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手際が肝心

「じゃが、誤解しては成らん!」


話が一段落した時に、張昭は二人にそう告げた。


元々彼は顧雍から主導権を奪った後にそう言いたかったらしい。だからここで長老としての威厳を見せつけたのである。


「それはいったいどういう事でしょうか?」


これには陸遜がすぐに反応を示した。すると張昭ははっきりと告げた。


「おそらく元歎(げんたん)も同じ想いじゃろう♪話が事実である事は、最早明白(もはやめいはく)!疑う余地は微塵も在るまい。だから儂もその事実を許に話を進めるが、問題はお前たちがそのために荊州と…劉禅君と何を約束し、進めようとしているのかと謂う事じゃ♪おそらくこれ程の支援物資を受けたその背景には、きっと大きな約束事がある。元欺!御主の懸念もそこなのじゃろう?」


張昭は言いたい事だけ言い切ると、後は面倒なのか(てい)よく顧雍に押しつけた。


その顔は、一国の丞相なんだから当然と謂わんばかりである。またまた顧雍は参ってしまった。


けれども理由はどうあれ、一度握られた主導権がせっかく戻って来たのである。顧雍はこの機会を最大限に生かす事にした。


「仰る通りです♪さすがは子布様!お目が高い♪」


彼は張昭を持ち上げる事も忘れなかった。


「コッコッコ♪」


張昭も悪い気はしないのか、愉しげに笑う。


すると顧雍は今度こそぶっちゃけた。言いたい事は早々に言う事。先程、御大(おんたい)自ら教えてくれた事の実践である。


「お前たちの魂胆は既にお見通しだ♪どうせ丞相の私と、長老の張昭様を巻き込むつもりなのだろう?こんなところに呼び出すのだ!どうせそんな企みに決まっている。もはや(サイ)は投げられたのだ!そろそろ正々堂々としたらどうだ?」


顧雍のこの気迫に、二人は想わずほくそ笑んだ。そして呂蒙がぶっちゃける。


「判りますか?」


彼はそう言った。


「当たり前だ♪そもそも獲物を(おび)き寄せて反包囲するのは、お主ら知将と謂われる者たちの定番だろうが?この私を見縊(みくび)るなよ♪」


顧雍は馬鹿にするなと、息巻く。


すると只ひとり、着いて行けてない人物が不思議そうに訊ねた。


「おい!ちょっと待て?呼び出されたとは、穏やかじゃ無いぞ!彼らとは、たまたまここで遭遇したのじゃ無いのか?」


張昭は呆気に取られている。


仕方無く、顧雍は溜め息混じりにこう告げた。


「そりゃあ、そうです!長老は御存知無いかも知れませんが、私はこれでも将軍としてもやり手なのです。思考は、ほぼ彼らと似た様なもの!当然ですな♪それが証拠に、案内して来た官人はどこに居ます?ダメダメ!今更(いまさら)もう探しても無駄です♪手遅れですよ!到に逐電しています♪つまりは彼らに頼まれたのですよ!全く大雑把(おおざっぱ)誘引(ゆういん)の策です…」


顧雍は呆れた様に二人を見ている。


張昭は(さと)されて初めて、「成る程…」と呆れ果てた。顧雍の動勢には目を光らせていた張昭も、将軍たちの企みには気づかなかったようである。


彼らの所作がそれだけ自然であり、(いくさ)の前線に立たない張昭には、及ぶべくも無かったのだろう。


むしろ騙されたと判った後も、彼はなかなかやるもんだと感心していた。そこいらが文官と武官の機微の差で在ろう。


呂蒙は仕方無く言った。


「恐れ入りました!さすがは丞相です♪まぁ悪気は無いのです!単刀直入に申し上げれば、この物資の数々をその目に焼きつけて頂いた方が、話が早いと想ったまでです!大雑把に成ったのはお許しあれ…手っ取り早く話を進めるために、先程、付け焼き刃で考えたんでね♪もっと手の込んだ方法のが良かったですかな?」


