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三人囃子

「紹介しよう♪こちらが援軍に駆け付けてくれた陸伯言殿じゃ!そしてこちらが作戦立案から実行してくれた賀公苗殿♪」


闞沢はさっそく二人を引き合わせる。陸遜も既に詳しい事情を教えられているので、色眼鏡で賀斉を見る事は無かった。


それに遅参した手前、彼も立場は判っていたので素直に功を上げた同僚を称えた。


「貴殿が賀斉殿ですか♪陸伯言です!この度は山越討伐に多大な功績を挙げられたとか♪おめでとう御座います!」


「有り難う御座います♪閣下は高名なお方なのに、とても公平で在られる。この賀公苗、光栄の至りです♪」


賀斉は折れた髭をピンと伸ばし、鼻息は荒いがキチンと礼節に乗っ取り口上したので、陸遜も自然と彼を認めた。


闞沢もホッとしている。山越の賊将も平伏し、素直に投降した。その族類は陸遜の予想通り万に及んだので、戦果としてはまずまずだろう。


孫権はこの戦果を手放しで喜び、陸遜が援軍として到達した事を受けて太子・孫登と諸葛恪の目的達成を喜んだのである。


そして今回の掃討戦に於いて無血解決を計った賀斉を直ぐに認めた。特に兵力を損なわず、比較的短期間で収束を計った点を"是"とした。


闞沢が憂いた通り、復興がまだ完全に済んだ訳では無い呉の廟堂では、人・物・金の無駄遣いはご法度だったのである。


賀斉もこれを機に派手さや戦果の大きさがけして全てでは無い事を学んだのだった。だから彼は第一案を選択(チョイス)した闞沢に感謝を示した。


「物事には必ず時勢がある。特に今後はそなたも廟堂の一員に成る訳だから、立場上、今よりそれは顕著と成ろう。まずは慎しみを忘れぬ事じゃ♪華美は慎しまれよ!」


闞沢はそう諭した。


「肝に命じます♪」


賀斉も直ぐにそう応じた。けれどもその必要は無かった。


孫権はあれ程、敬遠していたにも関らず、賀斉をひと目見て気に入ってしまった。


そして彼が脆弱(ぜいじゃく)な廟堂を憂いて、その真心から献金を申し出た時に、あの魯粛の事を想い出したらしい。


少しぐらい変わり者が居ても構わぬと、傾奇者(かぶきもの)としての彼を認めたのである。


これにより、彼の派手好みは却ってその知名度を上げる事に成ったと謂えるだろう。けれどもそれはまだ先の話だった。


「万の者たちはこの私が承る。護送は任せて貰おう♪貴方たちはどうする?」


陸遜は訊ねた。


廟堂は山越に譲歩するのを潔しとはしないらしい。孫権自身も態度を決めかねており、まだ結論には至っていなかった。


「儂は約束した手前帰れぬ…そなたは今回の功労者だ。堂々と立ち戻り、廟堂にて名乗りを上げるが良いぞ♪」


闞沢はそう言った。


けれども賀斉はそれを拒否した。


「それは出来ませぬ!貴方は謂わば私の恩人…引き立てて下さった恩を忘れては人に在らず♪心行くまで付き合いますぞ!」


そう言って残留を申し出て動かない。


「判った、判った!仕様の無い奴だ…だが嬉しいぞ♪」


闞沢はそう答えて帯同を許した。


けれどもその後も心良い返事が無かったので、二人は廟堂に直談判するために粛々と引き上げたのである。


闞沢は山越に対していましばらくの猶予を申し出た。山越も今度の人物は今までとは毛色が違うと信じて、一切妨害工作を行わなかったので、彼らは安全に帰途に着く事が出来たのだった。




