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燃ゆる想い

田豫は護烏桓校尉として北方の遊牧民族の監視を行っている。彼の施策はどちらかといえば、遊牧民族の一致団結を避け、互いに疑心暗鬼の芽を植えつけて勢力の均衡の許に南下を阻止しようとするものであった。


これに反発したのが秦縁である。彼は北の大地は彼らの物であり、自由に躍動する権利を保障する事こそ必要不可欠な事であると考えて田豫の方針に真向から異を唱えた。


中華の者たちが中華を自由に行き来出来るのと同じように、遊牧民族の自由も保障されなければならないという考え方は理に適っていたから、田豫はそれを否定する事は出来なかったのである。




中華には未だ辺境別視の見方があり、北狄(ほくてき)東夷(とうい)西戎(せいじゅう)南蛮(なんばん)などと呼び、差別する嫌いがある。


そもそも中華という言葉そのものに"世界の中心"という意味合いがあって、"自分たちは選ばれた民族だ"という高い意識を持っている。


自信を持つ事そのものは大いに結構な事だが、それがそれ以外の地域の人々を下風に見る事に繋がっては本末転倒であろう。


この時代、定住し、自分達の固有の文字を持ち、多くの素晴しい書物を記した彼らが誇り高く、高尚であった事は確かな事だろうが、人権や道徳観念が果たして伴っていたかというと、そうでも無かった。


誰もが良き隣人であり、対等であると考えている人はひとりも居なかった。なぜなら、そんな環境下の中では王などという者は生まれないからだ。


人が人として人権を保障されるにはまだまだ長い時がかかる。この時代は庶民ですら無く、自由を保障されない奴隷階級すらまだまだ普通に存在していたのだ。


そんな意識が一般的な常識として罷り通っていた時代に、定住先を持たず、読み書きもろくに出来ず、奇異な風習や神を崇める彼ら北辺の遊牧民族は、中華の者たちにとっては気味の悪い存在に見えたのかも知れない。


そして長城という高い壁を造り上げたのだ。


これは南下して来る遊牧民から中華を守るという目的で造られた物だが、それは一方的に中華側で造り上げたものに過ぎない。


互いに国境を策定していた訳では無いから、幾ら"南下するな"と言われても、それは無理な話しだったろう。


彼らにとってみれば、なぜ高い壁が在るのか、なぜ自分達が入れないのかすら疑問に感じていたに違いないのだ。それでも長城は存在し、北辺の者たちを阻んでいる。


そして今やその中華の中でさえ、国境線が引かれて違った勢力の者同士が相争い、覇権を競っているのだ。


同じ漢民族の者同士が血みどろの争いを繰り広げれば、どうなるのかは自明の理である。


戦争はもとより、それに伴う飢餓・疫病などで人口は増えるどころか、益々減る要素しか見当たらない。


誇り高き漢民族の中には流民に身を落とす者もいたし、そもそも生まれて来た赤子ですら生後、生き残れる者はひと握りだった。


人口の減少は著しく、北方の中原と呼ばれる、かつては賑わいを見せていた地でさえ、維持して行く事が難しくなっていた。


それでも人というのは反省しない生き物なのか、戦いを止めない。人の命より主義・主張が尊ばれたとしか言えない在り様であった。


現に曹操の時代あたりから、その人口減少を補うにあたり、各地に散らばっていた漢民族を事如く中央に集めて、北辺の地に北の友好的な遊牧民を移住させて定住化を計ろうとする動きさえ在った。


人口の減少に歯止めをかけるためには、まず戦いを止めて環境整備を進めて、生命維持を確保するしか無い。


戦いで死ぬ人の数ばかりが喧伝(けんでん)されるが、実際はそれは原因であって、荒れた地、死者の腐敗などに端を発する飢餓・疫病で死ぬ人の数の方が遥かに多かったのである。




