母の肖像
深い霧が掛かった峠道を、テクテクと只ひとり歩いていた北斗ちゃんは、弧を描きながら緩やかに曲る坂道を辛抱強く、それこそ一歩一歩を踏みしめながら歩いて行く。
するとカーブを曲り切った瞬間に、雲の切れ間から神々しい光が射し込んで来た。
「うわぁ♪Σ(˶‾᷄﹃‾᷅˵)こりゃあ凄いね?」
北斗ちゃんは喜ぶ。
するとみるみる内に空は晴れ渡り、雲ひとつ無い一面の青空に変異した。彼はとても不思議な光景を見ている気がした。
そんな時に彼は誰かに話し掛けられているような気がして、辺りを見回す。すると目の前に立っていたのは、懐かしい孫婦人であった。
彼は嬉しくなって母を見つめた。彼にとっては、唯一顔が想い浮かぶ存在だった。
すると孫婦人は彼に語り掛けた。とても優しい言葉だった。
「北斗ちゃん!私の愛する息子♪しばらく見ないうちに、良い顔に成ったね!そして貴方は約束を果たしつつある。この先、本当の海の男に成れた時に、貴方はきっと四海を平和に導ける事でしょう!その時には私もきっと貴方に再会出来る筈よ♪」
彼女はそう言って、優しさ溢れる表情を見せた。
「母様♪๐·°(৹˃̵﹏˂̵৹)°·๐僕は必ずやり遂げます!きっと海の男に成ります♪」
北斗ちゃんもそう応じた。
孫婦人はそれを聞いて安心しているようだった。彼女はコクリと頷き、天に向かって右手を差し延べた。
すると、空には見事な駆け橋が出来上がり、そこからやがて一人の御婦人が渡って来た。彼女はとても清楚な振る舞いを感じさせた。
歩き方からもその雰囲気が見てとれる。北斗ちゃんは記憶に無い筈なのに、それが育ての親のひとりである、糜婦人である事がすぐに判った。
幼い彼を庇い、戦乱の中で足手まといに為らぬように、囲戸に身を投げた気丈な女性だった。
「貴方なら彼女が誰か判りますね?」
孫婦人はそう質した。
北斗ちゃんはすぐに答えた。
「はい♪(٥ •ᗜ•)⁾⁾ 糜婦人でしょう。否…母上ですね?」
彼はすぐに言い直した。
「えぇ…その通り!積もる話しもあるでしょう♪私はしばらく外します。ゆっくりとお話しなさい♪」
孫婦人はそう言って煙のように掻き消える。そこには糜婦人と北斗ちゃんだけになった。
「北斗ちゃん!私の愛する息子♪良くぞ立派に育ってくれました。私はとても嬉しい。貴方の元服と王位継承を見たかったけれど、それは適わなかった。でも貴方は期待通りの子に育ってくれました。玄徳様もさぞや鼻が高い事でしょう。そして仲直りもしたのですね♪貴方たちが仲違いする事になった、直接の原因となったのはこの私です!だから長い間それを憂いていたのよ♪でも再び本当の父と子になれた。私は貴方に感謝すると共に、貴方の成長の証だと喜んでいるの♪私は今、とても幸せです。これからも貴方の行末をずっと見守っているわね♪」
縻婦人はそう言うと、満面の笑みを浮かべた。北斗ちゃんは母上がずっと自分の事を忘れずに見守っていてくれた事を知り、自然と涙が溢れ出す。
「母上!貴方の愛情を一身に受けて育って来た事が図らずも判り、僕は幸せです。僕のためにその命を捧げ、短い生涯を終えた事は、僕の幼な心にも深く刺さり、傷となりました。本当に申し訳無いと、今でも忘れません。でも母上がこの僕を恨まず、ずっと見守っていてくれた事を知り、安堵しました。僕は母上の想いに恥じない、立派な大人にきっとなります。(。˃ ᵕ ˂。)そして大勢の民から愛される王にきっと成ります!だから安心して下さい♪」
北斗ちゃんはそう答えた。
糜婦人は、清楚な微笑を浮かべながら、北斗ちゃんを質した。それは母親としての、彼女の最後の教えだった。