さて陸遜である。彼は山越の首謀者と万の投降者を一旦官庁に引き渡すと、孫権に復命した。


孫権は宮殿の執務の間であ~でもない、こ~でもないと書類と睨めっこしながらブッブッ呟いている。


そこへ不意に陸遜が現われたので彼は驚き声を掛けた。


「伯言!お前戻っていたのか?到着は明日だと聞いていたが…」


すると陸遜は復命し、訊ねた。


「我が君!孫登様と諸葛恪はもう戻っておりますか?」


「否…そう謂えばまだだな?どうした、何かあったのかね?」


孫権は不思議そうに訊ね返す。


すると陸遜が怪訝そうな表情をしているので、孫権も少し不安に成った。


「ちょっと待て!何かあるならはっきり申せ!只でさえ混乱しているのに、これ以上の厄介事は…」


孫権は明白(あからさま)に嫌な顔をする。


けれども万が一にも太子の身に何かあっては困るので、根気強く訊ね直した。


「早く申せ!」


既にその顔は怒気に充ちている。すんでのところで堪忍(かんにん)しているようだった。


陸遜は念のため順序を踏む。立場上、それは仕方無い事であった。


「我が君!我が君は呂蒙殿から荊州侵攻につき、報告を受けておりましょう?」


すると孫権は殊更に嫌な目付きとなって言った。


「あぁ…確かに!だが調べさせたが甘寧と呂蒙の軍は、江夏にちゃんと居るし、お前も山越討伐の帰りで在ろう?三万の軍の所在がはっきりしており、特に今のところ荊州からも外交を通じて文句は来ていない!儂はすんでのところで回避されたものとみていたが、違うのかね?」


孫権は自らの認識を示した。


これを聞いていた陸遜も、一縷(いちる)の望みを抱いたものの、もし仮に戦が完全に回避されたなら、もう太子主従も呂蒙も復命していて然るべきで在ろう。


おそらく途中、何かの手違いが起きたか、最悪間に合わずに、開戦に突入した事も十分に考えられたので、陸遜はやむを得ず、事の次第を順序立てて報告したのである。




それを聞いた孫権はぶったまげてしまった。


「すると何か…お前は荊州侵攻中に、偶然太子を助ける事に成り、結果として翻意させられたのか?それゆえ甘寧を説得する事に成り、太子の兵符を受けて、山越討伐にも出向く事に成ったと…」


「その通りです!」


「…という事は、太子はその後、呂蒙を止めに行ったっきり音沙汰無しと、こういう事なのだな?」


陸遜はコクりと頷いたので、孫権は驚く。


「おそらく仰る通りでしょう。もし仮に間に合い回避出来たなら、もう戻って居て然るべきです。未だ戻らぬのは、回避出来なかったからでは無いでしょうか?ひょっとすると、三人共、捕らえられたか、或いは…」