こんな状況化の中で北の国境を守る田豫も大変だったに違いない。基本的に信じられる戦力は自分たち子飼いの兵だけであり、中央からの討伐軍を要請するには時がかかる。


やり方は少々非情でも任務を全うするには仕方無かったというべきであった。


そんな田豫も北辺の大令尹の名の許に北の部族たちがまとまり始めると融和路線に転じた。これは秦縁の力量を認めたのと同時に、時流に乗り遅れまいとする彼の矜持であった。


但し、その動きに反発する者が居た。それが歩度根である。


北辺を掌握し、王となる夢を見た彼にとっては秩序は(かせ)にしかならない。このままでは大勢力を誇る彼はその牙を抜かれてしまう。


暗躍して更に勢力を広げた彼は、着々と目的を達成しつつあった。


邪魔なのは大令尹の介入と魏の動きである。それさえ止めてしまえば彼に恐いものなど無い。


後は様々な欲を刺激された彼の同胞達が上手く立ち回ってくれるだろう。


彼が怪文書で秦縁を(おとし)め、その弱点である劉禅君を狙った事はある意味、理に適った行動だった。


但し、さすがにその標的が大物過ぎた。


歩度根もある程度は承知していた事だろうが、劉禅君の存在感が彼の予想を遥かに上回る。蜀の太子を潰させまいとする周囲の動きが、彼の野望に陰を落とした。


そして魏の動きで一番厄介な事は、鎮圧軍を北に向けられない事であった。いざ事が動き出せば、最早、田豫の脅しなど怖く無い。


出頭令など拒否すれば済むし、田豫の軍など軽く押し切れると考えていた。要は中央軍を北に向けられなければ良いのである。


魏をなるべく刺激せず、事を成し遂げ、事後承諾を得れば済むと見通していた彼は、田豫には常に(おもね)っていた。


けれども田豫は清廉な男である。協定を度々逸脱し、大言壮語を吐く者など信じない。


そして甘い汁をチラつかせて中小規模の部族を引き入れにかかる彼の暗躍に歯止めを掛けなければ為らないと判断するに至った。


それが今回、洪赤を持ってして劉禅君を巻き込もうとした策であった。




田豫は今でこそ魏の禄を食み、北の防衛に努めているが、実は劉備の家臣だった過去がある。まだ、劉備も若く確固足る地盤を持たない時期の事である。


その志に触れて田豫は家臣となった。ところが間の悪い事には郷里の母親が重い病にかかり、母親思いの田豫は劉備から離れて郷里に帰る選択をしたのである。


当時、地盤は無論の事、人材にも然程、恵まれていたとは言い難かった劉備にとっては、手離したくは無い駒であったろう。おそらくその才覚も判っていた筈である。


それに良く見ると自分の周りには腕に覚えのある荒くれ者しか居ない。この当時はまだ荊州にも辿り着けていない時代だから、馬良も伊籍も当然、諸葛亮など居なかった。


そもそも劉備が戦いには軍略が必要であり、軍師が不可欠と認識するに至るのは、まだまだ先の事であったから、この時は単に文武両道の田豫の才を惜しんだだけで在ろうが、けっきょく劉備は彼を手離した。


