。

【次回】急がば回れ

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