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模擬戦

「大守!あんな事言って大丈夫なんでしょうか?」


馬岱は不安げにそう訊ねた。


「何だ!お前ほどの男でも自信が無いのか?」


魏延はほくそ笑む。


「そんな事…奴は確かに頭の良い男ですが、実戦はそう甘くない!世の中の厳しさを徹底的に叩き込んでやります♪」


馬岱はムッとしながらそう答えた。


「その意気だ!何だ、心配した儂が馬鹿を見たわい♪」


魏延は豪快に笑う。すると馬岱は尚も問うた。


「そうでは無く、あの提案の事です。丞相に相談無く、あんな約束をしてしまって良いのですか?」


その言葉を聞いて、魏延は怪訝(けげん)な表情で逆に訊ねた。


「お前も判らん男だね!要はお前が勝てば良い話では無いのかね?儂は間違っとるか?」


魏延は眉を吊り上げる。そんな時の彼に冗談は通じない。


「いぇ…そんな事は…」


馬岱は押し黙る。


魏延は次の瞬間にはもう笑みを浮かべており、諭すようにこう言った。


「あれはな...餌だ♪奴の言葉尻を捉えての体の良い罠さ!あれだけ見事に掛かってくれるとなかなか気持ちが良いもんだのぅ~♪だから心配するな!お前は奴に勝つ事だけ考えてりゃあ良い。掛かった時点でほぼ奴は終いだからな♪」


魏延はかなりのご機嫌で目配せした。


彼は気分が良い。なぜなら日頃、丞相にやられている事をその弟子に返したからである。子供らしいと言ってくれるな。


これは策士の醍醐味なのである。


「判りました!そこまで仰るなら私も腹を括りましょう。最後までお伴します♪」


馬岱がそこまで言うと、魏延は然も可笑しそうに笑った。でも嬉しかったに違いない。


「ハッハッハ♪何もそこまで想い詰めんで良い!まぁ真面目なお前らしいがな♪儂に策がある。耳を貸せ!」


魏延は馬岱の耳許でゴニョゴニョと呟く。すると、馬岱はハッとした様に口走る。


「えっ!そこまでおやりに成るのですか?」


今度は彼が怪訝な表情になった。


「おゃおゃ…長い付き合いなのに、お前さんはまだ儂の本質が判っとらんな!儂はいつでも真険(マジ)よ♪特に今回は徹底的にやる!奴が参って更生するまでな♪言っておくが、目的はあくまでも奴の性根を叩く事で、その命では無い。殺さん程度に奴を追い込む。謂わばその心を叩け!そういう事だな♪」


魏延は顎髭(あごひげ)を撫でながら、そう宣う。


馬岱は尚も不安を抱えていたが、こう断言した以上、必ず果たすのが魏延という男だと判っていたので、もはや何も言わなかった。




時は少し(さかのぼ)る。魏延は馬謖の嬉しそうな顔を見て、ニンマリと微笑む。


『掛かった…』


彼は喜びを顔に出さぬように、最大限の用心をした。けれどもそれは杞憂だった。


馬謖は餌の甘い香りを嗅がされて、すっかり彼に尻尾を振っている。そこで魏延は満足そうに頷くと、提案を始めた。


「まぁ、それには当然条件があるなぁ~♪聞きたいかね?」


魏延はわざと焦らす。


いつもの馬謖なら、ここでその異変を察知したかも知れないが、彼は荊州に行く自分の姿を想い浮かべて酔ってしまっていたので即答した。


「そりゃあ、聞きたいですよ♪言って下さい!必ずやその期待に応えてみせます♪」


別に期待をしていた訳では無いから、魏延はその返答に鼻白む。だが巧く乗ってくれたので、朗らかに答えた。


「ほぉ〜さすがは丞相のお弟子さんだ!潔くて宜しい。ではその条件をさっそく伝える。なぁに、軍略の何たるかを知る御主なら、然程難しい事では無い!まぁぶっちゃけて言うとな、この馬岱相手に模擬戦をやって貰おう♪」