「北斗ちゃん♪貴方は確かに私の腹を痛めた子では無いけれど、私にとっては愛する息子です。母親なら子を庇い、たとえ自分が命を失おうとも、子を守るものです!動物でさえそれは変わらないのよ♪だから貴方が後悔する事など少しもありません。そして子を恨む親など居ないのです。貴方は立派に成長してくれた。それだけで私は満足なの!貴方は何も恐れず、何も疑わず、何も憂う事無く、今後も着実に歩み続けて下さい。私の願いはそれだけです♪」
「母上…๐·°(৹˃̵﹏˂̵৹)°·๐」
北斗ちゃんはその口上に涙した。
彼の中で、またひとつ心が豊かになった気がしていた。
「肝に銘じます…˚‧º·(˚>ᯅ<)‧º·˚」
彼は約束した。
すると糜婦人は、微笑みながら告げる。
「貴方に是非、逢わせたい御方が居るのです。こう言えば、もう貴方には分かるわね?」
北斗ちゃんはすぐに答えた。
「はい♪(٥ •ᗜ•)⁾⁾ 甘夫人でしょう。否…母様ですね?」
彼はすぐに言い直した。
「えぇ…その通り!積もる話しもあるでしょう♪私はしばらく外します。ゆっくりとお話しなさい♪」
糜婦人はそう言って煙のように掻き消える。すると先程の駆け橋を渡り切り、そこには地味な服装に身を包んだ女性が降り立つ。
彼女は質素な身形には似合わぬ、とても上品な顔つきをしていた。そしてその表情には貴賓さえ感じられた。
どんなに身形を地味にしても、それは彼女の内面から自然に醸し出されてしまうので、隠しようの無い物だった。
そして笑うと綺麗な笑窪が出る。すると気品な表情が突如として可愛らしい笑顔に変貌する。可憐な瞳は愛らしささえ感じさせた。
そんな彼女も北斗ちゃんの前に立つとおおらかな瞳で彼を優しく包む。そこにはそこはかとない愛情が感じられた。母の愛、すなわち母性で在ろう。
彼女はこの時を一日千秋の想いで待っていたのだから、その瞳には光るものが在った。北斗ちゃんの顔をまじまじと見つめて離さない。
北斗ちゃんは産みの親である甘夫人の顔は覚えていなかったのに、母を目の前にした時に妙な懐かしさが込み上げて来て、すぐに馴染んだ。
母に会えると想った瞬間に感じた緊張感はいつの間にか抜けていた。男の子は母親の温もりと共に育つ。
北斗ちゃんはその忘れていた記憶を思い出す。すると自然とその瞳からは涙が零れて来た。
「私の可愛い坊や♡立派に育ちましたね♪私は貴方が健やかに成長してくれた事が何よりも嬉しいのです。親として、本来ならずっと傍に居てあげたかったのだけれど、それは叶いませんでした。でも私はずっと貴方の幸せを願って来ました。それは今後も変わる事は無いでしょう。貴方にこうして会って私の想いを伝える事が出来て良かった。私の可愛い坊や♡貴方には北斗七星の御加護が在ります。貴方の進む道を明るく照らしてくれる事でしょう。生きて行く上で、健康は何にも代えがたい宝です。身体を大事になさい。私が望むのはそれだけです♪」
甘夫人は息子を見つめながらそう語った。北斗ちゃんもずっと母親の顔を見つめていた。
二人ともこれが最初で最後の貴重なひとときだという事が自然と理解出来ていた。北斗ちゃんは答えた。
「母様…⁽⁽ღ(´⸝⸝• •⸝⸝)੭⁾⁾ 僕を丈夫に産んでくれてありがとう♡お陰で僕は今でも元気に過ごせています♪頭がフヤフヤして何も考えられない時期も在ったけど、今ではたくさんの仲間たちと一緒に切磋琢磨して、目的も出来たんだ!どうだい?凄いだろう♪」
北斗ちゃんは完全に幼い子供に戻ったみたいに母様に自慢した。子供は親に認めて貰いたい衝動が、どうも有る様だ。
「へぇ~そうなのね?北斗ちゃんは凄いのねぇ~♪」
甘夫人も幼子をあやすくらいの気分で、息子を褒める。想えば彼女にはそんな機会すら在ったのか、今と為っては分からない。
なぜなら奥向きの事は一切任されていた彼女も、嫡男である彼の教育一切は正室である糜婦人に委ねなければ為らなかったからだった。
当時、正室と側室では、立場にそれだけの違いが在ったのである。むしろ甘夫人が奥向きの事一切を果たせる立場だった事の方が驚きで在り、それだけ劉備の信頼が厚かった証で在ろう。
