才知ゆえに
「Σ(´^д^ღ٥)大都督、私に何用ですかな?」
突如呼び出される羽目に為った歩隲は少々御機嫌斜めである。それとは対称的に呂蒙は到って平静に彼の愚痴を受け止めた。
「(* •'ᗜ'•)੭ ੈこれは子山殿、よく来てくれた。私が出向けば良かったのだが大変恐縮だな!」
「ふん!(^д^٥)子明殿は大都督…命じられれば来ない訳には行くまい。さぁさっさと聞いて下され、時間が惜しい。どうせ江陵の事で御座ろう。全く馬鹿らしいったら無い!」
呂蒙の強引さに歩隲は引く気は更々無いらしい。立場上、命には従わざる逐えないからわざわざ出向いたが、のんびりする気は端から無かった。
歩隲は呂蒙が余り好きでは無い。
彼は予州から、自分は徐州からそれぞれ江東に移り住んだ謂わば互いに外様同士である。そして互いに貧しい身の上から立身出世を果たした者同士でもあった。
当初、学の無かった頃の呂蒙は豪の者として知られ、戦に出る度に戦果を挙げてその都度出世した。
それに引き換え、歩隲にはなかなか機会が与えられず、交州の乱を事前に察知して呉巨を斬る功績が認められて始めて日の目を見た。彼の施政には慈悲の心が在ったから、配下や民から親われた。
交州刺史として長年務め上げ、その功績が今の彼を長沙の太守へと推し挙げたのである。歩隲が長沙に異動する際には1万余の者達が行動を共にする程、その影響力を与えた事になる。
けれどもその間も呂蒙は表舞台でどんどんと実績を積み重ねた。そして彼が知らぬ間に書にも親しみ、"吳下の阿蒙"と呼ばれた男はいつの間にか知識人としての側面も合わせ持つようになっていた。
『士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし』とは、呂蒙が魯粛に語った言葉である。
"日々努力し鍛練を怠らない者は、三日も会わなければ見違える程、変わるものだ。先入観を捨てて、正しき目線で見る事が出来なければ、恥を掻くのはそちらの方ですよ"と云った意味である。
要は『その目玉見開いて良~く見ろ!!』と言っているのである。
歩隲はそんな呂蒙を心の底では認めている。
彼は時を得、機会を引き寄せ、無駄にする事が無かった。そして自らの努力で苦手をも克服した。大都督に成るために必要な実績と信頼と能力を全て手に入れた彼を表立って批判出来る者は居まい。
呂蒙は今や孫権の最も信頼の厚い臣と謂えた。但し、自分にその機会が与えられていたなら、同じ事くらい出来た。否、もう少し上手く立ち廻れたと想う者は居た。
今更、タラレバな事であるが、そう想うのが人という者の性である。これは人が避ける事の出来ない煩悩と言っても良い。
なぜなら人には考える事が出来る頭脳があり、感情を表現出来る言葉があるからである。但し、人には他にも特性はあり、自らを律する理性がそれに当たる。
歩隲という人は本来的に感情に寄らず理性的な人であった。泰然自若にして肝も太い。だから決して呂蒙を羨みや妬みの心で眺めていた訳では無かった。
運命の歯車が自分に向かなかった事に多少の失望が無かった訳じゃない。こんな事を言えば他人は運は引き寄せるものなどと高尚な文言を並べ立てよう。
しかしながら人として生まれた以上、神では無いのだから誰しも運命に翻弄されこそすれ、意識的に味方に着ける事など有り得無い。それが論理性を重んじる彼の出した結論だった。
彼が呂蒙に敵意を持つのは呂蒙に恣意的側面を見るからである。呂蒙と歩隲は日の当たら無い似たような境遇から互いにここまで駆け上がって来た。
