湖畔の華
「チィチィチィ…」森の中に鳥の囀りが響き渡る。
北斗ちゃんは木の上で天下泰平にも爆睡している。彼は気づいていないが、記憶障害を起こし、遥かこの地まで長駆して来たのだから身体は正直だった。
深い森の中である。誰も来ないだろうとたかを括り、彼は湖で水浴びした後に眠気を催し、眠りに着いた。彼は生まれたままの姿である。
周囲は霧に覆われていたし、ずぶ濡れの服を乾かす必要も在ったから、やむを得ない思議であった。それでも無意識に兜だけ被り直していたのは、ある意味本能と謂うべきで在ろうか。
自分に引き起こされた一連の災難についての記憶は、この時点ではまだ完全に失われていたのだから、これは単なる偶然の産物なのである。でもそれが幸いしたと謂えるだろう。
彼は全くといって良いほど危機感を持っていなかった。だから当然の帰結として、ぐうすかと寝息を立てて寝込んでいたのである。
時は戦国の世である。幾らど阿呆な者でも本来的に、命の危険は感ずるべきで在ろうが、彼はここが成都の森だと勘違いしているから安眠を貪れたのだろう。
だからその間に侵入して来た者の事なぞ全くといって関知していなかった。まぁここは本来、自然の森の中なのだから誰が来ようが知った事ではないのだが…。
森は人や動物が自由気儘に過ごせる憩いの場である。そういった意味では甚だ失礼な物言いかも知れない。
さてそんな状況下の中で、寝入っていた若君はふとした弾みで目覚める。鳥の囀りもその一因だったかも知れないが、彼は目覚めるや、少なからず身体の不安定さに気づく。
いつの間にか寝返りを打っていたらしく、本能的に危険を回避しながら、落ちない様に身体を目いっぱい踏ん張っていたらしい。
起きた瞬間に危うく手を離しそうになって、ずり落ちるところであった。だから彼は腰を浮かせて座る位置を調整する。
するとその時に湖の方角からバシャバシャっという音が聞こえたので、反射的に視線を向けた。立ち込めていた霧はまだ僅かに残っていたが、拓けた湖の中はそれでも一望出来た。
それは何とも幻想的な風景であった。深い森に囲まれた湖の中で、ひとりの乙女が水と戯れているのだ。
腰まであろうかと想われる、長くて黒い髪が雫に濡れて、その美しさを引き立たせている。白い肌は彼女の魅力を存分に醸し出していた。
彼の目は自然と釘付けになる。いつの間にかその幻想絵の世界に引き込まれて、食い入る様に見つめていた。
『美しい…(๑•́⌓•́).。oO これが森の妖精というものだろうか?』
彼は想わずそう呟く。
彼はそれを素直に美しいと想った。当然の事ながら、そこには一片の疚しさも存在していなかったのである。
それはそうだろう。彼はまだ女性を意識して見た事が無く、接する機会もほぼ皆無であった。
余りにも関心が無い事を危惧した劉備が心配して、妃を娶らせるべく画策した程だったから、正に折り紙付きと言っても良い。
そんな訳で彼は初めての経験に夢中になっていた。そして没頭する余り、その姿勢はいつの間にか前屈みとなり、それは遠目に見ても覗いているようにさえ見えたのである。
裸のままだった事も不味く働く結果となった事だろう。やがて湖の妖精はおもむろに立ち上がって、その見事な裸体を存分に露わにしたまま、何と彼の方に近寄って来るではないか。
本当は単に岸に上がろうとしただけなのだが、彼には少くともそう見えたのだろう。そして近づいて来るに連れて、それが妖精では無く、生まれたままの姿の女人である事に、彼はようやく気づく。
「えっ?Σ( ꒪﹃ ꒪)」
次の瞬間、我に返った若君は、驚きと共に羞恥心や罪悪感などが一気に襲って来て、彼は想わず自分の姿勢や恰好を見つめ直す。
前屈みになった姿、そしてスッポンポンの裸体である。彼は後悔したものの、それは時すでに遅かった。
「キャ~キャ~(/▽\٥)!!」
女人は木の上で裸を晒す彼を、目敏く見つけて、慌てて胸許を両手で隠すと、大声で叫び始めた。
一方の若君の方も、自覚に目覚めた瞬間に、恥ずかしさが込み上げて来て、反射的に胸を隠すべく両手を当てたものだから、支えているものは腰だけとなり、そこに擘くような激しい叫び声を浴びたものだから、当然の如くに動揺した。
『=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇) アッ!!』