おそらく赤子の頃は、彼女も息子の世話を焼くくらいの事はさせて貰えたのだろうが、物心つくとそれは叶わなかったに違い無い。
甘夫人はその出自が分からないくらい低い身分の御方だった様で、常に彼女の前には劉備の正室が立ちはだかった。
彼女が生涯、側室のままだったのは低い身分も在ったのだろうが、劉備に常に正室が居たからに他ならない。裏を返せば、正室が居たからこそ、低い身分の彼女が側室になれたとも言える。
劉備という人はどうも女性に対して冷淡なくらいに距離を置いていたようだ。だから甘夫人も嫡男を産んでいなければ、これほど大切にされたかどうかはかなり怪しい。
なぜなら子供を産んでいない側室などその存在すら残っていないからだ。
英雄色を好むと言うから、劉備だってやる事はやっていたのだろうが、そんな浮いた逸話のひとつも残っていないところをみると、無関心だったとしか想えない節がある。
妻子は代えが利く。不要な着物を脱ぎ捨て、新しい着物に着替える様に人は重要と想っていない物には執着しないものである。
この人にとっては、他の群雄と争い天下を制覇して、民を安寧に導く指名が重要であって、それ意外の事は無用の長物だった。
民が大事だから見捨てられないと大言壮語を吐いた口が乾かぬ内に、妻子を捨ててひとり逃げ出すくらいだからその信念もかなり怪しいものだろう。
それでも正室がどんどん替わって行く中でも、亡くなるその時まで、彼女が側室としてその寿命を全う出来たのは、劉備が長年連れ添った気持ちを大事にしていたからかも判らぬし、また甘夫人が出来た人で、陰になり寄り添っていたからかも知れなかった。
この当時はこんな事が当たり前の世の中だったのかも知れず、一方的に批判は出来ないが、それでも曹操の様に側室の身で在った卞氏を世継ぎの母親として正室に迎える決断をした人もいるから一概には言えないのである。
ちなみに卞氏は元々歌妓であったから、この人もけして身分の高い人では無かったのだ。そして曹操にはこの卞氏との間に逸話も残っていたりするから、人として家族を想う心根は曹操の方が上だったとも言えるだろう。
甘夫人は側室の身であった事から、残念ながら息子の成長には、なかなか関与出来なかった辛い過去があったから、今まさにその時を得て、人の親として触れ合う気持ちが先に立っていた。
そう考えると、とことん息子に付き合ってあげたいという気持ちが、そうさせたのかも知れない。彼女は息子の自慢げなその言葉にも嬉しさが込み上げていたから、そんなひとときの語り合いが大事に想えたに違いない。
一方の北斗ちゃんにしてみても、自分を産んでくれた母親との対面は得難い機会だった事だろう。血の繋がりというのは不思議なもので、長い間の距離や時間を一気に縮める嫌いがある様だ。
彼は血を分けた母親にしか言えない気持ちを素直に表現したのだと謂える。それが自慢気な言葉と成って自然と出たのだった。
北斗ちゃんは母様の言葉に気を好くして話し続けた。
「そうだぞ♪…⁽⁽ღ(´⸝⸝• •⸝⸝)੭⁾⁾ 僕は皆に認められて、今は国を豊かにするために海洋交易のための運河を造ってるんだ!河川整備だって洪水を無くして皆が安心して暮らせるために始めた事さ♪あの孔明だって、そして父上でさえ僕を支持して任せてくれてるんだ♪だから僕は必ずやり遂げる。だから母様も僕を見守っていておくれよ♡」
北斗ちゃんはそう頼んだ。彼には今それしか母親に言える事が他に無かった。
甘夫人は息子の力強い言葉が聞けて、終始満足そうに頷きながら聞き入っていた。嬉しかったに違いない。
そしてそれは即ち、自分の生きて来た証でも在ったのだろう。自分の人生はけして無駄では無かったと想えたに違いない。
彼女は只一言こう答えた。