魏延は馬謖を持ち上げる事も忘れなかった。自分に既に酔っていた馬謖はこれで完全に警戒心を解いてしまった。


こうなったらしめたものである。元々馬謖は地味な馬岱の戦術を馬鹿にしていたので、自分の華麗な軍略を用いれば容易(たやす)く撃破出来ると踏んでいた。


だから躊躇(ためら)う事なくこう答えた。


「馬岱殿に勝てば宜しいのですね?成る程…判り易い♪」


これにはさすがの二人も呆れ果てた。


表情を見る限りでは、本当に勝つ気のようである。二人は想わず顔を見合わせた。


そらぁそうである。仮にも馬岱は北方方面をあの丞相から委ねられた都督代理であり、その武勇には敵方の魏国でさえ一目置いていた。


その馬岱をあっさり倒すと宣言したのである。二人はブハッとロを開けて笑ってしまった。


特に馬岱は腹を抱えて笑ってしまっている。馬謖は本来なら、ここで気づき翻意する必要があったのだが、余りの侮辱に堪え切れずに却って躍起となった。


「何です?失礼だな!模擬戦と讃えど、やるからには真険です♪それにやる前から負ける気なら、やる意味は無いでしょう!」


成る程…一応、理屈は通っているので、魏延は笑う馬岱を抑えて、コクリと頷く。


「ほぉ〜その意気や好し♪儂はその前向きさは嫌いじゃ無いぞ!かくいう儂もやる前から負ける気は無いからのぅ~♪好い、好いぞ!」


魏延は自然とそう褒めた。


彼も元々あの関羽相手に、次代を但うのはこの儂だと豪語した事が在ったから、ある種、肯定したい気持ちも持ち合わせていた。


勿論、それが行き過ぎだったと既に認め、反省している。


とにかくこれで馬謖はすっかり気を良くした。魏延の期待をその一身に集めたと誤解したのだ。


要は魏延を味方にした今、馬岱なぞひと捻りにしてくれると慢心していたのである。細工は上々だった。


けれどもここで魏延は念を入れる。油断大敵なのは、彼が自らに賭した事であったのだ。


「儂は特にこの馬岱に勝てとは一言も言って居らん!コイツは名の通った武将だからな♪善戦出来れば良い!」


魏延は敢えてここでハードルを下げた。後で文句が出ないようにするにはそうしておくに限る。謂わばこれはある種の保険だった。


ところが慢心小僧には、せっかくの譲歩も効いていないらしい。彼は却って剥きになった。


「否…それには及びません♪大守のご厚情は有り難いのですが、実際の戦場では言い訳は効きませんからねっ!結果は勝つか、負けるかで結講♪必ずやその期待に応えてみせます!まぁボクの見立てでは、圧倒的に勝つか、惜敗するかでしょう?将軍の善戦に期待したいですね♪」