歩隲は相変わらず推挙が無ければ成り上がれない現行の人材登用の仕組みでは、抜本的な新規登用が図れないと想っている。
たまたま呂蒙は孫策の目に留まり、歩隲は張昭の目に留まったに過ぎず、未だ能力は在れど日の当たらない人々が在野に大勢いる。
そんな日の当たらない人々を引き揚げてくれるのは、苦労人の呂蒙だと彼は信じていた。けれども違った。彼の希望は絶たれたのである。
呂蒙は目端の利く者を好み、陸遜を可愛がっている。そして日の当たらない者は未だ在野に埋もれたままだった。
歩騰自身も人材を貴び、自らの力の及ぶ限り在野の士を拾い上げてはいるが、長沙大守の身では限界があった。
そして自分の奏上が受け入れられる程にはまだ孫権からの信頼も完全とは言えない。その蟠りが呂蒙に向いていたのだと言えよう。
但し、呂蒙にも言い分はある。今は戦時であり、即戦力が望まれる。人材を拾い上げ育てている暇など無い。
大都督として自分に望まれている事は、現有戦力を如何に有効活用して他国に対抗するかであり、日陰から有能な士を拾い上げる事では無いと云う事であった。
ここいらに孫呉と蜀漢の間には、かなりの温度差があるのだ。なぜなら劉禅君は楼琬を派遣し、在野の士を掬わせている。そして教育のための育成システムまで構築しようとしているからである。
これはあくまで二国間の対比であって、歩隲は自分の会った彼の若君がそんな事に尽力しようとしている事などは、露程も知らない。もし仮に知っていたなら、彼はあの時に心が動いていたかも知れなかった。
復興から富国強兵へ、そして戦いの末に勝ち取る天下。それを標傍する現実路線の呂蒙。河川整備による富国強兵へ、そして戦いを避け独自路線による平和的な天下を臨む劉禅君。
その対立の構図が如実に曝け出された事になる。呉にとっての不孝は歩隲の求めていた理想像が孫権・呂蒙主従による未来図よりも、どちらかと言えば劉公嗣が描く未来図に近かった事で在ろう。
時間稼ぎのためとはいえ、その歩隲を翻弄する結果となった若君だったが、本来の姿を曝け出していたならどうなっていたで在ろうか。最早、それは判らない。
移りゆく時の中で、次なる展開を悉く読み説ける者などひとりも居るまい。そして人の起こす行動のひとつひとつが結果を生み、その結果がまた新しい化学変化を起こし、先の未来を彩るのである。
…で在るならば、自分の求めるエッセンスをどのタイミングでどう混ぜ合わすかで、旨みとなるか苦みとなるかは定まるのだと謂えよう。
故に荊州一円を巻き込み始まった三国鼎立の構図が、果たしてどういう未来図を紡ぎ出すのかは、彼らひとりひとりの行動とその叡知に懸っていたと言えるのだ。
呂蒙は冷静に頷くと、おもむろに問うた。その言葉には、そこはかとない凄みが込もっていた。
「では遠慮無く。(* •'ᗜ'•)✧御主は劉禅君と対面で話したそうだが、彼をどう見る?」
『何を話した、なぜ報告しない』等々、非難にあたる文言はそこには無かった。呂蒙はまず最大の疑問をぶつけたのである。
歩隲にもそれは感じ取れた。最大限の譲歩をして、『全てを不問に伏す』と彼は言っているのである。
そこまで譲歩しなければならない程に彼は困っているという事なのだろう。歩隲も呂蒙の姿勢が強権な出方であれば、さらに態度を硬化させたかも知れない。
けれどもこれだけ姿勢を正した呂蒙の言葉は歩隲の心にも強く響いた。だから彼も 一時、矛を収めて真摯に応対する事にしたのだった。
「(´^д^*ღ)大都督、私には貴方の思考が透けて見えるようだ。"どこかに見落としがある”貴方はそう想い悩んでいるのでしょう。違いますか?」
