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二人の太子

「何!荊州の者だとぅ…」


これには兵も諸葛恪も立ち上がり、一気に囲い込む。


けれども当の本人は(ひょうひょう)々としており、むしろポカンと呆けて見せる。そして周りを愉しそうに見上げて悦に入る。


「何だ…やっぱりそうでしたか?若君の勘も満更でもないや♪否…正直参った!僕も勘は良い方なんだけどなぁ…」


張嶷は(うそぶ)くようにそう呟く。


孫登は周囲が感情的になる中、只ひとり冷静を担ち、その言葉を一語一句逃さず聞き漏さない。そして手で制し、周りを抑えるとおもむろに口を開く。


「張嶷殿と申されたか?そうでしたか…貴方が南部の城主!否…元城主でしたな♪ですがその恰好はとても良くお似合いです。初めは本当に狩人かと想いましたからね!ようこそ♪こちら側に!して何用ですかな?お話では貴方をここに寄越したのは荊州の劉禅君らしいから、私に用があっての事でしょう?如何(いかが)です、忌憚(きたん)の無いご意見を頂戴したいが?」


孫登の落ち着き振りに張嶷も感じている。彼はフフンと苦笑うと率直に答えた。


「さすがは呉の太子様だ♪うちの若君も相当腹の座った御方ですが、貴方もそうですね?実は私は高貴の出じゃあ在りません!家は貧しく、若い頃は食うに困って森に入り、自然を相手にして来ました。獲物を追う臭覚なら誰にも負けません。一流の鼻を持っています。そして目や耳も良い。私が狩人に見えるのは当然でしょう。板に付いていますからね♪貴方が私を然り気無く眺めていたように、私もここに入る前から観察をしていました。そちらの方がしきりに貴方を太子と呼んでいるので、初めは驚きました。こんな前線に出て来る向こうみずが、もうひとりいるなんてね!だから接近する事にしたのです♪何かお困り事があるのでしたら、是非この僕を使って下さい。遠慮なら無用です!僕はそのために派遣された使者ですから♪」


張嶷は呆っ気らかんとそう言った。それを聞いた孫登が今度はフフンとほくそ笑む。


「成る程…板に付いていた訳だ!貴方はあらゆる意味で真の狩人という訳ですね?つまる所、今回の獲物はこの私という事になる。それにしても、私が困っているとどうして判るのかな?」


孫登は訊ね返す。すると張嶷はあっさりと答えた。


「説明するまでも無い事です!今、貴方はここに居る。それが全てです!違いますかな?これは僕の見立てですが、貴方は呂蒙将軍を停めに来たのでしょう?でも停めようにも船が無い。そんな所でしょう♪」


これには孫登はおろか、諸葛恪も驚く。この青年が勘が鋭いというのは本当らしい。


孫登は吐息をつくと、この青年を(つか)わした蜀の太子に感謝した。


「ご明察ですな♪その通り!実際、我々は今、困っている。今この時に荊州と争っている場合では無いのです♪」


孫登は呉が国難と向き合っている事を正直に語った。その言葉に偽りは無かった。


「そうでしたか…内乱とは驚きました!」


張嶷はこれでこの場の状況をようやく全て把握したと想った。要するに今回の攻勢は孫権の意志では無く、江夏の独断専行だったという事である。


「将帥たる者、戦場では君命も受けざるところ在りか…」


張嶷がそう呟くと、孫登は頷く。


「えぇ…そういう事です!我らのご先祖様はそう言われたようだ。ですが独断専行で他国に攻め込むのは、さすがにやり過ぎというものでしょう。兵符も無く、兵を動かせば重罪です。反乱と疑われても仕方無い。私は呂蒙を助けたいのです♪」


孫登はそう言い切り、鳴咽(おえつ)を漏らす。張嶷はその心が痛いほどに判り、気の毒そうに太子を眺めた。


「何とか成らんものでしょうか?」


その気持ちを汲むように諸葛恪は訊ねる。張嶷はしばらく思案していたが、こう答えた。


「そうですね♪そういう事でしたら、僕が役に立ちましょう!生憎(あいにく)と貴方に無い物は提供出来ませんが、その変わりとして迎えを寄越して貰う事は出来ます♪では貴方にはここに一筆書いて貰いましょうか?」


