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色褪せた過去

東の空に明星が輝いた日の朝、糜竺は帰参した。主だった者たちに迎えられて、彼も久し振りに荊州の地に立つ。


そこは彼が居た頃とは打って変わり、途方も無い発展を遂げていた。それは城門をくぐった瞬間に直ぐに判った。


「こ、これは…」


彼は驚く。その先には(ほり)が造られていて、その先に再び城門が出現したのだ。


すると北斗ちゃんはニヤリと笑みを浮かべる。


「どうだい?立派だろう。アレは新しく出来る荊州城の正門となる。今はまだ半分といったところだ。これから益々立派に成るだろう♪」


若君は得意気にそう言った。そこには悪戯小憎の瞳が輝く。


「それにしても高いですな…まさか城壁とは!私は建物かと想っておりました♪」


糜竺は感嘆して口をアングリと開けており、見上げたまま目が離せない。


「そうだろうね!実際しばらくはそう想って欲しいものだ。何しろ目指しているのは秦の函谷関だからね♪でもそんな事で驚いてちゃこれから先、持たないぞ!僕が見せたいのはあの先の景色さ♪そして是非、武州の現況を目の当たりにして欲しいね!叔父上は途中をご覧になってないから驚く事だろう。落ち着いたら視察検分に取り懸かって貰うよ?じゃなきゃ交渉の切り札を理解出来ないだろうからね♪」


悪戯小憎はそう言って目配せした。


「えぇ…勿論、そのつもりです♪愉しみな事です!」


糜竺は(はや)る気持ちを抑えるようにそう答えた。


北斗ちゃんが合図すると、巨大な門がゆっくりと降りて来て壕に懸かる。


「さぁ~叔父上、どうぞ♪」


北斗ちゃんは手招くように先を示した。


「あぁ…」


糜竺は目を丸くして見入っている。


開いた門の先では、とても美しい噴水が一斉に水柱を立ち上げている。これは若君の肝煎りで造られた物だった。


そう…水道の技術である。


西洋から移住して来た者たちの中には、水道橋の建築技術を有する者も居たし、何より若君は西洋の書物の中にそういった書き込みを見つけて、実現したいと想っていたのだ。


それを今、糜竺は目の当たりにしている。


「アレは西の国の技術です。綺麗でしょう?これからの城は機能的なだけじゃ無く、そこに住む人、訪れる人の、憩いの場で無ければ為りません。それは僕の理想を体現したものであり、僕らの目標に適う事です♪」


北斗ちゃんは壕の上を一緒に渡りながら、そう説明した。


「大変、美しいものですな!しかしあの水はどこから得ているのですか?止まったらその都度、補充が大変なのではないでしょうか…」


糜竺は素朴な疑問を口にする。


すると北斗ちゃんはクスクスと笑い出した。そしてお壕を指して言った。


「その答えはアレです!それだけじゃ有りません。噴水は壊れない限りは止まりません。荊州城は今までに無い、城内に河川を備えた城です。河川から上水を取り込み、城内の人々の喉を潤す片らで、この噴水にも絶えず供結されます。噴水の水柱として活用された水は、噴水の受け皿の下からあの壕へと流れて行き、河川に戻って行く。そういう仕組みなのです!つまり水は還流されているため、途切れる事は在りません。どうです?凄いでしょう♪」


若君は誇らしげに説明を終える。


それでも糜竺は不安が拭えないのか、合わせて問うた。


「城門の傍に広場と噴水ですか…攻められたら直ぐに破壊されそうですなぁ!」


すると若君はクスリと笑った。


「叔父上、発想の転換ですよ!なぜ戦い在りき何です?勿論、攻められないとは断言しませんが、そう成らぬように努力すれば済む事です!謂わば噴水は平和の象徴なのですよ♪逆に戦いは破壊の象徴です。ここに広場と噴水を造ったのは、僕の…否、僕たちの意志です。覚悟と言っても良い!まずは戦が起きない、そして起こさない、そういった覚悟の許、話し合う事から始めようという僕らの固い決意なのです♪皆、ここを通る時には必ずそれを思い出す。そして憩いの場で休む民に対する僕らの意思(メッセージ)でも在ります。ここに噴水を造らせた僕の意図をお判り頂けましたか?」