この人はお人好しの上に、馬鹿が付く程の仁愛の持ち主だったようで、田豫のみならず、趙雲、徐庶といった名立たる才能を気の毒と想い次々と手放しているのだ。


趙雲はそれでも彼を慕い、後に戻って来るが、これはとても珍しいケースである。


大義のためには非情になれる曹操とは違い、おそらく彼の心の中には、大義以上に大事な人としての根幹に関わるものがあったのだろう。


そしてそれを見失っては、彼は一歩も踏み出せなくなる。そういった強迫観念があったのかも知れない。


劉備は結果、田豫を引き留めず、彼は郷里に帰り、母の世話をした。そしてようやく手が放れる頃には劉備は遠く去っており、彼の郷里は曹操の手中にあった。


田豫はその才を曹操のために(ふる)う事になった。そういう事になるが、まさか自分がその息子である劉禅君を拐わせる事になろうとは想ってもみなかったに違いない。


洪赤は死を覚悟して出発し、彼の計画は進み始めた。けれども待てど暮せど、その後、洪赤から連絡が来る事は無かった。


劉禅君に裁決を委ねた彼は、一命を取り留めたが、その変わりとして武陵に送られ、河川整備に励む事になったのだから、やむを得なかったのだと謂える。


そんな時に田豫宛に司馬懿から書簡が届いた。彼はさっそく中身を改め、事実を掴んだ。


"事は成った"それは間違いない。洪赤はその危険な計画(ミッション)を無事にやり遂げてくれたのである。


彼は喜んだ。けれどもそれと同時に気になる点もあった。司馬懿が三人を確保したにも拘わらず、(くだん)の若君に引き渡した事である。


彼は慟哭した。そらそうである。常識的に考えて、一国の太子を拐った者が囚われの身になれば、その結果どうなるかは自明の理である。


それは必然的に一択在るのみだ。極刑である。彼は理不尽だと想った。


勿論、それを主導したのは自分である。念入りに計画を立て、実行したのだ。


洪赤には"大義のために死んでくれ!"とは言ったものの、彼には十分、救済する(すべ)があった。


それが満寵との連携である。満寵もガンマクを助けたい。利害の一致が、洪赤を救う筈だったのだ。


けれども現実は厳しい。歯車は狂い、達成間近に上手の手から水が漏れた。


当事者のひとりである満寵ですら、その(ほころ)びに驚愕したに違いない。


けれどもここで明暗が別れる。距離の差である。


満寵は漢江を挟んで目と鼻の先に居る。そして子飼いの部下を即座に動かせる立場でもあった。


彼は直ぐに手の者を放った。そして三人が殺される事無く武陵に送られた事を知り、ホッと胸を憮で下ろす。


『極刑を使役に変えるとは恐れ入る!だがやはり名君の様だ♪ガンマクも洪赤もこれで命を拾った…』


彼はそう想い、さっそく司馬懿にご注進した。結果オーライなら特に恨む筋でも無い。


彼は物事を合理的に考えられる人だったのである。ところが聞いてみると余計な事には既に文を田豫に出したという。


しかも早馬を飛ばして知らせたのだ。満寵は想わず「え~!!Σ(º言º ٥)」と叫んだ。


仲達はその声に「( •̀ 艸 •́ *)…」とキョトンとしている。


「もう知らせたので?Σ(º言º ٥)」


彼は訊ねた。


すると司馬懿は悪びれる事無く、「それがどうした?(ꐦ •̀ 艸 •́ )੭੭」と答えた。


満寵はやる瀬無く溜め息を漏らした。


「(٥ º言º).。oO それでは田豫がどう想いましょう?」


彼はそう訴えるのが精一杯だった。


けれども仲達は何の感概も無く、切り返す。


「そもそもこんないちかバチかの計画を立てたのは、奴自身だ。自分の友を死地に立たせるとはとんだ痴れ者だな!切れる奴だとは聞いていたが、見掛け倒しだった。自業自得よ!言っておくが、この儂を責めるのはお門違いよ♪誰の責任かと問われるなら、それは奴自身のせいだろう。ひとつ!計画が甘い。ひとつ!捨て石は慎重に選ぶべきだ。ひとつ!救済を他人の手に委ねるべきでない。ひとつ!結果的に劉禅君は極刑にはしなかったのだ。つまりどれを取ってみてもこの儂に否は無いな!そうであろうが?まぁ御主もあの坊ちゃんを見とれば、とんだ甘ちゃんだと判っていたろうが!儂はすでに見極めていたがね♪以上だ!ε- ( •̀ 艸 •́ *)後は御主の好きにするが良いぞ♪所詮、奴は北の防人(さきもり)なのだからな!」


