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まず空の青さを知れ

関羽将軍の心を鷲掴みにした北斗ちゃんは、その後も用が済んだ筈なのに帰る素振りを見せなかった。弎座はいつまで董允様の情報封鎖が持つか心配している。帰るにも数ヶ月掛かる筈だから、動くなら早めが良いに決まっていた。


費禕は内緒で配下を走らせ、丞相に文を託した。こちらの状況を事細かに知らせる様に、出発にあたって諸葛亮からキツく言い含められていたからだった。その中で太子が暫く逗留する気である事に触れている。


どうやら諸葛亮は翻意した太子が、暫く荊州に止める気持ちになる事を予め想定していたらしく、趙雲が五千の兵を求めて来た時に、それを確信した様である。


彼らが江陵についた翌日には諸葛亮からの第一報が費禕に届いた。その中で丞相は、『もし仮に太子が長逗留を決め込む様ならば、それに任せよ!』と指示している。どうやら彼は本気で太子を関羽将軍の歯止めとする積もりの様だ。


確かにかなり危険な賭けではある。仮にも太子は劉備玄徳の嫡子であり、将来は代を継がねば成らないのだ。万が一、戦乱に巻き込まれて命を落としたり、魏や呉の虜囚となればその責任は万死に価する。


けれども、仮にここで太子様がさらに大きな経験を積まれれば、後々の蜀にとっては大きな益にも繋がるだろう。井の中の蛙大海を知らず…それを懸念している彼は一か八かの賭けに出たというべきだった。


それに今はまだ自分や陛下がいるし、関羽・張飛・趙雲といった強者の将軍達もいるが、これから先の世の中になれば、太子様やそれに連なる若い世代の者達がそれに取って変わって、国を守らねば成らないのだ。


費禕や費観といったまだ無名の若者達を従者に選んだのも、そういった秘めた配慮からであり、この道行きを通じて彼らに経験を積ませるつもりであったのである。


問題は陛下にその事実を知られる事で在ったが、そんな事は太子を送り出す時から諸葛亮には覚悟が出来ていた。いざと成れば腹を括り、自分の処遇を陛下の御裁下に委ねるつもりである。


董允にもそんな丞相の覚悟は手に取る様に解っていた。だから彼も進退を賭ける覚悟でいる。元々彼は気骨のある男だから、胆も太い。


あれ程、キツく言い含めて来た太子様が翻意し、やる気に溢れているのを観るにつけ、こちらも腹を括っていた。ドンと来~いという気概である。


費禕はそんな二人の気持ちが溢れた、心の有り様が綴られた書簡を読み終えた時に、彼自身も腹を括っていたのである。だから彼は返書にはその気持ちも綴り、必ず二人の期待に応えるよう、懸命に務める棟を(したた)めていた。


費観は常に費禕と連携する事を念頭に動いている。無論、丞相から言われた指示に基づく物でもあるが、彼は元々親類筋にあたる費禕の聡明さを理解しており、その才知に従う事が最良の道と心得ていたから、常に費禕を立てて来た。


費禕もそんな費観の気持ちは察していて、彼の将としての能力にも敬意を持っていたから、この旅の途中でも彼を頼りとしていた。だから、諸葛亮の文についてもその中身は共有している。


そんな訳で費観も彼と同様に腹を括る覚悟を決めていたのである。二人は可能な限り、太子に帯同しようとしたが、金魚の糞の如く付き纏うのを北斗ちゃんは潔しとしなかったため、必ずどちらか一人が従う事にした。


北斗ちゃんはあれから精力的にあちらこちらと動き回り、見聞を広めている。じっとして居ない事で、身体の調整をしているらしい。せっかく割と(ふく)よかな、イケてる身体つきに成りつつあるのに、また肥え太っては堪らない。


ある意味リバウンドを恐れての事である。そして暴飲暴食も止めて久しいので、だいぶん身体に摂取する量や質にも気を使う様になってきていた。


城を出る時には、費観と費禕を必ず連れて行くが、城内にいる限りにおいては、弎座を含めた三人のうち、ひとりだけを伴い、移動していた。


まだ述べて居なかったので、ここに記しておく事にしたい。北斗ちゃんは表向きは董北(とうほく)(あざな)斗星(とせい)という董允の孫で、この度は丞相の命でやって来た本国の監察官という事になっている。


