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壮観だね!

呉蜀がまもなく衡突するであろう二郡に(また)がる現地の湖では夜も更けて行き、間も無く明け方へと移行しつつあった。


湖水に掛かる(もや)は益々濃くなる一方で、一寸先は変わらず見えず、互いに相手の様子を窺う事は出来なかった。


下手に斥候を出せば斥候同士の接触により、不用意なまま戦端を開いてしまう可能性があるため、互いに自重せざる逐えないというのが正直なところである。


呉の呂蒙側からすればこれは奇襲であり、そもそも相手が待ち構えている事など想定しようも無く、また蜀の強みは大型船による圧倒的な力であり、そもそもこれは人命を失う事無く終結させるための戦いだから、互いに相手の手の内など探る必要性は無かったのである。


湖水の波は穏かで、時折ゆらゆらと流れが見えるくらいに落ち着いていた。呂蒙はそろそろ頃合いと、皆に命じてゆっくりと船を漕ぎ出し、一路、武陵側の岸を目指す。


その操船技術は巧みで、音のひとつすら立てずに、彼の指揮する中型船を先頭に、無数の小型船が理路整然と隊型を推持しながら静々と進む。


闘志をその胸に秘め、呂蒙は遂に動き始めた。




若君はスゥスゥと軽い寝息を立てながら寝ている。その寝顔はまだあどけない子供そのもので、傅士仁は自然と微笑み見つめる。


ずっと見ていたい気持ちにさせるその寝顔を横目に見つめながら、彼は残念そうに諦めその頬を軽く叩いた。


「若!そろそろです。起きて下さい!」


すると若君は軽く目を擦すり、両手を上げて大きなあくびをした。


「傅士仁か…いよいよだな♪」


「いよいよです!」


「皆は起きたか?」


「勿論!」


「そうか…」


そう言って北斗ちゃんは辺りを見回す。


費禕は既に窓辺に佇んでこちらを見つめており、田穂は若君に着せる防護服を持って待っていた。


「皆、御苦労様♪何だ!田穂♪用意がいいな!」


そう言って、微笑む。


すぐに彼は防護服をその身に(まと)い、連れ立って皆で甲板に上がる。湖には相変わらず濃い(もや)が掛かっていて、辺り一面は全く見えない。


そしてその静けさは、時折り吹く風の音と鳥の(さえ)ずり以外、全く何も聞き取れないほど落ち着いていた。


「傅士仁…何故、彼らが来たと判ったんだ?」


若君はそう呟く。


すると傅士仁は、湖水を指してそのわずかなゆらめきを見せた。素人目には全くといっても判らないほどのゆらめきである。


けれども若君は、傅士仁の長年の力を信じた。


「そうか…判った!では始めよう♪準備はいいね?」


「無論です!まぁ儂らはこのまま待つだけですけどね♪後は相手の出方次第!我らはこの甲板に居る限りは安全です♪」


「判った!じゃあ待つとしよう♪」


北斗ちゃんはそう言って、長沙側の湖水を眺めた。こうして戦闘は静々と開始されたのである。




その頃、孫登主従の一団はようやく長沙側の湖畔に立つ。けれども辺りは静かそのもので、船団の姿など影も形も無かった。


「遅かったか…」


孫登は想わず溜め息を漏らす。


懸命に辿り着いたところまでは良かったが、到着と同時に詰んでしまった。その心の有り様はおそらく尋常では無かったろう。


それが証拠に彼の眼は湖の先を睨むように見つめていた。そしてこれには諸葛恪もガックリと肩を落とす。


手を延ばしてもけして届かない。まさに(かすみ)(つか)(いきどお)りに(さいな)まれた。


彼は自然と太子の横顔を見つめる。その瞳は敢然とその先を睨み付けているが、心無しか空虚にさえ見えた。


諸葛恪は言葉を失った。太子様の気持ちを想うと、どう接したら良いのか戸惑いを感じていたのである。


ところが()に在らず、太子は意外にも落ち着いていた。彼はその場にドシッとやおら座り込むと、只一言「待つ!」と言った。


