【番外編】楼琬の旅路⑤虚偽
「へぇ~そんな都合の良い話が世の中あるんだねぇ♪」
全白と地図を睨めっ子しながら楼琬は宣う。そして呆れた様に全白を見つめた。
「やだなぁ〜旦那!何て眼で見るんです?オレっちは善意で勧めたんすよ♪」
彼はあくまでもそう言い張る。
「へぇ~そうかい!そらぁすまなかったね♪」
楼琬は軽く会釈するも、その目は笑っていない。すると居たたまれなくなった全白が先に音を上げた。
「こりゃあどうも♪実はあそこの族長は少々厄介な男でね、ちと面倒臭いんですな!何でも元々は北の大地でブイブイ言わせていた匈奴族の生き残りらしいんです。日頃は大人しいんですが、収穫の時期が来ると根刮ぎ持って行きます。オレらは見捨てられた人間ですから、税を収める必要は無いんですが、食い扶持まで持っていかれたら生きて行けません。オレらが表立って農耕をしないのはそのためです。取り残された彼らも、元々は細々とでも田畑を耕していたんですが、そんな具合でやる気を失ってしまったという訳でして…」
それ以来、全白は彼らを助けて来たらしい。炊き出しを行う意味もそれを聞けば違って来る。
どうも本来は勤勉な人々である様だった。それを聞けば楼琬だって怒りを覚える。
「良し!僕がちと凝らしめてやろう♪」
彼は急にやる気を見せた。それを聞いた全白は慌てる。
「いゃいゃ…話の腰を折ってすまねぇが、田畑が荒廃して以来は連中も大人しくしてるから、わざわざ刺激せずとも良いんですがね?」
全白はどうも大事は避けたいらしい。その額には冷や汗を掻いている。
彼の事だ。ようやく救いの手が間もなくやって来る今、意趣返しが恐いのだろう。
そして心優しい彼は、皆のために穏便に済ませたいのだと楼琬は想った。
一方の全白も、元々善意で勧めたのは本当だった。話し合いで通して貰えば、何も諍いを起こす事も無いと想ったのだ。
特に腕に覚えのある彼ならば最悪振り切れるし、たとえ腕比べになっても彼らが認めるだけの実力はあるのだ。
匈奴族は強い戦士を好む傾向にある。なぜ判るのかといえば、全白も試された事のあるひとりだったからであった。
二人は瞳と瞳で語り合うように相手を見つめる。そして今度は楼琬の方が折れた。
「判った♪前言は撤回しよう!相手から仕掛けて来ない限りは、手を出さぬと約束する…」
彼は自分が発した言葉を反芻しながら苦笑する。想えば旅の始めに山賊に出くわした時には、弱腰なまま相手を退けた。
それ以来、幾重もの経験を積み重ねて、遂には南海を平らげてしまった。その自信が言わせた言葉である。
『僕も成長している…』
彼はそう想い、先の長い旅路の途中で大立ち回りを演じるだけが能じゃないと、己を戒めた。特に今は、彼らが無事に移住するための大切な時期である。
そして楼琬もそれを見届けなければならないのだ。そんな時につまらぬ諍いを起こしてどうする。そう想えば自ずと答えは決まっていた。
楼琬が翻意してくれた事で、全白も安堵の溜め息を漏らす。けれども彼にはまだ隠された意図があり、それは黙っていた。それは彼にとっても痛い腫れ物だった。
「いやぁ、それを聞いて安心しやした♪」
表面上、全白はそうロにした。けれども楼琬も只者では無い。
『なぜ今なのだろう…』
そう想ったのだ。こんな大事な時にわざわざ自分を遠ざけるのは何故なのか。
繋ぎには自分が居る事が不可欠なのは彼も承知している筈なのに、暇を潰すという理由だけで虎口に入る事を勧めるとは只事じゃ在るまい。
確かに楼琬は腕も立つし、弁舌もそこそこ行ける。でもそれだけで、はぃそうですかとお気楽に行く場所でも無い。
その目的がその先に居る賢者に会う事なら尚更であった。
『時がかかり過ぎはしまいか…』
彼は想う。どうしても避けられない道程ならば彼も承服するが、それは今で無くても良い筈だ。
仮に全白一行を見送った後でも十分遅くは無いだろう。そうすれば下手な意趣返しも食わずに済む。彼はその点を衝いた。
「全白殿!君は何かまだ僕に言っていない事がありますか?」
聞き手の捉え方によっては、どうとでも取れる遠回しな文言である。
彼が必要があってどうしても楼琬をこの時に遠ざけたい意志があるのならギクリとするだろうし、深い意味が無ければ一笑に付す事だろう。
これはある種の賭けであった。単刀直入も良いが、楼琬としても全白を必要以上に傷つけたくはない。
かといって、今ここで白黒をはっきりと付けておかないと、目隠し状態で虎口に入るも同然である。
今度は楼琬自身が危険に晒される事になるのだ。結果として、彼の優しさが生んだ苦肉の策とも謂うべき、妙な具合となってしまった。
彼は祈っていた。そして全白の一挙手一投足に注目していた。
「旦那…何でそんな事…」