馬謖は遂に自ら逃げ道を塞ぐ。


しかも言う事がまだ洒落ている。完全に馬岱を敵に廻してしまったのだ。


彼としては相手を怒らせ、焦らせる気だったらしいしが、馬岱はそれを聞いて怒るどころか、また腹を抱えて笑っている。


それを見た馬謖が却って憤る程であった。


「ゴッホン!」


魏延は二人の応酬に歯止めを促す。けれども彼自身も呆きれ果てていた。


さすがの自分もコイツには負けると想ったのだ。魏延もかつては慢心が歩いているような男だったが、これ程では無かったと苦笑するほか無い。


しかもご丁寧にも、勝ち負けの予想まで口にしている。もはや魏延自身も譲歩する気すら失せた。


兎にかく言質(げんち)は取れた。上出来というものだろう。彼はここで念を押した。


「判った!勝ったら約束通り、お前の荊州行きを丞相に具申してやる♪それで良いな?」


魏延はわざと片手落ちな条件を告げた。馬岱は真面目な男だから、即座に腑に落ちない顔をする。


馬謖はそれを見て取り、止せばいいのにまたもその口を汚した。


「大守!それでは片手落ちです。ボクは納得出来ない!ボクが負けたら、その罰を大守に委ねます。勿論、命を賭けて臨む所存です!」


彼は遂に行き着くところまで行ってしまった。彼の矜持(プライド)がそう言わせたのだろうが、これには馬岱も懸念を表明した。


「大守!それはやり過ぎなのでは…」


ところがその言葉は軽く魏延にあしらわれた。


「何を言っておるか!お前は勝つ気で居るらしいが、負ける事だって十分在り得る。幼常は丞相の小飼いなのだ。判ったら負けぬ算段をせぇ~♪この儂の顔に泥を塗るなよ!」


魏延は敢えて厳しい言葉を口にした。馬岱は端と気づき、押し黙る。


魏延は馬謖に微笑みながら、そのやる気に火を付けた。


「好し♪お前の覚悟は見て取った。感心な奴だ!やってみせよ♪但し、お前の賞罰はこの儂が握った。この事はくれぐれも忘れるな!」


魏延はそう言い渡す。


馬謖は勝つ気で居るので平然としており、むしろ感謝を示した。


「この幼常、文長様のご期待に必ずや応えます!見てて下さい♪」


こうしてこの賭けの伏線は見事に引かれたのである。互いにもう引き返す事は出来なかった。




「何!なんと馬鹿な事を…」


諸葛亮は魏延からの伝書鳩でその事を知り、唖然とした。策に嵌める方も嵌める方なら、それにコロッと傾いたと幼常にも驚く。


確かに幼常は荊州行きを望んでいたし、それは彼も知っていた。けれども魏延と同様に、時期尚早だと考えていたので聴く耳を持たなかった。


その結果、彼が暴走したとしたら、それは孔明にも責任はある。彼は頭を抱えた。


けれども時すでに遅しである。あの会談の時に、魏延には口を挟むなと言質(げんち)を取られている。


『やられた…』


彼はそう想うと同時に、『ここまでやるか!』と魏延の用意周到さを呪った。


しかしながら、今となってはもうどうする事も出来無い。そして考えようによっては、これは幼常に悟らせる良い機会だと想ったのだ。


まさか生命までは取るまい。彼は幼常の生殺与奪権を魏延に与えていた事に気づき、後悔したがもう遅かった。


『一度信じたら、最後まで信ぜよ』


孔明は若君の言葉を想い出す。


それは人と付き合う上での覚悟なのだと彼も理解していた。だから彼は幼常の賞罰を改めて魏延に委ねる事にしたのである。


そして魏延の要望はそれだけでは無かったのだ。


「これは…」


孔明は驚く。


けれども彼はそれすらも受け入れる事にした。彼はさっそくその要望に沿う様に準備を始めた。


願わくばこの事で凝りて、幼常が再起してくれる事を切に望んでいたのである。彼は慌ただしさにその身を委ねた。




「何ですって!模擬戦は国境付近で行うのですか?魏国に知られたらどうします!」


馬岱は即座に反対した。けれども、当の魏延は涼しい顔をしている。


「大丈夫よ!魏国には、丞相が根廻ししてくれておる♪何でも緊張感が大事だからな!お前は慎重な男だから、無理押しはせぬだろう♪よいか、くれぐれも予定通りに頼む!後はこの儂が奴に引導を渡してくれよう♪」


魏延はそう言うと、次の絡みに取り掛かった。馬岱は承知するほか無かった。




突然呼び出しを食らった王平は、肝を冷やしている。何よりも漢中大守・魏延の要請だから(アワ)を食った。


しかしながら丞相の認可が下りている上に、黄忠将軍も既に承諾している。彼は必然的に出向くほか無かった。


王平はあの漢中攻防戦の際に魏国に戻れずに、蜀に投降を余儀無くされた将軍だった。


夏候淵が定軍山で斬られ、浮き足立った魏軍は慌てて敗走したので、彼は将軍の中では只一人、取り残されてしまったのである。


けれどもその人と形は忠実で、覚悟を決めた後には、実直で清廉(せいれん)な男だった。


ちょうど馬岱や関平の如く、地味ではあるが職務に精励し、仲間想いの男だった。


「大守!私に何ぞ御用でしょうか?」


彼はなぜ呼び出されたのか聞いてないので、そう訊ねた。黄忠からは、その命に従えと釘を刺されているので仕方無かった。


彼の上司の黄忠も、荊州下向が一緒だった魏延が悔い改めた事は知っていたし、関平を見事に育て上げた手腕にも感心していたので協力的だった。


「うむ!良くぞ来て下さった♪単刀直入に申し上げるが、この度行われる模擬戦にこの馬謖の副将として参加して欲しいのだ。宜しいかな?」


魏延は珍しく丁重に彼を扱った。あの黄忠が、丞相の口利きがあったとはいえ、すぐに協力を申し出てくれたからである。


持つべきものは助け合える知巳と彼も喜んでいた。玉平はすぐに承知した。


「えぇ…その程度の事ならお安い御用ですが、御本人はそうでも無さそうですなぁ!」


王平にそう言われて、魏延は振り返ると馬謖を見つめた。確かに不服そうな顔をしている。


面倒臭(めんどくせ)ぇ奴…』


彼がそう想った瞬間に馬謖は宣う。


「大守!ボクは副将など居りません♪ひとりでやれます!」


この言葉に、魏延はカッとして想わずボコりたく成った。今、この場には彼を止められる馬岱も居ない。


王平は初対面だから、当然触らぬ神に祟り無しと傍観している。彼はようやくのところで自省し、朗らかに振る舞う。


けれどもその表情は暗に反して痛々しかった。王平は気の毒そうにそれを見ていた。


「幼常!お前、何様のつもりだ。先程、馬岱にも釘を刺したが、よもやお前も舐めている訳ではあるまいな!これは遊びじゃあ無いんだ。神聖なる訓練ぞ!そしてこれは丞相と儂の親心だ。判ったら、この王平に良く相談して事に当たれ!それがお前の願いを叶える早道だ♪」