その様子が余りにも泰然自若に感じられて、皆驚く。そこには諦めは無く、迷いすらも無かった。


けれどもせっかくここまで急いで来たのである。諸葛恪は慌てて訊ねた。


「えっ!待つのですか?追い掛けないので?」


彼だって自分が馬鹿な事を言っているのは判っている。判っているのだが、立場上そう言わずには居られなかったのだ。


すると孫登は即答した。


「追い掛けるって?どうやって?陸は壁に(おお)われ、船も無いのだ。追うとすれば、この湖面を渡る以外に無い。渡る手立てがあれば、到に渡っている。そうだろう?」


彼はそう言った後にニヤリと笑い、付け足す。


「ハハ~ン♪そうか…判った!じゃあ損にして探してみたらいい♪ひょっとすると打ち捨てられた小船のひとつも見つかるかも知れんからな!」


諸葛恪は余計な事を言ったと後悔したが、時すでに遅しであった。言い出しっぺだから、仕方無い。


彼は直ぐに皆に命じて辺りを捜索させたがそんなものがある訳が無かった。


「在りません!」


彼はゼェゼェ息を吐きながら報告に及ぶ。皆に探させる手前、彼も率先して探すほか無かったのだ。


「御苦労様!じゃあこれで君も判ったろう?(いず)れこの(もや)も晴れる。戦況次第になるが、まずは見極める。早る気持ちは察するが、人には限界がある。人智の及ぶ事には必死に抗うが、時に諦めが肝要だからな♪言っておくが、捨て(バチ)で言ってるんじゃ無い。そう覚悟を決めて、次に備える事こそが大事なのだ!」


孫登はそう答えた。


これには皆も安堵した。大将が諦めていない事が如実に感じられたからであった。


諸葛恪も同じ気持ちである。ところが間の悪い事には、彼はまたまた閃いてしまった。


そうなると彼は口に出さずにはいられないのだ。小賢しいのは自分でも既に重々承知の上だが、諸葛恪は問い掛ける。


「あのぅ…」


彼は控え目に入る。


すると孫登は、溜め息混じりに「何だ?言ってみろ!」と言った。


諸葛恪は告げた。


「あのぅ…木を切り倒し、(いかだ)を組むというのは如何(いかが)でしょう?ここは森の中ですし、幸い木には困りません。丈夫な(つる)で縛れば出来るのでは?」


これには皆も、「お~♪」と言ってどよめくが、孫登は只ひとり冷静に答えた。


「成る程…なかなか良い案だが、果してその木を切り倒す(オノ)はあるのかい?」


その瞬間、諸葛恪は息を飲んだ。確かにその通りだ。彼は皆を振り向き、問う。


「斧は?」


すると皆が一斉に答える。


「「ありません!!」」


そりゃそうである。彼らは咄嗟の行動で、取り急ぎここまで来たのだ。


壁の存在にすら途中ようやく気がついたのである。そこまで考え、準備している筈が無かった。


「まぁそうだろうな…でもなかなか良い案ではあった。(ちな)みに言っておくが、泳ぐという案は却下する。どう張り合っても船の速度には敵うまい!それにだ…私は○◯◯○◯!…」


孫登は急に恥じらうようにトーンダウンした。諸葛恪は聞き取れずに訊ね返す。


「何です?良く聞き取れませんが!」


すると孫登ははっきりと口に出した。


「私は泳げんのだ!呉の太子としては申し訳無い限りだが、水の上は苦手としている。だが、今度の事で私も学んだ!ここを無事に乗り切れたら、泳ぎの鍛練をすると約束しよう♪以上だ!」


これには皆、ガックリと肩を落とす。ところが、諸葛恪は頭を掻きながらこう言った。


「何だ!太子様もですか?私もです!私も泳げんので…」


これにはさすがの孫登も仰け反る。


「何だ…お前もか!主従揃って不様(ぶざま)な事だな。じゃあ、お前も罰として、私と一緒に鍛練決定な?いずれにしても船には追いつかぬ!先達(せんだっ)ても言ったが、今ここに到達した事が肝要なのだ。判ったら備えよ!皆、夜営を組め♪今のうちにしっかり食っておけ!いいな♪」