全白は口から絞り出す様にそれだけ言うと、口を噤む。明らかに動揺しているらしく声が震え、みるみるうちに顔面蒼白となった。
楼琬は勘が的中した事に、全く失望の念が無かった訳では無いが、ある程度、想定した事だったから、深い溜め息を漏らすに止めた。
彼の中で全白への信頼がこれで失われた訳では無かったのだ。彼は余程の事情があるのだろうと、そう考えて切り換える。
「それはね、幾つかあるな!まず最初に君は歩哨の仕事を与えられているが、見ている限りでは余り熱心とは謂えまい。それがひとつ。次に異民族の件に関してだが、君は門を利用するのは彼らくらいだと言ったね?なら君はもっと門番としての役目を果たすべきだが、君のやっている事は各地の遺骸を埋葬する事と、取り残された仲間たちを気違う事だ。否…それが悪い訳じゃない。やっている事はとても尊いと想うが、君の行動を見る限りでは、とても異民族を恐れているとは想えん。それが二つだ♪」
彼は最近、異民族が襲って来ないと言っている。それは新たに畑を耕していないからという説明で腑に落ちる。
けれども片やで彼自身が打ち捨てられた人々を救済するための食糧をどう確保しているのかについては、言及されてはいない。
隠し畑があるなら、どうしてそこは襲われないのか。本当にある場合、そこで彼らに職を与える事だって出来る筈だ。
そうでは無いなら食の供給をどうやって得ているのか。全白は南海で荒稼ぎして、この地にやって来た。
供給先があれば、金がものを言う。彼が大枚を叩いて食を得ているなら、一応の納得は出来る。
ではそこはどこなのか。彼の口からはその辺りの事は一切、出て来ていない。
そこまで考えた時に出る答えはひとつだ。彼は異民族から定期的に食材を得ている。これしか無かろう。
もし仮に彼が独時に食のルートを構築しようとすれば、彼らに荒らされた畑と同様の結果を引き起こす筈だ。
輸送路は必ず襲われる事だろう。でもそんな話しはまるで無い。
結論は否が応にもひとつに集約される。全白は異民族と裏で繋っている。そして金と引き換えに盟約を結んだのだろう。
だから彼らは安全で、襲われるどころか食まで得ている。ではなぜここを離れたいのか。ここまで考えが至ればそれはもう簡単だ。
金は限りのあるものだ。いつかは無くなる。この盟約の肝は金だ。金が無くなれば、異民族側の利用価値は失われる。
そうなれば彼らは追い込まれる。だからそうなる前に脱出したい。ある意味、気の毒な立場だが、皆を守るためには仕方無かったのだろう。
ここで当初の問いに戻る。全白はなぜ、今この時に楼琬を彼らと接触させたいのかである。
『うん?さてはこいつ脅されてるな…』
楼琬はピンと来た。
もし仮に楼琬が彼らを訪ねる事で何かそこに変化が起きるなら、十分に有り得る話ではないか。
つまり全白の求めるものは時間稼ぎという事になる。ではそんな事をなぜ今、求めるのかと謂えば自明の理だった。
即ち、彼らから安全に逃がれるため、それしか無かろう。楼琬はそこまで考えが至った機会を捉えて、釜を掛ける事にした。
それが二つの疑問であった。
「あの門は殆ど人が通らない、そう言ったでしょう?だから心配ねぇって!」
全白はまだ頑なに抵抗する。仕方なく楼琬は核心を突いた。
「全白、この際この僕に隠し事は止めにしないか?僕にはもう全てが判っている。君はあの門で定期的に異民族と取引している。彼らから食糧を得る代わりとして、大枚を叩いているな?それだけじゃない。襲われる事が無い様に、保障も得ているのだろう。じゃなければ、君がたったひとりで門の外まで埋葬に出れる訳が無い!そしてその金がだんだんと枯渇して来たんだな?だから賢者を深していた。君たちの将来を示して貰うためだ。これは僕の想像だが、先程示した賢者にはもう君は会っているだろう?そして道を示して貰った。その時におそらく君は何らかの条件を達成するために留め置かれた。僕を今、行かせたい理由はそこにある。勿論、君の意図は明白だ。彼らを安全に移住させる事。それに尽きよう。なぜはっきりと言わなかった?僕はそれが残念でならない。僕の気持ちは変わる事は無かったろうに…」
楼琬は厳しい視線を送る。全白は溜め息を漏らした。
「全く…旦那には敵わねぇ!全て仰る通りです。なぁに危険は無かったんす♪彼らは強い者が好きなのでね!勇者に会うと必ずもてなすのが慣わしでね、それは十日間に渡ります。彼らをそれだけ引き止めてくれさえすれば、オレらは悠々と逃げられると想ったんです。穏便にそして安全にね♪」
全白はそう言った。
楼琬は呆れた。確かに彼は南海の出身である。
使える物は最期までキッチリと使う。彼らには元々その辺りのモラルが欠けている。
