二人三脚
『へぇ~こいつ面白い事考えるな…』
闞沢は感心している。
只の気障で惚けた男じゃないと想ったのである。彼の評価は著しく上がり、今や尊敬の念すら抱いていた。だから即決した。
「それで行こう♪元々彼らにも止むに止まれぬ事情が在ろう。投降した者は保護し、裁決は儂に任せて貰う。それで良ければ御主が主導し、その責任を果たせ!」
闞沢はそう命じた。
「えっ!この私がやるのですか?」
賀斉は驚く。
彼としては先行きの案が無くて困っている闞沢に力を貸して名を売り、ちょっとしたおこぼれ程度の手柄を分けて貰えれば良かったのだ。
ところが考えたのはお前だから最後まで責任を持てという。賀斉は話が違うと、文句を口に出そうとして闞沢に手で制された。
「お前さんの魂胆は疾うに承知している。確かお前は孫策様の小飼であったな?世が世なら出世したろうに、生憎だったな…だが面白い♪儂は当初は懐疑的だったが、お前の案が気に入った!何なら成功した暁にはこの儂が中央に橋渡しをしてやるがどうじゃ?勿論、手柄もそなたに全てくれてやろう♪」
闞沢は懐の深さを示した。
賀斉はまたまた驚く。自分の魂胆が見透された事は元より、闞沢の執着の無さに仰天したのである。
「本当に!?」
彼はついつい本音が出る。
けれども闞沢は責めないばかりか、はっきりとこう言った。
「無論じゃ♪儂は竹を割ったような性格ゆえ、嘘はすかん!仁義は守るぞ♪それはお前も既に承知しておろう。だから食いついて来たのだろう。儂は務めさえ果たせればそれで良いのじゃ♪これは孫権様は元より孫登様のためよ!端から時を稼ぐためだったのだが、運の良い事には適任者に巡り合った。やる気があり、上昇思考を持っているお前さんなら、それが出来ると儂は踏んだ。計画もなかなかのものよ!どうじゃ♪やりたくなったであろうが?」
闞沢はほくそ笑む。
賀斉はそれを聞いて益々やる気に充ちていた。それは彼の眼がキラリと光った事からも察せられた。
けれども賀斉も元々欲張りでは無い。もし仮にそうなら、金に物をいわせて既に高位に昇っていたろう。
彼はあくまで正道を貫いて出世街道に乗る事が夢だったから、その方針に迷いは無かった。煌びやかな形をして、傾奇者を気取っていても、その心は清廉だった。
気障で惚けた面であっても、彼は面の皮は厚くなかったのである。だから彼は闞沢の覚悟に彼なりの覚悟で応えた。
「判りました♪やりましょう!ですがもし仮に成功したら貴方にも手柄を差し出します。貴方は良いかも知れませんが、それでは配下の方々の士気が落ちます。兵の士気は絶対ですから、それはご承諾頂きますぞ!そして生憎とこの私は山越に悪名が通り過ぎていますので、是非とも貴方の名で投降を呼び掛けて頂く。それで宜しいですな?」
賀斉はそう譲歩を示した。
これには闞沢も驚く。成る程…悪い奴じゃ無いと想ったのである。
彼は元々豪華な形のこの男に偏見を抱いていた事を恥じた。人は身形で判断してはいけなかったのだ。
だから闞沢も快く承知した。
「そうか!判った♪ではそうしよう!儂の名を自由に使うと良かろう。なぁに、少しばかりおこぼれを頂載出来ればそれで良い!我が兵も納得するであろう♪ではこれで合意したな!やろう♪」
こうして闞沢と賀斉の作戦は開始されたのである。
その日のうちに文面は認められて、大量に複写された。そして賀斉の主導で山野に矢文が打ち込まれる。
それに目を止めた山越の者共は驚き、すぐにそれぞれの頭目のところに矢文を持ち込んだのである。それを目に留めた頭目の連中は驚き呆れた。
そこにはこう記されていた。
『我は呉の大夫・闞沢なり。山越の者共に言い渡す。今回のそなたらの不満は承知した。儂の権限に於いて然かるべく対処するであろう。但し、法は法なり。反乱を起こした者は即時出頭する事。我が意を踏まえ大人しく出頭すれば、情を掛けると約束する。頭目とその族類は速やかに名乗り出る事。それが山越全体にとっても救いと成ろう。もし拒否するなら、間も無く来る増援によって血で血を洗う戦と成る。その覚悟があるか?あるならこちらも覚悟を決める。尚、反乱分子が投降したなら、こちらも速やかに包囲を解くで在ろう。よくよく考えて返事を乞う。以上!』
当然の事ながら山越は動揺を示す。今回の件に関与していない者たちは尚更だった。
なぜなら造反者が名乗り出なければ、全ての山越が掃討の対象に成るからである。中には子供が生まれたばかりで平和に暮らす事を望んでいる族も居たから、けして他人事では無かったのだ。
こうして賀斉のもくろみは当たった。その日から身内同士で犯人探しが始まったのである。