歩隲は呂蒙の問いに問いで答えた。呂蒙は静かに頷き、それを認めた。
「そうだ!( •'ᗜ'•)⁾⁾ その通り。なぜ判った?」
「⁽⁽(´^д^ *)それは私もそう感じているからです。実際に対面を果たし、言葉を交わしたこの私がです。ならば人づてに情報を集めるだけの貴方の立場なら、然も在らんと想ったまでですな!」
歩隲は正直に自分の現時点での立ち位置を伝えた。
「(ღ •'ᗜ'•٥)ホォ~貴方でもそうお感じになったのか?ではこの私なら悩んでも当然というべきだな。でっ!貴方の見解は如何に?」
呂蒙は歩隲の解釈が知りたいと言っている。直接本人と対面した者の生の声はやはり貴重であり、有益であると踏んでの事だった。
「そうですな…Oo。.(´^д˂ )想いの他、若いと感じました。感覚で言えばまだ子供でしょう。だが、馬鹿でも凡庸でも無い。根本的にそんな類とは違う気がします。そもそも彼がどうしようも無い人物なら、荊州に送り込まれる筈が無い!」
「なぜだ?(ღ •'ᗜ'• )✧劉皇叔は益州平定後に劉璋親子を武陵に流した。後継ぎとして見込みの無い者なら流されても然るべきと存ずるが?」
「えぇ…⁽⁽(´^д ^ )そこはこの私も考えました。でも劉璋親子の場合は傀儡の大守であり、実質的な権力は無かった筈です。当時の公安砦を支配していたのは傅士仁でしょう?それは貴方も虞翻から聞き及んでいよう。何しろ彼には陸遜の息が掛かっている!」
「(٥ •'ᗜ'•)=3子山殿には敵わんな!全てお見通しのようだ♪」
「ご冗談を!Σ(´^д^ღ٥)子明殿がしっかりと手綱を抑えているから、彼らも必要以上に暴走しないのでしょう。でもたった一度暴走しかけた事があった。武陵内で魏の間謀と争う羽目になった。かなりの死傷者が出たと聞いている。違いますか?」
歩隲は訊ねた。
「まぁな…(* •'ᗜ'•)=3でもその内の一人はピンピンしていたらしいがね!秦縁殿の復興作業中に付き纏われて往生したよ♪ところが何の戯れか復興を手伝ってくれてな、秦縁殿の取り為しで、我が君の鶴の一声だ。結果、生かして解放する事になった。今頃はまたぞろどこかで暗躍しておる事だろう…」
「…(* •'ᗜ'•)੭ ੈ私はあれは凝態だと今でも思っているよ。伯言はあの時に頭領しか斬っていないと言っているのでな!まぁそんな事は今更、どうでも良い事。とうに済んだ事だ!話を戻そう。劉禅君の話の続きを頼む♪」
「⁽⁽(´^д^ღ)はぁ~そうでしたな!」
歩隲もそれ以上は踏み込む事なく、話を続けた。
「つまりですな!(ღ´^д^*)私は少なくとも劉禅君は荊州防衛のために都・成都から送り込まれた奇才だと思っている訳です。漢中王かまたは丞相・諸葛孔明の息が掛かっていなければ、それは無理な話でしょう。孔明が馬超・黄忠・魏延を伴い、大々的に後押しをしに来たのはそのためなのでは?私は配下よりその話を聞き及んだからこそ、この目で確かめようと、わざわざ単独潜入を試みました。残念ながら意表を突かれて捕まりましたが、つまらぬ手に懸かったと自戒した次第!けれどもその結果として劉禅者には接近が叶った。世の中、何が幸いするか判りませんな。では私の細かな経験をお伝え致そう♪」
歩隲は捕らわれの身であった際の状況を自然体で呂蒙に伝えた。殊更に自分の主観は捨て去り、どちらかというと第三者目線で淡々と述べた。