魏延は理路整然とそう述べた。そしてこれは本当の事である。


彼が王平の言う事をよく聞いて臨めば、おそらく馬岱相手にも善戦出来よう。否…それが馬謖に残された唯一の勝機とさえ謂えるだろう。


魏延にとってはこれも理論武装のひとつの手段に過ぎない。わざと敵に塩を送ってやったのである。


彼は王平には悪いと想っていたが、馬謖が彼を無視して独り相僕をする事は当に承知の上だった。


けれどもこれは何も馬謖を一方的に叩きのめす機会では無いのだ。


彼が一念発起して、王平と共に勝利を目指すなら、魏延としても本当に口利きをして、荊州派遣を実現させてやっても良いとさえ想っていたのである。


彼はそういった意味では平等であった。


但し、そう成らなければ遠慮無く叩き潰すつもりだった。


「宜しくお願いします♪」


そう言って手を差し出した王平の手を馬謖は渋々取り、握手を交わす。これ以上、反抗するほど彼も馬鹿じゃ無かった。


「それで良い!ではこの場は解散だ。儂も色々と根回しが大変でなぁ♪後程、呼んだら直ぐに来てくれ!その時に今回の模擬戦の条件を説明する。良いな♪」


「「ハハァ♪」」


二人は了解した旨、態度で示した。


『しめしめ…上手く行ったわい♪』


魏延は只ひとりほくそ笑んでいた。


馬謖は握手は交わしたものの、本番になればどうとでも成ると高を括っている。王平はそんな二人を沈着冷静に見ており、どうやらこれは厄介な事だと溜め息を漏らした。




さて、その後模擬戦の場所と戦力が発表されると、次にそれぞれが陣立てに移る。


「あの山に登ろう♪」


馬謖は即座にそう決断した。


それを聞いた王平は慌てて止めに入る。


「幼常殿!ちとお待ち下さい♪ここは国境も近いのですぞ!模擬戦の最中に敵の魏国に囲まれたらどうします?我らは兵糧も水も十分に保持しておりませぬ!たちどころに乾上(ひあ)がってしまいますぞ♪」


それを聞いた馬謖はフフンと鼻白む。王平をとんだ弱虫だと想い込んだのである。


「何を馬鹿な事を!魏国とは同盟しているのだ。攻めて来る筈が無い!それに孫子も言うて居る。高みに陣立てすれば有利とな♪先にとっとと布陣して、相手を待ち受けるぞ!後は一気呵成に攻勢をかければ、我らの勝利は間違いない♪時を掛けるだけ無駄な事よ!」


これぞ正に圧倒的な勝利と馬謖はほくそ笑んだ。


「では…せめて水源を確保する事をお許し下さい!兵を半分お借りしますぞ♪」


王平がそう言うと、馬謖は面白く無さそうに口を尖らせた。


「それは許そう…でも半数は駄目だ。そのまた半分にせよ!」


要は四半(しはん)ならば貸すというのである。王平は仮に包囲されたりしては大変だからと、その条件を飲む事にした。


けれどもその判断は既に遅かった。王平が兵を借りて山を下る頃には、あちらこちらから矢の雨が降り注ぐ。


実戦形式でやっているのだから、やむを得ぬ事だが、さすがに味方の矢に射たれるのは彼も承服出来なかったので、仕方無く水源確保は諦めて、山頂に陣を張る馬謖の許まで戻った。