闞沢と賀斉は山越の返事を待っている間にも手を回している。廟堂と掛け合って、救済惜置を計るべく交渉の手を模索していた。
そしてその合間にふと思い立った闞沢は賀斉に問い掛ける。
「それはそうと、お前さんは第二案をまだ明らかにしていなかったが、もう良かろう!今後の事も在るゆえ、後学のためにも教えてくれぬか?」
闞沢は賀斉を見つめる。
すると賀斉は仕方無いといった顔で語り始めた。
「貴方には少し酷かも知れませぬが、どうしてもと仰るなら申し上げましょう♪」
彼はそう念を押した。それによると第二案はかなり過激な案だった。
まず現在封鎖している山間部との出入口のうち、数箇所を開く。その時に重要な事は二、三箇所では無駄だという事だ。
「五、六箇所は必要でしょう…余り少ないと罠だと判るでしょうからね♪彼らも知恵は回る。まずはそこからですな!」
賀斉はそう言って微笑む。
闞沢は相槌を打ちながら耳を傾ける。その顔は真険だった。
次に彼が示唆したのは相手の反応だ。山越もそう簡単に行く相手では無い。
まず日中は反応する事は無いだろうが、夜間と成ると話しは別だ。何故なら彼らにとっては勝手知ったる庭であり、習慣から夜目も利く。
だから必ず罠かどうか、その状況を調べに来る筈だ。こちらの対応としては、開けた出入口の半分に松明を灯しておく事。
彼はそう述べた。
「ほぉ~成る程…そこで松明を灯してない場所におびき出して叩く訳か?考えたな!」
闞沢は感心しながらそう言った。
ところが賀斉はそうでは無いという。闞沢は疑問をそのまま口にした。
「それは何故かね?松明があれば誰だって罠だと想うものだろう?」
「ハッハッハ♪ところがそうでも無いのです!元々彼らは疑り深い。それにその手は過去に何度か試しています♪彼らも学習している。もうその手には掛からぬでしょう!」
賀斉は笑う。
「それじゃあ、どうする?松明の意味が無いと想うが…」
「フフフッ♪逆点の発想です!松明の場所に兵を配置するのです。勿論、判らぬように遠巻きにです。そして灯りの無い場所には木偶人形を配置しておく。これで罠は完成です。但し、さすがに日中はバレますから兵を配置して置きますがね!この辺りの妙が肝心でしょうな♪」
賀斉はそう言って目配せする。相変わらず気障な奴だ。
闞沢は苦笑した。
「初日はさすがに懸かる事は無いでしょうが、二日、三日と続くと動き始めるでしょう♪彼らにとっても不自由は敵ですからな!業を煮やして出て来たところを辛抱強く待ちます。そして出切ったところで左右から挟撃して殲滅し、そこから再進入するのです!この際の合図に角笛や獣の鳴き声を使用して、全方位から一気に山狩りを始めるという訳で!まぁ最後のは蛇足です。罠に注意しないとこちらが危ない♪」
賀斉は苦笑した。
これが彼が考えていた第二計画という事らしい。まぁ残念ながら今回は陽の目を見る事は無かったが、この賀斉が端から二つの計画 (プラン)を練っていた事はこれで明らかとなった。
闞沢は改めて感心した。なかなかの策士である。そして長年山越討伐に携って来ただけの事はあった。
おそらく孫策様が安心してこの男に揚州郡を託しただけの事はあると彼は納得出来た。
その時に闞沢はふと想ったのだ。もし仮に賀斉が指揮権を持っていたならどうしただろうか。
『この男なら迷わず第二計画を選択するのではないか?』
彼はそう想った。
否…賀斉ばかりでは無いのだ。おそらくは皆が率先してそちらを選択する事だろう。
何故なら呉の立場からすれば、山越は異質な者たちに写る。そして今も昔も厄介極まりない存在だった。
けれども果たしてそれで良いのだろうか。闞沢はこの山越討伐を通してそう想い始めていた。
賀斉ら将軍諸氏を責める事は出来ない。山越が反乱を起こし、その中で人殺しや盗みを働いている事は事実だからだ。
しかしながら、彼らが元々この辺りに住んでいたとするなら、彼らの祖国を蹂躙したのは、誰在ろう我らの側である。
それで一方的に彼らを罪人扱いして良いのだろうかと、ふと感じたのだ。でもそれは呉の臣としては口が裂けても言ってはならない不文律である。
闞沢は押し黙り、考え込んでしまった。おそらくこうなる事が判っていたから、賀斉は重い口を開く際に警告したのだろう。
賀斉も長年の経験から人を見る目はあったのだ。闞沢はその時に不意に念を押した。
「どうだろう…儂の選択は実るだろうか?」
勿論、闞沢に迷いは無い。これで良かったと想っている。
しかしながら、それは相手がその条件を飲み、降伏してこそのものなのである。すると賀斉は再び折り曲った髭を大事そうに撫でながら答えた。