陸遜がそこまで踏み込んだ時に、孫権は「馬鹿を申せ!」と(さえぎ)った。


彼は慌てて口をつぐむ。さすがに不遜だったと己を恥じ入る。


孫権は眉間に(しわ)を寄せて難しい顔をする。それは必死に怒気を抑え込もうとしている様にさえ見えた。


実際、孫権は怒っている。けれどもそれはどちらかというと自分自身に対してであり、彼らに対してでは無かった。


彼の失敗は二つある。そのひとつは彼らに明確な意志を示さなかった事。そして太子を授軍要請にわざわざ派遣した事だった。




想えば孫権の半生は、忍耐の連続だった。兄・孫策が早世した事により、彼は若くして君主の座に付き、この江東で難しい舵取りに迫られて来た。


特にこの土地特有の問題は、彼を悩ませ苦しめた。地付きの豪族の懐柔と、頻発する反乱への対応である。


そして父・孫堅や兄・孫策の頃からの古参の部下たち、徐州から渡って来た徐州閥と謂われる人々の間の調停に奔走を余儀無くさせられて来たのだ。


あちらを立てればこちらが立たずとは正にこの事で、それは彼の優柔不断により拍車を掛ける元に成った。


彼は日頃、とても落ち着いた理解のある君主だが、時として激しく怒気を示し感情的になる。これは孫家に引き継がれた血が騒ぐのだろう。


父・孫堅も兄・孫策も直ぐに癇癪(かんしゃく)を起こしたそうだから、彼にも同じ血が流れている以上、避けては通れぬ情念とも謂うべきものだった。


こうして長きに渡り、彼は自制を促され、縛られて生きて来た。自由を謳歌(おうか)した記憶など無く、常に強迫観念と闘って来たのである。


その間も彼は自らの欠点である優柔不断と感情の起伏には悩み続けて来た。今回の失敗もまさにそこから端を発していた。




たらればな事だが、孫権が明確な意志を示していれば、大局的に物事を見る事の出来る呂蒙が将帥権を発動する事など無かっただろう。


伊達に大都督を拝命している訳では無いのだ。然すれば太子が巻き込まれて、行方不明に成る事も無かったのである。


そしてそもそも、感情的にならなければ、太子を援軍要請に向かわせる必要すら無かった。


諸葛恪の物言いにイラ立ち、太子の監督不行き届きを責めたのも、その感情の成せる技だったのである。


孫権は今、とても後悔している。けれども今さら心配しても遅い。後悔先に立たずとは正にこの事だろう。


彼は何とかしなければと自制を促し理性を保つ。勿論、ひとりの親として我が子が可愛い。目に入れても痛くない程である。


それは間違いでは無いが、太子はそれにも増して、理知的な才能溢れた世継ぎであった。ここで死なせでもしたら、呉の先行きも怪しくなる。


そう考えると、何が何でも助けなければならないと孫権は躍起と成った。彼は自分の命を引き替えにしても良いとさえ感じていたのである。


孫権は突然、スクッと立ち「供をせい!」と言った。そして返事も待たずに歩き始める孫権に、陸遜も驚き追従すると「何をする気です?」と質す。


「決まっておる!見に行くからお前も来い♪」


そう叫ぶ孫権の腕を陸遜は掴んで離さない。


「お待ち下さい!今は特に舵取りが難しい時です。闞沢への返事もある。先程もそれを考えておられたのではないのですか?今、我が君が感情のままに動かれると統制が取れなくなります。太子の事が心配なのは判りますが、私にお任せ下さい!戦場はおそらく長沙と武陵に股がる湖でしょう。私がすぐに発ち、見て参ります。我が君は廟堂を導き、対処されますように♪」


ここは陸遜の気迫が勝った。


孫権は我に返る。そしてハッとしたように言った。


「そうだった…すまん!判断を誤るところであった…」


すると陸遜は恥じ入るように付け加える。


「こちらこそです…私も太子様に諭されました♪あの方を死なせる訳には参りません。歩隲の手を借りても懸命に捜索致します。お任せ下さい!」


「判った!任せる…頼んだぞ♪」


孫権も覚悟を示した。


こうして陸遜はすぐに軍勢を率いて、再び南下を始める。連日の疲労は容赦無く彼を襲うが、陸遜の瞳の中にはあの優しい笑顔の孫登が写し出され、助けたい一念が彼を突き動かしていた。


「太子…待っていて下さい!今、伯言が参ります♪」


陸遜は無意識にそう呟いていた。




「こりゃあ、確かに美味しいですな…」


呂蒙はそう言った。


孫登は相槌を打つ余裕が感じられるものの、諸葛恪などは笑みを浮かべたまま必死にパクパクムシャムシャと食べるのに余念が無い。


彼らは丸二日間の交渉と見学を終えて、送別を込めての食事会に臨んでいた。


二日目は主に不可侵条約の締詰と貿易協定に時間が削かれた。互いに今すぐ出来る事から始めようという友好的な雰囲気が拍車をかけていたのは間違いない。


そしてそれは劉禅君と孫登君という稀代の二人の太子だからこそ出来た事だろう。


北斗ちゃんは孫登が帰国後に困らぬように、当面の間の物資の支援を約束した。そして人的資源の貸与については、会盟が円滑に進めば話し合う事で合意した。


呉の国の復興と発展のために人材を投入する用意がある事を正式に表明したのである。


これはある意味、若君が孫登の人柄と力量を認めた事に成る。そして孫登の協力的な姿勢に真心で応えたものだった。


送別の宴には様々な食べ物が並んでおり、中には見た事も無いような物珍しいものまで揃えられている。それこそ三人は目が点となって驚き、改めてここ荊州の豊かさを感じる事に成った。