「…ღ(´^д^ *)という訳で私は解放されるに至りました。結論から申しますと私の行動はお忍びだった訳です。結果的には呉の防衛の一環という事になりましょうが、元々は直に境界線を隣接する相手の敵状視察に自ら出向いたまでの事。いつ彼らに境界線を越えられても可笑しくはありませんからね。これは長沙郡を防衛する大守の権限の範囲と考えて良いでしょう。ですから我が君の許可は仰いでいませんし、報告も特に行わなかった訳です。ハッハッハ…」
歩隲は苦笑いする他無い。さすがに後付けの説明だと少々苦しい。それは彼自身も重々承知の上で在った。
「(´^д^ღ٥)無論そんな理由が堂々と罷り通るとはこの私も思っていません。公僕の身ですからな!当然の事ながら報告の義務はある。けれども今話した事を鑑みれば、貴方もこの私の気持ちはお察しいただけよう。あんな経験をすれば誰しも頭が混乱する。少しばかり頭を冷やし冷静になろうと想ったまで。ですが想いの他、貴殿の招集が早かったのでね!私もまだ自分の結論は完全には出ておらぬのですよ。こんなところですかな?願わくば大都督のご参考になれば幸いです!」
歩隲の報告を聞きながら、呂蒙は彼を通して江陵での凝似体験に浸っている。
長沙大守という重みのある肩書を持つ身でありながら、軽々しく間諜の真似をした行為は確かに褒められた事では無いが、自分の目と耳で確かめたいという彼の気持ちには呂蒙も理解を示していた。
特に智者と呼ばれる類の者は、誰だって自分の感性に自負がある。自分なら必ずや謎が読み解けると想うものなのだ。
だから歩隲がそんな想いに駈られて行動した事も呂蒙には理解出来た。
『それにしても…(ღ •'ᗜ'•٥)』
彼は想う。呂蒙は敢えて口には出さないが、歩隲の事を高く買っていた。
けれども彼が歩隲を必要としなかったのは、歩隲のオが軍務に縛られない見識の高さを誇っており、ゆくゆくは顧雍の後を継ぐ者として必要になる時が来ると想っていたからである。
ちなみに顧雍は呉の丞相として今現在も執務を担っている。
歩隲の危険を恐れぬその行動により、劉禅君という指導者の一風変わった物の考え方がだんだんと判明したような気がした呂蒙であったが、果たしてそれが真実なのか凝態なのかと問われた時に、はっきりと断言する自信はまだ無かった。
呂蒙自身が稀代の策士であり、似たような事を始終考えていたからである。彼自身が陸遜にいみじくも述べた言葉は、凝態の中に一部真実を混ぜる事で信憑性を持たせるというものであった。
その観点で考えた時に、劉禅君という人の真の姿、つまり本来の性格が判らなければ、おそらくどんなに考えようとも答えは出まい…というのが呂蒙自身の結論だった。
「有難い!(* •'ᗜ'•)੭ ੈ良く来て下さった。礼を申す!貴方の経験と今話して下さった一言一句は無駄にはすまい。今後の参考にさせて貰うとしよう♪今一度、私もよくよく考えてみる事にする。貴方も忙しい身だ。今後は念頭に入れて迷惑はかけまい。御苦労だった!」
呂蒙はそう告げると歩隲との対談を終えた。けれども彼の心は千々に乱れた。
『(ღ •'ᗜ'•٥)我が国は果たしてこのまま手を打つ事なく富国強兵に専念しても良いのだろうか…』
彼は歩隲の話の中で活き活きと躍動する劉禅君という人物に直に会ってみたいと想う様になっていた。彼はふと我に返ると想わず苦笑した。
『智者の限界…』
それは情報過多に陥る事である。彼は一から出直し、もっとシンプルに考えてみようと想ったのである。
それは彼が書に親しむ前に武を以て敵を退けて来たあの思いっ切りの良さであった。彼は咆哮を上げて拳を握る。
そして頭の中に蠢く迷いを拭った。
【次回】移ろいゆく心