これは予め、董允や諸葛亮と計って考えた立場では在ったが、関羽将軍に正体を伝えた今、彼の許可も得た上で、使用していた。


関羽としても公に『太子御来駕♪』とは言い難い。内外的にどちらも不味い事になる。内には陛下の耳に届く恐れが有り、それでは太子との約束が反故になる。また陛下の琴線に触れる事も有り得る。


また内の中にも当然の事ながら、敵の間者が居ないとは言い切れない。なぜならば、その逆もまた真なりであるからだ。


鯔のつまりは関羽が魏や呉の中に間者を紛れ混ませている事を示唆する物である。外は言わずもがな、他国に知れるとエラい事だ!この機会に太子を人質に拐われると厄介な事になる。


そういった配慮が在って、彼は董北或いは董斗星と名乗り、北斗ちゃんと呼ばれる事を暗に既成事実にしたのである。また、こうした周りの温かい配慮に漬け込んで、堂々と逗留を決め、そこいらを闊歩していた。


彼はまず、毎日の様に関羽将軍の許を訪れ、合間に碁を打つ。忙しい日には遠慮するが、その際は必ず費禕に命じて、その動向を押さえていた。


彼は初日の碁盤の中で関羽将軍の気持ちを捉えていたのである。いみじくも関羽本人が口にした盤上に相手の心理を知る、その事を忘れていなかった様だ。それを早速その本人に当て嵌めて考える所が小憎らしい所である。


関羽将軍と碁を打たない日には、否、例え打つ日でも北斗ちゃんは必ず一日に一回は華侘先生の作業場に行って、彼と接した。そして彼を手伝う様に務めたのである。


華侘先生は関羽将軍の経過措置を見る合間に、手持ちぶさたを嫌い、兵や民たちの具合も観ていたので、その助手を買って出たのである。


幸い華侘先生は、初日の北斗ちゃんの様子を観ていて彼を気に入ったらしく、その来訪を喜んだ。また彼に才知を見て取った様で、作業を通じて色々な事を教えてくれたのである。


彼は弟子が居なかったから、華侘の知識と技術はこのままでは彼の死と共に失われてしまうだろう。そんな時に見つけた素直で吸収力と知識欲の強い北斗ちゃんを見込んだ様だ。


先生は北斗ちゃんが蜀の太子である事は知らないので、そのひたむきな姿勢に、すっかり魅了されており、自分の弟子にしたいという気持ちを密かに抱いていた。


『思った通りだ♪これはやはり役に立つ!使った材料はあらかた覚えたし、その使い方も解った。だがさすがに小刀の使用は禁じられているから難しいな?何か手はないかしらんσ(´・ε・`*)?』


その時である。関平がやって来て、華侘先生に差し入れを置いていった。


「先生、酒の小瓶(こがめ)(しし)(にく)です(´▽`)!これは父の真心からの物でけしてお礼では在りませんからお納め下さい♪」


「ふ~む…(*´▽`)そういう事なら喜んで頂戴致しましょう♪足りない材料まで世話に為って申し訳ないと将軍にお伝え下され!」


「(´▽`)先生!何を仰有います?主だけに止まらず、兵や民の事まで面倒を掛けているのです!そんな事は当たり前の事であって、先生が恩に着る様な事では在りません!どうかお気に為さりませぬよう…」


関平は良識のある人らしく、何事もなかった様に、そのまま帰って行った。


『爺も教育者だった人だから、その息子にも教育理念は浸透している様だ。関平という人の資質なのかも知れないが…( -_・)ん?待てよ♪亥肉か…死んだ動物を小刀で切る分にはモラルには反しないよな?ちと聞いてみるか??』


華侘先生は、丁度小刀を洗って清めている所であった。


「( -_・)せんせ!小刀を禁じられていますが、死んだ動物の肉で切り方を教えて貰う訳にはいきませんでしょうか?」


「(*´▽`)ホォ~坊ちゃん面白い所に目をつけられましたな?貴方はやはり優しい御方の様だ。生きた人や動物で練習しようと言わない所が気に入りました!そうですな…それなら教えて差し上げても宜しいが、ひとつ問題が在ります…」