「どんどん遠慮無く食べて下さい♪」


日頃は食事となると躍起になる若君も、今日に限ってはニコやかに食事を勧める。


悪食はすっかり陰を潜めて、自分は結講と謂わんばかりの振る舞いに、田穂などは具合でも悪いのかしらんと戸惑った程であった。


孫登は日頃食べ慣れないからか、炊き立てのお米を然も美味しそうに噛み締めながら食べている。


呂蒙は肉の旨みに魅了されていて、想わず唸る。諸葛恪は食のバリエーションの多さに驚き、全て試さずにはいられないと夢中になった。


「こちらなどは奥様方に好評です♪甘くてとろみのある蜂蜜(ハチミツ)がかかっている!茶菓子としても食べられますよ♪」


若君は饅頭(まんじゅう)を勧めた。


「へぇ~♪こりゃあ、甘くて美味しい!この甘くてとろみのあるのが、蜂蜜(ハチミツ)ですか?いったいどうやって作るのです?」


孫登は訊ねる。すると若君は、フフンと笑って誇らしげに答えた。


「特に何も!(ハチ)という虫たちが花の(ミツ)を飛びながら集めて回り、自分の巣に持ち帰るのですよ♪僕らはそれを猫糞(ネコババ)して、採取するという次第でして…これは西の国から貿易で入って来たものですが、その方法や構造から知恵を絞って良い事を想いつきました。今ではその方法で大量に得られるようになり、市中にも出廻り始めています♪但し、この蜂に刺されると人でも死ぬ事があるので命懸けですけどね!」


オドロオドロしい事を口にした割には、若君は終始晴れやかな表情で、とても嬉しそうにそう語った。なぜならば、この蜂蜜は平和の象徴だからである。


考えてもみて欲しい。もし蜜蜂(ミツバチ)が飛んでいても、肝心の蜜を集める花が咲き乱れていなければ、そもそも叶えられるものでは無いのである。


それが実践出来る環境が整っている事こそが、若君の誇りだったのだ。その逸話の方に孫登は感じ入ってしまった。だから訊ねた。


「こんな美味しいものはまたと無い!淑女の方々に好評なのも頷けます。でも私は平和の象徴というところが気に入りました♪是非、少しばかり分けて貰えまいか?皆にも食べさせてやりたい!」


すると北斗ちゃんはニカッと笑った。


「いいですよ~♪蜂蜜は常温でも長く保存出来ます!書の記述によると、蜂の唾液が腐らぬ抑止力に成るそうですね♪」


「だ、唾液ですと?それはいったいどういう…」


孫登は理由(ワケ)が判らない。


すると若君は得意気に答えた。


「そりゃあ、花の蜜を吸って巣に帰り…判るでしょ?」


若君が言い淀むと三人とも首を傾げている。仕方無く北斗ちゃんは告げた。


「花の蜜を巣で吐き出すんですよねぇ~♪その時に蜂の唾液も混ざるそうで…それで甘みや深みが増し、保存が利くのだそうです!」


これを聞いた三人は途端に嫌な顔をした。諸葛恪などはブハッと吹き出してしまった。


「大丈夫♪可愛いいもんですよ!その姿形を見ればきっと気に入ります♪身体にも良いそうですよ!お勧めです♪」


こうして送別の儀は最後に甘い花を添えた。


皆が最後に茶漬けを堪能したのは言うまでも無い。こうして三人は帰国の途に着く事になるのである。

【次回】理想と現実の狭間で

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