「そうね♪その粋だわ!自分の想った通りの事を懸命におやりなさい。皆もそんな貴方にきっと着いて来てくれる事でしょう。でもひとつだけ約束して欲しいの♪こうと決めた事は最後まで諦めずにおやりなさい。自分を信じる事です。悩んだらきっと仲間が助けてくれるわ♪素直に相談するのですよ!」
甘夫人はそう言って微笑む。北斗ちゃんはコクりと頷く。
「(٥ •ᗜ•)⁾⁾ はい!母様♪肝に銘じます!」
北斗ちゃんは固く約束した。
甘夫人は満足そうに頷いた。
そして彼女は最後にもう一言、こう呟いた。
「坊や♡良く聞きなさい。今は自分の目標に一生懸命で良いけれど、将来目的を果たし、皆の幸せを確認した上は、玄徳様や今の母君である呉婦人に孝養を尽くすのですよ!私たちの代わりにそうして下さい。貴方が彼女に心を運んでいない事が私たちの憂いです。善いわね?」
甘夫人はそう締め括った。するとそれを合図に糜婦人や孫婦人が戻って来た。
そして二人も甘夫人を支持するようにコクりと頷いた。北斗ちゃんはそれに答えた。
「はい!⁽⁽(•́⌓•́๑)✧判りました♪必ずそうすると約束します♡」
北斗ちゃんの力強い言葉は三人の母親の胸に強く響いた。それぞれに嬉しそうな笑みを浮かべていた。
彼もそんな母親たちの嬉しそうな表情を見て安堵した。何かしら引っ掛かっていたものが解消された気持ちに成った。
やがて天空に架かった駆け橋に乗って去って行く母親たちを、彼は手を振り最後まで見送った。その瞳には光るものが在った。
「ガバッ!」
北斗ちゃんはびっくりした様に起き上がった。その額には冷や汗を搔いていた。
「夢か…Σ(,,ºΔº,,*)」
彼はまだ心臓の鼓動がドックンドックンと激しく鳴って落ち着かず、想わず手で胸を抑えた。彼の傍らには優しい眼差しで彼を見守る凪の姿が在った。
彼女は彼の事を心配そうに見つめていた。
「(*^-゜*)若様、大丈夫ですか?」
凪は訊ねた。
「|• •๑)” やぁ君か…」
北斗ちゃんは応えた。
「(٥^-゜٥)冷や汗を搔かれてますよ!悪い夢でも見たのですか?」
凪は心配している様だ。北斗ちゃんは頭を振った。
「⁽⁽(´⸝⸝• •⸝⸝)⁾⁾ うにゃ…むしろ素敵な夢だったよ♪僕には叶え難い望みだった。そのための緊張と喜びで魘されたんだろう。実はね…」
北斗ちゃんはその夢の出来事を凪に話した。彼は何故、自分がそんな大切な出来事を凪に話して聞かせたのか不思議に感じた。
彼は彼女の事を気に入っていて、既に自分の仲間だという認識はある。けれども果たして出会って間もない赤の他人に話す事かと自分でも可笑しな気持ちに成っていた。
でも何となく凪なら判ってくれる気がしたのだ。そして彼はその時、誰かとその気持ちを共有したかったのだろう。
凪も若君がいつに無く饒舌で、その表情が愉し気に写り嬉しくなった。気のせいかも知れないが、何か憑き物が取れた様にさえ見えたのである。
凪は彼の言葉に最後まで静かに耳を傾けていた。その落ち着いた物腰と自分を受け入れてくれる包容力に北斗ちゃんは何気なく親しみを感じていた。
この時代にマザコンという言葉があったのかはかなり怪しいが、そういう風潮は垣間見られる。北斗ちゃんも母の愛が乏しかった割には、その気が在った。
否…乏しかったからこそ母の愛に飢えて求めたのかも知れない。幼子なりに味わって来た現実を受け入れる為にはやむを得ない事だったのだろう。
いずれにしても彼女に話して聞かせた後の若君はとても晴れやかな顔をしていた。もう何も悩まないと彼自身も感じられたので在った。
「若!(`ー´ღ*)間も無く江陵に着きますぜ♪」
馬車を御していた田穂がその時にそう声を掛けた。北斗ちゃんと凪は窓から外を眺めた。
馬車は間も無く門に差し掛かろうとしていた。
【次回】華侘の見解