一瞬、頭が真っ白になった若君は無意識なまま、不用意にも腰砕けとなり、身体のバランスを崩したまま後ろ向きに背中からずり落ちた。
耳を擘く叫び声は尚も耳の内側で反響していたが、ドサッという鈍い音と共にやがて消えた。
北斗ちゃんは黒い霧に覆われた細く長い道を只一人、とぼとぼと歩いている。するとその瞬間に戸板が外れるように地に穴が開き、宙に投げ出される。
彼は想わず、「=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)うわぁ~」と叫んで、踠くが、無常にも頭から地に叩きつけられる。彼の頬には茶色い濁った液体が跳ね返り、その臭さに鼻が歪む。
すると白い着物に白い帽子、その手に白扇を握ったやさ男が、倒れた彼を真上から覗き込んでおり、その顔はほくそ笑みながら白扇を仰ぎ、後の二人を招き寄せる。
彼ら三人は協力しながら、茶色い汚れを綺麗に拭き取る。すると白い帽子のやさ男は白扇を目一杯に振る。
すると場面は切り換わる。
『Σ(˶‾᷄﹃‾᷅˵)孔明だ!それに董允!お前は弎坐か?」
彼は想わず声を掛けるが、三人はまるで気づかない。すると切り換わった先では、今度は鞭に追い立てられる様に、北斗ちゃんは懸命に走っている。
鞭を叩いているのは影絵の男である。北斗ちゃんはみるみる内に、太った身体から1ピース毎に切り身が飛んで行き、みるみる内に痩せて行く。
そんな二人を後から追い掛けて来るのが、三人の男達である。三人の男達は、やいのやいのと愉しそうに囃し立てて、応援しているのだ。
『Σ(,,ºΔº,,*)費観!費禕!それに弎坐!」
北斗ちゃんは嬉しそうに声を掛けるが、彼らはとっとと画面の先にフェイドアウトする。そして影絵の男が目一杯に鞭を打ち鳴らすと場面は再び切り換わる。
「趙雲♪ღ(°ᗜ°٥ღ)✧お前か!」
北斗ちゃんは再び叫ぶも、影絵の男は煙のように消えて無くなる。
次は山のように大きな巨人が二人で頭を突き合わせ、囲碁の対局に挑んでいる。
黒の巨人が打ち込んだ碁石は、碁板に打ち込まれた瞬間に細かく砕け散り、やがてたくさんの光輝く玉石となって黒の巨人の周囲を回り始める。
それを見ていた白い巨人は白旗を掲げ、拍手喝采をしながら、その旗を黒い巨人に差し出すとひれ伏す。
すると白い旗は黄金に輝き、四海を照す。
黒い巨人が黄金旗を天元に打ち立てると地からは、どす黒い臭気が消えさり、天空には光輝くひとつの星が煌めき、その灯りで、今まで見えなかった多くの星々を引き立たせるのである。
するとどこからともなく舞うように現われたひとりの美しい娘が、白金の弓に白金の矢をかけて打ち放つ。
白金の矢は真っすぐに飛んで行き、天空の一番星を見事に貫く。やがて白金の矢は一番星とひとつになり、天空から恵みの雨を降らせるのである。
「(๑´❛ ᗜ ❛)੭ ੈ関羽、馬良、伊籍…他のみんなも居るぞ♪♪」
北斗ちゃんは嬉しさの余り目頭が熱くなり、ブワッと涙が止めどなく溢れ出す。するとその列の中から満を持して潘濬と田穂が踊り出て来て、こう言った。
「「若殿!(ꐦ* •" ຼ •)੭ ੈ(*`ᗜ´٥)੭ ੈおめでとう御座います♪運命の糸で結ばれました☆」」
二人はそういうと背中に回していた両の手をおもむろに表す。悪戯っぽい目が一瞬光った気がした。
よく見ると二人は両手に水桶を持っている。すると潘濬と田穂は示し合わせた様にほくそ笑むと「せ~の!」と掛け声と共にそれを彼の頭から盛大にかけた。
「Σ( ꒪﹃ ꒪)何をする??」
北斗ちゃんがそう叫ぶと二人は声を揃えてこう宣う。
「「(ꐦ* •" ຼ •)☆(*`ᗜ´٥)☆改めておめでとう御座いまっす♪」」
そう言われた瞬間に画面は暗転し、神々しい白い光に導かれるように彼は目覚める。
すると目の前にはひとりの美しい娘が立っていた。そして心配そうにこちらを窺っている。
『夢か…(°⌓°٥)』
北斗ちゃんはそう想い、次の瞬間にハッとする。彼は想わず辺りを見回す。
そこは深い森の中で、目の前にはやはり美しい娘が立っており、腰に手を当ててこちらを覗き込んでいる。
彼はおそるおそる尋ねた。
「あのう…(٥ •ᗜ•)」
すると娘はやや顔をそむけながら「(٥^-゜٥)何?」と返した。どうやら訳有りか、この会話に前向きではないように感じられた。