呂蒙の言い草に、陸遜は不遜にもプッと吹き出す。彼らにとっては、端初に付くための早めの儀式であって、この場に誘引出来れば、どんなやり口でも良かったのである。


そう言われた顧雍は苦虫を噛み潰した。彼が如何(いか)に洞察力に優れて居ようとも、必ず様子を(うかが)うだろう事も込みで計算されていた事に気づいたからである。


(とど)のつまりは、顧雍は彼らの手の平に敢えて乗ってやったつもりが、やはり(てい)よく乗せられていたと見るべきだった。


顧雍は今更(いまさら)(いきどお)っても仕方無いと(あきら)め、話を先に進める事にした。ここまで来たら、食わば諸共(もろとも)である。


それにどう考えても、この企みの発起人は彼らでは在るまい。彼らの主人である太子・孫登様の息が必ず懸かっている。


それに本人に自覚は無いかも知れないが、長老である張昭は既に彼らの罠に堕ち、孫登君の支援を約束している。『孫登様こそ我が重耳…』という奴である。


顧雍は再び苦笑う。よくぞこれだけ悪知恵が働くと参ってしまっていた。だから彼はやむを得ずこう譲歩する。


「それで…我々に君らは何を望んでいるのかね?はっきりと男らしく言いたまえ♪」


顧雍はそう二人に迫った。これは二人にとっても渡りに船だから、すぐに答えた。


「では、遠慮無く!」


そう言ったのは陸遜である。彼は実のところ、この顧雍とは全く接点が無い訳ではなかった。


顧雍の妻は陸氏本家の陸康の娘であり、その息子・陸績とは当然の事ながら妹に当たる。


つまり顧雍の妻は陸遜にとっては、叔母・甥の関係という事に成る。ぶっちゃけ親戚のようなものだ。


ところがこれが少々ややこしい。現代でも時々有り得る事だが、叔父の筈の陸績よりも陸遜の方が5歳も年長なのである。


その妹だとすれば当然、叔母の筈の顧雍の妻も陸遜よりも年下である。


顧雍と陸遜は実に15も歳が離れているから、普通に従叔父に当たるのだが、妻は陸遜に叔母と呼ばれるのにはさすがに(はばか)りがあったというから、悩ましい。


結果、陸遜は叔母に妹妹(メイメイ)と呼ばされていたと謂う。そんな訳で、余り会うのも(さわ)りがあったので、日頃から自然と疎遠に成っている。


顧雍は顧雍で20歳近く離れた妻を貰っているので、妻の縁者と親しく付き合う事も無く、日頃無口な男がより肩身を狭くしていた。


だから陸遜の事は認めているものの、積極的には絡む事無く過ごして来たのだが、こうなっては仕方無かった。


しかも笑えない事が、もうひとつある。顧雍の長子の顧邵(こしょう)は正室が陸遜の姉であり、継室が孫策の娘なのだ。


陸遜も孫策の娘を妻としているから、このややこしい関係は少々笑ってしまう。顧雍が疎遠にしたくなる気持ちもよく判るし、それは陸遜も同様だろう。


そしていみじくも、大都督・呂蒙が顧雍の懐柔に陸遜を引き込んだ事が(しの)ばれるというものだろう。


兎にも角にも、この二人は否応無く絡む事に成ったのだ。陸遜はいけずうずうしくも宣う。


「我々の話を聞いて頂きたいのです!立ち話も何ですから、叔父上の家で腰を据えてお話したい♪」


こうなっては毒を食らわば皿までである。陸遜は顧雍が厭がるだろう急所を遠慮無く突いた。


案の定、顧雍は途端に厭な顔をする。


虎穴に入らずんば虎子を得ずと陸遜も必死だから、見て見ぬ振りをして軽く受け流す。


すると躊躇してる間にも話しはあっという間に決まってしまった。それは鶴の一声だった。


「おう♪それは良いじゃないか?そうせい♪ちなみに儂は言うべき事はもう言ったから、急ぎ帰り、息子の仲嗣を代わりに寄越すとしよう!奴は既に張家の当主じゃからな♪隠居は引っ込んでおく事にする♡」