案の定、馬謖は王平を嘲笑った。


「何だ!矢くらいで戻ったのか?大体、兵は同数で臨んでいるのだ!包囲される懸念など無い♪」


彼は余裕をかましてそう告げる。けれども次の瞬間に、彼はその目を擦って眼下を見つめた。


まるで自分の目が可笑しくなったのかと疑ったのである。眼下の山裾には明らかに魏の旗がひしめき合い、彼らはいつの間にか魏軍に包囲されてしまったのだ。


「そんな馬鹿な…」


馬謖は開いた口が塞がらなかった。


結局、何度か山上から攻勢を懸けるも矢の雨に追い返された。王平の懸念が当たったのである。


こうなると下手に攻撃も出来ないし、時を食えば食う程に、食糧は元より水が枯渇してくる。水が無くては人は生きて行けない。


だから夜の暗闇を生かして水を汲みに決死隊を編成するも、只のひとりも戻って来なかった。皆、矢に射られるか捕えられたのだろう。


まだ初日は良かったが、これが二日、三日と時が経過するに連れて、兵は音を上げ始めた。そして脱走する者が相次ぐ。


結果、少数の我慢強い兵と、馬謖と王平のみとなった。その男たちも疲弊している。


皆、山の草の樹液を(すす)ったり、その草そのものを口に入れたりして飢えを凌いだ。特に馬謖の疲弊の仕方は酷く、皮膚はひび割れ、憔悴しきっている。


王平は甲斐甲斐しく看護するも、もう顔に生気が無くなって来た。


「どうじゃ…馬岱殿は?救援は?」


最早、その馬岱と模擬戦に来た事も忘れて、救援に一縷(いちる)の望みを賭けている。


王平も気の毒で仕方無いが、彼自身も巻き込まれた事で、とんだ災難に見舞われているのだ。もう喋る気力すら失せていた。


その時である。少数の騎馬隊が声を掛け合いながら、山裾の包囲網を崩し始めたのだ。


その(うね)りは、瞬く間に大きな潮流となって、魏軍を蹴散らす。その旗には「馬」と記されており、それが明らかに馬岱の軍である事は明白だった。


そしてその馬岱に一歩遅れるように、今度は「魏」と記された大軍が推し寄せて来た。


これにより魏軍は逃げ散るように四散した。それを見ていた王平は叫んだ。


「幼常殿!見て下さい♪大守と馬岱将軍が助けに来ましたぞ!」


それを聞いた馬謖は力を振り絞り眼下を眺めた。確かにそこには魏延と馬岱の兵で溢れ返っていた。


「おぉ…おぉ…」


彼は感動の余り声を上げようとしたが、声が掠れて出ない。もう涙すら出ない筈なのに、その時、彼の頬にはひと雫の涙がツーっと真っ直ぐに垂れた。


彼らは九死に一生を得たのである。


安心の余り、馬謖はそこで力尽き気絶してしまった。王平はそんな馬謖を助けて麓まで降りた。さすがは歴戦の勇者だけ在った。


無事、麓まで彼らが降りると、魏延は王平を労った。


「御苦労だった…迷惑を掛けてすまなかった!」


彼はそう陳謝した。


「幼常殿は貴方達の救援を待っていました!おそらくは懲りたのでは無いでしょうか?これってそういう事ですよね!?」


王平はそう述べた。


「お判りでしたか?」


魏延はそう答える。


「まぁ、意識が遠退(とおの)きそうな刹那(せつな)にふとそう想いました。水を汲みに下りた時は、明らかに馬岱殿に(さえぎ)られましたし、何より私は主人・黄忠の命で来る前日に、魏軍の軍服を集めさせられましたのでね?」


王平は吐息をつく。


「そうで御座ったか?それはお見逸れしました!巻き込んでしまい、本当にすまない…」


魏延は深々と頭を下げた。


すると王平は力無くもクスッと笑ってそれに答える。


「いゃあ…これも給料分でしょう♪貴方は彼を更生させたかったのでしょう?何しろ出来は悪く無いんだ。机上で物事を見誘える過ちに気づけば、我ら蜀のために今後は力と成るでしょうからね?それにあの性格も直ると想いますよ♪まぁ、私にしても魏国からの投降者という(スネ)に傷を持つ身です!今度の事できっと私の忠誠心もご理解頂けよう♪けして悪い事ばかりでは無かったんです!」


王平はそう言うや力尽きて、彼も気絶した。危うく倒れそうなところを馬岱が支えたのである。


「お前さんもご苦労だった…」


魏延は馬岱を労う事も忘れなかった。


「否…将軍も躊躇(ためら)わず、最後までやり抜かれた。頭が下がる想いです♪」


そう言われた魏延は「いゃ、何…」と言って照れてみせた。こうして模擬戦は終結する事に成った。




後日談となるが、さすがに死と向き合った馬謖は人が変わったように角が取れた。


魏延や馬岱の二人とも、ようやく連携を取り始めて、ちゃんと言う事を聴くようになった。


そして死線を共にした王平には、とても感謝していると、毎日のように口に出した。


丞相・諸葛孔明も、そんな馬謖の姿を眺めて嬉しくない筈は無く、二人に謝意を示した。


馬岱は想う。少々乱暴だが、これだけの大懸かりな策を短期間で構築し、やり遂げた大守・魏延を改めて誇りに感じていた。


そして当の魏延は、雨降って地固まった事にとても安堵していた。

【次回】祝賀の宴

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