「|'◇'*)".。oO ここはどこです?貴方はどなた?」
北斗ちゃんはそう口にしたものの、自分でも何をバカな事を言っているんだと、自嘲気味である。
すると娘は吐息を漏らしながら、ひとつの提案をしてきた。
「あのさ!(๑‾᷆д‾᷇๑٥)その前にその恰好どうにかならない?見てるこっちが恥ずかしくなってくるんだけど?」
彼女は相変わらず嫌々と言わんばかりに顔をそむける。
「へっ?(°ᗜ°٥)…」
北斗ちゃんは呆けた顔をした後に、何が問題なんだとばかりに自分自身を眺めて驚き、大声をあげる。
「Σ(˶‾᷄﹃‾᷅˵)いゃあ〜何、何、これ何?恥ずかちぃ~♪」
スッポンポンの自分に気づき、慌てて恥ずかしいところを両手で押さえる。
娘さんの方も呆気に取られながらも、顔をそむけたまま「(٥^-゜٥)とにかく早く服着てよ、服!」と強く求めた。
結局、娘さんが後ろを向いてくれている間に、枝にかかった服に着替えて、「(٥ •ᗜ•)⁾⁾ お待たせしました…」と声を掛ける。沈んだ声音である。
北斗ちゃんはペタンと座り込んだまま項垂れていた。娘さんはようやくこちらを向いてくれたものの、未だ顔に手をやり、とても罰が悪そうに見える。
彼は記憶に残っていない様だが、互いに全裸で向き合った瞬間の事を想えば然も在らんという所だろう。
「でっ?(٥^-゜٥)心ここに在らずって感じに見えるんだけど、いったいどうした訳♪自分でここに来たんじゃないの?」
凪としても正直扱いには困っている。
彼女は自分のあられもない姿を見られたこの丸裸の男を少しとっちめてやろうとやって来て、スッポンポンのまま大の字になって気を失っているところを発見したのだ。
『あらら…(٥^-゜٥)やっぱり見間違いじゃなかったのね?じゃあ、あのドサッて音は落ちた時の…。胸を隠したって事は羞恥心があるって事だわ!もしかしたら何か事情があるのかも…』
そう考えて、少々気の毒になってきたから介抱してやったのである。そう慮れるこの娘もなかなかの才女であった。
まぁ…やった事と言えば大した事じゃない。葉っぱで大事なところを隠してやり、湖に取って返して水を汲み、思いっ切り顔にぶっかけただけだった。
『バシャッ』という音の正体はそこにある。性格はサバサバしている彼女とはいえ、キチンとお役にはたっているのだ。
彼女は想う。目覚めた男は「ここはどこ?貴方は誰?」と言ったばかりか、自分がスッポンポンだと判った時のリアクションが生々しかった。
どう考えても、とても演技とは想えなかった。それにあれだけガン見していたはずなのに、全く悪びれた様子も無い。
意識してれば謝ろうとする筈だが、そういう気も無いところを見ると、どうも記憶障害でも起こしている節がある。
『(٥^-゜٥)この人、もしかすると病気なのかも?』
そう想えば、情も出て来るというものである。彼女の譲歩はそういう事なのだろう。
一方の北斗ちゃんは未だ腑に落ちていない。自分は潘濬たちと傅士仁の許に向かっていたはずなのに、この体たらくは何であろう。
何らかの力学が働かない限りはあり得ない事であった。
『(٥ •'ー'•)何れにしてもそれは後だ…』
彼は自分を窘める。今は迷惑をかけたこの娘に誠意を示さねばならない。
彼は娘の問い掛けに真摯に答えた。
「えぇ…✧(๐•̆ࡇ •̆ ٥๐) 困ってます。どうやってここに来たかは記憶がありません。それに裸になった経緯も全く覚えてないのです!とはいえ、どうやら貴女には迷惑を掛けた様です。この通り謝ります…」
北斗ちゃんは素直に謝る。その姿勢を見て、凪はキュンとする。
『✧(*,,ÒㅅÓ,,)✧何て凛々しい御方かしらん…』とドキッとしたのだ。彼女は剣術や乗馬が好きな男勝りのお転婆娘だが、キチンと道理も弁えている。
女と聞いて見下す男は大嫌いだ。その替わり、キチンと礼を重んじ、身分の別無く頭を垂れる事が出来る紳士には惚れやすかった。
それによく見るとなかなかイケメンである。そして初恋の君にも似ていた。
彼女は途端に母性本能を刺激され、目の前の彼を助けてやりたくなっていた。
「やっぱり…(◍˃ᗜ˂◍)ノ⁾⁾✿それは大変ね!でもそうじゃないかと思ったのよ♪」
凪は彼が木から転落した件を話してやった。勿論、恥ずかしい部分は割愛している。そこは譲れない点であり、本筋とも関係無かった。