張昭はサラリとそう言った。


これには二人は勿論の事、矢表に立たされた顧雍でさえ恨みがましい眼で見つめる。そらそうである。


つい先程、まだまだ現役だと平気の平坐で宣った御仁が、いともあっさりと手の平を返したのだから、皆が二の句が継げない。


けれども、長老の言葉にはやはり重みがあるので、誰ひとりとして不平不満を口にする者は居なかったのである。


仕方無く、顧雍は不承不承ではあるものの、承知するしか無かった。


「但し…」


彼は告げる。


「私は一旦、帰って支度するから、けしてすぐに着いて来るなよ!」


そう念を押した。


すると張昭は、「コッコッコ♪」と再び笑って請け負う。


「ちょうど良い!どうせ息子には、言い含めて送り出さねば成るまいからのぅ~♪」


もはや彼にとっては他人事のようである。


呂蒙は不思議そうな顔をするが、そこは陸遜が小耳を拝借して説明した。


妹妹(メイメイ)殿は、丞相が急に客人を連れ帰ると不機嫌に成るのです!だから予め許可を取るのですよ♪」


「そらぁ…何と言うか、悩ましいな!」


呂蒙は殊更に同情を示す。そして陸遜の顔を呆れ顔で眺めた。


よくぞそんな所にわざわざ押し掛けるものだと感心したのである。


陸遜が嫌がらせ宜しく選んだのは明白だ。さすがの呂蒙も顧雍が気の毒になった。


顧雍はそう言った訳で、すぐに立ち帰って行ったが、別れ際の顔には悲壮感が漂っていた。


それとは対象的に、張昭はまるで無関心といった具合に、「まぁ頑張りたまえ!困ったらいつでも相談に乗るぞ♪」とかなりお気楽な態度で引き上げて行ったのである。


呂蒙と陸遜は顔を見合わせ、呆っ気に取られていた。けれども、取り敢えずは端初に立った事には喜んでいたのである。


こうして決戦の地は、顧雍の自宅に相成った。




「仲嗣は居るか?」


張昭は帰宅するなり息子を呼んだ。


声が掛かるのは毎度の事なので、もはや張承も馴れたものだが、丞相と碁を打って来た後はいつもご機嫌斜めなので、本音を言えば近づきたくは無い。


そんなに負けて悔しいなら、端から止めれば良いのにと張承などは思うのだが、懲りないらしい。


泣いた(カラス)がもう笑って、またいそいそと出掛ける(さま)は、もはや呆れを通り越した張家の風物詩だった。


彼は想わず溜め息を漏らす。そらぁ誰だって、機嫌の悪い人に好き好んで近づく者は居るまい。


それは張承だってご多分に漏れる事は無いのだが、避けては通れぬ道ならば、誰だって早く済ませたいに違いないのだ。


これも自明の理である。故に彼は、自分がこの世界の不幸を一身にしょって立つくらいの気概で返事を返した。


「父上、何でしょう♪」


張承はそっけなくそう言いながら顔を出す。この時に大切なのは努めて明るく、それでいて何の含みも無い姿勢である。


そして禁句は避ける事、これに尽きた。


「今日は如何でした」などとはけして言ってはいけない。「お帰りなさい」もある意味、対局からの帰りを臭わせる言葉なので、避けるべきだ。


どうせ一晩寝てしまえば全て忘れて、またぞろ、いそいそとし始めるので、それまでの辛抱なのである。


そう想い、顔を出した張承は驚く。


父が今までは見た事が無いくらいの上機嫌なのである。終始、ニコニコとして頬が緩み、その瞳さえもキラキラとしているのだ。


彼は想った。これはひょっとして奇跡が起きて、初勝利の美酒を味わったのかも知れない。


もしそうなら、今日は私も共に喜ぼうと、彼は口からもう少しで禁句が出掛かったのだけれど、端と気づいた。


今まで避けて来た言葉をいきなり使うと、却って空々しく感じさせると想ったのである。


そうなると今までの苦労が全て水の泡であるばかりか、次の時にどう対処するか困ってしまう。


彼は自らの慎重さゆえにその機会を失い、堂々巡りに陥る。するとその機会はあっという間に遥か彼方へと去ってしまった。


張昭は一喝した。


「何を呆けておるか?お前に話しがある!ここに座れ♪」


そう言われて、張承は仕方無く父と差し向かいで座った。すると張昭はすぐに今日あった事を順序よく喋り出す。


対局の下りでは今日も顧雍に負けた事を認めたので、却って彼は冷や汗を掻いた。


『何だ…結局、今日も負けたのか?まぁでも一目差なら善戦した方だろう。何しろ相手は並ぶ者の居ない名手だ♪でも待てよ?負けたのに父は何でこんなにご機嫌なのだろう…』


張承は考え込む。


けれどもそれはすぐに判明した。