おそらく楼琬ほどの人なら、うまく切り抜けられる事も計算済だったに違いない。そしてその代わりとして、彼も賢者を得られるのだから、取引として不足は無いと踏んだのだろう。
けれどもこれにはひとつの、そして大きな問題がある。その点に気づかないのも南海の人らしい。
彼らは賢さの割に詰めが甘い。身内の事ばかり気に掛け、目的を達成する事にばかり集中する分、どこか間が抜けているのだ。
楼琬は溜め息を漏らした。
「あのなぁ~そりゃあ駄目だな…」
彼は言った。
「何がです?」
全白は不思議そうな顔をしている。
「おそらく来るのは桓鮮だ。しかも今回、依頼したのはこの僕だからな!彼は僕が居なきゃ、頑として動かないだろう♪つまり君の時間稼ぎは無駄って事になるね?否…彼の事だ。必ず危険が無いか君たちを試す事だろう!僕が居なきゃ全てご破産。彼らは粛々と撤退するさ♪詰めが甘いな!」
この楼琬の言葉に、全日は顔面蒼白となった。
「そんなぁ…旦那、勘弁して下さい!オレっちはもう殆どスッカラカンなんす。助けて下さい…」
彼は今度は泣き落としに出る。楼琬は苦笑した。南海攻略の時をまざまざと思い出し、想わず息を吐く。
「判った!判った!今回は大目に見よう。その代わり荊州に着いた暁には、君には規範と節度を学んで貰う事にする。それに後先考えずに、金で物事を解決しようなんて甘いんだよ。限りあるものは、大事に使わないとね♪」
彼はそう言って全白を許した。南海人を更正させるには、忍耐あるのみなのである。
「本当っすか♪そりゃあ、すいやせん!」
全白は呆気らかんとそう告げた。
楼琬は再び苦笑する。先程まで青菜に塩だった筈なのに、既にケロッとしているのだから呆れたものである。
彼も全白が元々人助けのためにやった事だから許した訳だが、この際、何かきついお灸を据えねばと想ったのだ。だから彼は何喰わぬ顔でこう言った。
「そりゃあ、そうとな!せっかくだから君の話に乗ってみるよ♪」
それを聞いた全白が今度は慌てた。あれ程、熱心に勧めた筈なのに、今は冷汗を掻いている。
何せ、先程とは状況が違うのだから当然だろう。彼は今度は必死で止めに入った。
けれども楼琬も今更、後には引かない。彼にとっても未知との遭遇には違いないが、彼は単純に会ってみたいと想ったのだ。
異民族たちとその先に居る賢人にである。彼の永遠の友・秦縁は、その異民族たちから支持された北狼大令尹である。
中華の者が秩序を願うように、北辺の者たちもその願いは同じなのだ。これが友の決意だった。
「俺はその秩序を平和に変えてみせる♪」
そして秦縁は、その言葉を実現してみせた。楼琬はその友の姿勢に感じ入った。
彼の決断はそんな友の言葉に後押しされたと謂えるのかも知れない。それにいみじくも全白が言ったように、彼の目的は賢人を見つけて人材を充実させる事なのだ。
彼の旅の目的はまさにそこに在ったのだから、思い立ったが吉日である。彼の決断は揺るがなかった。
全白に灸を据える事にもなるから、一挙両得であろう。その全白は先程からオロオロしている。
落ち着きが無く、その眼は泳いでいる。彼は少し安心させるべくこう言った。
「アハハ♪大丈夫さ!桓鮮が慎重なのは本当だが、けして撤退はしないさ♪彼の事だ!必ず僕の安全を見届けようとするだろう♪なぜなら彼はね、帰還した際、若君から僕の事を聞かれる事が痛いほど判っているからね!それに君たちのために使った僕の奥の手を再びこの手にしなければならない。この先、まだ何が起きるか判らないからね!まぁそういう事だから、安心して僕の帰還を待ちたまえ♪」
楼琬はそう言って笑った。助けの手が戻ってしまうという最悪の事態が回避された事から、全白はホッと胸を撫で下ろす。
けれども楼琬の身に何かあっては、それも無為に消える事だろう。彼は口を酸っぱくしてこう言った。
「旦那~頼みますぜ!安全第一で願いますぜ♪」
全白は殊更に石橋を叩いて渡れと、平身低頭で頼み込む。楼琬はほくそ笑んだ。
「アハハ♪僕も道半ばで倒れる気は無いから安心してよ!それにこれは僕を騙した罰だ♪ちゃんと話していれば、もっと話は楽だったのにね!」
彼はきっぱりとそう告げた。全白は後悔の色を渗じませている。
「そうですな…仰る通りで!」
彼はそう答えるほか無かった。
「まぁ無茶はしないさ♪それに案外、世の中捨てたもんじゃ無いって事!相手の出方次第だけど、少なくとも死人は出さないから安心してよ♪」
楼琬はニコやかにそう言った。全白は息を飲んだ。彼には全くといって良い程、恐怖心は微塵も無かったからである。
南海を制覇して、無事に帰還した男。全白はこの時に、初めてその偉業を信じたのだ。否…信じざる逐えなかった。
【次回】[番外編]楼琬の旅路⑥合流