太子はそう命じた。


それにふと想ったのだ。『もしや火を焚けば気づくかも…』と。だから彼は付け足す。


「寒いから(だん)を取る。皆もそうするが良い。温かい物を食っておけ♪なぁに気づかれても構わん!むしろ好都合♪」


そう言って微笑む。


彼だって判っているのだ。今さら白煙を上げても無駄だという事は…。


この天候だから気づく筈も無く、尚かつ言える事は、呂蒙軍の進行方向とは真逆だという事なのだ。


むしろ気づくとしたら、それは荊州軍の方だろう。そして彼はそれでも良いと想ったのである。


気づいてくれれば、こちらの存在が判る筈だ。どちらが勝っても気になり、見に来る可能性は十分に在った。


それこそが彼の次の備えと謂えた。彼はいずれにしても、ここまで来た以上は手ぶらで帰るつもりなど無かった。


荊州に乗り込んでも、自分のこの手で事を収めるつもりだったのである。




一方、湖に果敢に進んだ呂蒙は、驚き呆れる。


『アレは何だ!…』


呂蒙は目を凝らしてそれを見つめた。湖に立ち込めた霧が晴れて行くに従い、ソレはだんだんとその姿を(あらわ)にする。


それは巨大な船だった。その大きさに圧倒されたからか、呂蒙にはそれがまるで山の如く(そび)え立っているようにさえ見えた。


黒光りしたその鉄の装甲がさらに彼の心象(しんしょう)を強く刺激し、(おそ)れさえも感じさせる。


そしてそれが事もあろうに一隻では無く、数隻が仲好く隊列を組み、船首をこちらに揃えて並んでいる。彼は想わず数を数えた。


『一隻、二隻…何と!五隻もか!!』


呂蒙は想わず唸り声を漏らす。周りを確認すると、兵たちは既に戦意を喪失して今にも逃げ出しそうな勢いだった。


『こりゃあ、如何(いかん)!』


彼は直ぐ様、兵の士気高揚を計る必要に迫られた。何しろ目の前に立ちはだかるは、黒光りした鉄の塊である。


その装甲はかなり厚く、たとえ矢を山のように射たとしても全て跳ね返され、全く打撃は与えられまい。そしてこれだけの高さがあると、とても彼らの矢では甲板まで到達は出来ぬで在ろう。


(とど)のつまりは敵わないという事である。彼らも近年、中型船の量産には励んで来たものの、こんな想定外の化け物が出て来た日には、どうする事も出来ない。


兵たちもそれが判っているから泡を食い、逃げ腰になっているのだ。当の呂蒙ですらこの始末だから、兵たちは尚更だろう。


けして非難する事は出来まい。何より彼は彼の小飼の兵たちが勇猛果敢なのが自慢だった。


だからこの不様な弱腰を叱りつけたり、怒鳴り散らす事は出来なかった。彼はようやく決断すると、指示を与える。


「鉄壁!」


呂蒙はそう叫んだ。やむを得ず口から漏れ出た言葉だったが、彼の兵たちは少し安堵したようにみえた。


元々は勇猛果敢な彼らである。呂蒙の決断がブレない限り、彼らは呂蒙を支えてくれる事だろう。


逃げ腰になっていた兵たちも覚悟を決めたのか誰も逃げる事無く、その指示に従った。


勿論、状況が状況なだけに彼らの中には嗚咽を漏らす者もいたし、膝が(わら)いかけている者も居た。


なぜなら事は自明の理だからである。彼らの矢がけして届かない事は既に誰の目にも明らかであったが、その逆は考えるだけでも恐ろしい。


何しろあの高さから射ち下ろされるだろう矢はその勢いが増して、彼らの身体の至るところを貫くだろうからだ。


それに勘の良い者ならすぐに判る事だが、船の上には所狭しと穴が並んでいて、それはちょうど矢を射るには十分過ぎる大きさがあった。


つまり敵はその肌を晒さずに矢を幾らでも射る事が出来るのである。そんな輩を相手にすれば、一方的にやられる事は必然だった。


後はこの始末を彼らの指揮官である呂蒙がどうつけるのかで在ろう。たとえ鉄壁で上下左右を盾で囲み防御態勢を取ったとしても、攻撃は全くといって無駄なのである。


このままでは一方的に矢の攻撃で刺し貫かれるだけであり、彼らとしては糞詰(ふんづ)りの状態である事には何ら変わる事は無かった。


それは当の呂蒙も重々承知していた。そして彼の次の動きが明暗を別ける事は明白だった。


さすがの呂蒙も手に汗を握る。経験豊富な彼をして、これから弓矢の雨が怒涛(どとう)の勢いで降り注ぐ事は想像に難くない。


だからこその鉄壁であったが、どんなに亀の(ごと)く姿勢を低くして備えていても、不思議な事には相手は矢を射るどころか、一切の反応を示さなかった。


呂蒙はそれでも疑い、時間差攻撃が来ないようにそのままの隊型を維持させた。それでも、いつまで経っても大型船からの反応は全くといって無かったのである。


兵もだんだんとその不気味な静けさに、(しび)れを切らし始めた。


彼は悩んだ末に、鉄壁を維持させたまま、自身だけその輪から抜け出して堂々と立ち上がり、巨大船を仰ぎ見たのである。


兵たちは「あっ!」と叫び声を上げたが、呂蒙は不動の状態で立ち尽くし、声高(こわだか)に叫んだ。


「私は呂蒙だ!呉の大都督である♪よくぞこちらの奇襲を読んだ。アッパレな事だ!だが腑に落ちない。なぜこれだけの力差が在りながら、攻撃して来ぬ?私も覚悟を決めて攻め込んで来たのだ。その意味は承知している。ここで破れ、死して悔い無し!ご返答在れ♪」