司馬懿はそう言うと、河川工事の設計図に再び目を落とした。


満寵は苦虫を噛み潰したように怒りを抑えた。けれどもこれ以上、言い合っても仕方無い。


彼は急いで文を(したた)め、早馬に後を追わせた。しかしながら、それが田豫の許に届く事は無かったのである。


司馬懿はここに来て非情な一面を覗かせ始めた。満寵はいみじくも気づく事になったが、まだ彼の冷酷さに気づく者は他には居なかった。




さて、田豫である。距離の差は埋め難し。彼は自らの責任の重さを改めて痛感する事になった。


彼は悔いていた。果たして自分が今から駆け付けても、間に合うとは想えなかった。


北辺から荊州まで掛かる時間は、洪赤の命を永らえさす事は出来ないだろう。けれども彼は居ても立ってもいられずに決断した。


田豫は職務よりも友情を優先した。彼は辞表を都に送り、その足で帰宅すると、家族に言い含めて、早馬を飛ばした。


勿論、立つ鳥跡を濁さず。信頼する副官に後を委ねた。


但し、猛反発に会った事はいうまでも無い。けれども田豫の人と形を知る副官は止め切れずに引き受けてくれたのである。


歩度根を追い詰める事はけっきょく適わなかったが、彼にとっては友情の方が大切だったのだ。


何しろ彼は、"桃園の誓い"で結ばれた劉備・関羽・張飛の義兄弟の契りを羨望の眼差しで眺めていた口である。


あの三人ならば、きっと自分のこの行動を判ってくれる事だろう。否…きっと同じ事をするに違いない。そう確信していた。


おそらく彼の行動は、結果的に意味を為さない事だろう。時間的に手遅れだからである。


でも彼はそれでも良いと想った。結果を確認したら、自分も後を追う。


田豫はそこまで思い詰めていたのである。


馬は主人の気持ちを如実に感じる。野性の勘が働くようである。


その事を立証するように馬は飛ぶように大地を駆けた。田豫は最早、洪赤の事しか頭になかった。




最近の北斗ちゃんの日課は、まず朝目覚めると、弎坐の寄越した医務官に手枷、足枷を外して貰い、近衛兵に声掛け扉を開けて貰う所から始まる。


すると待ちかねたように食事係が朝食を(しつら)えてくれるのである。前と違い、その場で給仕をしてくれるから肉や魚を自分で焼いたりする手間は省ける。


その様子を眺めていると、さすがにプロである。自分のように焦げ目はつけない。


彼は多少癖になっているから、気持ち焦げ目をつけてもらう。後は御飯をよそえば、彼らもお役御免である。


北斗ちゃんはいつもと変わらず一杯目でおかずをつつきながら、「パクパク(❛ ༥ ❛´๑)ムシャムシャ」と米粒と格闘を試みる。


「うひょひょ♪(❛ ڡ ❛´๑)今朝は(しじみ)汁があるじゃん!これは嬉しい♪」


そう御託を並べながら、御飯をパクりとやってから汁で流し込む。二杯目はお決まりの鮭茶漬けである。


「お~腹一杯になったね♪ε- (❛ ؂ ❛´๑)これがあるから多少の不自由も我慢が効くな!君も御苦労だった。弎坐に宜しく言ってくれ♪」


北斗ちゃんは医務官を(ねぎ)うと、その足で執務室に入る。するとそこには既に潘濬が待っていた。


「|• •๑)” おはよう♪おや?田穂はどうしたんだい!」


彼は異和感にすぐに気づいて問い質す。すると潘濬は困ったように訴えた。心無しか不安げに見える。


「それがそのぅ~昨夜遅くにボロボロの武具を(まと)った男が到着し、若君への面会を切望しています。どうやらそれが脱国者のようでして…Σ(ღ• ຼ"•ꐦ)」


「何だって!?Σ(,,ºΔº,,*)いったいどういう事だい!」


「それが本人が疲れ切っており、飲まず食わずでここまで来たようなのです。(ꐦ* •" ຼ •)੭ ੈ事情を聞く前に、到着した安心からか気絶してしまい、田穂が現在、介抱している次第です♪」


潘濬は何か気づいている風に見えた。彼の事だからきっと宛があるに違いない。


北斗ちゃんはおもむろに訊ねた。


「そうか!(๑ •̀ з •́๑).。oO何か手掛かりでもあれば良いんだが…」


すると潘濬はいみじくも質した。


「若は田豫という名前に御記憶がありましょう?その男はそう名乗ったそうです!✧(• ຼ"•ꐦ)」


その瞬間、北斗ちゃんの瞳がキラリと光った。

【次回】いつも心に太陽を

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