「( -_・)ん?せんせ、それは何でしょうか?」


「(*´▽`)練習には宜しいが、結論から言うと、生きた皮膚と死んだ皮膚とでは切った際の具合が違うのです…生きた皮膚は張りが在りますが、死んだ皮膚は時間と共に弛みが出たり、逆に膨張して来て水分を出します!だから小刀の切る角度や入れ方は理解出来ても、感覚に違いが出ますな…」


『(T∀T)うんが…こりはエグい話を聞く羽目に…でもこんな事で挫けていては先に進めない。ここは腹を括らねばな…』


北斗ちゃんはまず死んだ肉で小刀を教わる事に決めた。彼はそれからも毎日の様に華侘先生の所に通い詰めた。そしてある日の事、ようやく合格と取れる褒め言葉を得たのだった。


本来ならば医学の道は厳しいのでそんな簡単にはいかないが、これは小説なので御理解頂きたい。


華侘先生はその証として、彼に小刀を作ってくれた。荊州は刀鍛冶としても優秀な刀匠が居たので、華侘先生自身も自分の手術用の小刀を注文していた。その次いでとして、北斗ちゃんの分も頼んでくれてあったらしい。


「これは坊ちゃんの姿勢と努力に感銘を受けた私の感謝の心です!貴方が小刀を習いたいと言ってくる事は解っていた。だから貴方を試す事にしたのです…」


「…医者には人を傷つける行為が付き纏う。助ける為とはいえ、その肌を切るのですからな。傷つける事に変わりはないのです!だからこそモラルが付き纏う。貴方がまずその姿勢をどうみせてくるかを私は観察していたのです…」


「…貴方は死んだ肉で練習したいと申されました。その姿勢は私の矜持や規範に添いました!だから貴方に私の技を伝授するつもりで教えたのです…」


「…これからもその姿勢を忘れないで下さい。けして人を傷つけて学ぶ様な事が無い様に!まぁ貴方は優しい方だから、私は信じておりますがのぅ~(*´▽`)♪」


「(´_`。)゛せんせ、有り難う御座います♪これからも精進致します!」


「(*´▽`)あぁ…そう願います!私も少し肩の荷が降りた気がしますな!」


華侘はそう言うと嬉しそうな満面の笑みをみせた。この世に始めて自分の後継者を得た気持ちに成れたのかも知れなかった。


「(;´▽`)私も本意では無いが…貴方が術を使う前に、仮にどうしても自信が無い時には、これを試してみると良い!」


華侘はそう言うと、苦肉の策として方法を教えた。


「(;´▽`)その場合には…屠殺を担う者の協力を得なさい。牛や豚を絞める場に立ち会い、生き物の死に依って得られる食に対する感謝をした上で、屠殺したばかりの皮膚を切るのです!そうする事で生きた肌に近い感触を経験出来ましょう…」


華侘は苦しそうにそう打ち明けた。これは先生も通って来た道らしい。彼は苦しそうに自分の経験を話してくれた。彼が別に天性の物を持っていた訳でも無い。物事には何でも最初があるのだ。


これは囲碁を打つ際に、関羽将軍がいみじくも語った言葉にも通じる物がある。けれどもその行動の重みは比較に成らない程の重圧を与えた。


所詮、盤上の駒には命は無い。だが、もし仮に打ち手が将で、駒が兵で在れば、戦場ではその采配に依って生き死にが発生する事に成る。その場合は関羽の覚悟も華侘の覚悟も、命を預かるという意味では、その重みに違いは無いのだ。


其処の所までは恐らく、北斗ちゃんには理解が及んでいないに違いない。けれども、彼は今、自分のやれる事から突き詰めようと思っていた。


世の中は広く、まだまだ彼の知らない事も多々有る。そういう現実を目の当たりに突き付けられた最初の出来事であったのだ。


井の中の蛙大海を知らず…けれどもその青き空を知る。彼はそういう想いを胸に秘め、その第一歩を懸命に踏み出そうとしていた。

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