彼はそう宣う。


すると大型船の甲板からニョキッと顔を出す者が居た。それは可愛らしい男の子に見えた。


呂蒙は見間違いかと想わずい目を擦る。ところがそれはまさしく子供に相違無かった。


彼はハッとして眼をサラにして見つめ直す。


『まさかアレが噂の劉禅君か?』


そう想った瞬間に、覗き込むようにこちらを眺めていた男の子は、呂蒙に負けぬ叫び声を上げた。


「このど阿呆が!」


それは侮蔑の言葉だった。


けれどもその余りの剣幕に、不動の彼の足は一歩下がった。するとモゴモゴとした声音を最後にその返答は途切れた。


おそらくは良識ある配下のひとりが見るに見かねて口を押さえ、口上を中断させたのだろう。


呂蒙は『やれやれ…』と苦笑したものの、同時に自分がやたらと冷汗を掻いているのを自覚した。


『まさかな…』


彼はそう想い、再び上を見上げる。けれどもその後、待てど暮せど返答は無かった。


その変わりとして、モゴモゴと甲板が(きし)む音が繰り返された。これもおそらくだが、あの太子がゴネているのを他の配下が抑え込んでいるものと想像出来た。


そしてその時になって、呂蒙はある人を思い出す。そう…自分とこの太子・孫登の事を、ふと頭に思い浮かべたのであった。


なぜならば、太子様も幼き頃より理不尽な事にはけして従わず、抵抗する人だったのである。彼はまたまた苦笑する。


あの劉禅君と孫登様を重ねて考えている事そのものも可笑しいが、そう考えたのはもしかすると、自分の行動に疑問を抱いているからかも知れないと感じたのだ。


(とど)のつまりは、自分の行いは理不尽であると謂う事である。呂蒙はその刹那に胸に再びあの罵声が突き刺さる感覚に(さいな)まれた。


「このど阿呆が!」


とても澄んだ通る声だった。侮蔑の言葉だが、不思議と厭な気持ちには成らなかった。


むしろドキリとさせられた言葉だと、彼は捉えていたのである。彼の中にある良心に訴えるものがあったのだろう。


だからこそ彼は冷汗を掻いたのだ。


『太子様も同じ事を言われるだろうか…』


彼はふとそう想った。


そしてそれは全くの偶発的な行動だった。


彼は無自覚にもいつの間にか背後を振り返る。するとそこには白煙が多数上がっていて、長沙側の湖畔に人が多数詰め掛けているのは明らかだった。


「太子様…」


彼は無意識にそう呟く。そして「まさかな…」とその言葉を否定した。


その時である。黒い影がムクリと甲板から首を出す。それは見事な髭を蓄えた大柄な男だった。呂蒙は改めて船首を仰ぎ見ていた。




(ところ)は変わって、ここは武州の公安砦である。費観が戻ると張翼が出向かえる。


「どうかな?何か動きは♪」


彼の言葉に張翼は落ち着いて答えた。


「あぁ…城主♪特に何も!念のため、臨戦体制は敷いてますが、ご承知のようにここは湖を突破されなきゃ問題ありもうはん♪今のところ伝書鳩も来てませんし、ひとまず待機中です!」