張嶷は舟は無いので連れて行く事は出来ないが、迎えの船は呼べるという。


孫登はいったいどうするのかと首を傾げるが、ひとまずお手並拝見と、この青年の言う通りにする事にした。


(ワラ)にも(すが)る想いなのだから、まずは行動するしか無い事くらいは心得ていた。


渡された薄い羊皮紙に、細かい字で戦う意志の無い事、そして呂蒙に戦を停めるよう促す命令を記した。


「太子印を出せ♪」


孫登は諸葛恪にそう命じ、印を受け取ると押印する。


「これで良いか?」


孫登はそう言って書簡を渡す。張嶷はそれを受け取り、ざっと目を通す。


すると「結構♪」と言ってから、丸めて筒に挟み込む。そしてやおら胸から掛けていた(カゴ)を外すと、然も大切そうにその中から一羽の鳩を取り出した。


「これが僕の奥の手です♪」


彼ははにかみながらそう言うと、鳩の足首に筒を取りつけ、放つ。


「頼むぞ♪」


そう声を掛ける。


鳩は勢いよくその羽をばたつかせると、一気に飛び立って行った。


「アレは?」


孫登はそう訊ねる。


張嶷は少々困ったように答える。


「あいつは伝書鳩と言って、僕らの連絡手段のひとつです。(いにしえ)の趙ではあの季牧が使っていたそうです。もう御承知のように僕は自然児ですからね♪僕が若に頼まれて育てました。今ではほぼ失敗はありませんから、無事に辿り着くと思いますよ♪若君は今、呂蒙将軍と対峠されているはず!すぐに停戦される事でしょう♪」


張嶷はそう言って笑った。


孫登はすぐに察した。この青年は確かに、"向こうみず"がもうひとりと言った。


それは即ち、荊州の劉禅君もこの前線に出て来ている事を意味する。彼は深い溜め息を漏らした。そして『参った!』と想った。


国難に当たり身体を張っているのは何も自分だけじゃ無いという事である。しかも自ら危険を省みずに指揮を取るのだから、その指導カは折り紙付きだろう。


しかしながら、事は単純では無い。幾ら()の若君が停戦を望んでも、呂蒙が大人しくその求めを受け入れるだろうかという事だった。


彼も主君の命を待たずに独断専行したぐらいだから、相当の覚悟で臨んでいる筈であり、その呂蒙を果たして説得出来るだろうかと懸念したのである。


するとそれを察するかのように張嶷は言った。


「心配入りません♪うちの若君は生来、生粋の戦嫌いです。勿論、若君だって避けられない戦には立ち向かいます。だからこそ、この度も自ら前線に立たれてはいますが、その間にも何とか戦を避け、和平に向かう方法を模索されている事と存じます。何しろうちの若君の目標は、この中華の恒久的平和なのですからね♪大丈夫です!」


張嶷は然も当たり前のようにそう語った。


孫登は驚く。同じ太子の身でありながら、荊州の若君は既にそんな境地に立っているのかとその壮大な目標に感じ入っていたのである。


但し、 呂蒙は稀大の戦略家である。同じ立ち位置に立って事を収められるのかという彼の想いが口を開く。


「相手はあの呂蒙です。劉禅君はお相手出来ましょうか?」


ところが孫登の心配を余所に、張嶷はほくそ笑んだ。


「腕ですか…では申しましょう♪若君は趙子龍直伝の免許皆伝の腕前です。軍略は古今東西の書を読破し、その指揮能力は(いにしえ)の韓信に必敵するでしょうね♪そして政務の能力は勿論の事、外交交渉能力もうちの丞相が太鼓判を推す才気です。何しろあの曹仁を相手に魏蜀同盟を結んだのは、誰在ろううちの若君ですからね♪これでお判りでしょう!若君は遜色の無い相手です。否…むしろ呂蒙殿が可哀想かな?」