「大丈夫ですよ♪精算が無ければ、この私も計画を立てやしません!そもそもどちらに転んでも私としては良かったのです!但し、この計画だと大したおこぼれに成らんだろうと想ったまでです。でも貴方が欲の無い方だったので、成功すれば大きい!この私が失敗なぞさせやしません。自分のためにもね♪」
賀斉は太鼓伴を押した。闞沢は苦笑う。
「そうだったな!確かにお前さんの言う通りだ♪では大船に乗ったつもりで待たせて貰おう!儂はその間を利用して、引き続き廟堂と掛け合ってみる♪」
彼もそう言ってようやく笑った。賀斉も自信満々に胸を叩いた。
その翌日早々に、山の頂きには白旗が掲げられた。そして矢文が飛んで来て、直に首謀者を投降させる旨の通達があった。
賀斉を通じてその文を見せられた時に、闞沢はホッとした。これでひとまず血を流す事無く、掃討を完了する事は出来そうだった。
賀斉もホッと胸を憮で下ろしているようだ。彼ほどの男でもそんな気持ちには成るらしい。
そんな時に彼方から砂煙りが巻き立ち始める。砂塵が馬に蹴り上げられた時に出来る現象で、見馴れた彼らには直ぐにそれが判った。
空一面を覆うその様は眺めていても不思議な感覚に陥る。そして傍に居る場合には、気をつけなければその砂塵は瞬く間にもドカッと降り注ぐ。
体積の重い物だから当然の事だが、馬の蹴り足とはそれ程に力強いものなのである。それが万に近い数なら尚更だった。
黒煙の空はだんだんとこちらに近づいて来て、視覚でもはっきりと見えるようになると、それが味方の騎馬軍団である事は明白と成った。
「ねっ?私の言う通りに成ったでしょう♪」
賀斉はそう宣う。
『援軍が来れば尚更効果がある…』
彼は確かにそう言っていた。詰まる所、山上の彼らにはもっと早くにそれが判っていたのだろう。
『成る程…』と闞沢は想った。
こちらの増援要請が嘘では無いと知れた以上、彼らも泡を食ったに違いあるまい。賀斉が構築した計画は、どうやら上手く行ったようである。
だから闞沢は賀斉を手放しで称えた。そして投降者を収容するまでは、けして手を抜かないように釘を差した。
「勿論ですとも!」
賀斉は然して浮かれた風も見せずに淡々としている。その眼は獲物を射る狩人そのものだったので、闞沢は恐れ入ってしまった。
『愚問だったな…』
彼は苦笑う。
生涯の目標と夢が叶う瀬戸際なのだ。ここで賀斉が手を抜く筈が無かったのである。
彼はひとまずそちらは賀斉に委ねて、援軍を迎えた。江夏から遥々やって来てくれたのである。快く迎える必要があった。
闞沢は安堵したように吐息をついた。
援軍に来たのは陸遜だった。彼は陣屋の前で軍団に停止を命じると只一騎で進み出る。
するとその直後に大量の砂塵が空から降って来た。彼は馴れっこなのか些かも気にしていないが、闞沢は手を翳してすり抜ける。
すると陸遜は口上を述べた。
「闞沢殿!お待たせ致した♪この伯言、太子・孫登様の命により罷り越しました!これがその印援で御座る…」
陸遜は兵符を見せた。
「確かに!お待ちしておりましたぞ♪どうやら太子は目的を果たされたのですな…」
闞沢は事情を知らないから、感慨深げにそう言った。
陸遜は苦笑う。さすがにのっけから本当の事は言い難かった。だから話しを逸す。
「ですがどうやら手遅れだったらしい…山越は降伏したのですね♪さすがは徳潤殿!お見逸れ致しました♪」
陸遜は遅参したのを恥じ入るようにそう述べた。すると名指しされた闞沢も恥じ入るように答礼する。
「いやぁ…実を申しますとな!これは儂の手柄では御座らん♪ほれ?あそこに居る男!彼の策で何とか解決出来ました。なかなかの逸材で御座るよ♪有言実行!これに過ぎたるもの無し…アレが揚州郡の賀斉で御座る♪」
闞沢はポリポリと頭を掻きながらそう答えた。陸遜は視線を移すと賀斉を見る。
『あぁ…アレがそうか♪』
陸遜は眺めながら納得している。
賀斉の噂は何も知られていない訳では無かった。
煌びやかな鎧を身に纏い、山趣打倒に命の火を燃やす傾奇者…そう言った悪名は江夏にも伝わって来ていた。
けれども今回の掃討戦があの男の成果ならば、それは陸遜にとっても幸いな事だったのである。
まずはここを無事に収めない事には次は無いのだ。彼にとって重要なのは手柄を挙げる事では無く、今ここに居る事だった。
おそらく投降者が万に及ぶ場合、彼らが居た方が良いに決まっている。陸遜はおもむろに告げた。
「では私も手伝いましょう♪何でも言って下さい!雑用でも何でも致しましょう♪投降者の護送はお任せ下さい!」
陸遜は矜持を捨てて申し出る。闞沢はニコやかに笑い、感謝を示した。
【次回】三人囃子