「判った…私も戻った事だし、しばらく休め!交替しよう♪何かあったら知らせる!」


「へぃ♪有り難い!じゃあ、頼んます♪ところで文偉はんはどうしてはります?」


「あぁ文偉は若と前線に行った!傅士仁と一緒だ♪」


「何ですと!まじでっか?」


「あぁ…まじだ!変わってるよなぁ~♪奴は既に無双している。何でも交渉の第一段階だそうだ!」


「へぇ~そらぁお仕事熱心なこっちゃ♪気苦労の多い事で!では宜しゅう頼んます♪」


「あぁ…任せろ♪」


こうして張翼は仮眠を取りに引き上げた。


「ふむ…確かにな!」


費観は張翼の言った事を想い出し、言い得て妙だとほくそ笑んでいた。




一方、こちらは南郡城である。ここも蔣琬ひとりが気を張って、守っていた所へ趙雲が戻って来る。


公琰(こうえん)無事か?」


大守の言葉に、新城主を拝命したばかりの蒋琬は気を吐く。


「はい!大守♪防衛態勢は完了しており、いつでも対応出来ます。勿論、三交代で兵は適度に休ませてますのでご心配なく。でも今のところ、影も形も現われません!」


「ほぉ〜そうか!既に来てても不思議は無いがな?判った、交替しよう♪少し休め!」


「いぇ…私は大丈夫です♪」


蔣琬は張り切っており、初めての経験でまだかってが判っていなかった。趙雲はそれを如実に感じ取り、命じた。


「これは命令だ!極度の緊張は判断を誤らせる。心配しなくても、動きがあれば必ず呼んでやるから今は休め!」


そう言われて蒋琬もようやく頷く。


「判りました!では御言葉に甘えて♪それはそうと、張嶷さんは?」


「あぁ…奴も面白い奴だよ♪これから遠出して、狩りに精を出すそうだ!何でも新しい狩場だからと愉しそうだったな♪」


「へっ!この非常時にですか?」


蔣琬は驚く。


「あぁ…非常時だからだろ?まぁ任せとけば良いさ♪気にするな…」


趙雲は平然とそう宣う。


蒋琬は訳が判らず、これも経験不足の為せる技かとそう想う事にした。


彼らはまだ知らなかったが、そこに陸遜が来る筈も無かった。既に彼は降りていたのだから…。




そしてその情況はこちらも大差無い。江陵では今か今かと、関羽と馬良が準備万端で待ち受けている。


ところが彼らは元々陸軍の総元締めだから、やり方にも巧妙さがあった。要は馴れていたのである。だから直ぐに情報を入手した。


「大将軍!桓鮮からの伝書鳩です。それによると、甘寧は退却しました。何か異変があったようです!甘寧は陸遜の説得を受けて、江夏に引いたらしく、二方面は既に安泰です♪桓鮮はその事情を探るべく、陸遜を追尾中との事!」


馬良は喜び勇んでそう言った。


「良し!判った♪至急、伝書鳩で子龍にもその旨、教えてやれ!否…待て♪念のため若君にも送っておけ!何か交渉を有利に進める材料になるかも知れん♪」


「判りました♪ついでに費観と張嶷にも送っておきましょう!桓鮮はもうそのままで宜しいのですね?」


馬良は念を押す。


「あぁ!無論だ♪奴の仕事は終わった。元々若から借りた者だからな♪役に立つ奴だ。今度酒でも送っておく。それにしても李常!君は良く気づく。さすがは儂の軍師じゃ♪」


関羽は馬良を諸手(もろて)を上げて褒めた。すると馬良は言った。


「褒めても何も出ませんよ♪私は自分の本分を務めるのみです!」


そう涼しい表情でやり過ごす馬良に、関羽は心の中で感謝を棒けた




「やぁ、やぁ♪皆様ご苦労様です!」


孫登たちの一団が、夜営をして暖を取っていると、ひとりの狩人が近づいて来る。


孫登はチラリと然り気無く横目で眺めているが、その実、胡散臭そうに見つめていた。


けれども狩人の方は妙に場馴れしていて、彼ら軍人にも引け目を感じていないらしい。


否…それどころか、ずうずうしくも入り込んで来て、兵に何かを求めている。


兵の方は(わずら)わしいので、再三立ち去るように袖にするが、困ったような顔をしている割には()ちっこい。


その明白(あからさま)な態度に業を煮やした諸葛恪が立ち上がり、強引に排除しようと動き出す段になって、ようやく孫登が口を挟んだ。


「寒い時はお互い様だ!おそらく狩りの途中に迷い込んだんだろう♪無体(むたい)な事を申すな!一緒に暖を取らせてやれ♪」


するとそれを目敏く耳にした狩人は、臆する事無く近づいて来る。


「いゃいゃ…貴方はお優しい方だ!恩に着ます♪」


そう言って、事も在ろうに太子の焚き火に入って来て、ずうずうしくもチョコンと座り込む。


余りの出来事に兵はおろか、諸葛恪も制止する暇が無かった。


「お前なぁ〜!」


そう威圧する諸葛恪を孫登は制して言った。


「なぁに…困った時はお互い様です♪気に成さるな!時にお前さんはどちらの御方かな?ここいらでは見掛けぬが?」


孫登は惚けてみせる。


そこで初めて諸葛恪も気づく。確かに都合良く狩人が迷い込む訳が無い。


すると狩人はコッコッコと笑って言った。


「獲物を追い、迷い込みました…じゃあ通用しませんよね?」


「まぁそうだな…唐突過ぎだろう?」


孫登も笑う。


「ですよねぇ~♪まぁ仕方無い!僕は張嶷♪荊州の劉禅君の臣です♪これでも先達ってまでは、南郡城主を拝命してました!宜しく♪孫登様に拝謁致します!」


彼はそう言って笑った。

【次回】二人の太子

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