そう言った後に、気づいたように謝る。


「これは失礼…言い過ぎでした♪僕が言ったのはあくまでも大丈夫って事です!」


張嶷は再びはにかむ。その仕草は妙に憎めない。


孫登はひとまず安堵した。


「良く判りました!では貴方に感謝申し上げる。後は待つしか無さそうですな!でも貴方のお陰で少しは落ち着いて待てそうだ。有り難う♪」


そう言って微笑む。


張嶷はそんな孫登を眺めながら想った。呉の太子も立派な資質を備えた人物だと感心していたのである。


だから敬意を表して、彼はゴソゴソと獲物を取り出すと進めた。


「どうです?まだ時はあります。僕が獲た鳥をご馳走しましょう♪ 油が乗って旨いですよ?」


そう言って支度を始めた。


孫登はクスッと笑うと答える。


「そうか!貴方は優秀な狩人でしたな♪では遠慮無く馳走になろう!」


孫登の笑顔に張嶷も微笑返した。


『この方も素晴らしい感性の持ち主だ。けどうちの若君とはまた違った資質を供えている…』


準備しながら張嶷はそう想い、苦笑する。よくよく考えてみれば、違う人物なのだからそれは当たり前の事だった。


『それにしても…若君は目の付けどころが違う。見事に大当たりを引き当ててしまわれた♪あの人の才覚には敵わないな…』


張嶷はそう想い、当時の事を振り返る。それは御前会議が終わった後の事であった。




「伯岐!ちょっと良いかい?」


若君は張嶷に声を掛けた。彼は会議が引けたので、自分も南郡城の支援に回ろうと考えていたが、既に彼は城主では無く遠征軍の都督である。


声が掛かれば、当然の事ながら若君の命を優先させなければならないので、すぐに返事した。


「はい!若君♪何か御用でしょうか?」


彼は微笑み、待つ。すると若君はニコやかに近づいて来て言った。


「実は君に頼みがある。文偉はこの僕に同行する事になったから、君が子山殿を長沙まで送ってやってくれないか?」


張嶷はコクリと頷く。


「承知しました。無事に送り届けましょう♪他に何か?」


彼は訊ねた。


まさか子供(ガキ)(つか)いじゃあるまいし、若君の事だからきっと現地で任務があると想ったのである。ところが暗に反して若君はこう告げた。


「うん?否…それで良い!そうだな、それだけじゃ無く次いでに君に褒美を与えよう♪行き懸けの駄賃だ!日頃入れない場所で好きな狩りに興じると良い!呆きたら迎えに行ってやるから、伝書鳩で知らせてくれ♪いいね?」


若君は相も変わらずニコやかに笑みを浮かべる。何とも都合の良い話だが、これで張嶷は判ってしまった。


世の中、そんな旨い話がある訳が無い。否…旨い話には必ず裏があると謂うべきだろう。


それにしても、若君の言葉には相変わらずとんちが効いている。付き合う配下も大変だった。


けれども張嶷などは却ってこの会話を愉しみにしている。頭の回転の早い連中の行動は、常人にしてみれば奇妙に写るものである。


歩隲などは却って恐縮して辞退しようと考えていたのに、妙な具合となって断わり辛くなってしまった。


張嶷は答えた。


「わぁ~そりゃあ凄いや♪お礼に若にもお土産を持ち帰りますよ!獲物は何が宜しいですか?」


すると若君は満足そうに答える。


「そうだね♪日頃荒らされていない狩場なら、無理しなくても君の腕なら大物が掛かるかも知れないな♪せいぜい期待させて貰うとしよう!」


そう言って若君はケラケラと笑う。張嶷も一緒になってケラケラ笑っているところを見ると、どうやら理解しこの会話は設立したようであった。


歩隲は理由(わけ)が判らない。すると若君は最後にチクリと一言、述べた。


「念のため言っておくが、船は使うなよ!今回は魚は諦めて貰おう♪」


「えぇ…承知しております♪せいぜい大物を捕えてみせますよ!ご期待に沿うようにね♪」


そう言って目配せした。


こうして張嶷は費禕の代わりに歩隲を長沙まで送り届ける事になった。


来る時も費禕の凄さに当てられた歩隲であったが、帰り掛けもその御多分に漏れずに課題を抱えた彼は、さっそく張嶷に訊ねた。


「私は実際良く判らんのですが、先程の件は褒美じゃ無く、君命なのですよね?」


そう問われても、張嶷はいつもと変わらずのんびりと答える。


「えぇ…さすがは子山殿だ!その通り♪」


「でもいったいどういう事なのでしょう?私にはさっぱりだ!」


すると張嶷はクスクスと笑い出す。


「簡単に判ったら、むしろ困りますよ!アレは謂わば言葉遊びです♪公の場で秘密裏に指示を与えるためのね!」


「それで貴方は判ったらしいが、良ければ種明かしを願えまいか?私ももっと若君の事を知りたいのです!」


歩隲の真摯な物言いに、張嶷は喜んで応じた。


「それは構いませんよ♪そもそも暗号じゃ無く、その時々の感性ですから、正直、人に依っては完璧に捉えているかさえ怪しいものです!それで良ければ?」


「勿論です!そう仰って頂くと私も却って心が楽というもの♪」


「判りました♪じゃあ順を追ってお話ししましょう!」


張嶷は受け合う。


かつて歩隲は劉禅君を知るために江陵に潜入しようとして捕えられた事がある。あの時にははぐらかされて、その目的は果たせなかったが、ようやくその一端に触れる機会が訪れたのであった。