北斗ちゃんはそう締め括った。


「そうですな…確かにそうかも知れませんね!」


糜竺も同意を示した。


広場の先には通りが続いており、その道なりには様々な食事処や商店が連なっている。各々が働く時間を定めており、客はその時間に合わせて用を足しに行く。


若君の説明では、武州の河川現場は既にその周りに街が出来上がり、こういった様々な商いも活発に行われていると謂う。


糜竺は見るもの全てが驚きの連続だった。勿論、一朝一夕で出来上がったものじゃ無い事くらいは彼にだって判る。


徐々にそういった様相に変化したものでも、全てが初めての経験の者には、活期的な変化に映るものだ。


彼は到着して城内に入るまでの段階で、その驚きの連続に落ち着く暇が無かった。


糜竺が不在の間に、それだけ若君を中心とした者たちが、努力し苦労を重ねたのだと想わざる逐えなかったのである。


すると若君は、彼の気持ちを察したようにこう告げた。


「長い旅で疲れたろう?それに驚きの連続の筈だ!今日はもう良いから、ゆっくり休んで下さい。明日午後からでも武州の見学に行くと良い♪夜は歓迎会だ。慌ただしくてすまないが、集ってくれた皆にも役割があるのでな!明後日には解散させなければならん♪まぁ皆、それだけ叔父上が戻ってくれたのが嬉しいのだよ!かくいう僕もそうだ♪改めてよく戻って来てくれた。有り難う♪」


劉禅君はそう言って、糜竺を労う。


糜竺もすぐにその提案を入れた。


「そうですな!ではお言葉に甘えて♪皆さんもお出迎え有り難う御座いました!また明日♪」


糜竺が丁寧にお辞儀を済ませると、伊籍が案内を買って出る。礼を述べる糜竺を伊籍は笑い飛ばした。


「何を水臭い!儂と御主の仲じゃろう♪その代わり、後日一杯付き合えよ!」


糜竺は相槌を打ちながらも、『この人は変ってない…』と安心すると同時に、苦笑いして止まなかった。


若君は去り行く二人の背中を眺めながら、叔父上が元の鞘に収まった事に安堵していた。




「北斗ちゃん♪ちょっと良いかい?」


若君が午後の執務に当たっていると弎坐がやって来た。


「弎坐♪今朝ほどはすまないな!有り難う♪」


そう言うと弎坐は被りを振る。


「うううん…あちきも糜竺様にはご縁があるから当たり前だよ!元気に戻って来られて良かったね♪」


「あぁ…僕も安心している!それはそうと何か用かな?」


若君は訊ねる。


「今、大丈夫かい?」


「そりゃあ、大丈夫さ♪否…実をいうとね、叔父上を迎えて僕も些か興奮している。先程から執務が手につかなくて困ってたところさ!だから大歓迎だねぇ♪」


北斗ちゃんは照れ隠しに頭を掻く。


「君もかい?実はあちきもそうなんだ!」


そう言って二人は笑い合う。


「それで?話を聞こうじゃないか♪」


若君が水を向けると、弎坐は改めて話し出した。


「実は先日の外交行脚の件なんだけど?」


「あぁ…そういう事か!」


北斗ちゃんにも想い当たる節が無かった訳じゃない。今回の同行リストに医師の名は無い。


元々今回は本格的な交渉では無いし、短期外交の予定だから外したのである。


けれども医療の責任者は弎坐だから、耳を傾ける必要はあった。


「北斗ちゃんは短期外交の予定だから医療班を外した様だけど、あちきは必要だと想うんだ!同じ南方でも東と西ではまた風土も多少の違いはあるし、北方は特に馴れた土地じゃない。そういう時に現地に世話を掛けるべきじゃ無いし、何かあると困る。これはあちきだけの意見じゃないんだ!老師や虞翻殿も同じ意見さ♪だから医療班を同行させて欲しい!」