顧雍と共に官人の案内で国庫に向かった事。そこで見た事も無い程、積まれた物資を見つけた事。


呂蒙と陸遜に遭遇した事。彼らが太子様と共に荊州に行き、支援物資を持たらした事などである。


(とうとう)々と語る父の言葉には張りが有り、まるで冒険譚を得意げに語るガキ大将のようだったので、張承は嬉しくなってクスリと笑ってしまった。


それにしてもこの話しには、どうも最初から裏がありそうだと彼は思った。


どう考えても、声を掛けに来た官人の振る舞いが可笑しいし、まるで呂蒙や陸遜が敷いた罠に飛び込んだように感じる。


そして支援物資そのものにも疑問がある。復興が未だ民にまで及んでいない我が国は勿論の事、大国・魏でさえもそんな大盤振る舞いをしてくれそうな余力は感じない。


それを事も在ろうに、三国最弱の蜀にあって、風前の灯である筈の荊州に、そんな事が可能だろうかと想ったのである。


確かに広大な平野を抱える荊州は、開発すれば大きな果実を得られるだろう事は、張承でさえ判っている。


但し、それはあくまでも理屈であって、平野が多いという事は、却って攻め込まれ易く、守り難いという事に成る。


そして一番厄介なのが、網目状に広がる沢山の河川なのだ。それ故にせっかくの平地が分断されて、活用し難い。


さらには、いざ河川が氾濫しようものなら、平地全体が水に浸り、せっかく苦労して植えたものは全て流されてしまうだろう。


水源が豊富な()の地は、制すれば大豊作地帯と成る可能性は確かに秘めてはいるが、いつ攻め込まれるか判らぬこの戦乱の時代に、いったい誰がそんな事にわざわざ挑戦するだろうか。


仮に百歩譲って考えたとしても、浜辺で作り始めた砂の城が、波の打ち返しで一気に消し去られてしまうようなものである。


その波が他国からの侵略か、天災かはその時々で違うだろうが、その全てを制して始めて得られる果実のように、張承などは想えてならなかった。


だから頭の中で計画を構築し、そんな夢を描いた者は数多く居るかも知れないが、平時ならまだしも、この御時世にそんな夢見事を体現しようなんて阿呆が居るとは、彼には到底理解出来なかったのである。


可能性があるとすれば、かなりの奇人変人だろう。


ところが父の話が進んで行く内に、その奇人変人が実際に現われ、実に見事に全てを制し、その夢見事を果たしてしまった事が判り、張承は戦慄した。


そしてそれが事も在ろうに、万人が阿呆と(さげす)んでいた劉禅君だというのだから、彼は驚きの余り仰け反ってしまったのである。


彼がいの一番に想い描いたのは、とあることわざだった。「豚もおだてりゃ木に登る」という言葉だ。


(ちな)みに、劉禅君はそれは見事な肥満体型だという噂だが、それとこれとは無関係である。


けれども父が聞いてきた劉禅君という人の印象は真逆に感じた。


それだけでは無い。太子・孫登君の行動力と交渉力、そして決断力は称賛に値すると張承は想ったのである。


全てを成し遂げようとしている荊州の劉禅君。そしてその劉禅君と計り、何かを成し遂げるべく動き始めた孫登君。


話を聞いているだけでも、張承などはだんだんと引き込まれて行き、自分もその輪の中に入って、共に彼らが見ている新しい景色を眺めてみたいと想わずには居られなかった。


すると最後にこう父は告げた。


「これから丞相のお宅で話し合いが行われる。丞相が呂蒙と陸遜の要望に応えたものだ。勿論、この儂も後押しした。これからお前もそこに行くのだ!」


そう言われた張承は驚く。


「父上とご一緒にですか?それとも名代で?」


彼は訊ね返す。


途端に今日一番の罵声が飛んで来た。


「阿呆!お前は張家の当主なのだぞ♪どちらでも無い!お前が行き、実際にその耳目(じもく)で見聞きして、事の善悪を推し量り、張家としての結論を出すのだ。勿論、全ての権限をお前に与える。お前の気概をこの儂に見せてみよ!どんな結論を出そうとも、儂はお前を支持してやる。但し、その決断にこの張家は勿論、我が国の命運も賭かっている事をゆめゆめ忘れるな♪では行け!話は以上だ…」


張昭はそれだけ言うと、突き放すように背を向けた。そして行き掛けてから、クルリと振り向くと「後で報告せい♪」そう告げた。


その瞳には輝きがあった。


「はい♪」


張承は、良く通る高らかな声でそう答えた。


それを確認すると、張昭は満足そうに引き上げて行った。

【次回】瀬を踏んで淵を知る

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