張嶷の謎解きはこうして始まったのである。




「まず、若君の愉快なところは必ずホッコリとした笑いが散りばめられているところです。"そうだ"という所を敢えて否定してみせたりするのですよ♪それにご褒美だなんて気遣う面すらあります!」


張嶷は愉快そうに顔を(ほころ)ばす。


「アレは気遣いなのですか?」


歩隲などは却って驚く。普通に考えれば上げて落とすのだ。人によってはガックリする事だろう。


「僕は狩りに行く狩人ですからね♪ひとつふたつ獲物を抱えていて当たり前です。そう考えると、それらしく振舞うためにも狩りは実施せねば成りません!ねっ?気遣いでしょう♪」


彼はそう言って苦笑した。


成る程…物は考えようである。おそらく張嶷は、若君が否定した時点でその後の成り行きが読めていたに違いない。


歩隲は恐れ入ってしまった。


「但し、目的の場所は限定してくれたのでこちらとしては助かります♪」


「えっ!そんな事言いましたっけ?」


歩隲はまたまた驚く。


張嶷はすまして答える。


「そこが事実を見極め、想像を豊かにする醍醐味です。まぁこれは馴れも必要ですが、まず行き先が長沙なのはお判りでしょう?」


「えぇ…そうでしょうね!」


ここまでは歩隲も理解出来た。


「ここからはその事実にちょっぴり味付けするだけですが、それにはこれまでの若君の傾向と対策や性格なども加味します。今回のポイントは"日頃入れない場所での狩り"でしょう♪つまり長沙側の森の中で相手方の大物と接触し、成功したら伝書鳩で連絡を寄越せって読み解く事が出来ます!荒らされていない場所とはもしかすると、相手も初めて来る場所との想像も出来ますが、この辺りは考慮しなくても恐く大丈夫じゃないかな?」


「成る程…とても良く判りました♪でも最後の"舟は使うな"というのはどういった意味でしょう?」


「あぁ…」


張嶷は端と気づいたように歩隲を褒めた。


「さすがの記憶力ですね!僕は端から使うつもりが無かったので忘れていましたが、アレは獲物を船に乗せたくなかったからなのでしょう。つまり相手方の大物を下手に戦闘の行われる湖に飛び込んで来させないための配慮です!僕が舟で釣りに興じる事無かれって意味が込められています!その舟を借りたいと申し出を受けるような愚行はけしてするなって事ですかね?」


そこまで説明して、張嶷は謎解きを終えた。


歩隲は感心している。費禕の求めていた若君の"閃き"の一端を垣間見た気がしていたのである。


「ほぉ~そういう事でしたか?私にはさっぱりでした。若君とは適材適所を心掛けておられる方なのですね♪張嶷殿はどうやら期待されているようだ!是非、成功されるように祈っておりますぞっ♪」


歩隲は納得が行ったと謝意を述べた。


すると張嶷はニコニコ笑って、いつの間にか右手の平を差し出している。


歩隲は握手かと想い、やはり右手を差し出そうとすると、誠にお茶目な事には"お手!"と言われた犬のようにチョコンと手を乗せる破目になってしまった。


これには張嶷が腹を抱えて笑い出し、歩隲は頬を真っ赤に染めて、却って恥を掻く事に成る。


「ブッハハハ♪子山殿は全く愉快な方だ!違いますよ、握手じゃ無く等価交換ですよ♪」


「等価交換?いったいどういう…」


歩隲が戸惑っていると、張嶷ははっきりと告げた。


「まぁ端的に言えば授業料ですね♪少なくとも僕はこの話の中で、禁忌に二つも触れています!ひとつは伝書鳩の連絡手段であり、もうひとつは若君との言葉遊びです。こいつは大袈裟に言えば国家機密に相当するのですよ♪僕はそれだけ貴方を信じたのですから、貴方にも僕の信頼に応えて貰えたら嬉しい!まぁぶっちゃけて言うなら、僕の使命のお手伝いをお願いしたいのです♪」