彼が木から落ちた事実が肝要なのである。
そして何らかの記憶喪失に陥っていた彼が、転落の衝撃により回復したのではないかと、つたない推理を披露した。
少しでも記憶を整理する一助になればと想ったのである。彼女なりの優しさだった。
「そうでしたか…ღ(°ᗜ°٥ღ)✧でも何で落ちたんだろう?寝呆けていたのかな…何れにしても助かりました♪すっかり世話になっちゃいましたね?有り難う御座います!」
北斗ちゃんは再び姿勢を正して礼を述べた。事実は何となくではあるが、想像に難くない。彼はそう想っていた。
それに起きた事は仕方無い。やり直したくてもそれは無理だ。だったら素直に受け入れるしかない。
その上で最善の道を進めば良いのである。そう割り切れるところも彼の経験に基づく逞しさであった。彼の推理はこうだ。
まず彼は最期の記憶を懸命に辿ってみた。すると潘濬に声を掛けられた事までは覚えていた。
潘濬は彼に田穂が元気が無い事を訴えていた。そしておそらくその理由も判っている。けして悪い事でも悪戯でさえ無い。
それなりの理由あっての事だった。彼の問題と間接的には関わるかも知れないが、直接の原因では無いので、それはひとまず置く。
となると原因は必然的に、その前という事になる。人は何かをしている途中で話し掛けられると、大抵の者は余所見をする。
特に相手を想う余り、優先するだろうというのが彼の自己分析である。余所見をしたなら、その瞬間は必ず隙が出来るに違いない。
では自分はその直前、いったい何をやっていたのか。そう想った時に、彼は思い出したのである。
『判った…Σ( ꒪﹃ ꒪)大地だ!またまたキュッキュ君か…』
そこまで判れば、彼の頭脳は全てを見通す力が在った。
おそらくこれはアクシデントなのだ。咄嗟に振り向いた自分を見て、目測を誤り激突したに違いない。
頭に衝撃を受けた自分が突然倒れたら、旅程そのものが覆る。皆が手分けして何らかの手を打とうとするだろうから、必然的に分散する事になる。
そこに何らかの隙が生まれて、自分がどう行動するのかは察しがついた。
おそらく記憶には残っていないものの、身体が道行きを覚えていたから、とにかく旅程を敢行しようと歩みを進めたに違いない。
勿論、道先案内も無い事から無意識の産分だった事だろう。そしてここに辿り着く。着替えた服はまだ濡れて湿っぽい。
つまり途中、雨に見舞われ、気がつけば深い森の中だ。目の前には湖もあり都合が良かった。そんな中、人が想いつく事は似たようなものだ。
汗だくの身体を清め、服を乾かす。それには時間が掛かるし、長駆歩いて来たなら、疲れもする。
安全を期して木の上に登り、寝てしまえば、 今正に困っているシチュエーションの完成だ。裸だった事も木から落ちた説明にもなる。
そして落ちた衝撃の賜物として、記憶を回復出来た。おそらくそういう事なのだろう。
北斗ちゃんは溜め息を漏らす。お陰様で命にも別状無く、記憶も戻ったのだから不幸中の幸いであった。そう想うほかに無かった。
娘さんはお礼を言われてすっかり照れてしまっている。
長くて黒い髪を後ろで綺麗に結えてあり、顔立ちも整っていて美しい。はにかむと口許にエクボが出来る可愛らしさもあった。
そして一本筋の通った道理も心得ている。
北斗ちゃんも彼女がすっかり気に入ってしまった。
「まぁいいって事♪それに旅は道連れ、世は情けってなもんよ!端的に言えば助け合いでしょう?お互い様なんだから、気にしないで!(*^-゜)♡それはそうと私は"凪"宜しくね♪」
彼女は握手を求めて手を差し出す。
北斗ちゃんもその反動からすぐに手を差し出し、握手しながら「⁽⁽ღ( •̀ ᗜ •́ *)僕は斗星、董斗星♪医者です!こちらこそ宜しく♪」と名乗った。
これはある意味、北斗ちゃんの宿命なのだ。いくら恩人であっても相手は初対面だから反動的にそう名乗るしか無い。
けれどもこの時はそれが幸いした。凪はすぐに反応した。
「えっ?(◍˃ᗜ˂◍)ノ⁾⁾✿お兄ちゃん!!お兄ちゃんなの??」
途端に彼女の瞳はキラキラと輝く。
北斗ちゃんもほぼ同時に「Σ(°ᗜ°٥)えっ!?」と言った。
何と目の前に居る娘は叔父貴に頼まれていた娘なのだ。瓢箪から駒とは正にこの事である。
これが凪と北斗ちゃんの出会いであった。
【次回】合流