弎坐はそう言い切った。


成る程…理には適っているから、反論の余地は無い。薬さえ揃えておけば安心だと想ったのは甘かったらしい。


彼も医療を志した身だから良く判った。


「良く言ってくれた♪僕が少々浅はかだったな!そうしょう♪けどそうなると誰かが同行して貰う事になるな?僕は承知の通り、交渉に集中せねばならない。手立てはあるのかい?」


「うん♪勿論だよ!但し、あちきは駄目だ。季節の変わり目に懸かるから流行病に対応しなきゃいけない。同じ事情で管邈殿も動かす訳にいかないよ。だから考えたんだけど、アダムはどうかな?彼なら融通が効く。西洋医は最近増加傾向にあるから、だぶん受けてくれるだろう♪」


弎坐はそう答えた。


老師と虞翻殿は元々臣下では無いから動かす訳にはいかない。以前なら率先して手を上げた弎坐も、最近は医療の責任者としての自覚に目覚めて備えを怠らない。


どうやら必然的に出した答えのようだった。北斗ちゃんは訊ねた。


「彼か!でも彼は東洋医学には馴れないんじゃ…」


すると弎坐はフフンと笑う。


「北斗ちゃん♪アダムは日頃から患者を分け隔てなく診ている。そして評判も良いんだ♪何よりあちきや老師、虞翻殿さえも知らなかった知識も持ってるんだ。それに皆で医療交流を盛んに行っている。心配無いよ!何なら老師の推薦状でも貰うかい?」


これには北斗ちゃんも参った。


どうやら全て計画的だったらしい。彼は苦笑いしながら答えた。


「いゃいゃ…それには及ばないねぇ♪弎坐、君が太鼓判を押す者を無下には出来ないな!謹んで同意しよう♪」


若君はそう言った後にチクリと刺した。


「さてはもうアダムの同意も取りつけているな?君もなかなか隅に置けない!やるじゃないか♪まさか君に出し抜かれる日が来るとは想いもしなかったねぇ…」


北斗ちゃんがそう愚痴ると弎坐も宣う。


「そりゃあ、そうさ!君とは長い付き合いだからね♪傾向と対策ってところかな?君の得意分野の筈だろ!考えてるのが自分ばかりとは限らないんだぜ♪どう、判った?」


最後は彼の最近の口癖まで取られてしまった。


『やれやれ…(ღ❛ ⌓ ❛´٥)』


北斗ちゃんは絶句した。完璧にしてやられたのである。まさに青天の霹靂(へきれき)であった。


だから彼は素直に返した。


「判った、判った!降参だ♪有り難く従うよ!」


すると最後に(とど)めを刺された。


「北斗ちゃん♪"考えて行動する自由"の実践だよ!あちきも遅まきながら考えてるって事♪じゃなきゃ役目を果たせないからね!どう、判った?」


弎坐はしてやったりとそう告げた。


彼は二の句が継げない。判っていても若君相手にここまでやれるのは、おそらく弎坐だけだろう。


なぜなら北斗ちゃんと苦楽を共にして来た大事な友だからである。かなり(へこ)まされた若君も、敢えて苦言を呈した友を怒りはしなかった。


むしろこれだけやり込められたら気持ちが良い。それに弎坐は最後に、"考えて行動する自由"の実践だと言った。


『君のお陰で今のあちきが在る…』


北斗ちゃんは弎坐がそう主張しているように聞こえたのだ。


『どうやら今日は調子が良くないらしい…友の成長振りを喜ぶとするか!』


彼はそう想い、白旗を掲げた。


「判った、判った!宜しく頼む♪」


北斗ちゃんがそう答えると、「次も負けないからね?」と弎坐も答えた。


若君は溜め息を漏らすほか無かった。

【次回】孝廉に非ず

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