張嶷はずうずうしくも駄賃を払えと言う。そして自分だけ納得して悦に入って無いで、その喜びを半分お裾分けしろと言うのである。


歩隲はこの計算高さは商人のものか、将又(はたまた)若い頃の苦労のせいかと、呆気に取られた。


けれども等価交換と言われては、確かにその通りで、張嶷に分があると想われる。彼は思案の末に訊ね返す。


「判りました!貴方の仰る通りでしょう♪それに私の言葉で貴方の使命のお手伝いが出来るのでしたら、それは私にとっても喜びです!あっそうか♪だから喜びを半分返せか?上手い事を言いますね♪では何なりと言って下さい!喜びを半分返しますぞ♪」


歩隲は勝手に納得して自ら譲歩した。


張嶷はほくそ笑む。何て単純で理解力のある人なんだろうと想ったのだ。


そもそもこの件については何も等価交換を持ち出さなくても、お願いすれば済んだ話だろう。それについては張嶷も承知している。


けれどもこれは彼にとっては言葉遊びの延長だった。歩隲にそれを経験して貰う事がそのひとつ。


そしてその反応(リアクション)が知りたかったのだ。彼は想う。歩隲が若君のやり方には着いて行くのは、やはりまだまだ難しいと感じていたのだ。


しかしながら、その一方では新しい発見もあった。自分なりの感性で、喜び半分返すというのだからこれはこれで面白い。


そして手をチョコンと乗せてお手をした瞬間には、心の底から笑いが込み上げて来たのだからこれだけでも張嶷の心を引き寄せるには十分過ぎた。


彼は歩隲の事が好きになった。それだけで無く、信頼にたる人物だと信じる事が出来たのである。


彼はだからはっきりと申し入れをした。


「それでは…呂蒙殿を追い掛けて来るだろう大物について、お心当たりがあれば教えて下さい♪思に着ますぞ!」


すると歩隲は即答を控えて、少々思案している様だった。そしておもむろに口を開くと答えてくれる。


「そうでずね♪まず想い当たるのは諸葛謹殿ですが、本人の意志とは裏腹に難しいかと!何しろ彼は我が君のもっとも信頼する人です。その息子で諸葛恪という才人も居ますが、彼は自分勝手なのでこれも難しい。となるとやはり太子様という事になりますか!孫登様は大人しい落ち着きのある方ですが、理不尽が大嫌いなのです。やはり孫登様でしょうね?」


歩隲はそう述べた。


この時点で彼自身もまだ、呂蒙の独断専行での侵攻という情報は得ていない。あくまでも彼の印象であった。


張嶷はそれでも参考にと、太子の人と形や顔立ちなどを詳しく訊ね、記憶した。そして感謝の言葉を述べて答礼する。


「確かに喜び半分頂きました♪有り難う御座います!」


彼は握手を求めたが、今度は歩隲が二の足を踏む。その仕草が可笑しくて張嶷はまたまた笑い出す。


そして今度こそ二人はガッチリと握手を交した。歩隲は張嶷の成功を願って止まなかった。




「こりゃあ、確かに美味いな♪」


その孫登はご満悦である。


張嶷は結果として、若君の"閃き"と歩隲との等価交換により、大物を見事に釣り上げる事に成功した。


孫登はまさに歩隲が指摘した通りの人物だった。そして張嶷はようやくここに至り、若君の真の目的を知る事に成った。


和平交渉のための窓口である。でもここでひとつ大きな疑問も浮かび上がった。


太子が呂蒙の独断専行を止めに来た事実は、孫登に出会って初めて明かされたものであり、若君は知らない筈なのである。なのにどうしてこうなるのか、張嶷でさえも判らなかったのだ。


彼は想う。


『まさか本当に神の眼をお持ちなのだろうか…』


若君の閃きは田穂に言わせれば、日頃集めた欠片を独自理論で構築するものだそうである。そして張嶷は端と気づいたのだ。


おそらく若君は事前に何らかの手段を用いて、その情報を掴んでいたのだろう。彼は『またやられた…』と想い、苦笑う。


彼は知らない事だが、この推論は的を得ていた。若君は士燮の伝書鳩の情報から、呂蒙の独断専行を知っていて、閃きを完成させたのである。


"それなら近々大物が止めにやって来る筈!それを拾い、講和に結びつければ上々だろう"と!


張嶷は美味しそうに鳥を頬張る孫登を横目に眺めながら、またまた苦笑う。


獲物はそれを知ってか知らずか、相変わらず共喰いに興じていた。

【次回】降伏

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